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こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

Photo by Unknown, October 1944 [Public domain], via Wikimedia Commons
第63回の今日はこの言葉です。
“I shall return.”「私は必ず帰ってくる。」
という意味です。
なんだか、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger, 1947-)の決め台詞である
“I'll be back.”とも似ていますね。
「また戻る」
助動詞“shall”は話し手の強い意志を含んだ未来を表します。
より強い意志をもって、「必ず戻る」と言っています。
【関連記事】第36回:“I'll be back.”―「また戻る」(アーノルド・シュワルツェネッガー)(2013年06月09日)

アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Alois Schwarzenegger, 1947-)
At 2003 Cannes film festival. Photo by Georges Biard [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
これはアメリカ軍の司令官だったダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880-1964)の言葉です。
日本では戦後日本を占領した連合国軍の最高司令官としてとても有名です。
彼が必ずや戻ると言った場所はどこだったのでしょうか。

ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880-1964)
From: U.S. Naval Historical Center, 2 August 1945 [Public domain], via Wikimedia Commons
マッカーサーは1880年にアーカンソー州リトルロック(Little Rock)にある兵営内の宿舎で生まれました。父親のアーサー・マッカーサー・ジュニア中将(Arthur MacArthur, Jr., 1845-1912)は南北戦争(Civil War)の退役軍人で、植民地だったフィリピンの初代総督でもありました。
マッカーサーは陸軍士官学校(United States Military Academy)にトップ入学し、史上抜群の成績で卒業します。マッカーサーよりもよい成績で卒業したのは、これまで2人しかいないそうです。そのうちの一人は、南北戦争の南軍の名将、ロバート・リー大将(Robert Edward Lee, 1807-1870)です。

ロバート・リー(Robert Edward Lee, 1807-1870)
Julian Vannerson [Public domain], via Wikimedia Commons
卒業後は工兵隊中尉としてフィリピンに配属されます。
1905年には父親アーサーが駐在武官として日本に赴任し、ダグラスも副官として東京で勤務します。その際、親子で日露戦争も観戦したそうです。
マッカーサーが陸軍省で陸軍長官の副官や広報班長などを勤めた頃、アメリカは第一次世界大戦(World War I)に参戦します。
マッカーサーは欧州へ送り込む最初の師団としてアメリカ全州の国民からなる第42師団、通称「レインボー師団(Rainbow Division)」の設立をウッドロウ・ウィルソン大統領(Thomas Woodrow Wilson, 1856-1924)に提案し、同師団の参謀長および旅団長としてヨーロッパの西部戦線(Western Front)に動員されます。
マッカーサーは西部戦線でドイツ軍を相手に数多くの武功を上げ、15個の勲章を受章します。戦場で2度も負傷しますが、これは最高指揮官にもかかわらず後方ではなく常に最前線の現場で指揮をとっていた証拠です。

第一次世界大戦中のフランスでのマッカーサー
By LT. RALPH ESTEP, 19 September 1918 [Public domain], via Wikimedia Commons
戦後、最年少で少将に昇進、さらに最年少で参謀総長になります。
その後、フィリピン独立へ向けてフィリピン軍の軍事顧問としてフィリピンに渡ります。
2年後に日本を経て帰国し、57歳で軍を引退して予備役となります。
その2年後の1939年に第二次世界大戦(World War II)が勃発します。翌1940年に日本は日独伊三国同盟(Tripartite Pact)を締結。さらに翌年の1941年の7月、日米間の緊張が極度に高まる中でマッカーサーはフランクリン・ルーズベルト大統領(Franklin Delano Roosevelt, FDR, 1882-1945)の要請で中将として現役に復帰し、フィリピン駐屯のアメリカ極東軍司令官に就きます。
そして1941年12月8日(米国時間12月7日)、日本海軍の空母機動部隊はハワイの真珠湾(パール・ハーバー, Pearl Harbor)を奇襲し、太平洋戦争の火蓋を切ります。

真珠湾攻撃へ向け発進準備を行う空母「翔鶴」甲板上の零式戦闘機隊
By Unknown, the original photograph was captured on Attu in 1943, 7 December 1941 [Public domain], via Wikimedia Commons
【動画】“Original Pearl Harbor News Footage (真珠湾ニュース映像(オリジナル))”, by The Atlantic, YouTube, 2017/12/07
開戦劈頭、日本はフィリピンも叩きます。同日、台湾の基地から出撃した日本陸軍の戦闘機と攻撃機(爆撃機)はフィリピンのクラーク飛行場(Clark Field)を強襲し、アメリカの極東航空軍は戦力の半数以上を失います。翌々日に攻撃機群はマニラ湾内の在泊艦隊を攻撃し、大損害を与えます。この結果、フィリピンの制空権と制海権は完全に日本軍のものとなります。

日本軍の空襲直後のクラーク飛行場
By SunKing at en.wikipedia, 8 December 1941 [Public domain], from Wikimedia Commons
本間雅晴中将率いる日本陸軍の第14軍はフィリピン各地に上陸し、南北から首都マニラ(Manila)に迫ります。
12月18日に大将に昇進したマッカーサーは、マニラを放棄してマニラ湾西部のバターン半島(Bataan Peninsula)とその南にあるコレヒドール島(Corregidor)の要塞に篭城する決断をします。

フィリピンの首都マニラへ向けて進軍する日本軍の戦車隊
By Japanese military (http://www.army.mil/CMH/books/wwii/5-2/5-2_14.htm), January 1942 [Public domain], via Wikimedia Commons
日本軍が迫ったフィリピンの首都マニラからはすべての戦力が撤退し、12月26日に無防備都市(Open City)を宣言します。これはいわば都市単位の無条件降伏です。日本軍はマニラへ無血入城し、マニラは陥落します。主力がリンガエン湾に上陸してからわずか11日後のことでした。

無防備都市(Open City)を宣言するフィリピンの首都マニラ(Manila)
By Center of Military History, United States Army (http://www.army.mil/CMH/books/wwii/5-2/5-2_14.htm), January 1942 [Public domain], via Wikimedia Commons
アメリカ・フィリピン連合軍はバターン半島とコレヒドール要塞を死守しようと防衛線をひきます。
日本軍は何度か総攻撃を試みますが、犠牲も多く、思うように行きません。
2月15日にシンガポール要塞のイギリス軍が降伏、3月9日に今のインドネシアに当たるオランダ領東インド(蘭印, Dutch East Indies)のオランダ軍が降伏します。
真珠湾の太平洋艦隊が壊滅に近い損害を受けて意気消沈する中、「シンガポールは落ちたがコレヒドールは健在だ。」というニュースはアメリカ国民を勇気づけ、マッカーサーは英雄となります。
しかし実際は各地で日本軍に圧倒され、救援も得られないマッカーサーは孤立無援で、彼自身が捕虜になってもおかしくない状況でした。

フィリピン・ルソン島での日本軍の進撃
From the United States Army Center of Military History, cropped and modified by Jim Saeki on 27 July 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons
もしマッカーサーが戦死したり捕虜になったりしたらアメリカ国民の士気に悪影響があると考えたルーズベルト大統領は、オーストラリアへ脱出するようにマッカーサーに命令します。
3月12日、マッカーサーは家族や幕僚たちとコレヒドール要塞を魚雷艇でひそかに脱出します。そしてミンダナオ島のパイナップル畑にある秘密飛行場からB-17でオーストラリアへ逃亡します。

マッカーサーがフィリピン脱出に用いたB-17フライングフォートレス(空の要塞)の同型機
By USAAF (AFHRA photo 080129-f-3927s-210), circa 1942-1943 [Public domain], via Wikimedia Commons
華々しい成績と軍歴を残してきたマッカーサーの人生で始めての大きな挫折でした。大統領命令とはいえ、何万人もいる部下たちを見捨てて敵前逃亡をしたような形になったのです。どれほど悔しかったことでしょう。
脱出先のオーストラリアで、マッカーサーは何度となくこの言葉を口にしたといいます。
“I shall return.”
「私は必ず戻る。」
【動画】“General Douglas MacArthur speech to Australian leaders after return to Philippines - stock footage (ダグラス・マッカーサー将軍がオーストラリアの指導者たちに向けたスピーチ、フィリピン奪還後)”, by PublicDomainFootage, YouTube, 2013/02/03
彼は南西太平洋方面最高司令官(Commander in Chief, Southwest Pacific Area 略称 CINCSWPA)に任命され、クイーンズランド州のブリズベーンに司令部を置いて、南西太平洋方面のアメリカ軍、オーストラリア軍、イギリス軍、オランダ軍を指揮します。
日本軍は戦力を増強し、4月9日にバターン半島を制圧します。コレヒドール島の要塞が降伏したのはさらに1ヶ月後の5月6日。マニラ陥落の4ヶ月後でした。

コレヒドール要塞の火砲陣地跡(両端に要塞砲2門が見える)
By PH1 DAVID C. MACLEAN, 13 January 1982 [Public domain], via Wikimedia Commons
緒戦は勝利を重ねた日本軍でしたが、翌1942年6月のミッドウェイ海戦(Battle of Midway)では手痛い敗北を喫します。アメリカ軍は同8月から1943年2月まで続いたガダルカナル島の戦い(Battle of Guadalcanal)で本格的な反抗を開始、その年の後半から日本軍は次第に劣勢に追い込まれます。
同11月に南太平洋のマキン島とタラワ島で日本軍守備隊が玉砕します。玉砕とは全滅のことです。
翌1944年6月にはアメリカ軍がマリアナ諸島へ侵攻。同7月、サイパン島の日本軍守備隊3万人は玉砕。多くの民間人も犠牲となります。続いて8月にはテニアン島とグアム島が占領されます。
そして同年10月、アメリカ軍はついにフィリピンへ逆侵攻します。
南西太平洋方面の最高司令官だったマッカーサーもレイテ島に上陸します。
そしてマッカーサーは言うのです。
“I have returned.”
「私は戻ってきた。」

レイテ島に上陸するマッカーサー
By U.S. Army Signal Corps officer Gaetano Faillace [1], October 1944 [Public domain], via Wikimedia Commons
戦艦「大和」や「武蔵」など日本海軍の残存戦力をつぎ込んで米上陸部隊の輸送船団撃滅をはかったレイテ沖海戦も、アメリカ側の勝利に終わります。この戦闘以降、日本海軍は組織的な攻撃力を失います。
日本海軍は零戦が250キロ爆弾を抱いて敵艦に体当たりする神風特攻隊まで出撃させて抵抗します。しかし圧倒的な戦力のアメリカ軍の勢いを食い止めることができません。
日本陸軍の司令官山下奉文大将は、マニラの無防備都市宣言をして山野での持久戦を図ろうとします。しかし大本営や海軍陸戦隊の反対もあり無防備都市は実現せず、マニラの街は激しい砲爆撃で廃墟と化してしまいます。
1945年6月にフィリピンの日本軍の主力部隊は壊滅します。しかし残存兵力がジャングルを彷徨いながら散発的な戦闘を続け、戦いは8月15日の終戦まで続きます。
日本軍の死傷者数は実に35万人近くにものぼりました。

砲爆撃で廃墟と化したマニラ
Photo by Unknown, May 1945 [Public domain], via Wikimedia Commons
戦後、8月30日にマッカーサーは専用機「バターン号」で神奈川の厚木飛行場へ到着します。
一時的に横浜の「ホテルニューグランド」に滞在した後に東京に入り、マッカーサーは連合国軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers, 略称 SCAP)として日本占領に当たります。
総司令部は接収した皇居前の第一生命ビルに置かれ、GHQ(General Headquarters)と呼ばれます。

厚木飛行場に着陸した「バターン号」とマッカーサー一行
By Army Signal Corps, 30 August 1945 [Public domain], via Wikimedia Commons
マッカーサーは日本史上かつてないほどの最高権力を手にして、占領下の日本(Occupied Japan)に君臨します。
難しいと思われた占領政策もうまくいきます。マッカーサーが軍人だけでなく政治家としても優れていた証拠です。
日本占領時代のエピソードは、本日(7月27日)公開される映画『終戦のエンペラー』(2013年アメリカ・日本)によく描かれています。
僕はまだ原作を読んだだけですが、映画ではどのように描かれているか、見るのが楽しみです。
【動画】“Emperor Official Trailer #1 (2013) - Tommy Lee Jones, Matthew Fox Movie HD (終戦のエンペラー公式予告編 #1 (2013) - トミー・リー・ジョーンズ, マシュー・フォックス 映画 HD)”, by MOVIECLIPS Trailers, YouTube, 2013/01/17
1950年には朝鮮戦争が勃発します。マッカーサーは国連軍総司令官として戦争を指揮します。
しかしハリー・トルーマン大統領(Harry S. Truman, 1884-1972)と方針が食い違い、マッカーサーは1951年4月11日に突然解任され、戦地からアメリカへ呼び戻されます。
東京に立ち寄ってから帰国したマッカーサーは、4月19日にワシントンD.C.の上下院の合同会議で、
“Old soldiers never die; they just fade away.”と演説しました。この言葉もとても有名ですね。
「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。」

退任演説を行うマッカーサー
By Unknown, 25 April 1951 [Public domain], via Wikimedia Commons
【動画】“Douglas MacArthur Tribute - Old Soldiers Never Die (1951), Herb Jeffries, vocalist”, by bsgs98, YouTube, Jun 29, 2009
“I shall return.”
私は必ず帰ってくる。
“I have returned.”
私は帰ってきた。
マッカーサーの功績は偉大です。近代以降の軍人としては稀有と言ってもいいでしょう。
すべてはその強い意志の賜物なのかもしれません。

マニラ(Manila)の副都心マカティ市(Makati)
By Stalmannen at en.wikipedia, 25 October 2005 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) or GFDL http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)], via Wikimedia Commons
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

アメリカ軍がフィリピン人に配布したタバコ
“I shall return”の文字とマッカーサーのサインが入っている
Tropenmuseum, part of the National Museum of World Cultures [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
【関連記事】第36回:“I'll be back.”―「また戻る」(アーノルド・シュワルツェネッガー), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年06月09日
【参考】Wikipedia(日本語版、英語版)
【動画】“Original Pearl Harbor News Footage (真珠湾ニュース映像(オリジナル))”, by The Atlantic, YouTube, 2017/12/07
【動画】“General Douglas MacArthur speech to Australian leaders after return to Philippines - stock footage (ダグラス・マッカーサー将軍がオーストラリアの指導者たちに向けたスピーチ、フィリピン奪還後)”, by PublicDomainFootage, YouTube, 2013/02/03
【動画】“Emperor Official Trailer #1 (2013) - Tommy Lee Jones, Matthew Fox Movie HD (終戦のエンペラー公式予告編 #1 (2013) - トミー・リー・ジョーンズ, マシュー・フォックス 映画 HD)”, by MOVIECLIPS Trailers, YouTube, 2013/01/17
【動画】“Douglas MacArthur Tribute - Old Soldiers Never Die (1951), Herb Jeffries, vocalist”, by bsgs98, YouTube, Jun 29, 2009
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