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こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

Image courtesy of hinnamsaisuy, published on 24 November 2010 / FreeDigitalPhotos.net
第107回の今日はこの言葉です。
“Go, go, go, in peace.”「行け、行け、心安らかに行け。」
という意味です。
この言葉には続きがあります。
“Go,go,go in peace.「行け、行け、心安らかに行け。
Be strong.
A mysterious hand will guide you!”
強くあれ。
神の見えざる手が君たちを助けてくれる。」
という意味です。
“a mysterious hand”(神秘的な手)というのは、そのまま「神様の手」であることをあらわしています。
「神の見えざる
といったところでしょうか。

新島襄(Joseph Hardy Neesima, 1843-1890)
Photographer unknown, Japanese book Kinsei Meishi Shashin vol.2 (近世名士写真 其2), Published in 1934–1935 [Public domain], via Wikimedia Commons
同志社大学(Doshisha University)ご出身の方はもうおわかりでしょう。
綾瀬はるか主演のNHK大河ドラマ『八重の桜』を見ている方もおわかりですね。
これは日本の教育者にして宣教師でもあった新島襄(Joseph Hardy Neesima, 1843-1890)の言葉です。
新島襄は同志社大学の前身である同志社英学校を設立しました。
大河ドラマ『八重の桜』ではオダギリジョーが演じています。
この言葉は先週の『八重の桜』に登場したもので、史実にももとづいています。
(今日10/12の午後1時からNHK総合で再放送があります。見逃した方はどうぞ。)
大河ドラマ 八重の桜 総集編 [DVD]
新島襄は天保14年(1843年)に江戸の神田で生まれました。父親は上州の安中藩(今の群馬県安中市)の藩士でした。
築地にあった幕府の軍艦軍艦操練所で洋学を学んでいた頃、アメリカ人宣教師が漢文に訳した聖書を読んで感動し、アメリカへの渡航を考えるようになります。
その後ひそかに開港地だった箱館(今の函館)へ行き、元治元年(1864年)にアメリカ船ベルリン号(Berlin)で密出国します。襄が満21歳の時です。
幕末当時、ご存じのように海外渡航は国禁でした。
襄が密出国する10年前の安政元年(1854年)、アメリカのペリーが2度目の来航をします。このとき吉田松陰(Yoshida Shōin, 1830-1859)が下田に停泊中のポーハタン号(USS Pawhatan)にひそかに乗船して密航を訴えますが断られ、自ら出頭して投獄されます。

マシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794–1858)
Photo by Unknown, collected from http://www.history.navy.mil/branches/teach/pearl/kanagawa/friends4.htm [Public domain], via Wikimedia Commons
吉田松陰は投獄された後に長州の萩にある実家に
しかし松陰が松下村塾で教えたのはわずか1年間に過ぎませんでした。安政の大獄で再投獄され、江戸の地で満29歳の若さで斬首されたのです。
10年という時代の開きはありますが、新島襄は「成功した吉田松陰」なのです。

吉田松陰(Yoshida Shōin, 1830-1859)
Drawn by Unknown, late 19th century, cropped by Jim Saeki on 11 October 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons
新島襄は上海でワイルド・ローヴァー号(Wild Rover)という別の船に乗り、密出国翌年の慶応元年(1865年)にアメリカ東海岸のボストン(Boston)に到着します。
襄の本名は
米国で襄はボストン郊外のアンドーバー(Andover)にあるフィリップス・アカデミー(Phillips Academy)に入学します。ワイルド・ローヴァー号の船主アルフィアス・ハーディ氏(Alpheus Hardy)の援助によるものです。
フィリップス・アカデミーとは寄宿舎制のボーディングスクール(Bording school)で、上流階級の子息が通う名門私立高校です。後にブッシュ大統領親子も2代で通ったそうです。
学費も安くはありません。2010年の記事では年間約4万1300ドル(約340万円)かかると書かれています。
単に優しいだけでここまで援助できません。ハーディ夫妻は襄の聡明さを誠実さを理解していたのでしょう。才能のある者には相応の教育を受けさせるべきと考えたのです。
襄はほどなく教会で洗礼を受け、念願のキリスト教徒になります。

襄が学んだフィリップス・アカデミー(Phillips Academy)
By Daderot (Own work), April 2008 [Public domain], via Wikimedia Commons
2年後の慶応3年(1867年)にフィリップス・アカデミーを卒業した襄は、これまた名門のアマースト大学(Amherst College)に入学します。狭き門で知られる難関大学ですので、やはり襄が非常に優秀であった証拠です。
ここで襄は、後に札幌農学校(今の北海道大学)へ自ら招くことになるウィリアム・スミス・クラーク博士(William Smith Clark, 1826-1886)の教えを受け、3年後に理学士として卒業します。
アメリカで学位をとった最初の日本人です。

1875年ころのアマースト大学キャンパス
Photo by Unknown, from By 同志社大学 (新島襄生誕150年記念写真集 新島襄―その時代と生涯

ウィリアム・スミス・クラーク博士(William Smith Clark, 1826-1886)
By Unidentified [Public domain], via Wikimedia Commons
時代は既に明治となっていました。
江戸幕府の国禁を破ってアメリカへ密航した襄でしたが、初代の駐米公使である森有礼のはからいで、アマースト大学の頃には正式な留学生として認めらました。
アマースト大学卒業後、襄はアンドーバー神学校(Andover Theological Seminary)で宣教師になる教えを受けることになります。
明治5年(1872年)、襄はアメリカ訪問中の岩倉使節団と会い、その海外経験と語学力に注目されます。
木戸孝允(Takayoshi Kido, 1833-1877)は、自らの通訳として襄を使節団に参加させます。
襄はその後も使節団の一員に加えられ、イギリスやフランス、スイス、ドイツ、ロシアをなどを歴訪します。
さらにドイツのベルリンに半年以上滞在し、使節団の報告書である『理事功程』を編集します。
その後も明治新政府の依頼により、各国の教育制度を調査して報告します。
襄はその語学力や調査能力を通して、明治政府の教育制度に大きな影響を与えることになるのです。

ロンドン滞在中に撮影された岩倉使節団
(左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通)
Photo by Unknown, taken in 1872 in London [Public domain], via Wikimedia Commons
アンドーバー神学校を卒業して宣教師になった襄は、日本でキリスト教主義の大学を設立するために帰国します。明治7年(1874年)、ほぼ10年ぶりの帰国でした。
翌明治8年(1874年)、京都府の槇村知事と顧問の山本覚馬の協力により、襄は京都に同志社英学校を開校して初代校長となります。
この頃に山本覚馬の妹の八重と知り合い、翌年に結婚します。夫婦仲はとてもよかったそうです。このあたりは大河ドラマ『八重の桜』に詳しく描かれています。

結婚間もない新島襄と八重
By 同志社大学 (新島襄生誕150年記念写真集 新島襄―その時代と生涯
同志社の建学精神はキリスト教精神に基づく「良心」です。
今でも同志社大学の今出川と京田辺の両キャンパスには、襄の筆跡による
「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」という言葉が刻まれた石碑があります。

同志社大学・今出川校地にある「良心碑」
By Leva (Own work), 23 May 2006, cropped by Jim Saeki on 11 October 2013 [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html), CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)], via Wikimedia Commons
“Go,go,go in peace.
Be strong.
A mysterious hand will guide you!”
行け、行け、心安らかに行け。
強くあれ。
神の見えざる手が君たちを助けてくれる。
記念すべき第一回卒業式で学生たちが巣立つ時、襄はこの言葉を贈りました。
当時キリスト教への風当たりはまだまだ強いものでした。
それでも勇気を持って進みなさいと、襄は学生たちを励ますのです。
襄の恩師でもあるクラーク博士の
“Boys, be ambitious!”もいいですが、この言葉も素晴らしいです。
「少年よ、大志を抱け」
国禁を犯してアメリカに渡航し、才能と努力で成功した襄の言葉だからこそ、とても重みがありますね。

同志社大学・今出川校地にあるクラーク記念館(重要文化財)
By w:ja:Yukke123 (I took this.), 15 May 2008 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。
【関連記事】“第13回:“Boys, be ambitious!”―「少年よ、大志を抱け!」(クラーク博士)”, ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年05月05日
【関連記事】第6回:“Anything one man can imagine, other men can make real.”―「人が想像できることは、必ず人が実現できる。」(ジュール・ヴェルヌ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年04月28日
【参考】Wikipedia(日本語版,英語版)
【参考】“Go, Go, Go, in Peace IT嫌いはまだ早い”, 横山哲也, @IT 自分戦略研究所, 2008/09/10
【参考】“建学の精神と新島襄”, 同志社大学(Doshisha University)
【参考】“アメリカのエリート教育 フィリップス・アカデミー・アンドーバー”, by jazz-age, 士官である前にまず紳士であれ, 2008-02-14
【参考】“名門大学に入るための名門高校、アメリカの学歴カースト制”, cyzo woman [サイゾーウーマン], 2012年10月7日
【参考】“年授業料600万円でも子供通わせたい親が急増−スイスの名門寄宿学校”, Bloomberg.co.jp, 2010/10/28
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