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2016年07月04日

第336回:“May Norwegians show the way!” ―「ノルウェー人よ、道を示したまえ!」 (フリチョフ・ナンセン)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。

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By Gerben Jacobs from Arnhem, Netherlands (Norwegian flag atop Fløibanen), cropped and colour-modified by Jim Saeki on 26th June 2016 [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

第336回の今日はこの言葉です。
“May Norwegians show the way!”

“May”で始まる感嘆文は祈願や願望をあらわします。どちらかというと文語体ですので、
「ノルウェー人よ、道を示したまえ!」
という意味になります。
これは、ノルウェーの探検家で科学者でもあるフリチョフ・ナンセン(Fridtjof Nansen, 1861-1930)の言葉です。日本ではあまり有名ではありませんが、北極探検で画期的な業績をあげた人物です。

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フリチョフ・ナンセン(1915年撮影)
Henry Van der Weyde [Public domain], via Wikimedia Commons

フリチョフ・ナンセンは1861年にスウェーデン統治下のノルウェーのクリスチャニア(Christiania)に生まれます。今のノルウェーの首都オスロ(Oslo)のことです。父親は弁護士でした。ナンセンはクリスチャニアのロイヤル・フレデリック大学(Royal Frederick University, 今のオスロ大学)で動物学を専攻します。20歳の頃にハンセンは大学の調査航海でアザラシ猟の船に乗り、北極圏を5ヶ月間にわたって航海します。グリーンランド沿岸で氷に船が閉じ込められて漂流したりもしましたが無事帰還します。
ナンセンはベルゲン博物館(Bergen Museum)で学芸員を務めながら、下等海洋生物の中枢神経系の研究で博士号を取得します。

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学生時代のナンセン(1880年頃撮影)
By Nasjonalbiblioteket [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

1888年から翌年にかけて、ナンセンはグリーンランド氷原の横断を試みます。大規模な探検隊は組まず、わずか6人の少人数による探検です。軽量のそりや寝袋、防寒着や調理器具などをすべて自作したそうです。当時の報道はナンセンに批判的で、議会も政府支援を否決します。ナンセンは民間の寄付を募って費用を捻出します。

0336-space_shuttle_photograph_of_greenland.jpg
スペースシャトルから見たグリーンランド
By USGS (http://pubs.usgs.gov/pp/p1386c/p1386c.pdf), 1995 [Public domain], via Wikimedia Commons

グリーンランドまでの船は悪天候ではるか南まで流され、何とか北上してたどり着いた海岸も当初計画からかなり南よりでした。ナンセン隊はスキーでソリを引いて出発しますが、悪天候と雪に隠れたクレバスに何度も行く手を阻まれます。氷原といっても平坦ではなく、コースの最高地点は標高が2719メートルもあり、夜の気温はマイナス40℃まで下がります。しかしナンセンは目的地を南に変更しながらも、49日かけてグリーンランドの横断に世界で初めて成功し、グリーンランド奥地の貴重な観測データを持ち帰ります。

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ナンセンのグリーンランド横断(1888年)
(赤線が当初計画、緑線が実際の経路)
By Base map is from OpenStreetMap by User:Dr. Blofeld, labels, latitude lines, and journey lines added by Ruhrfisch [GFDL or CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons

グリーンランド探検の成功で一躍ノルウェーの国民的英雄となったナンセンは、すぐに北極点への探検の計画にとりかかります。
北極海には東から西へ流れる海流があることが知られていました。1881年にシベリアで沈没したアメリカの探検船ジャネット号(USS Jeannette)の残骸が2年後に流氷と一緒にグリーンランド沖で発見されたからです。
ナンセンは考えます。この船は氷と一緒に北極点を通過したのかもしれない。ジャネット号は氷につぶされて沈んだが、特別に設計した強度の高い船ならば氷と共に北極点の近くまで行けるはずだと。氷を割って進むのではなく、氷と一緒に進むのだと。なんともすごい逆転の発想です。

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ジャネット号
U.S. Navy [Public domain], via Wikimedia Commons

しかしこの構想では特製の船を建造して大量の食糧を持っていく必要があります。ナンセンはノルウェー議会で演説を行い、国の支援を要請します。演説の最後にナンセンが語ったのが今日の言葉です。
“May Norwegians show the way! May it be the Norwegian flag that first flies over our Pole!”
「ノルウェー人よ、道を示したまえ! 我々の北極点にノルウェー国旗を最初にひるがえさんことを!」
この情熱的な演説で、政府の支援が採決されます。民間からも寄付が集まります。ノルウェー及びスウェーデン王のオスカル2世(Oscar II)やロンドンの王立地理学会(Royal Geographical Society)も資金を提供します。

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28歳の頃のナンセン(1889年撮影)
Ludwik Szacinski [Public domain], via Wikimedia Commons

次は船の建造です。ナンセンはノルウェーの船舶設計の第一人者コリン・アーチャー(Colin Archer)に設計を依頼します。アーチャーは強度があって氷が付着しないように船底が丸い形をした船を設計します。三本マストの帆船で、補助エンジンでも航行できます。船体の強度を高めるためにずんぐりとした船形で、南米のグリーンハートという硬い木材が使われます。また、氷をすり抜けられるように表面は滑らかに仕上げられ、舵とスクリューは氷で損傷しないように船内に引き上げられるようにします。船底の内側には保温効果を高めるためにコルクやフェルトが入れられます。
船は突貫工事で完成し、ノルウェー語で「前進」を表す「フラム(Fram)」と名付けられます。

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フラム号の断面図と平面図
By Fridtjof Nansen 1861–1930. Appears in Fridtjof Nansen's 1893 book, so is PD in the US (published before 1923) and since Nansen died in 1930, it is PD in the UK (life of author plus 70 years) [Public domain], via Wikimedia Commons

1893年6月、フラム号は大勢の人々に見送られてクリスチャニアを出港します。乗り組んだのはナンセンと選び抜かれた12人の隊員。今回もナンセンは少数精鋭主義をとったのです。
フラム号は途中でベルゲン(Bergen)やヴァードー(Vardø)などの港に寄って物資補給などをおこなった後、ロシア北岸をひたすら東へ向かいます。

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ベルゲンを出港するフラム号(1893年7月)
By Appears in Fridtjof Nansen's 1893 book, so is PD in the US (published before 1923) and since Nansen died in 1930, it is PD in the UK (life of author plus 70 years) [Public domain], via Wikimedia Commons

十分東へ航海した後、フラム号は北へ向かいます。氷に何度もぶつかりますが、船体はびくともしません。そして10月はじめにフラム号は氷に閉じ込められます。ナンセンの狙いどおりです。
フラム号は風力発電の風車を備えていましたので、一日じゅう日が昇らない極夜が始まってからも電燈が使えます。
隊員たちは快適ながらも退屈な日々を過ごします。いらいらもつのり、時には喧嘩もおこります。また氷に閉じ込められた漂流は思い通りに進みません。時には東へ戻ったり、南へ進んだりします。

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氷に閉じ込められたフラム号(1894年3月)
By Appears in Fridtjof Nansen's 1893 book, so is PD in the US (published before 1923) and since Nansen died in 1930, it is PD in the UK (life of author plus 70 years) [Public domain], via Wikimedia Commons

年が明けてやがて漂流は北向きに変わり、長い極夜も明けます。しかしナンセンは、このままではいつまでたっても北極点に到達できないと考え、そりを使った遠征隊を組織して北極点を目指そうと考えます。ナンセンは科学観測やスキーや犬ぞりの訓練を行ったり、荒い地形でも早く進むことができるそりを作ったり、海を渡る必要がある時のためにカヤックを作ったりします。
さらに1年が過ぎ、フラム号は1895年1月に北緯83度34分に達してそれまでの最北記録を更新します。
そして3月には北緯84度に達します。ナンセンは犬ぞりの専門家だったイェルマー・ヨハンセン(Hjalmar Johansen)と共に船を離れて北極点への探検に出発します。

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フラム号を離れて北極点遠征に出発するナンセン(左から2人目)
ヨハンセンは右から2人目(1895年3月14日)
By Appears in Fridtjof Nansen's 1893 book, so is PD in the US (published before 1923) and since Nansen died in 1930, it is PD in the UK (life of author plus 70 years) [Public domain], via Wikimedia Commons

最初は平坦な雪原を順調に進んでいたナンセンとヨハンセンですが、次第に雪の表面が平らでなくなり、雪原自体が南へ漂流していたこともあって探検は難航します。
そして4月、ヨハンセンは北極点行きを断念します。しかし最北記録を大幅に更新する北緯86度13.6分まで到達します。
2人は進路を南西に変えますが、帰路はさらに難航します。腕時計が止まったため現在位置が正しく計測できなくなったり、ホッキョクグマに襲われたりもしますが、当面の目標としたフランツ・ヨシフ諸島に到達します。やがてまた極夜が近づき、2人は石やコケなどを材料に小屋を作って、アザラシやセイウチなどの食糧を備蓄して越冬します。

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ナンセンとヨハンセンが越冬した小屋
(ナンセンの写真に基づく絵画)
By Lars Jorde (1865-1939) after a photograph by Nansen. Appears in Fridtjof Nansen's 1893 book, so is PD in the US (published before 1923) and since Nansen died in 1930 and Jorde in 1939, it is PD in the UK (life of author plus 70 years) [Public domain], via Wikimedia Commons

そして6月、ナンセンはイギリスの探検家フレデリック・ジャクソン(Frederick Jackson)の遠征隊と出会います。ナンセンの遠征隊に参加を希望していた人物で、独自に遠征隊をつくって出発していたのです。
ナンセンらは7月に補給船ウィンドウォードに合流でき、8月に奇跡的に生還します。
そして漂流を続けたフラム号も同じ頃にノルウェーの北方にあるスピッツベルゲンの近くで氷原を脱出し、8月に帰還します。
ナンセンたちとフラム号の生還に世界は驚き、熱狂的に歓迎されます。そしてナンセンらが残した記録は極地研究の貴重な資料となります。

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ナンセン(左)とジャクソンの再会
By Appears in Fridtjof Nansen's 1893 book, so is PD in the US (published before 1923) and since Nansen died in 1930, it is PD in the UK (life of author plus 70 years) [Public domain], via Wikimedia Commons

“May Norwegians show the way!”
ノルウェー人よ、道を示したまえ!

ナンセンの呼びかけに応じて道を示したノルウェー人。
そして船をわざと氷原に閉じ込めさせるという逆転の発想で北極点をめざしたナンセン。
北極点にこそ到達できませんでしたが、東から西へ流れる海流に乗れるというナンセンの発想は間違っていませんでした。また大規模な部隊ではなく少数精鋭の部隊で探検する方式は、以降の極致探検家の探検スタイルに大きな影響を与えました。何よりもフラム号の探検の最も偉大な点は、本隊も別動隊も一人の死者も出さず、全員が無事生還できたところなのだと思います。
ナンセンはその後政治の道へ進みます。国連難民高等弁務官の時には戦争難民の帰国や飢餓難民の救済に尽力し、1922年にノーベル平和賞を受賞しました。

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フラム号とナンセンの遠征経路
赤線:フラム号が東へ向かった航海(1893年7月〜9月)
青線:フラム号が氷と漂流した経路(1893年9月〜1896年8月)
緑線:ナンセンとヨハンセンの遠征(1895年3月〜1896年6月)
紫線:ナンセンとヨハンセンの帰路(1896年8月)
黄線:フラム号が氷を脱出後の帰路(1896年8月)
By User:fremantleboy, User:NormanEinstein, Ruhrfisch, Japanese texts added by Jim Saeki [GFDL or CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons


【動画】“Fram Museum (フラム号博物館)”, by Visit OSLO, YouTube, 2015/10/05

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Fridtjof Nansen - a man of action and vision (フリチョフ・ナンセン - 行動と理想に生きた人)”, by NRC - Norwegian Refugee Council, YouTube, 2009/10/29

【関連記事】第250回:“Because it's there.”―「そこに山があるから」(ジョージ・マロリー), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2015年10月24日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“フリチョフ・ナンセン(1861-1930)”, 駐日ノルウェー王国大使館
【参考】“北極探検の物語 第1部 1893-1896 - POLARA SAGA - 氷の世界の1000日”, by ハンプトン・サイズ, 特集 北極探検 二つの物語, ナショナル・ジオグラフィック, 2009年1月号

【動画】“Fram Museum (フラム号博物館)”, by Visit OSLO, YouTube, 2015/10/05
【動画】“Fridtjof Nansen - a man of action and vision (フリチョフ・ナンセン - 行動と理想に生きた人)”, by NRC - Norwegian Refugee Council, YouTube, 2009/10/29




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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 冒険家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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