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2018年01月04日

第488回:“I could see no border on Earth from the space.” ―「宇宙から見た地球に国境はなかった」(毛利衛)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第488回の今日はこの言葉です。
“I could see no border on Earth from the space.”

「宇宙からは地上の国境は見えなかった」
「宇宙から見た地球に国境はなかった」
という意味です。これは日本人初の宇宙飛行士、毛利衛(Mamoru Mori, 1948-)の言葉です。

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毛利衛(1990年撮影)
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

1948年(昭和23年)、毛利衛は北海道の余市町で8人兄弟の末っ子(五男)として生まれます。父親は獣医師で、母親は銭湯を経営しています。宇宙航空研究開発機構(JAXA: Japan Aerospace eXploration Agency)の公式サイトには毛利衛の子供時代のことが次のように紹介されています。
子どものころから化学実験が大好きで、中学校や高校では理科クラブに入って、放課後になるといつも実験をしていました。また、小さいころから宇宙にうかぶ星に興味をいだいていて、いつか宇宙に行ってみたいという夢をなんとなく持っていたそうです。
毛利衛は米ソの宇宙開発競争の時代に少年時代を過ごします。小学校4年生の時にはソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号(Sputnik 1)」の打ち上げに成功します。流れ星と違ってゆっくりと移動する、ものすごく明るい光の点であるスプートニク1号を見た毛利は、強い印象を受けたそうです。

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スプートニク1号のレプリカ(2007年撮影)
By U.S. Air Force photo (exact source) [Public domain], via Wikimedia Commons

1961年(昭和36年)4月、ソ連のユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin)が人類初の有人宇宙飛行を成功させます。中学2年生だった毛利衛は感激のあまり、テレビ画面に映ったガガーリンと「肩を組んだ」記念写真を撮ってもらったのだそうです。
また1963年7月に網走市で皆既日食が観測されます。高校1年生だった毛利衛は学校を休んで3歳上の兄と一緒に網走へ行き、皆既日食で夜明けの空に輝くコロナやダイヤモンドリングを見て、強く感動します。
後に毛利は宇宙飛行士を志した動機を聞かれると、この時の記憶と感動を必ず語るようになります。

Embed from Getty Images

ユーリ・ガガーリン(1961年撮影)
Photo by Keystone-France / Contributor [Rights-managed], via Getty Images

地元の高校を卒業した毛利は北海道大学(Hokkaido University)理学部の化学科に入学します。「化学者になってノーベル賞をとるつもりだった」そうです。毛利が北大にいた4年間は学生運動が最も盛んだった時期です。毛利は民青(民主青年同盟)の友人たちとベトナム戦争反対の募金運動をやったりもしますが、次第にそういう活動に共感を覚えなくなり、距離をおくようになります。
そんな中で1969年7月にアメリカのNASA(国立航空宇宙局, National Aeronautics and Space Administration)の宇宙船「アポロ11号(Apollo 11)」が人類初の月面着陸に成功します。
大学院進学を決めていた毛利は、腕試しに受けた国家公務員試験の二次試験を途中放棄して、テレビのある試験会場のロビーでテレビ中継を見ていたのだそうです。

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月面着陸したアポロ11号のテレビ中継(1969年撮影)
船長のニール・アームストロング(Neil Armstrong)が月面に降り立とうとしている
By National Aeronautics and Space Administration (NASA's Apollo 11 Multimedia webpage) [Public domain], via Wikimedia Commons

毛利は北海道大学大学院の修士課程へ進みますが、大学紛争で荒れ果てた北海道大学にとどまっても研究に没頭できないと考え、オーストラリアのアデレードにあるフリンダース大学(Flinders University)の大学院に留学し、化学の修士号と博士号を取得します。その後北海道大学へ戻って講師や助教授を勤め、科学者として本流の道を進みます。しかし心のどこかで宇宙に行きたいという夢を持ち続けます。
そんな時、科学技術庁の宇宙開発事業団(NASDA: National Space Development Agency of Japan)が初めて宇宙飛行士を募集します。毛利はすぐに応募を決意して申し込み、1985年(昭和60年)に533人の応募者の中から日本人初の宇宙飛行士の一人として選ばれます。毛利が37歳の頃のことです。
この時毛利と一緒に宇宙飛行士候補として選抜されたのは慶応大学病院の女性外科医だった内藤千秋、後の向井千秋(Chiaki Mukai)と、NASAの研究所で働いていた宇宙工学博士の土井隆雄(Takao Doi)です。

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向井千秋
By NASA (http://www.jsc.nasa.gov/Bios/PS/mukai.html) [Public domain], via Wikimedia Commons

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土井隆雄
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

毛利は北大を退職して家族5人で千葉県の新松戸へ引っ越し、つくばにある宇宙開発事業団へ通うようになります。しかし間もなく、アメリカから悲報が届きます。
スペースシャトル「チャレンジャー(Challenger)」が10回目のミッション「STS-51-L」で打ち上げ73秒後に爆発し、乗員7名全員が亡くなったのです。

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チャレンジャーの爆発(1986年撮影)
By Kennedy Space Center [Public domain], via Wikimedia Commons

この事故の影響で、1988年1月に予定されていた日本人の初飛行の計画は大きく遅延します。
今や国民的なヒーローになっていましたから、内心は憂鬱でも、見知らぬ人から声をかけられると飛び切りの笑顔でにっこりしなければいけません。事故後の打ち上げ日程は知らされないまま、毛利たちは強いストレスにさらされながらも訓練を続けます。
このような紆余曲折を経て、毛利衛はスペースシャトル(Space Shuttle)の50回目のミッション「STS-47」に日本人初の宇宙飛行士として選ばれ、参加します。

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STS-47のクルー(1992年撮影)
By NASA, Image ID: STS047(S)002 [Public domain], via Wikimedia Commons

ミッションの主な目的は、「スペースラブ-J(Spacelab-J)」と名付けられたNASAとNASDAの国際共同宇宙実験プロジェクト。軌道上での微小重力環境下での材料実験や、鯉を用いた宇宙酔いの動物実験などの生命科学の実験を実施することです。毛利は「ペイロードスペシャリスト(Payload Specialist、搭乗科学技術者)」と呼ばれる役割で、NASAに所属しない科学者としての参加です。スペースシャトルのシステム運用には直接せず、国際共同実験に専念するのが仕事です。
船長(Commander)はアメリカ海軍出身のロバート・ギブソン(Robert L. Gibson)、操縦手(Pilot)はアメリカ空軍出身のカーティス・ブラウン(Curtis Brown)です。毛利衛や女性2名も含めて合計8名のクルーが搭乗しています。また向井千秋と土井隆雄もバックアッククルーとしてこのミッションに参加します。

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日本人のバックアップクルー2名も含めたSTS-47のクルーたち(1992年撮影)
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

1992年9月12日、毛利たちが搭乗したスペースシャトル「エンデバー(Endeavour)」がフロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられます。宇宙で運用する5機目のオービタ(軌道船)で、この年の5月のSTS-49で初飛行してこのミッションが2度目の飛行という最新の機体です。
軌道に達したエンデバーは、貨物室に搭載した円筒形のスペースラブ(Spacelab)という宇宙実験室で様々な実験を行います。材料科学に関する実験が24件、生命科学に関する実験が20件行われたそうです。

Embed from Getty Images

打ち上げ後に上昇するエンデバー(1992年撮影)
Photo by Science & Society Picture Library / Contributor [Rights-managed], via Getty Images

もっと大きくて長期滞在が可能な国際宇宙ステーション(ISS: International Space Station)で実験を行わなかったのは、当時はまだISSがなかったからです。ISSは1999年から組み立てが開始され、2011年に完成したものです。
しかしスペースラブもスペースシャトルの貨物室をいっぱいに使って様々な実験を行うことができ、しかも再利用が可能です。2機製造されたスペースラブの実験モジュールと実験パレットは、合計25回のミッションで利用されます。

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ミッション中のSTS-47のクルーたち(1992年撮影)
スペースラブ実験モジュール内にて
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

9月20日、8日間のミッションを終えたエンデバーはケネディ宇宙センターへ帰還します。
帰還直後、毛利はテレビカメラの前で語ります。
“I could see no border on Earth from the space.”
「宇宙から見た地球に国境はなかった」
まさに、その通りですね。
人々はしばしば国境線をめぐって争いを繰り返します。
また冷戦時の東西ドイツの国境や現在の南北朝鮮の国境のように、家族や友人が引き裂かれる悲劇もあります。
しかし宇宙から見ると、そんな国境なんて見えないのです。

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アポロ17号から見た地球(1972年撮影)
By NASA/Apollo 17 crew; taken by either Harrison Schmitt or Ron Evans [Public domain], via Wikimedia Commons

実は、日本人として初めて宇宙に行ったのは、TBSの記者だった秋山豊寛(Toyohiro Akiyama)です。
1990年12月2日にソ連のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたソ連の宇宙船ソユーズTM-11に登場し、宇宙ステーション「ミール(Mir)」で取材活動を行い、12月10日に帰還します。
宇宙と地上を結んだテレビ中継の第一声として「これ、本番ですか?」と言ったことは有名です。
秋山は確かに日本人として初めて宇宙へ行った人物であり、初めて宇宙へ行ったジャーナリストでもあります。しかし日本人初の宇宙飛行士として正式に選抜されて訓練を始めていたのは毛利衛です。チャレンジャーの爆発事故がなければ初めて宇宙へ行ったのも毛利だったかもしれません。
秋山も宇宙飛行に必要な訓練も行いましたが、クルーとしてミッションに参加したというよりも、乗客として、あるいは取材要員として宇宙へ行ったと言えましょう。ですから僕はやはり「日本人初の宇宙飛行士」は毛利衛だと思います。

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秋山豊寛(1990年撮影)
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

1998年、毛利はスペースシャトルの運用や船外活動を行うことができるミッションスペシャリスト(Mission Specialist, 搭乗運用技術者)の資格を取得します。そして2000年2月にミッションスペシャリストとして再びエンデバーに搭乗し、「STS-99」に参加して11日間宇宙に滞在します。

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STS-99で打ち上げられるスペースシャトル「エンデバー」(2000年撮影)
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

“I could see no border on Earth from the space.”
宇宙から見た地球に国境はなかった。

子供の頃からの夢を見事に叶え、日本人初の宇宙飛行士としてスペースシャトルのミッションを成功させた毛利衛。
確かに宇宙からみた地球に国境はありません。
新年第1回目の今日、人々が国境や考え方の違いで争わなくなる日が一日でも早く来ることを祈ります。


【動画】“STS-47 Launch CNN Coverage(STS-47 CNN発射中継)”, by zellco321, YouTube, 2013/07/15

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“STS-47: Space Shuttle Endeavour Spacelab Mission(STS-47 スペースシャトル・エンデバーのスペース・ラブ・ミッション)”, by okrajoe, YouTube, 2012/09/25

【関連記事】第159回:“The earth was bluish.”―「地球は青かった」(ユーリ・ガガーリン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年01月11日
【関連記事】第160回:“It is I, Sea Gull.”―「私はカモメ」(テレシコワ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年01月12日
【関連記事】第5回:“One small step for (a) man, one giant leap for mankind.”―「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」(アームストロング), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年04月27日
【関連記事】第80回:“Information wants to be free.”―「情報は自由になりたがっている」(スチュアート・ブランド), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年08月25日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“毛利衛 宇宙飛行士”, 宇宙ステーション キッズ, JAXA(宇宙航空研究開発機構)
【参考】“最初に宇宙へ行った男(No.556)”, by 河野通和, Webでも 考える人とは, 2013年9月19日
【参考】“STS-47”, Mission Archives, Space Shuttle, NASA
【参考】“SOYUZ TM-11: FIRST JOURNALIST IN SPACE”, by Anatoly Zak, SEN, JUN 27, 2015

【動画】“STS-47 Launch CNN Coverage(STS-47 CNN発射中継)”, by zellco321, YouTube, 2013/07/15
【動画】“STS-47: Space Shuttle Endeavour Spacelab Mission(STS-47 スペースシャトル・エンデバーのスペース・ラブ・ミッション)”, by okrajoe, YouTube, 2012/09/25




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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン ☔ | Comment(0) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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