スポンサーリンク / Sponsored Link


2014年01月05日

第156回:“It was the hand of God.”―「あれは神の手だった」(マラドーナ)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。

0156-golden_soccer_ball_in_grass.jpg
Image courtesy of Sira Anamwong, published on 05 June 2012 / FreeDigitalPhotos.net

第156回の今日はこの言葉です。
“It was the hand of God.”
「あれは神の手だった。」
という意味です。
これはアルゼンチンのサッカー選手だったディエゴ・マラドーナ(Diego Armando Maradona, 1960-)の言葉です。
ペレ、ベッケンバウアーと来たら、マラドーナをご紹介しないわけにはいきません。
マラドーナについては書きたいことがいっぱいあります。少し長くなりますがご容赦ください。

0156-diego_maradona_2012.jpg
マラドーナ(Diego Armando Maradona, 1960-)
By Neogeolegend (Own work), 11 June 2012 [CC-BY-2.0], via Wikimedia Commons

マラドーナは1960年にブエノスアイレス(Buenos Aires)のすぐ南にあるラヌース(Lanús)という都市の貧しい家庭に生まれました。マラドーナは小さい時から天才サッカー少年として注目を浴び、9歳の時にブエノスアイレスに本拠地を置くアルヘンティノス・ジュニアーズ(Asociación Atlética Argentinos Juniors)の下部組織に入団します。13歳の時に学校をやめてサッカーに専念し、15歳の時にアルヘンティノス・ジュニアーズのトップチームに昇格、アルゼンチン・リーグに史上最年少でデビューします。

0156-diego_maradona_1973.jpg
13歳の頃のマラドーナ
By El Gráfico (El Gráfico No 2995, del 1 de marzo de 1977) [Public domain], via Wikimedia Commons

マラドーナは身長160センチ台の小柄でずんぐりとした体格ながら、フィジカルが強い上にボディバランスがよく、卓越したテクニックとパスセンスを持っており、ドリブルを含むほとんどすべてのプレーを左足一本で行いました。得点能力も抜群に高く、フリーキックも得意で、テクニックとパワーを併せ持つ天性のサッカープレイヤーでした。
マラドーナはプロデビューから間もなくアルゼンチン代表に招集され、1977年にハンガリーとの親善試合で代表デビュー。A代表の最年少出場記録を作ります。1978年に地元アルゼンチンで開催されたFIFAワールドカップにも最終候補に残りましたが、17歳だったマラドーナは「経験不足」との理由で代表から外されます。この時アルゼンチンは地元で見事にワールドカップ優勝に輝きます。マラドーナはこの時に出場できなかったことを、
「人生に永遠に残る、決定的な、一番大きな失望だった」
と語っています。よほど悔しかったのでしょう。

0156-maradona_1977_debut.jpg
ハンガリーとの親善試合で代表デビューしたマラドーナ(1977年)
Photo by Unknown, 27 February 1977 [Public domain], via Wikimedia Commons

マラドーナは20歳未満(U-20)の代表チームのキャプテンとなり、1979年に日本で開催された1979 FIFAワールドユース選手権(1979 FIFA World Youth Championship)に出場します。アルゼンチンは決勝でソビエト連邦を3-1で破り、ワールドユース初優勝を飾ります。マラドーナは6試合中5試合で6ゴールを決める大活躍で、MVP(最優秀選手)にあたるゴールデンボールを獲得します。

0156-maradona_1979_fifa_world_youth.jpg
1979年ワールドユース優勝時のマラドーナ
By no mention (Revista Gente, septiembre 1979), 1979 [Public domain], via Wikimedia Commons

1979年と1980年には国内1部リーグであるプリメーラ・ディビシオン(Primera División)の得点王とアルゼンチンの年間最優秀選手賞(これは翌1981年も受賞)、さらに南米の年間最優秀選手賞も連続受賞します。
1981年には同じブエノスアイレスを本拠地とする人気チームでマラドーナ自身も熱烈なファンだったボカ・ジュニアーズ(Club Atlético Boca Juniors)に移籍、リーグ優勝を果たします。

0154-pele_maradona.jpg
マラドーナ(左)とペレ(Pelé, 1979年撮影)
By the Argentine magazine El Gráfico, 1979 [Public domain], via Wikimedia Commons

0155-beckenbauer_and_maradona_1980.jpg
マラドーナ(右)とベッケンバウアー(Franz Anton Beckenbauer, 1945-, 1980年撮影)
Photo by Unknown, El Gráfico #3155, 1980 [Public domain], via Wikimedia Commons

その後マラドーナはアルゼンチン代表の背番号10番となり、1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会に出場します。21歳の時です。アルゼンチンは1次リーグを2位で通過しますが、2次リーグ第1戦でイタリアと戦い、マラドーナは徹底的にマークされて1-2で敗れます。2次リーグ第2戦ではブラジルのパス回しに翻弄された上に、マラドーナは味方選手のファウルに対する報復行為でレッドカードを受け、チームも1-3で大敗して大会を去ることになります。この大会はイタリア代表が優勝します。

0156-maradona_and_gentile_in_wc_1982.jpg
1982年ワールドカップのイタリア戦でのマラドーナ
By El Gráfico (El Gráfico - História de los Mundiales), 1982 [Public domain], via Wikimedia Commons

同じ1982年からマラドーナは高額の契約金でスペインのリーガ・エスパニョーラ(Liga Española)のFCバルセロナ(Futbol Club Barcelona)へ移籍します。しかし夜遊びやコカイン疑惑、度重なるマークに激怒して乱闘騒ぎを起こすなど、激動のバルセロナ時代となります。
1984年、マラドーナはイタリアのセリエA(アー)(Serie A)の人気チームSSCナポリ(Societa Sportiva Calcio Napoli SpA)に移籍します。ナポリが弱小チームであることを知らずに移籍したマラドーナでしたが、「ナポリの王」と呼ばれてサポーターから愛され、シーズンチケットが瞬く間に売れたそうです。

0156-maradona_penalty_kick_1984.jpg
SSCナポリ時代、PKを蹴るマラドーナ(1984年)
By Pino Alpino (Own work), 1984 [Public domain], via Wikimedia Commons

1986年、マラドーナはワールドカップ・メキシコ大会にキャプテンとして出場します。チームは史上最弱と言われましたが、アルゼンチンはグループリーグを2勝1分で突破。マラドーナも全試合の得点にからむ活躍を見せます。
そして迎えた準々決勝、ワールドカップの歴史に残るイングランド戦が行われます。3年前にフォークランド諸島の領有を巡ってアルゼンチンとイギリスが戦火を交えたフォークランド紛争(Falklands War, アルゼンチン側ではマルビナス戦争:Guerra de las Malvinasとも)の記憶も新しく、試合前から因縁の対決と言われました。

0156-argentine_amtrac.jpg
フォークランド諸島(Falkland Islands)の町を占領するアルゼンチン軍と水陸両用車(1982年撮影)
By Argentine official photographer, 2 April 1982 [Public domain], via Wikimedia Commons

前半0-0で折り返した後半4分、マラドーナは左サイドから内側に切れ込んでゴール前にパスを出し、自身もワンツーを期待して右サイドゴール前にむかって走り続けます。パスは通りませんでしたがイングランドのスティーヴ・ホッジ(Stephen Brian "Steve" Hodge, 1962-)がクリアミス。ペナルティーエリアのマラドーナに向かってボールがぽーんと放物線を描きます。身長180センチ超の長身キーパーのピーター・シルトン(Peter Leslie Shilton OBE, 1949^)がパンチングでクリアしようとしましたが160センチ台のマラドーナがヘディングシュートを打とうとして左手でボールをはじき、ボールはそのままゴールに吸い込まれます。しかし主審はハンドに気付かず、結局ゴールは認められます。

0156-maradona_england_1986.jpg
1986年ワールドカップ、準々決勝イングランド戦で戦うマラドーナ
By El Gráfico, 1986 [Public domain], via Wikimedia Commons

そしてわずか4分後の後半8分、今度はもの凄いスーパープレイが飛びだします。自陣でパスを受けたマラドーナはドリブルでなんと5人抜きを演じ、わずか10秒で60メートルを駆け上がります。そしてキーパーのシルトンもドリブルでかわし、自らボールをゴールに押し込みます。こちらは文句なしのゴール。マラドーナらしく左足のみを使ったドリブルでした。
その後イングランドはゲーリー・リネカー(Gary Winston Lineker OBE, 1960-)がゴールを決めて食い下がりますが、アルゼンチンが2-1で勝利します。


ゲーリー・リネカー(Gary Winston Lineker OBE, 1960-)
Gary Lineker's Favourite Football Stories

試合後マラドーナはインタビューでややおどけながら次のように語ります。
“The goal was scored a little with the head of Maradona,
 and a little with the hand of God.”
「あのゴールはマラドーナの頭と神の手によるものだ。」
この“The hand of God” 「神の手」、スペイン語で“La Mano de Dios”(ラ・マーノ・デ・ディオス)という言葉は世界的に有名になり、このゴールは『「神の手」ゴール』と呼ばれました。
一方のイングランドは当然ながら納得できません。ビデオや写真で見てもマラドーナが手を使っていることが明白だったからです。本人の言葉もそれを半分認めています。しかし一度下った判定は覆りません。イングランドの人たちは、この大会は「ワールドカップ優勝の可能性を騙し取られた」ものと考えているそうです。


【動画】“Maradona 'Hand of God' Goal 1986 World Cup (マラドーナの「神の手」ゴール 1986年ワールドカップ)”, by ClassicEngland, YouTube, 2012/04/27

一方で2点目の5人抜き(キーパーも含めると6人抜き)のゴールは、誰も文句のつけようのない素晴らしいものでした。イングランドにとっては「神の手」ゴールと二重に屈辱的です。
2002年のワールドカップ・日本韓国大会の最中にFIFAウェブサイトで行われた投票で、このゴールは「ゴール・オブ・ザ・センチュリー(Goal of the Century)」に選ばれました。文字通り20世紀最高のゴールということです。日本でも「世紀のゴール」と呼ばれています。
また2007年にはイギリスの「ワールド・サッカー(World Soccer)」誌にも「史上最も偉大なゴール」の1位に選ばれています。イギリスの専門誌ですら最高のゴールと認めざるを得なかったのです。


【動画】“Diego Maradona | Goal of the Century | HD (ディエゴ・マラドーナ | 世紀のゴール [HD])”, by PalinhoTV, YouTube, 2011/08/25

イングランドを下したアルゼンチン代表は、準決勝でベルギーを2-0で下します。2点ともマラドーナのゴールです。
決勝で戦ったのはベッケンバウアー監督が率いる西ドイツ。2-0と先行したブラジルは西ドイツの粘りで2-2に追い付かれますが、マラドーナはホルへ・ブルチャガ(Jorge Luis Burruchaga, 1962-)の決勝ゴールをアシストし、アルゼンチンがワールドカップを制覇します。マラドーナはワールドカップMVP(最優秀選手)に選ばれます。
直後のシーズンでもマラドーナが所属するSSCナポリはセリエA(アー)に初優勝し、マラドーナはワールドカップの活躍も合わせて世界最優秀選手賞に選ばれます。

0155-diego_maradona_1986.jpg
マラドーナ(1986年)
By Nicolas491 (Own work), 29 June 1986 [CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons


【動画】“アサヒビール NOVA・他CM 80年代”, by callfromthepast, YouTube, 2008/01/20

マラドーナは1990年のワールドカップ・イタリア大会にもケガを押して出場します。
苦労して勝ち上がった準決勝でマラドーナは所属するSSCナポリの地元ナポリでイタリアと戦います。ナポリ市民にイタリアではなく自分を応援するように呼びかけたり、1-1の同点で迎えたPK戦でマラドーナが決勝ゴールを決めたりしたため、アルゼンチンは勝ちはしましたがマラドーナはイタリア国民を敵に回してしまいます。
決勝は前回と同じベッケンバウアー監督の西ドイツ。スタジアムの大観衆は完全に西ドイツの味方で、アルゼンチンには大ブーイングが浴びせられます。試合は結局0-1で敗れ、西ドイツが優勝します。試合後マラドーナは人目をはばからず号泣します。

0155-franz_beckenbauer_1990.jpg
西ドイツ代表監督時代のベッケンバウアー(1990年撮影)
Bundesarchiv, Bild 183-1990-1127-023, 27 November 1990, cropped by Jim Saeki on 23 December 2013 [CC-BY-SA-3.0-de], via Wikimedia Commons

1990年から1991年にかけては、コカイン使用疑惑やマフィアとの関係がマスコミから叩かれ、マラドーナはイタリアサッカー連盟から15ヶ月の出場停止処分を受けます。1991年には日本のJリーグ発足に向けて名古屋グランパスエイト(Nagoya Grampus Eight)への入団がほぼ決定していましたが、コカイン疑惑のために実現しませんでした。結局1993年の開幕時に名古屋でプレーしたのは、1986年ワールドカップの因縁の試合でマラドーナと戦ったイングランドのゲーリー・リネカーでした。なんだかすべてつながっているような不思議な縁ですね。


ゲーリー・リネカー
Gary Lineker's Soccer Quiz Book

1993年にマラドーナは所属クラブを解雇されながらもアルゼンチン代表に復帰し、1994年のワールドカップ・アメリカ大会に再びキャプテンとして出場します。アジア最終予選で日本代表の「ドーハの悲劇」(最終戦のイラク戦でロスタイムにゴールを決められて惜しくも出場を逃した敗戦)があったアメリカ大会です。
マラドーナは1次リーグ初戦のギリシャ戦ではゴールを決めるなどの活躍を見せますが、第2戦のナイジェリア戦終了後のドーピング検査で陽性となり、大会からの即時追放と15ヶ月の出場停止処分を受けます。アルゼンチンは結局ベスト16で敗退します。
出場停止期間にマラドーナはアルゼンチン国内の2チームの監督を務めます。何度か現役に復帰しますが、1997年の37歳の誕生日に引退を表明します。

0156-diego_maradona_2005-2.jpg
現役引退後に激太りしたマラドーナ(2005年撮影)
By Ricardo Stuckert, 29 March 2005 [CC-BY-3.0-br], via Wikimedia Commons

引退後は薬物依存や不摂生による体重増加で入院や手術を繰り返します。一時は体重が122キロまで増えましたが、減量してベストに近い75キロ前後まで戻します。
2008年にはアルゼンチン代表の監督に就任。2010年のワールドカップ・南アフリカ大会には苦しんで予選を勝ち抜いて出場を決めます。本大会では1次リーグを全勝で突破しますが、2次トーナメントでは初戦のメキシコ戦には快勝したものの準々決勝のドイツ戦には0-4で完敗。ベスト8に終わり、マラドーナは代表監督を解任されます。代表監督としての成績は18勝6敗でした。

0156-maradona_2009.jpg
アルゼンチン代表監督時代のマラドーナ(2009年撮影)
Alexandr Mysyakin, 2009 [CC-BY-SA-1.0], via Wikimedia Commons


2010 FIFA ワールドカップ 南アフリカ オフィシャルBlu-ray アルゼンチン代表 アタッカー軍団の激闘録

僕はこの記事を書くためにマラドーナのことを調べていて、驚くべき事実を発見してしまいました。マラドーナ教という宗教が存在するらしいのです。マラドーナを神として崇める宗教です。スペイン語でイグレシア・マラドニアーナ(Iglesia Maradoniana)、英語では“Maradonian Church”(マラドーナ教会)というらしいです。
1998年に誕生し、2001年に最初の会合が開かれました。創始者がカトリックの信者でもあることもあり、
『マラドーナ教はキリスト教とマラドーナに対する崇拝の混合宗教であると言える。』―Wikipediaより
だそうです。

0156-maradona_altar.jpg
マラドーナ教の祭壇(ナポリにて)
By dieghito from - (Flickr), August 11, 2006 [CC-BY-2.0], via Wikimedia Commons

教義の基本となるのはマラドーナ教の「十戒」で、“D10S”と書いて「ディオス」と呼ばれます。マラドーナの背番号“10”と「十戒」をかけたもので、マラドーナ自身のことも表す神聖四文字です。十戒からいくつか抜粋してご紹介します。何やら謎の教えも交じっていますよね。

1. “The ball must not be stained, as D10S has proclaimed.”
 (D10Sが仰ったとおり、ボールを汚してはならない。)
2. “Love football over all things.”
 (何よりもフットボールを愛せ。)
4. “Defend the colours of Argentina.”
 (アルゼンチン・カラーを守り称えよ。)(アルゼンチン・カラー:国旗やユニフォームの色)
9. “Let Diego be your second name, and that of your children.”
 (汝自身と汝の子供たちのミドルネームにディエゴと名づけろ。)
10. “No ser cabeza de termo y que no se te escape la tortuga.”
 (“Don't be a hothead and don't let the turtle escape you.”
 (激昂してはならない。また亀に逃げられてはならない。)


マラドーナ [DVD]

また、マラドーナは映画にもなりました。旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ(Emir Kusturica, 1954-)が監督した伝記映画『マラドーナ(Maradona by Kusturica)』(2008年スペイン・フランス)です。マラドーナも本人役で出演しており、あのマラドーナ教も登場しています。
お次の動画はマラドーナがなんとブラジル代表・セレソンになるという悪夢を見るという面白コマーシャルです。ブラジルの人気飲料「ガラナ・アンタルチカ」のCMなんですが、このジュースとても美味しいんですよね。


【動画】“マラドーナのセレソン代表入り CM”, by japom2008, YouTube, 2009/10/24

“It was the hand of God.”
あれは神の手だった。

ワールドカップの大事な試合で「神の手」でちゃっかりゴールを上げたマラドーナ。
しかしその直後に文句なしの5人抜きで「世紀のゴール」を決めたマラドーナ。
「王様」ペレや「皇帝」ベッケンバウアーに比べたら、問題児のような言動が目立ったマラドーナ。
しかしその明るいキャラクターと脅威のテクニックは祖国アルゼンチンだけでなく世界中から愛されました。そしてついに「神様」にもなりました(笑)。
もう一つ、僕が大好きなマラドーナの言葉があります。それはマラドーナが10歳ぐらいの時にインタビューされて語った言葉です。
「僕の夢は二つあります。一つはワールドカップに出場することです。もう一つはワールドカップで優勝することです。」
すばらしい。夢がちょっとかぶっているところが可愛いですね。マラドーナは見事にその二つを叶えたのです。

今年いよいよ2014年ワールドカップ・ブラジル大会が開催されます。マラドーナの後輩たちとなるアルゼンチン代表の活躍に期待しましょう。

0156-cheering_female_argentinian_football_fan.jpg
Image Copyright by Daniel Ernst, Used under license from Links Co., Ltd.

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第7回:“If you can dream it, you can do it.”―「夢があればそれは叶う」(ウォルト・ディズニー), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年04月29日
【関連記事】第154回:“One day, I'll win you the World Cup.”―「いつか僕がワールドカップで優勝してみせるよ」(ペレ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年01月02日
【関連記事】第155回:“The strong one doesn't win, the one that wins is strong.”―「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」(ベッケンバウアー), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年01月04日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Diego Maradona goal voted the FIFA World Cup™ Goal of the Century(ディエゴ・マラドーナのゴールがFIFAワールドカップの「世紀のゴール」に選出される)”, FIFA.com, 30 May 2002
【参考】“La Iglesia Maradoniana – Argentina’s real religion?(マラドーナ教―アルゼンチンの本当の宗教なのか?)”, by Rupert Howland-Jackson, THE ARGENTINA INDEPENDENT, 01 December 2008
【参考】“マラドーナはどこへ行く”, by セルヒオ・レビンスキー/Sergio Levinsky, Sportsnavi, 2010年9月23日
【参考】“マラドーナの凄さ。”, MARADONA ディエゴ・マラドーナ ファンサイト
【参考】“マラドーナ!マラドーナ!マラドーナ! -ictarzのフットボール英雄列伝-”, by ictarz, トレモロイド, 2010年4月12日

【動画】“Maradona 'Hand of God' Goal 1986 World Cup (マラドーナの「神の手」ゴール 1986年ワールドカップ)”, by ClassicEngland, YouTube, 2012/04/27
【動画】“Diego Maradona | Goal of the Century | HD (ディエゴ・マラドーナ | 世紀のゴール [HD])”, by PalinhoTV, YouTube, 2011/08/25
【動画】“アサヒビール NOVA・他CM 80年代”, by callfromthepast, YouTube, 2008/01/20
【動画】“マラドーナのセレソン代表入り CM”, by japom2008, YouTube, 2009/10/24




このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by ジム佐伯 at 07:00 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

スポンサーリンク / Sponsored Link

ブログパーツ
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。