英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。
第456回の今日はこの言葉です。
“I will love you until my last breath.”
「最後の一息まであなたを愛します」
「息が絶えるまで君を愛する」
という意味です。
これはイギリス女王ヴィクトリア(Queen Victoria)の若き日を描いたイギリス映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛(Young Victoria)』(2009年イギリス・アメリカ)に出てくる言葉です。ヴィクトリアの夫、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート(Albert, Prince of Saxe-Coburg-Gotha)の言葉です。アルバートの英語の称号は“Prince”(プリンス)、ドイツ語でも“Prinz”(プリンツ)ですが、アルバートの父親は「王(King)」ではなくドイツ語で“Herzog”(ヘルツォーク)と呼ばれる「公爵(Duke)」という貴族ですので、日本語では「王子」ではなく「公子」と呼ばれます。公爵や侯爵、伯爵などの爵位によらず、貴族の息子のことを一般的に「公子」と呼ぶことが多いようです。

アルバート公子(1840年頃の肖像画)
By John Partridge (1790-1872) (The Royal Collection) [Public domain], via Wikimedia Commons
1819年、アルバート公子はドイツ中部のコールブルクにあるローゼナウ城(Schloss Rosenau)に生まれます。ドイツ語読みで「アルベルト」と呼ばれます。
父親はザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト3世(Ernest III, Duke of Saxe-Coburg-Saalfeld)。アルバートの将来の妻ヴィクトリア(Victoria)の母であるケント公妃ヴィクトリアの兄にあたる人物です。

アルバートの父エルンスト3世(1818-19年頃の肖像画)
George Dawe [Public domain], via Wikimedia Commons
ドイツはかつてハプスブルク家が支配する神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)の領域の一部でした。
しかし宗教改革で新興勢力となったプロテスタントと旧勢力のカトリックが争った三十年戦争(Thirty Years' War, 1618-48)の結果、ハプスブルク家は影響力を弱めます。そしてドイツでは諸侯が力を強めて独立し、小国が乱立するようになります。諸国が乱立して対立した日本の戦国時代に近い状態です。

三十年戦争終結後のドイツ地方(1648年)
By Astrokey44 [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
エルンスト3世は1826年にゴータを所領に加えてザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世(Ernest I, Duke of Saxe-Coburg and Gotha)となります。女好きで浮気癖があったため公妃ルイーゼとの夫婦仲は円満ではなく、同じ1826年に離婚します。アルバートが7歳の頃です。
アルバートは兄と共にコーブルクとブリュッセルで個人授業を受けた後、多くのドイツ諸侯の公子と同様にボン大学(University of Bonn)に入学し、法律学を学びます。音楽やスポーツにも親しみ、フェンシングや乗馬などが上手だったそうです。

3〜4歳の頃のアルバート(左)と母ルイーゼ、兄のエルンスト(1823-24年頃の肖像画)
By Ludwig Döll (1789-1863) [Public domain], via Wikimedia Commons
1836年、16歳だったアルバートは1歳年上の兄エルンスト公子(Prince Ernst)と共にイギリスを訪れ、従姉妹のケント公女ヴィクトリア(Vitoria)と出会います。ヴィクトリアはアルバートと同い年の16歳です。時のイギリス国王ウィリアム4世(William IV)には子がなかったため、姪であるヴィクトリアが暫定王位継承者となっています。
アルバートの兄エルンストは父エルンスト1世の跡取り息子で、後にエルンスト2世となる人物です。その意味でも将来イギリス女王になる暫定王位継承者だったヴィクトリアとの結婚は考えていませんでした。しかしアルバートは次男坊。父エルンスト1世とその妹であるヴィクトリアの母ケント公妃は二人の結婚を望みます。
エルンスト1世やケント公妃の弟のベルギー国王レオポルト1世(Léopold Ier)はアルバートとヴィクトリアの共通の叔父で、二人のよき相談相手でもありましたが、レオポルト1世も二人がお似合いだと考え、二人の仲を応援します。

ヴィクトリア(1838年の戴冠式の時の肖像画)
Henry Pierce Bone [Public domain], via Wikimedia Commons
ヴィクトリアは二人に会った1836年5月18日の日記で、アルバートの兄エルンストのことを次のように記しています。
“Ernest is as tall as Ferdinand & Augustus; he has dark hair, & fine dark eyes & eye-brows, but the nose & mouth are not good; he has a most kind, honest & intelligent expression in his countenance, & has a very good figure.”かなり好意的ではありますが、いまいちなところもあると率直に書いています。
「アーネスト(エルンストの英語名)はフェルディナンドやオーガスタスぐらいの背の高さ。髪は黒くて黒い目とまつ毛が素敵。でも鼻と口はいまいち。とっても優しくて正直で知的な雰囲気で見た目も立派」

エルンスト公子(1842年の肖像画)
Franz Hanfstaengl [Public domain], via Wikimedia Commons
その直後に、ヴィクトリアはアルバートについてこう書いています。
“Albert is extremely handsome; his hair is about the same colour as mine; his eyes are large & blue, & he has a beautiful nose, & a very sweet mouth with fine teeth; but the charm of his countenance is his expression, which is most delightful; c'est a la fois, full of goodness & sweetness, & very clever & intelligent.”もう初対面から絶賛の嵐、まさに一目ぼれの状態です。
「アルバートは超イケメン。髪の色は私と同じ栗色で、大きな青い目と上品な鼻、可愛い口と歯も素敵。でも彼の魅力はとても明るい表情。そして同時にいい人でスイートで頭がよくて知性にあふれている」
ちなみに“c'est a la fois”(セザラ・フォワ)とはフランス語で「それと同時に」という意味です。日記にフランス語を混ぜるなんて、いかにも夢見る少女です。

アルバート公子(1840年の肖像画)
Franz Hanfstaengl [Public domain], via Wikimedia Commons
同じ日の日記には、
“dearest most beloved cousins”とも書かれていて、二重下線まで引いています。アルバートたちと会えたのがよほど嬉しかったのでしょう。あえてアルバートの名前を書かず「従兄弟たち」とぼかしているところもヴィクトリアの乙女心がうかがえます。
「最愛の超最愛の従兄弟たち」
その後もヴィクトリアはアルバートたちとオペラを観劇したり食事をしたりと交流を重ねます。
【動画】“Victoria - 1x03 - Prince Albert's Entrance (『ヴィクトリア』 - アルバートの登場)”, by Cyanesea, YouTube, 2016/09/05
翌1837年、イギリス国王ウィリアム4世が崩御し、18歳のヴィクトリアがイギリスの女王に即位します。
1839年、ヴィクトリアはアルバートとエルンストを再びイギリスへ招きます。アルバートと再会したヴィクトリアは、さらに美男に成長した教養あふれるアルバートに会って心を固めます。
ヴィクトリアはクローゼットでアルバートと二人きりになった時、アルバートにこうささやきます。
“It would make me too happy if you would consent to what I wished.”「私の望み」とはもちろん結婚のことです。ヴィクトリアは自らアルバートにプロポーズしたのです。とてもロマンチックなプロポーズですね。そしてアルバートはヴィクトリアの気持ちを受け入れます。
「あなたが私の望みを叶えてくれたらどんなに幸せかしら」
1840年2月、ヴィクトリアとアルバートはセント・ジェームズ宮殿で結婚式を挙行します。二人が20歳の時のことです。

ヴィクトリアとアルバートの結婚式(1840年の絵画)
George Hayter, cropped by Jim Saeki in 2017 [Public domain], via Wikimedia Commons
結婚から4ヶ月後、大事件が起きます。ヴィクトリアとアルバートが馬車でバッキンガム宮殿近くのコンスティテューション・ヒルを通っていた時、見物人の中にいた男がエリザベスに向けて短銃を発砲したのです。一発目は外れ、二発目が撃たれる寸前にアルバートはヴィクトリアを馬車の中に引き倒して彼女を守ります。
第一子を妊娠していたヴィクトリアはアルバートに助けられて危うく難を逃れます。アルバートの勇気ある行動は国民に称賛されます。

ヴィクトリア狙撃事件を描いたリトグラフ(1840年)
By J. R. Jobbins (antique lithograph (detail)) [Public domain], via Wikimedia Commons
1840年11月、バッキンガム宮殿でヴィクトリアは女の子を出産します。女の子は同じヴィクトリア(Victoria)と名付けられ、ヴィッキー(Vicky)という愛称で呼ばれます。
翌1841年の11月、今度は待望の男子が生まれます。男の子はアルバート・エドワード(Albert Edward)と名付けられ、エドワードと呼ばれます。エドワードは王位継承者として王太子であるプリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)の称号を与えられます。
それにしても娘と息子にお互いの名前をつけるなんて、ヴィクトリアとアルバートはそれほど強く愛し合っていたのでしょうね。

ウィンザー城でのアルバートとヴィクトリア、そして娘のヴィッキー(1843年頃の絵画)
Edwin Henry Landseer [Public domain], via Wikimedia Commons
エドワードが生まれた頃から、アルバートはヴィクトリアの幼い頃からの側近であるルイーズ・レーツェン男爵夫人(Baroness Louise Lehzen)の仕事ぶりに問題を感じ、解任を考えるようになります。当時のレーツェンは王室の予算と人事を一手に握り、ヴィクトリアの秘書も務める実力者でしたが、全体への配慮が行き届かなくなっています。王室の使用人は官僚化して縄張り争いや無駄も多く、王室は無秩序な状態となっています。ヴィクトリアは幼少時代の教育係で母親同然だったレーツェンの解任に最初は反対しますが、結局アルバートに説得されて1842年に解任に同意します。
王室内での実権を握ったアルバートはドイツ人らしい生真面目さで王室の無駄を徹底的に排除します。既得権益者たちからは反発を受けますが、アルバートは王室財政の大幅な改善に成功します。

ルイーズ・レーツェン男爵夫人(1842年の肖像画)
By Carl Friedrich Koepke ([1]) [Public domain], via Wikimedia Commons
エドワードが生まれた前後の1841年、アルバートは女王の諮問機関である枢密院(Her Majesty's Most Honourable Privy Council)のメンバーに加わってヴィクトリアの秘書や顧問を務めます。
当時のイギリス首相でヴィクトリアが相談役として父のように信頼した第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム(William Lamb, 2nd Viscount of Melbourne)も、「アルバート公は実に頭の切れるお方です。どうかアルバート公のおっしゃることをよくお聞きなさいますように」とヴィクトリアに進言したそうです。
冷静で頭脳明晰なアルバートは、短気で気まぐれで感情的になることもあるヴィクトリアをよく補佐し、イギリスはヴィクトリアとアルバートの共同統治のような形となります。

23歳の頃のアルバート(1842年の肖像画)
Franz Xaver Winterhalter [Public domain], via Wikimedia Commons
1851年、ロンドン
アルバートはこの万博の発案者の一人で、最大の出資者となります。大規模な博覧会を成功させるために政府に働きかけて1851年博覧会王立委員会(Royal Commission for the Exhibition of 1851)を結成させ、その委員長につきます。万博には700万人が訪れ、経費の倍以上の収益を上げる大成功となります。人々はアルバートの実行力と万博の成果を絶賛します。
万博の会場はロンドンのハイドパークに鉄とガラスで建設された巨大な「クリスタル・パレス(水晶宮)」(Crystal Palace)。産業革命で世界の頂点に達したイギリスの技術力と経済力の結晶です。なお、クリスタル・パレスは残念ながら1936年に焼失してしまい、今その姿を見ることはできません。
【動画】“Great Exhibition 1851 (1851年万国博覧会)”, by Florencia EM Uthoff, YouTube, 2013/02/05
アルバートとヴィクトリアの夫婦仲は非常によく、なんと9人の子宝に恵まれます。まさにロイヤル・ビッグダディです。
アルバートは歴代首相からも深く信頼され、ヴィクトリアの治世を強力に支えます。
1857年、アルバートは「プリンス・コンソート(王配殿下)」(Prince Consort)の称号を与えられます。この称号を与えられた歴史上で唯一の人物です。
しかし1861年12月、アルバートは病に倒れて亡くなります。42歳の若さでの死です。
ヴィクトリアは最愛の夫の死を深く嘆き悲しみ、二度と豪華な衣装を着ることなく、その後の生涯のほとんどを黒い喪服で過ごしたそうです。

40歳の頃のアルバート(1860年撮影)
John Jabez Edwin Mayall [Public domain], via Wikimedia Commons
ヴィクトリアの在位は63年間に及びます。歴代の英国王の中では玄孫(孫の孫)にあたる現女王のエリザベス2世(Elizabeth II)に次ぐ長さです。その治世は「ヴィクトリア朝」(Victorian era)と呼ばれ、軍事的にも経済的にも文化的にも大英帝国の最盛期であったと言われています。
長男のエドワードは後にイギリス国王エドワード7世(Edward VII)となります。そしてほかの子女がヨーロッパ各国の王室や皇室と婚姻を結んだ結果、後世ヴィクトリアは「ヨーロッパの祖母」(the grandmother of Europe)とも呼ばれます。
ヴィクトリアが即位した時、アルバートは彼女に「長く幸福で輝かしい治世を祈ります」という手紙を送りました。ヴィクトリアの治世はアルバートの願いの通りとなったのです。

ヴィクトリア朝のイギリスの領土(1898年の地図)
By McVitie and Price (Canadian War Museum in Ottawa) [Public domain], via Wikimedia Commons
“I will love you until my last breath.”
息が絶えるまで君を愛する。
女性なら一度は、いや何度でも言われてみたい台詞ですね。
しかしこの言葉はヴィクトリアの日記には書かれていないようです。実際の言葉ならヴィクトリアが日記に書かない筈がありませんから、この言葉は映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』の創作なのかもしれません。
大英帝国の最盛期と言われるヴィクトリア女王の治世の前半期を陰で支えたアルバート。
残念ながら若くして亡くなってしまったため、彼の名前や業績はあまり有名ではありません。しかしイギリス王室を近代化した改革はとても大きな成果です。また、世界初の万博を大成功に導いたのも彼の熱意と才能の賜物です。何よりも、ヴィクトリア女王に大きな愛を与え、凶弾から守り、9人の子供をさずけ、公務をさりげなく補佐した功績は計り知れません。
ヴィクトリアは女王でありながら、好きな人と相思相愛で結婚することができた幸せな女性だったと言えましょう。

ヴィクトリアとアルバート、5人の子供たち(1846年の絵画)
Franz Xaver Winterhalter [Public domain], via Wikimedia Commons
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。
【動画】“『ヴィクトリア女王 世紀の愛 』予告編”, by ギャガ公式チャンネル, YouTube, 2009/11/18
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【参考】Wikipedia(日本語版,英語版)
【参考】“Queen Victoria's Journals (ヴィクトリア女王の日記)”, Her Majesty Queen Elizabeth II
【参考】“ヴィクトリア女王の日記”, by おだしまさちこ さん, 大好きロンドン, 2014年05月31日
【参考】“Queen Victoria’s Wedding (ヴィクトリア女王の結婚)”, by Richard Cavendish, History Today Volume 65 Issue 2, February 2015
【参考】“Queen Victoria: 6 stories from her diaries (ヴィクトリア女王:日記に書かれた6つの物語)”, by Molly Driscoll, The Christian Science Monitor, MAY 24, 2012
【参考】“「息が絶えるまで愛する」”, by Rie Shintani, ELLE ONLINE, 2013/1/17
【動画】“Victoria - 1x03 - Prince Albert's Entrance (『ヴィクトリア』 - アルバートの登場)”, by Cyanesea, YouTube, 2016/09/05
【動画】“Great Exhibition 1851 (1851年万国博覧会)”, by Florencia EM Uthoff, YouTube, 2013/02/05
【動画】“『ヴィクトリア女王 世紀の愛 』予告編”, by ギャガ公式チャンネル, YouTube, 2009/11/18
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