英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。

Image courtesy of Gualberto107, published on 20 May 2013, FreeDigitalPhotos.net
第167回の今日はこの言葉です。
“Fly, thought, on golden wings.”「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」
という意味です。
これはイタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi, 1813-1901)の言葉です。代表作の一つであるオペラ『ナブッコ(Nabucco)』で歌われる合唱曲の冒頭の言葉を英語にしたもので、曲の通称にもなっています。原曲のイタリア語では、
“Va, pensiero, sull'ali dorate.”となります。
(ヴァ、ペンスィエーロ・スラーリ・ドラーテ)
また、より短い“Va, pensiero”(英語で“Fly, thought”)「行け、わが思いよ」も曲の通称として使われます。

ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi, 1813-1901)
By Giacomo Brogi [Public domain], via Wikimedia Commons
『ナブッコ』はヴェルディの3作目のオペラで、旧約聖書の物語にもとづいた作品です。彼の作品の中では初めて大ヒットしたヴェルディの出世作として知られています。「ナブッコ」とは、日本では「ネブカドネザル」、英語でも “Nebuchadnezzar” として知られる古代バビロニアの王の名前です。イタリア語での “Nabucodonosor” (ナブコドノゾール)がオペラの原題ですが、省略した “Nabucco” (ナブッコ)が王の通称にもオペラのタイトルになっています。

ネブカドネザル2世(Nebukadnessar II, 634-562 BC)
By User Hedning on sv.wikipedia [Public domain], via Wikimedia Commons
オペラの舞台は紀元前のエルサレム。バビロニアの王ナブッコはエルサレムを総攻撃しようとしています。ヘブライ人たちは動揺しますが、エルサレムの大祭司ザッカリーアはナブッコが攻めてくるはずがないと安心しています。ナブッコが娘のフェネーナをエルサレムへ人質に出していたためです。
しかしナブッコと勇猛な王女アビガイッレはエルサレムに攻め入ります。大祭司ザッカリーアはナブッコ王の娘フェネーナに剣を突きつけて軍勢の退去をせまります。しかしフェネーナと相思相愛だったエルサレムの王子イズマエーレはフェネーナを救おうとしたためザッカリーアの強迫は失敗し、ナブッコは町と神殿の完全な破壊を命じます。イズマエーレは裏切り者として非難されます。

バビロン捕囚を描いた絵画
James Tissot, c. 1896-1902 [Public domain], via Wikimedia Commons
こうしてエルサレムは陥落し、多くのヘブライ人たちが捕らわれて奴隷としてバビロンに送られます。紀元前586年の「バビロン捕囚(ほしゅう)」(Babylonian captivity)として歴史に伝えられる出来事です。そしてエルサレムを離れたヘブライ人たちがユーフラテス河の河畔で故郷を思って歌った歌が、この
“Fly, thought, on golden wings.”なのです。
「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って!」

ナブッコの舞台
By Ralf Roletschek at de.wikipedia, cropped by Jim Saeki on 23 January 2014 [GFDL], from Wikimedia Commons
冒頭の一節をご紹介します。
イタリア語では、
“Va, pensiero, sull'ali dorate;
Va, ti posa sui clivi, sui colli,
Ove olezzano tepide e molli
L'aure dolci del suolo natal!”
英語に訳すと、
“Fly, thought, on wings of gold;となります。
go settle upon the slopes and the hills,
where, soft and mild, the sweet airs
of our native land smell fragrant!”
日本語では、
「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗ってという意味です。
行け、斜面に、丘に憩いつつ
そこでは薫っている。暖かく柔かい
故国の甘いそよ風が!」

ミラノのスカラ座
By Spens03 (Own work), 25 August 2012 [CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
このオペラは1842年にミラノのスカラ座(La Scala)で初演されました。
ミラノはかつて西ローマ帝国(Western Roman Empire)の首都となり、神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)の時代も自治都市として栄え、その後ヴィスコンティ家とスフォルツァ家の統治のもとルネサンス期の繁栄も享受しました。しかし1500年にフランスがミラノを占領した後にスペインの支配下に入り、スペイン継承戦争を経てオーストリアのハプスブルク家に帰属することになります。フランスのナポレオンが一時オーストリアを駆逐してイタリアはフランスに併合されますが、ナポレオン敗退後の1815年にロンバルド=ヴェネト王国(Kingdom of Lombardy–Venetia)として再びオーストリアの支配下に入ります。『ナブッコ』が初演されたのはそんな時代でした。ミラノといえばイタリアという印象がありますが、当時はなんとオーストリアの支配下にあったのです。
そして当時のイタリアは、ほかにトリノを事実上の首都とするサルデーニャ王国(Kingdom of Sardinia)、フィレンツェを首都としてハプスブルク家が支配するトスカーナ大公国(Grand Duchy of Tuscany)、ナポリを首都とする両シチリア王国(Kingdom of the Two Sicilies)、パルマ(Parma)やモデナ(Modena)などの小さな公国、そしてローマを中心とする教皇国家(Papal States)と、分裂した状態にありました。

1848年当時のイタリア
By Gigillo83 (Image:Italy 1494 shepherd.jpg), 1 February 2011, noted by Jim Saeki on 23 January 2014 [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
「行け、わが思いよ」を聞いた聴衆は、祖国を追われたヘブライ人たちの姿にオーストリアに支配されている自分たちの姿を重ね合わせ、熱烈な拍手を送りました。
この初演はオペラシーズン終了直前の3月9日でしたが、7度も再演されました。さらに同じ1842年の夏から冬にかけて臨時のシーズンがもたれ、記録破りの57回の上演が行われます。
翌年からはミラノでのシーズン終了後にヴェネツィアを皮切りにイタリア各地でも公演されました。
【動画】“Giuseppe Verdi - Nabucco - Hebrew Slaves Chorus (ジュゼッペ・ヴェルディ『ナブッコ』 - 『ヘブライ人の虜囚』のコーラス)”, by solopevach, YouTube, 2013/08/28
その後、「リソルジメント(Risorgimento)」と呼ばれるイタリア統一運動が始まります。
1848年のフランス二月革命やウィーン蜂起に呼応してイタリアでもミラノやヴェネツィアなどで反乱がおこります。サルデーニャ王国はこれを支援すべくオーストリアに宣戦しますがこの時は敗北し、反乱も鎮圧されます。また翌1849年にはローマでジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini, 1805-1872)らが教皇国家に変わるイタリア共和国を設立しますが、こちらはフランスの武力介入で鎮圧されます。

「ミラノの5日間」と呼ばれた1848年のミラノの反乱
By Baldassare Verazzi (1819-1886) [Public domain], via Wikimedia Commons

ローマ共和国を設立したジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini, 1805-1872)
By Domenico Lama (1823-1890), cropped by Jim Saeki on 23 January 2014 [Public domain], via Wikimedia Commons
サルディーニャ王国のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II, 1820-1878)は首相のカミッロ・カヴール(Camillo Cavour, 1810-1861)らと改革を進め、失地回復を図ります。「準備の十年間」を経た10年後の1859年、サルデーニャ王国はフランスのナポレオン3世と秘密協定を結んでオーストリアに戦争を仕掛ます。ジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi, 1807-1882)が率いる義勇団もついたサルデーニャ・フランス連合軍はオーストリアに勝利し、ミラノがあるロンバルディアはオーストリアの支配から開放され、住民投票でサルデーニャ王国に合併します。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II, 1820-1878)
By Photograph by André Adolphe Eugène Disderi; owned and scanned by Tim Ross., circa 1861 [Public domain], via Wikimedia Commons

カミッロ・カヴール(Camillo Cavour, 1810-1861)
By Mayer & Pierson, Paris (i-s-burr, Scotland) [Public domain], via Wikimedia Commons
翌1860年にはシチリア島のメッシーナやパレルモで起こった反乱を受けて、ガリバルディが義勇団を率いてジェノヴァを出発しシチリア島に上陸します。その人数から「千人隊(Expedition of the Thousand)」とも呼ばれる義勇団は、目印に赤いシャツを着ていたことから「赤シャツ隊(Red Shirts)」としても知られます。
ガリバルディは反乱勢力や農民を味方につけて両シチリア王国の軍を破り、シチリアの支配権を確立します。勢いに乗るガリバルディは本土へ渡って簡単にナポリも掌握し、ナポリ市民もガリバルディを公然と歓迎します。

ジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi, 1807-1882)
Photo by Unknown taken in Naples, circa 1861, from the United States Library of Congress, cropped by Jim Saeki on 23 January 2014 [Public domain], via Wikimedia Commons
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は南イタリアの独裁者となったガリバルディを抑えるべく、サルデーニャ軍を南下させます。教皇国家を通過するため教皇軍とも衝突しますが何なくこれを突破、ナポリの北にあるテアーノ (Teano) という町でガリバルディと対面します。既にナポリとシチリアの住民投票でサルデーニャ王国との合併が圧倒的多数で決められていたこともあり、ガリバルディは独裁権を返上し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の指揮権を受け入れると伝えます。これが名高い「テアーノの握手」です。

テアーノで対面するガリバルディ(左)とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
By Sebastiano De Albertis (1828-1897), circa 1870 [Public domain], via Wikimedia Commons
そして1961年、サルデーニャ議会がイタリア王国建国を宣言します。国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は国父と呼ばれるようになります。しかも「イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世」“Vittorio Emanuele Re d'Italia”の頭文字を並べると、なんと“VERDI”となり、ヴェルディの名前と一致するです。ですから、
“Viva VERDI!” 「ヴェルディ万歳!」
と言えば音楽家ヴェルディとイタリア国王の両者を同時に讃えることになります。特にオーストリアの支配が残るヴェネト地方では公然とイタリア国王を称賛できないため、人々はさかんに
“Viva VERDI!” 「ヴェルディ万歳!」という言葉を口にしたそうです。
こうしてヴェルディは、愛国心や民族意識を鼓舞する数々の作品だけでなく、その名前によってもイタリア統一の象徴となったのです。

街角にも書かれた“Viva VERDI!”「ヴェルディ万歳!(イタリア国王万歳!)」のスローガン
By Unknown, from The Bettman Archive, 1859 [Public domain], via Wikimedia Commons
1866年、普墺戦争(Austro-Prussian War, 1866)に乗じてイタリアはプロイセンと同盟を結びオーストリアに宣戦。プロイセンがオーストリアに勝利したため、オーストリアはヴェネト地方を割譲し、イタリアが併合します。
また、1870年に始まった普仏戦争(Franco-Prussian War, 1870-1871)でナポレオン3世の第二帝政が崩壊し、ローマに駐留していたフランス軍が撤兵したためイタリア軍はローマへ進軍、小競り合いの後に入城を果たします。そして住民投票の末にイタリアはローマを併合します。
こうしてイタリアの再統一がほぼ完成します。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(Galleria Vittorio Emanuele II)(1877年完成)
ミラノのドゥオーモ広場とスカラ座広場を結ぶ。近代的なショッピングモールの原型。
東京ディズニーランドのワールドバザールのモデルでもある。
By MarkusMark (Own work), August 2008 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
“Fly, thought, on golden wings.”
行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って。
オペラ「ナブッコ」で歌われるこの名曲、今では「第二のイタリア国歌」とも呼ばれて親しまれています。
ナポリ初演時にこの曲が熱狂的にアンコールを請われたり、この曲がイタリア各地の人々の民族意識に火をつけたのは事実と異なるという説もあります。
しかし現在でもこの曲が「第二の国歌」としてイタリアの人たちに愛されているのはまぎれもない事実です。
決して勇壮な歌ではありません。しかし誰もが心を揺さぶられる望郷の歌なのです。
皆さんもぜひ聴いてみて下さい。
そしてオペラ『ナブッコ』の作品世界で、はたしてイスラエルの人たちは故郷へ帰ることができたのでしょうか。そしてバビロンの王女フェネーナとエルサレムの王子イズマエーレの愛の行方はどうなるのでしょうか。
それはオペラをご覧になって下さい。

ローマのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)
コロッセオやフォロ・ロマーノの近くにある。俗称「ヴィットリアーノ(Vittoriano)」。1911年完成。
By User:MM (Own work), August 2005 [Public domain], via Wikimedia Commons
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。
【動画】“Giuseppe Verdi // Composer Biography (ジュゼッペ・ヴェルディ/作曲家の伝記)”, by Five Minute Mozart, YouTube, 2018/01/03
【関連記事】第88回:“The word impossible is not French.”―「余の辞書に不可能はない」(ナポレオン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月08日
【関連記事】第49回:“See Naples and die.”―「ナポリを見て死ね」(ことわざ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年07月02日
【関連記事】第103回:“You, happy Austria, marry.”―「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」(ハプスブルク家), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月05日
【参考】Wikipedia(日本語版,英語版)
【参考】“リッカルド・ムーティ指揮 ローマ歌劇場 2014年日本公演 『ナブッコ』”
【参考】“ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「ナブッコ」がイタリア統一運動に与えた音楽的影響の考察”, 油井 宏隆, 大阪城南女子短期大学, 大阪城南女子短期大学研究紀要 39, 47-55, 2005-02-28
【参考】“ヴェルディがイタリア統一で果たした役割の謎──新国立劇場「ナブッコ」
によせて その3”, by Shushi Kamikawa, Museum::Shushi, 2013年5月19日
【参考】“旅のショート・エッセイ 19 『行けわが思いよ、黄金の翼に乗って』”, by 藤本良一, 旅のショート・エッセイ, 2002.07.29
【動画】“Giuseppe Verdi - Nabucco - Hebrew Slaves Chorus (ジュゼッペ・ヴェルディ『ナブッコ』 - 『ヘブライ人の虜囚』のコーラス)”, by solopevach, YouTube, 2013/08/28
【動画】“Giuseppe Verdi // Composer Biography (ジュゼッペ・ヴェルディ/作曲家の伝記)”, by Five Minute Mozart, YouTube, 2018/01/03
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