英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。
【動画】“Mini BIO - Ernest Hemingway (ミニ伝記 - アーネスト・ヘミングウェイ)”, by BIO, YouTube, 2012/09/21
第314回の今日はこの言葉です。
“All modern American literature comes from Huckleberry Finn.”「すべての現代アメリカ文学は『ハックルベリー・フィンの冒険』から生まれた」
という意味です。
実際にはもっと長い表現で、
“All modern American literature comes from one book by Mark Twain called Huckleberry Finn.”と伝えられています。
「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』という一冊に由来する。」
これはアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway, 1899-1961)の言葉です。
同じアメリカの作家マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835-1910)の作品『ハックルベリー・フィンの冒険(Adventures of Huckleberry Finn)』(1885年)について述べたものです。

アーネスト・ヘミングウェイ(1950年代撮影)
Photo by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
アーネスト・ヘミングウェイは1899年にイリノイ州のシカゴ西方郊外のオークパーク(Oak Park)という町に生まれます。父親は医師でしたが活動的な人物で、アーネストは父親から釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受けて育ちます。

湖で釣りをする少年時代のヘミングウェイ(1916年撮影)
By unattributed (JFK-EHEMC) [Public domain], via Wikimedia Commons
高校を卒業したヘミングウェイはカンザス・シティの地方新聞「カンザスシティ・スター(The Kansas City Star)」で見習い記者として働いた後、人道支援団体であるアメリカ赤十字社(American Red Cross)の一員として第一次世界大戦に従軍します。ヘミングウェイは救護車両の運転手として働きますが、北イタリアの戦線で重傷を負います。18歳の時です。

第一次世界大戦で負傷したヘミングウェイ(1918年撮影)
By unattributed [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons
戦後ヘミングウェイはカナダのトロントで「トロント・スター(Toronto Star)」という新聞のフリー記者となり、特派員としてパリに渡ります。そこでアメリカの女流詩人ガートルード・スタイン(Gertrude Stein, 1874-1946)と知り合い、それがきっかけで小説を書き始めます。
パリではカルチェ・ラタン(Quartier latin, 英語: Latin Quarter)の狭いアパルトマンに居を構え、スタインの紹介でモンパルナス(Montparnasse)に集うパブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)やジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)などの芸術家たちとも交流します。

若きヘミングウェイのパスポート写真(1923年撮影)
By Not applicable [Public domain], via Wikimedia Commons
初めての長編『日はまた昇る(The Sun Also Rises)』(1926年)でヘミングウェイはパリやスペインのパンプローナを舞台に自らの体験に基づいた物語を描きます。
この作品の冒頭でヘミングウェイは、次のようなスタインの言葉を引用します。
“You are all a lost generation.”「失われた世代(ロスト・ジェネレーション, Lost Generation)」とは青春時代に第一次世界大戦の惨禍を直接的・間接的に経験して心に傷を抱え、虚無的・享楽的になったアメリカの青年たちの世代を表します。
「あなたたちはみな失われた世代です」
この作品でヘミングウェイは盟友だったスコット・フィッツジェラルド(Scott Fitzgerald, 1896-1940)と共にロスト・ジェネレーションを代表する作家として一躍有名になります。

パリ滞在中のヘミングウェイ(1927年撮影)
2番目の妻ポーリン(Pauline)と
By unattributed [Public domain], via Wikimedia Commons
ヘミングウェイはアメリカへ戻り、各地を転々とした後にフロリダ半島の先に連なるフロリダ・キーズ諸島の最南端の島キーウェスト(Key West)に移り住み、第一次世界大戦での体験に基づいた長編『武器よさらば(A Farewell to Arms)』(1929年)を発表します。
1933年にはアフリカで2ヶ月半ほど過ごし、その時の体験をもとに短編『キリマンジャロの雪(The Snows of Kilimanjaro)』(1936年)などを執筆します。

サファリで狩猟をするヘミングウェイ(1934年撮影)
By unattributed [Public domain], via Wikimedia Commons
ヘミングウェイは1934年にフィッシングクルーザーを購入して「ピラール号(Pilar)」と名付けます。ヘミングウェイはピラール号でカジキ釣りに熱中し、カリブ海を縦横に行き交います。
ヘミングウェイの海と釣りに対する情熱は、後の『老人と海(The Old Man and the Sea)』(1952年)に結実するのです。

ピラール号の舵輪を握るヘミングウェイ(1934年撮影)
By unattributed [Public domain], via Wikimedia Commons
1936年にスペイン内戦(1936-1939)が勃発すると、ヘミングウェイはスペインに渡ります。ファシストに対抗する人民戦線を助けるために、ヘミングウェイはオランダの映画監督ヨリス・イヴェンス(Joris Ivens, 1898 -1989)と協力して、戦場でドキュメンタリー映画『スペインの大地(The Spanish Earth)』(1937年アメリカ)を制作します。
またこの時の体験をもとに長編『誰がために鐘は鳴る(For Whom the Bell Tolls)』(1940年)を執筆します。

スペイン滞在中のヘミングウェイ(中央)(1937年撮影)
By unattributed [Public domain], via Wikimedia Commons
その後もヘミングウェイの冒険的行動は続きます。高野泰志さんのWebサイト「アーネスト・ヘミングウェイとその他のアメリカの作家たち」には次のように書かれています。
第2次世界大戦の時にはキューバでファシストのスパイをあぶり出すための対敵スパイ組織クルック・ファクトリーを作り、自ら指揮を執ったり、愛艇ピラール号を改造してバズーカ砲を積み込み、カリブ海をパトロールしてドイツのUボートを攻撃しようとしたりしました。その後には新聞記者としてノルマンディ上陸を取材し、軍に帯同してパリの解放などを目撃しました。
第2次世界大戦中のヨーロッパでは新聞記者であるにもかかわらず勝手に軍事行動をとって軍法会議にかけられたり、勇ましいエピソードには事欠きませんが、生前多くの人が誤解していたようにヘミングウェイが軍隊に所属したことは一度もありません。自分の勇敢さを誇示しようと必要以上に荒々しいところを人に見せようとしていたきらいがあります。
【参考】“ヘミングウェイについて”, by 高野泰志さん, アーネスト・ヘミングウェイとその他のアメリカの作家たち

ドイツでのヘミングウェイ(左)(1944年撮影)
Photo by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
1954年、『老人と海』が大きく評価されてノーベル文学賞を受賞します。しかし同年、ヘミングウェイは二度の航空機事故に遭ってしまいます。二度とも奇跡的に生還しますが、重傷を負って授賞式には出られませんでした。そしてこれ以降、これまでの売りであった肉体的な頑強さや、行動的な面を取り戻すことはなかったと言われます。
晩年は事故の後遺症による躁鬱に悩まされ、執筆活動も次第に滞りがちになります。
そして1961年、ヘミングウェイはショットガンで自殺します。61歳の時です。

晩年のヘミングウェイ(1959年撮影)
By unattributed, cropped by Jim Saeki on 10 May 2016 [Public domain], via Wikimedia Commons
ヘミングウェイはアフリカ滞在時の行動をまとめた紀行文『アフリカの緑の丘(Green Hills of Africa)』(1935年)の冒頭で、アメリカの作家について語っています。同行したカンディスキー(Kandisky)というオーストリア人にアメリカ最大の作家は誰かと訊ねられたヘミングウェイは、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe, 1809-1849)やハーマン・メルヴィル(Herman Melville, 1819-1891)の名を挙げます。そしてポーを「うまい作家(a skillful writer)」とほめつつも「死んでいる(dead)」と評し、メルヴィルを「修辞学の作家(writers of rhetoric)」の一人としてほめています。
Green Hills Of Africa (Vintage Classics)
続いてヘミングウェイは「いい作家(good writers)」としてヘンリー・ジェイムズ(Henry James, 1843-1916)、スティーヴン・クレイン(Stephen Crane, 1871-1900)、そしてマーク・トウェインを挙げます。彼はよい作家には順番はつけられないとことわった上で、
“All modern American literature comes from one book by Mark Twain called Huckleberry Finn.”と語ります。
「あらゆる現代のアメリカ文学は、『ハックルベリー・フィン』というマーク・トウェインの一篇の作品から出ている。」

マーク・トウェイン(1890年撮影)
By A.F. Bradley, New York (steamboattimes.com) [Public domain], via Wikimedia Commons
“It's the best book we've had.”ヘミングウェイはこうまで言っています。よほど好きだったのでしょう。
「これまでで最高の本だ。」
『アフリカの緑の丘』は、このようにヘミングウェイが自分の言葉で文学を語った貴重な資料とされています。
ハックルベリイ・フィンの冒険 (新潮文庫)
“All modern American literature comes from Huckleberry Finn.”
すべての現代アメリカ文学は『ハックルベリー・フィン』から生まれた。
ハードボイルドの元祖と呼ばれ、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに大きな影響を与えたヘミングウェイ。
彼が最も好きで「最高の一冊」と讃えたのは意外にもマーク・トウェインの少年文学でした。
ヘミングウェイが生み出した独特でシンプルな文体は、マーク・トウェインと類似しているとも指摘されています。
きっとヘミングウェイも子供の頃に『ハックルベリー・フィンの冒険』を夢中になって読んだことでしょう。
釣りに夢中になった少年時代のヘミングウェイはまさにトム・ソーヤーやハックルベリー・フィンのように毎日が冒険だったことでしょう。
そして大人になってからも第一次世界大戦、パリでの生活、アフリカでの狩猟、カリブ海でのカジキ釣り、スペイン内戦、第二次世界大戦など、ヘミングウェイの冒険は続きます。
いつまでも少年の心を持ち続けていたからこその冒険なのだと思います。
The Old Man and the Sea (English Edition)
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。
【動画】“The Adventures Of Huck Finn Trailer (『ハック・フィンの冒険』予告編)”, by Matt's Channel, YouTube, 2009/05/03
【関連記事】第10回:“Every day is a new day.”―「毎日が新しい日なんだ」(ヘミングウェイ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年05月02日
【関連記事】第310回:“Explore. Dream. Discover.” ―「探検しよう。夢を見よう。発見しよう。」(H・ジャクソン・ブラウン・ジュニア), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年05月04日
【参考】Wikipedia(日本語版,英語版)
【参考】“ヘミングウェイについて”, by 高野泰志さん, アーネスト・ヘミングウェイとその他のアメリカの作家たち
【参考】“キーウエストのヘミングウェイ”, by 雨貝健太郎, 『SPORT ANGLERS』誌(編集・発行・発売(株)八点鐘)より, 巨魚に魅せられた男達, HATTEN-SYO, BIG GAME
【参考】“ヘミングウェイ作 「アフリカの緑の丘」 の一考察”, by 新村元志, 鹿児島経済大学社会学部論集 5(3.4), 77-93, 1987-10-15, CiNii
【動画】“Mini BIO - Ernest Hemingway (ミニ伝記 - アーネスト・ヘミングウェイ)”, by BIO, YouTube, 2012/09/21
【動画】“The Adventures Of Huck Finn Trailer (『ハック・フィンの冒険』予告編)”, by Matt's Channel, YouTube, 2009/05/03
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