英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。
第420回の今日はこの言葉です。
“My client is not in a hurry.”
「私の
という意味です。もともとスペイン語で、
“Mi Cliente no tiene prisa.”と表現されます。
(ミ・クリエンテ・ノ・ティエネ・プリサ)
これはスペインの建築家、アントニ・ガウディ(Antoni Gaudí, 1852-1926)の言葉です。日本では「アントニオ・ガウディ」とも呼ばれます。バルセロナのサグラダ・ファミリア(Sagrada Família)をはじめとする建造物群を設計、建築したことで有名です。

アントニ・ガウディ(1878年撮影)
Pau Audouard [Public domain], via Wikimedia Commons
1852年、アントニ・ガウディはカタルーニャ地方のレウス(Reus)近郊のリウドムス(Riudoms)に生まれます。父親のフランセスクは銅板を加工して鍋や釜を作る銅細工師をしています。アントニは幼い頃から病弱で、リウマチに苦しんだそうです。11歳の頃にガウディはピアリスト修道会の学校に入学し、友達と雑誌を発行して挿絵を担当したり、学校の演劇で大道具や小道具を製作したりします。
ガウディは16歳の時にバルセロナで教育を学び、23歳の頃に兵役につきます。しかし病弱だったことが幸いしてほとんど歩兵の訓練に参加できず、第三次カルリスタ戦争(Third Carlist War, 1872-76)にも従軍せずにすみます。しかもガウディはその間もバルセロナ建築学校などで建築を学び、26歳の頃に建築士の資格を取得します。学費を得るためガウディはいろいろな建築事務所でも働き、バルセロナのシウタデラ公園の装飾やモンセラートの修道院の装飾などにも関わります。

モンセラートの修道院(2007年撮影)
By Jürgen Oesterschlink (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY 2.5], via Wikimedia Commons
1878年、学校を卒業したばかりのガウディはパリの万国博覧会(Exposition Universelle de Paris 1878)に出店するクメーリャ手袋店のためのショーケースをデザインします。繊維会社の経営者で政治家でもあったエウセビ・グエル(Eusebi Güell)はこの作品を見て、ガウディの才能を見抜きます。グエルはその後40年にわたってパトロンとしてガウディを支援し、自邸であるグエル邸(Palau Güell)やグエル公園(Park Güell)の設計を依頼します。

グエル邸(1888年完成)(2009年撮影)
By Paul Hermans (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
1883年、ガウディはバルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)の専任建築家となります。民間カトリック団体であるサン・ホセ教会が、すべて個人の寄付に依って建設される贖罪教会として計画したものです。専任建築家のフランシスコ・ビリャール(Francisco Villar)によって1年前に着工されていましたが、サン・ホセ教会との意見の対立からビリャールが辞任し、当時まだ無名だったガウディが任命されます。ガウディ31歳の頃です。敬虔なカトリック教徒だったガウディは設計を一から練り直し、生涯をかけてサグラダ・ファミリアの設計と建設に取り組むことになります。

建設中のサグラダ・ファミリアの地下聖堂の入り口(1885年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
同じ頃にガウディが手がけた作品としては、バルセロナのグラシア地区にあるカサ・ビセンス(Casa Vicens)が初期の傑作として有名です。スペイン語で「ビセンス邸」という意味で、レンガやタイル工場の社長であったマヌエル・ビセンスの住居として1889年に完成します。レンガとタイルを使った個性的な外観は話題となります。

カサ・ビセンス(2011年撮影)
By Carles Paredes (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
1900年、ガウディはグエルの依頼でバルセロナを見下ろす丘の上に新しい住宅地の建築を始めます。当時のバルセロナは工業化が進んで人口が急増しており、ガウディとグエルはこの地に自然と芸術に囲まれて暮らせる新しい住宅地を総合芸術として作ろうとしたのです。広場や道路などのインフラが整備され、60軒の住宅を分譲するニュータウンの建設が予定されます。しかし二人の先進的すぎる構想は当時の人々にまったく理解されず、買い手がついたのはグエルとガウディが自ら買った2軒だけとなります。

グエル公園から見たバルセロナ市街(2003年撮影)
By Marrovi (Own work) [CC BY-SA 2.5 mx], via Wikimedia Commons
この住宅地はグエルが亡くなる1918年まで建造が続けられますが、グエルの死後は市に寄付されて公園となります。
今ではグエル公園(Park Güell)と呼ばれて、大人気の観光名所となっています。
童話に出てくるお菓子の家のような門衛小屋、タイルを使ったモザイク張りのトカゲの噴水、同じくモザイク張りの美しいベンチなどが特徴です。

グエル公園(2005年撮影)
By es:Usuario:Rapomon [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
1904年から2年かけて、ガウディは繊維業者ジュゼップ・バッリョの依頼を受けてバルセロナ中心街のグラシア通りに面する邸宅の改装を手がけます。カサ・バトリョ(Casa Batlló, バトリョ邸)です。
ガウディは外観や内装に曲線的なデザインを取り入れ、タイルやステンドグラスなどの装飾をほどこします。自然光が屋内にも効果的に取り込まれ、光と色によって海底洞窟のような美しさがもたらされています。
曲線と曲面をふんだんに使ったモデルニスモ(Modernisme)の代表例とされています。モデルニスモとは19世紀末から20世紀初頭にガウディらの活躍によってバルセロナで流行した、フランスのアール・ヌーボーにも似た芸術様式です。

カサ・バトリョ(2005年撮影)
Rapomon from es [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
また1906年から4年かけて、ガウディは実業家ペレ・ミラの依頼を受けてグラシア通りに面する邸宅の建設を行います。カサ・ミラ(Casa Milà, ミラ邸)です。
うねうねと波打つ灰色の外観は個性的で、建設当時も今も「石切場(ラ・ペドレラ)」(La Pedrera)と呼ばれます。内装も天井や壁がどこもかしこも波打っており、屋上には、独特の形の煙突や階段室が立ち並んでいます。

カサ・ミラ(2007年撮影)
By Diliff (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY 2.5], via Wikimedia Commons
1914年以降、ガウディは宗教関連以外の依頼を断ってサグラダ・ファミリアの建設に専念します。
しかし親類や友人が相次いで亡くなったり、パルセロナ市が財政危機におちいったりして工事は遅々として進みません。
そして1918年、最大の理解者にしてパトロンだったグエルが亡くなります。
ガウディは取材を受けたり写真を撮られたりすることを極端に嫌うようになり、サグラダ・ファミリアの工房に住み込んで工事にますます集中します。

建設中のサグラダ・ファミリア(1908年撮影)
左側が生誕のファサードと半分できている4本の塔
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
サグラダ・ファミリアがすべてが完成するまでにかかる期間は、当初は200年とも300年とも言われます。
もしそうならば、ガウディや同時代の人たちが生きているうちには完成しません。
いったいいつになったら完成するのかと問われたガウディは、次のように答えます。
“The work of the Sagrada Família progresses slowly because my client is not in a hurry. God has all the time in the world.”ガウディにとって依頼主は神なのです。
「サグラダ・ファミリアの工事はゆっくり進む。私の依頼主は急いでいないからだ。神は時間をたっぷり持っておられる」
神は急いでいないのです。
世界各地の大聖堂も、かつて何世紀にもわたって建設されました。たとえばミラノの大聖堂は建設に500年かかったと言われますし、ケルンの大聖堂は建設中断もはさんで600年かかったとされています。

建設中のサグラダ・ファミリア(1915年頃撮影)
By Templo Expiatorio de la Sagrada Familia (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
1926年、ガウディはミサに向かう途中で路面電車にひかれます。あまり身なりに気をつかっていなかった上に身元がわかるものを身に着けていなかったため、ガウディは浮浪者に間違われてろくな手当をされず、3日後に亡くなります。享年73歳。パトロンだったグエルが亡くなってから8年、サグラダ・ファミリアの建設を引き受けてから42年がたっていました。
この時に完成していたのは地下聖堂とアプスの外壁、そして生誕のファサードと4本の塔だけでした。
完成まで300年とすると、まだ250年以上が残っていました。

ガウディが死去した頃のサグラダ・ファミリア(1929年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
ガウディが亡くなった後も、サグラダ・ファミリアの建設は続けられます。
ガウディは詳細な設計図は残しておらず、紐やおもりを使った模型やスケッチなどを参考にして弟子たちが建設を続けます。
しかし1936年にスペイン内戦(Spanish Civil War)が勃発し、建設は中断します。3年近く続いた内戦の間に、聖堂の一部やガウディの工房は破壊され、模型や建設計画書も失われてしまいます。
もはやガウディの構想どおりにサグラダ・ファミリアを建設することができなくなってしまったため、建築をこれ以上続けるべきかという議論がまきおこります。
しかし、弟子たちの伝承とわずかに残された模型やスケッチをもとに、時代時代の建築家たちがガウディの構想を推測する形で建設が続けられ、現在に至っています。
初期に作られた部分は既に建設から100年以上たっていますので、修復を行いながらの建設です。

建設中のサグラダ・ファミリア(1983年撮影)
By J Dykstra (Personal Photo) [Public domain], via Wikimedia Commons
サグラダ・ファミリアの建築は、スペイン後期ゴシックとモデルニスモやアール・ヌーボーが見事に融合しているのが特徴です。
建物の主要構造としてはゴシック建築の直線的に空へ延びるデザインが使われており、屋内の広々とした空間と外光をふんだんに採り入れた館内の明るさを実現しています。パラボリック・アーチと呼ばれる放物線状のアーチも特徴的です。
内部空間には枝分かれした柱が立ち並び、まるで森の中にいるかのような感覚になります。また、色とりどりのステンドグラスから差し込む外光の美しさは天国のようです。

サグラダ・ファミリアの内部(2016年撮影)
By Gary Ullah from UK (Sagrada Familia, Barcelona) [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons
一方でファサードや塔、細部の装飾にはモデルニスモやアール・ヌーボーの局面的で有機的な装飾が細部に至るまでほどこされています。
特にガウディが生前手がけた東側の「生誕のファサード(Nativity façade)」は異様とも言える有機的で生物的なデザインで、キリスト生誕から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されています。
後世の彫刻家が手がけた西側の「受難のファサード(Passion Façade)」は対照的にシンプルな現代彫刻で、最後の晩餐からキリストの磔刑・昇天までの逸話が彫刻されています。
また18本建設される予定のうち8本まで完成している塔も、教会とは思えないトウモロコシのような有機的で装飾的な外観です。
まさにサグラダ・ファミリアは世界に類を見ない個性的な教会建築であり、巨大な彫刻美術なのです。

建設中のサグラダ・ファミリア(2009年撮影)
By Canaan (Own work) [GFDL or CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons
サグラダ・ファミリアは未完成ながら、スペインでもっとも観光客を集める人気の観光地となります。
特に1992年のバルセロナ・オリンピックで世界中に注目され、各地でガウディ・ブームがまきおこります。
また、300年はかかると言われていた建設期間ですが、技術の進歩とスペインの経済成長、入場料収入の伸びに支えられて工事の進捗は大きく加速します。航空機用の設計システム(CAD)や、3次元プリンタで立体模型を作るなど、最新のハイテク技術も駆使しています。その一方で、コンクリートを使わずに石で建設するという基本は守り抜いています。
公式発表ではガウディ没後の2026年に完成するとされおり、それが正しければおよそ144年の工期で完成することになります。当初の見込みの半分以下です。
【動画】“SAGRADA FAMILIA - BARCELONA SPAIN [ HD](サグラダ・ファミリア、バルセロナ、スペイン)”, by Places & People, YouTube, 2017/09/21
“My client is not in a hurry.”
私の依頼主は急いでいない。
自身が敬虔なカトリック教徒でもあり、依頼主である神のためにサグラダ・ファミリアを建設したガウディ。
決して多作な建築家ではないですが、バルセロナでは個性的すぎるガウディの作品をいくつも見ることができます。それらを訪ねるだけでもバルセロナを訪れる価値があるといえましょう。
そして必ず、サグラダ・ファミリアを訪ねてみて下さい。
100年単位で建設中の大聖堂を見られるのは、世界でここだけしかありません。
そして今なお建設中のサグラダ・ファミリアは、何度訪れても違った姿を見せてくれることでしょう。
【動画】“2026 We build tomorrow | Construïm el demà | Construimos el mañana (2026年 私たちは未来を創る)”, by Basílica de la Sagrada Família, YouTube, 2013/09/25
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。
【動画】“Viking Oceans: Antoni Gaudí - Barcelona's Master Of Sacred Architecture (アントニ・ガウディ - バルセロナの聖なる建築の巨匠)”, by Viking Ocean Cruises, YouTube, 2016/08/01
【関連記事】第43回:“Rome wasn't built in a day.”―「ローマは一日にしてならず」(ことわざ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年06月22日
【関連記事】第319回:“God is in the detail.” ―「神は細部に宿る」(ミース・ファン・デル・ローエほか), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年05月22日
【参考】Wikipedia(日本語版,英語版)
【参考】“Antoni Gaudi: God’s Architect (アントニ・ガウディ:神の建築家)”, By Michael S. Rose, Sacred Architecture Journal, The Institute for Sacred Architecture
【参考】“Polishing Gaudí's Unfinished Jewel (ガウディの未完の宝石を磨く)”, By Raphael Minder, The New YOrk Times, Nov. 3, 2010
【参考】“Gaudí's unfinished Sagrada Família does not need a completion date (ガウディの未完のサグラダ・ファミリアは完成の日が来なくてよい)”, By Jonathan Glancey, the guardian, 23 September 2011
【参考】“ガウディ『サグラダファミリアの工事はゆっくり進むんだ。私のクライアントは別に急いでないからね。』”, By Yuji ichiseさん, Inquiry
【参考】“2016年にサグラダ・ファミリアを完成させることが、今、必要なことなのだろうか?”, By kthykさん, Quovadis/汝、何処へ行く, 2011年09月23日
【参考】“アントニ・ガウディのスペイン語の名言集”, カステジャーノる.com
【動画】“SAGRADA FAMILIA - BARCELONA SPAIN [ HD](サグラダ・ファミリア、バルセロナ、スペイン)”, by Places & People, YouTube, 2017/09/21
【動画】“2026 We build tomorrow | Construïm el demà | Construimos el mañana (2026年 私たちは未来を創る)”, by Basílica de la Sagrada Família, YouTube, 2013/09/25
【動画】“Viking Oceans: Antoni Gaudí - Barcelona's Master Of Sacred Architecture (アントニ・ガウディ - バルセロナの聖なる建築の巨匠)”, by Viking Ocean Cruises, YouTube, 2016/08/01
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