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2017年02月18日

第408回:“Who among you, gentlemen, can make this egg stand on end?”―「皆さんの中でこの卵を立てられる人はいますか」(クリストファー・コロンブス)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。

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Image courtesy of David Castillo Dominici, published on 30 June 2014 / FreeDigitalPhotos.net

第408回の今日はこの言葉です。
“Who among you, gentlemen, can make this egg stand on end?”

「皆さんの中でこの卵を立てられる人はいますか」
という意味です。
これはイタリアのジェノヴァ出身の商人で探検家でもあるクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus, 1451-1506)の言葉と言われています。キリスト教世界の白人として初めてアメリカ海域に到達したとされる人物です。
今日の有名な「コロンブスの卵(Egg of Columbus)」という逸話の中でコロンブスが語ったとされる言葉です。

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クリストファー・コロンブス
(1520年頃の肖像画)
Ridolfo Ghirlandaio [Public domain], via Wikimedia Commons

クリストファー・コロンブスは1451年に今のイタリアのジェノヴァに生まれたと言われます。
当時のジェノヴァは海洋国家ジェノヴァ共和国の首都として栄えた商都です。父親は毛織物業やワインやチーズの売買などを行っています。
クリストファーは10代の頃から父親の仕事を手伝って船に乗ります。21歳の頃にアフリカ北岸の港町チュニスへ行ったり、24歳の頃からはジェノヴァの商人団に雇われて乳香の取引にかかわったりします。
コロンブスは26歳の頃にポルトガルの首都リスボンに移り、地図の作成と販売をしながらたびたび航海にも加わります。そこでコロンブスは、ヨーロッパから西回りでアジアへ行ける可能性にとりつかれます。

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クリストファー・コロンブス
(1519年の肖像画)
Sebastiano del Piombo [Public domain], via Wikimedia Commons

当時、インドや中国、さらに日本などの極東の情報は非常に限られています。150年以上前にマルコ・ポーロが元王朝支配下の中国まで行った際の『東方見聞録(The Travels of Marco Polo)』が数少ない情報源で、コロンブスも「黄金の国ジパング」の記述に魅せられ、コロンブス自身が詳細な書き込みを行った写本が残っています。
マルコ・ポーロは陸路でシルクロードをはるばるユーラシア大陸を横断して中国へ行き、帰路はジャンク船で中国からペルシャ湾岸まで戻り、いったん陸路を経て地中海に出てヴェネツィアまで戻ったと言われます。150年以上たったコロンブスの時代も、状況はあまり変わっていません。

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マルコ・ポーロ
(1867年のモザイク画)
By Salviati [Public domain], via Wikimedia Commons

また、コロンブスが生まれて間もなくの1543年、オスマン帝国が東ローマ帝国を征服して首都コンタンティノープルを含む黒海沿岸から地中海東部に至る地域を広く支配します。オスマン帝国はシルクロードや地中海を通る物資に高い関税をかけたため、ヴェネツィアやジェノヴァ、スペインやポルトガルなどの西欧諸国はオスマン帝国の支配地域を避けた交易路を切り開く道を探ります。
そうなると道は3つしかありません。

1.オスマン帝国の北を迂回する
2.オスマン帝国の南を迂回する
3.西回りでアジアへ行く


第1の北回りは現実的ではありません。陸路はオアシス都市が点々と連なっているシルクロードだからこそ商売や物資の補給をしながら旅ができますが、不毛のロシアとシベリアをはるばる横断するすべは当時ありません。北極海を通る海路も当時はまず不可能です。
第2の南回りは最も期待された道でした。しかし広大なアフリカ大陸の砂漠やジャングルを陸路で横断することもやはり現実的ではありません。そこでアフリカ大陸を南に迂回する航路の可能性が検討されます。
第3の西回りの道も可能性としては十分ありましたが、大西洋の大きさもどんな航路で東洋に行けるかも、当時はまったくわかっていません。

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オスマン帝国の最大領土(1683年)
By viejoverde [Public domain], via Wikimedia Commons

ヴェネツィアなどの地中海諸国はそれでも地中海貿易を続けます。高い関税を払っても十分利益を得られたからです。胡椒は同じ重さの銀と同じ値段とも言われましたから、香料貿易の利益の高さが想像できます。
ポルトガルは第2の道の開拓を目指して、アフリカ大陸西岸に次々と拠点を築いて沿岸の制海権を固めながら南を目指します。
しかしコロンブスは第3の道に着目します。
大西洋のマデイラ島で救助されたポルトガルの船員が大西洋の西の果てで大きな島に漂着したと語ったことがあったからです。コロンブス自身が救助した船員だったとも言われています。その船員はキューバあたりに漂着したのだと思われますが、コロンブスは東洋のどこかだと考えます。
また、フィレンツェ出身の地理学者パオロ・トスカネッリ(Paolo Toscanelli)は地球の大きさを古代ギリシアの試算よりもずっと小さいものであると主張します。トスカネッリと手紙をやりとりしたコロンブスは、西回りで東洋へ行けると考えます。

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パオロ・トスカネッリ
(16世紀の肖像画)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

また、それまでヨーロッパでは常に陸地を見ながらの沿岸航海が主流でした。外洋では星や太陽が見えない時は方角を見失ってしまうからです。また船も外洋航海に向かないものでした。
しかしこの頃イスラムを介して羅針盤(Compass)と呼ばれる方位磁石がヨーロッパに伝わります。これにより常に方角がわかるようになります。また外洋航海に耐えられる頑丈な船も建造されるようになります。技術的にも大西洋を横断するために必要な要素がそろったのです。
大航海時代の幕開けです。

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18世紀のスペインの羅針盤
Luis García [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

1484年頃、コロンブスはポルトガル王のジョアン2世(João II)に西回りの航海の可能性と将来性を説明して援助を求めます。王室は専門家にはかって検討しますが、援助は否決されます。当時はアフリカの南を回る航路の開拓が有力視されていたことと、コロンブスの成功報酬の要求があまりに過剰だったためと言われています。

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ジョアン2世
(16世紀の肖像画)
By Portuguese School (bridgemanartondemand.com) [Public domain], via Wikimedia Commons

そこでコロンブスはスペインへ渡り、1486年にカスティーリャ女王イサベル1世(Isabel I)とその夫のアラゴン王フェルナンド2世(Fernando II)に謁見し、援助を求めます。イサベル1世は興味を示しますが、ポルトガルの時と同じ理由からなかなか援助が得られません。そのうち1488年にポルトガル人のバルトロメウ・ディアス(Bartolomeu Dias)がアフリカ最南端の喜望峰を発見します。南回り航路の現実味が一気に高まったのです。しかしこれはコロンブスにとって好機でもあります。南回り航路をポルトガルが押さえてしまうと、スペインはそれ以外の道を開拓しなければいけないからです。

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イサベル1世
(1520年頃の絵画の一部)
By Escuela flamenca (??). Atribuida a Gerard David (??). Anónimo flamenco (del Círculo de Jan Gossaert). (From en.wiki [Image:0007fb13.jpg] obviously) [Public domain], via Wikimedia Commons

何年も援助を認められなかったコロンブスはあきらめてフランスへ渡ろうとします。しかしその直前にスペインはついにコロンブスの計画を承認し、資金援助を決定します。1492年にスペインがグラナダを陥落させ、800年近くもかけてイスラム勢力から国土を回復した国土回復運動レコンキスタ(Reconquista)が終焉したのです。長い長い戦争が終わって財政上の余裕ができたと共に、国外へさらに領土拡張をはかろうという、まさに絶妙なタイミング。1492年というのはレコンキスタの完成と新大陸の発見という二重の意味でスペインにとって画期的な年なのです。

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レコンキスタに伴うイスラム勢力の後退
イスラム勢力はイベリア半島の南に押しやられていき、1492年にすべての領土を失った
(Wikipediaより)
by Nuno Tavares, Japanese text added by Jim Saeki on 22nd January, 2017 [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

1492年8月、コロンブスは大西洋に面したスペイン南西部の港町パロスから3隻の船をひきいて出港します。目的地はインド。コロンブス40歳の頃です。
大西洋は極端に島が少ない大洋です。予定をこえる長い航海に船員の不安は次第に大きくなります。本国を出港して2ヶ月たった頃、不安になった船員は暴動をおこします。しかしコロンブスは船員を説得し、「あと3日で陸地が見つからなかったら引き返す」と約束します。そして3日目、ついに陸地がみつかります。コロンブス一行は上陸、占領して「サン・サルバドル島」と名付けます。今のバハマにある島です。

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コロンブスの艦隊で最大の船サンタ・マリア号(復元)
(2015年撮影)
By Ein Dahmer (Own Work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

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上陸するコロンブス一行
(1893年の絵画)
By L. Prang & Co., Boston [Public domain], via Wikimedia Commons

コロンブスたちはその後も島をいくつか発見します。そしてイスパニョーラ島に入植地を作り、39名の男性が入植者として残ります。そしてコロンブス一行は年が明けた1943年の3月にパロス港に帰還します。
スペインの宮殿ではコロンブスの帰還を祝う盛大な祝賀会が開催されます。コロンブスは国王に調査報告をし、さらなる資金援助を要請します。新航路への関心の高まりとスペインの国外拡張政策が追い風となり、コロンブスは難なく資金を獲得します。

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イサベル1世とフェルナンド2世に謁見するコロンブス
新大陸の原住民も連れてこられている
From the Library of Congress [Public Domain], via Wikimedia Commons

ある祝賀会で、コロンブスの成功をねたむ人がこう言ったそうです。
「海を越えて島を発見したのが何だというんだ。西へ西へと航海したら、いつかどこかの島につくのは当たり前だろう。そんなの簡単だ」
それを聞いたコロンブスが言ったのが今日の言葉です。
“Who among you, gentlemen, can make this egg stand on end?”
「皆さんの中でこの卵を立てられる人はいますか」
その場の誰もが顔を見合わせながらも答えられず、沈黙します。するとコロンブスは卵の端をテーブルにたたきつけて割り、その卵を立ててみせます。
“Anybody can do it - after he has been shown how.”
「やり方がわかってしまうと誰でもできるものです」
とコロンブスは言います。
これが有名な「コロンブスの卵」の逸話です。本当かどうかわかりませんが、とても有名な逸話ですよね。
実はこれ、真偽のほどは明らかになっていません。フィレンツェの大聖堂の天蓋クーポラを設計したルネッサンス期の建築家フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi)の1410年代の逸話を元にした創作だとも言われています。

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コロンブスの卵
(1752年の版画)
William Hogarth [Public domain], via Wikimedia Commons

実はコロンブスは、新大陸の原住民にとっては恐るべき略奪者であり破壊者です。
当初は原住民たちはコロンブス一行を歓待し、水や食料、オウムや綿の玉などを贈ります。しかしコロンブス一行は黄金を求めて略奪の限りを尽くし、原住民の一部を奴隷として連行します。
コロンブスはこの島をインドか東洋の一部だと思い込み、原住民をインド人という意味の「インディオ」と呼びます。そしてマルコ・ポーロの『東方見聞録』に書かれた黄金あふれる「ジパング国」を意識したのか、異様なこだわりとともに黄金のありかを探します。
それにしてもマルコ・ポーロも罪なことをしたものです。原住民にとってはいい迷惑どころか、大厄災です。



1943年9月、コロンブスは第2の航海に出発します。帆船17隻に1500人が乗り込んだ大船団です。しかしイスパニョーラ島に戻ってみると第1の航海で建設した入植地の要塞は原住民に破壊されており、入植者は皆殺しにされています。コロンブスは新しい植民地を建設しますが、周辺の原住民はもはや歓迎はしてくれません。これまでの略奪行為が知れ渡っていたからです。コロンブスは最初から略奪と植民を目的としており、軍隊を連れてきています。コロンブスたちの行く先々の島々で、スペイン軍は略奪、虐殺、レイプ、拷問など暴虐の限りを尽くし、黄金のありかを探します。しかしコロンブスたちの幻想よりも実際の黄金ははるかに少なかったため、残虐行為はさらに勢いを増すことになります。

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1504年の月食を予告して原住民を恐れさせるコロンブス
By Camille Flammarion (Astronomie Populaire 1879, p231 fig. 86) [Public domain], via Wikimedia Commons

コロンブスのやり方はその後のスペイン軍にも引き継がれ、「黄金探し」の名のもとに残虐行為が繰り返されます。1521年にアステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテス(Hernán Cortés)や、1533年にインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)も同様です。もともと非武装だった原住民たちは次々に殺戮され、スペイン人が持ち込んだ伝染病でも死者が増加します。この厄災により、新大陸の原住民は百万人単位で激減したと言われます。史上まれにみる大虐殺です。

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エルナン・コルテス
by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

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フランシスコ・ピサロ
(1835年の肖像画)
By Amable-Paul Coutan [Public domain], via Wikimedia Commons

コロンブスの偉業とは結局何だったのでしょうか。
西回り航路でアジアに行けるという考え方は正しかったものの、アジアへは到達できませんでした。
スペインに新大陸の巨万の富と広大な植民地をもたらしたものの、コロンブス自身は黄金や香辛料は期待ほど見つけられませんでした。
新大陸の原住民にとっては恐るべき虐殺と略奪と疫病をもたらし、平和的で高度な文明の破壊者でした。
キリスト教社会で初めて新大陸に到達したものの、コロンブス自身は最期までインドか東洋の一部だと信じていました。
コロンブスは発見地の総督の地位を約束されていました。しかし2度目の航海ではコロンブスの統治に疑問を抱いたイサベル女王が調査委員を派遣します。コロンブスは慌ててスペインに戻って釈明し、罪を免れます。
また、1498年に出発した3度目の航海では植民地の入植者たちの反乱がおきます。総督代理として後を任せていたコロンブスの弟バルトロメの統治の悪さによるものです。コロンブスは入植者たちの説得を続けますが、反乱は収まりません。1500年、コロンブスはスペインから来た査察官に逮捕され、スペイン本国に送還されます。コロンブスは罪に問われることは免れたものの、これまでに得たすべての地位と権益を剥奪されます。
コロンブスは1504年に第4の航海に出発します。しかし王の援助はボロ船4隻という貧弱なもので、しかもこれまでの寄港地への訪問は禁止されています。コロンブスはパナマ沿岸をさまよいますが、難破して救助され、スペインに戻ります。この年にイサベラ女王が亡くなり、スペイン王室はコロンブスにさらに冷淡になります。
帰国後コロンブスは病気にかかり、1506年に亡くなります。50歳台なかばのことです。

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コロンブスの4度の航海の軌跡
By Viajes_de_colon.svg: Phirosiberia derivative work: Phirosiberia (Viajes_de_colon.svg), [CC BY-SA 3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons

現在、新大陸の名前はコロンブスとは関係ない「アメリカ(America)」と呼ばれています。
これはイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci)にちなんだものです。アメリゴ・ベスプッチは1497年から1504年にかけて計4回の航海でカリブ海諸島や南米大陸東岸を詳しく探検し、1503年に発表した論文『新世界』で、既知のアジア・アフリカ・ヨーロッパのどれでもない「新大陸」であると主張した人物です。
コロンブスはアメリカ大陸がインドの一部であると信じていたばかりに、新大陸に名前を冠される栄誉をも逃してしまったのです。

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アメリゴ・ヴェスプッチ
By Crispijn van de Passe (the Elder) [Public domain], via Wikimedia Commons

“Who among you, gentlemen, can make this egg stand on end?”
皆さんの中でこの卵を立てられる人はいますか。

誰もが不可能だと思った西回りの航路にいどみ、東洋ではなかったものの新大陸にたどり着いたコロンブス。
「コロンブスの卵」の逸話はその偉大さをとてもうまく説明していると思います。
しかしコロンブスの残虐行為は、今や誰もが眉をひそめる愚行であるとされています。それが当時の正義だったのかもしれませんが、あまりにもひどい蛮行です。
偉大さと非道さと、これほど評価が分かれる人物も珍しいかもしれません。

あともう一つ。皆さんは卵を立てることができますか?
実は卵は殻を割ったり塩を撒いたりしなくても立てることができることがあります。卵の殻には微妙な突起や凹凸があるからです。地域にもよりますが、立春の日や春分の日には卵が立つという言い伝えもあります。
皆さんもぜひ挑戦してみて下さい。


【動画】“1492: Conquest of Paradise - Trailer (映画『1492 コロンブス』 - 予告編)”, by Paramount Movies, YouTube, 2013/06/14

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Christopher Columbus - Mini Biography (クリストファー・コロンブス - ミニ伝記)”, by BIO, YouTube, 2012/11/07

【関連記事】第406回:“Chipangu is an Island towards the east in the high seas.”―「ジパングは東方の大洋中にある島である」(マルコ・ポーロ『東方見聞録』より), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年02月10日
【関連記事】第48回:“It's a chicken-and-egg situation.”―「これは鶏と卵の状態だ」(日常会話), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年06月30日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“コロンブスの真実 〜 一夜にして人々の世界観を変えた男の悲劇 〜”, by 後藤樹史さん, 不思議館
【参考】“Columbus and the Egg (コロンブスと卵)”, Heritage History
【参考】“How to Balance an Egg (どうやって卵を立てるか)”, WikiHow
【参考】“第十八話  「コロンブスの卵」はパクリ?”, 仄聞百話, 2010年10月 4日 (月)
【参考】“コロンブスの卵”, 知泉Wiki, 2006-06-28 (水)

【動画】“1492: Conquest of Paradise - Trailer (映画『1492 コロンブス』 - 予告編)”, by Paramount Movies, YouTube, 2013/06/14
【動画】“Christopher Columbus - Mini Biography (クリストファー・コロンブス - ミニ伝記)”, by BIO, YouTube, 2012/11/07




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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 冒険家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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