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2018年10月07日

第517回:“You can't keep a free soul in a cage.” ―「自由な心をかごで飼うことはできない」(ヴィクトル・ベレンコ)

こんにちは! ジム佐伯です。

英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。


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Image Copyright by Александр Борисович, Used under license from Links Co., Ltd.


第517回の今日はこの言葉です。

“You can't keep a free soul in a cage.”

「自由な心をかごで飼うことはできない」

「自由な心をかごに閉じ込めることはできない」

という意味です。

これはかつてのソビエト連邦(ソ連)の防空軍の戦闘機パイロットだったヴィクトル・ベレンコ(Viktor Belenko, 1947-)の言葉です。1996年(平成8年)に雑誌のインタビューに応えて語った言葉です。

ベレンコは米ソの冷戦が熾烈だった1976年(昭和51年)、ソ連からアメリカに亡命するために当時最新鋭の戦闘機ミグ25 (MiG-25)に乗って日本領空に侵入し、函館空港に強行着陸した人物です。当時の階級は中尉でしたので、日本では「ベレンコ中尉」として知られています。


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ヴィクトル・ベレンコ

(ソ連防空軍の身分証明書写真、CIA博物館提供)

By CIA photo [Public domain], via Wikimedia Commons


1947年、ヴィクトル・ベレンコはソビエト連邦(今のロシア)の南西部にあるナリチク(Nalchik)という街に生まれます。父親は陸軍の軍曹で、第二次世界大戦時にはパルチザンとして活躍したこともあった人物です。ヴィクトルが2歳の時に両親が離婚し、ヴィクトルは父親に引き取られてシベリアへ移住します。その後父親は2児をもつ女性と再婚しますが、ヴィクトルは自分だけ粗末な食事を与えられるなど継母から陰湿ないじめを受けます。ヴィクトルは家庭で安らぎを得ることに絶望し、勉学と運動に励んで優秀な頭脳と強靭な肉体を身につけます。

中学時代に航空クラブに所属したベレンコは、兵役招集後にアルマヴィル(Armavir)の高等軍事航空飛行士学校に入校し、ミグ19(MiG-19)ミグ21(MiG-21)などの超音速ジェット戦闘機の操縦に習熟します。


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ミグ19(2010年撮影)

By English: Pavel AdzhigildaevРусский: Павел Аджигильдяев [CC BY-SA 3.0 or GFDL 1.2], via Wikimedia Commons


ベレンコはスタヴロポリ(Stavropol)にある空軍の高等軍事航空飛行士・航法士学校の教官となりますが、やがて軍内部の堕落と不正の横行に我慢できなくなります。ベレンコはその現状を上官に訴え、第一線部隊への転属を上官に願い出ます。しかし上官は軍の惨状が外部に漏れることを恐れ、ベレンコを軍規違反で拘束して独房へ送ります。飛行士学校といえば軍のトップエリート集団ですが、まったくひどい話です。当時のソ連軍はそれほど腐敗しきっていたのです。


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ミグ21(1985年頃撮影)

By United States Government, Secretary of the Army (Somalia: A Country Study) [Public domain], via Wikimedia Commons


その後ベレンコは同情的な軍医のはからいで拘禁を解かれます。腐敗した組織の中にも良識人はいたのです。しかし配属されたのは極東の沿海州(Primorskaya Oblast)にあるチュグエフカ空軍基地(Chuguyevka Air Base)。ベレンコがかつて希望した通りの最前線ですが、実質は中央から遠く離れた島流し的な配属です。ベレンコは防空軍第513戦闘航空連隊に所属となりますが、その間に再教育センターでの教育を受けさせられたり、ソ連共産党に入党させられたりします。生活環境は劣悪で、軍の内部では相変わらず不正が横行しています。家庭では家事をほとんどしない浪費家の妻との不和が重なり、妻の方から離婚を求められます。ベレンコは祖国の生活に見切りをつけてアメリカへの亡命を真剣に考えるようになります。ベレンコが29歳の時のことです。




1976年9月6日の日本時間12時50分、ベレンコはミグ25に乗って飛行訓練に出発します。そして綿密に計画していた通り、ベレンコは演習空域に向かう途中で突然コースを外れて高度5000メートルから急降下し、墜落を装って高速で編隊を離脱します。ベレンコは高度50メートルの低空飛行でソ連のレーダー網をかいくぐり、日本海に出て高度8500メートルまで上昇し、日本海を一直線に横切って日本を目指します。

ミグ25は当時の最新鋭の超音速ジェット戦闘機で、NATO軍からは「フォックスバット(Foxbat)」というコードネームで呼ばれています。1967年のモスクワの航空ショーで突如上空を通過して西側の航空専門家に大きな衝撃を与えたミグ25は史上初のマッハ3級の実用戦闘機と呼ばれ、その詳細な性能は依然として謎に包まれ「幻の戦闘機」と呼ばれる、ソ連でも最高機密の戦闘機です。


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ミグ25(1982年撮影)

By U.S. Air Force [Public domain], via Wikimedia Commons


一方の日本側は、13時11分に北海道奥尻島のレーダーサイトが高度6000メートルをマッハ2を超える高速で接近する識別不明機をとらえます。9分後の13時20分、航空自衛隊の千歳基地からF-4EJ「ファントムU(Phantom II)」戦闘機が2機緊急発進(スクランブル)します。

ベレンコの乗機はさらに高度を下げて東進を続けたため、奥尻レーダーサイトは領空侵犯しないようにと無線で警告しますが、ベレンコ機はさらに飛行を続け13時22分30秒に日本の領空を侵犯します。同機はその後針路を南方に変え、さらに高度を下げたため13時26分頃にすべてのレーダーサイトのレーダーから機影が消滅します。


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稚内にある航空自衛隊のレーダーサイト(2006年撮影)

By 100yen 03:34, 28 October 2006 (UTC) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY-SA 2.5], from Wikimedia Commons


スクランブル発進したF-4EJはベレンコ機に接近して13時25分頃に機上レーダーでとらえますが、30秒後に機上レーダーからも機影が消滅します。F-4は戦闘機として初めて水平線より下を捜索できるルックダウン能力(Look-down capacity)を持つレーダーを備えています。しかし当時のルックダウン能力は十分ではなく、地面や海面でのレーダー波の反射による擾乱でF-4EJはベレンコ機を再発見することができません。

レーダーサイトは同機が日本領空を侵犯しており直ちに退去すべきであるとロシア語と英語で繰り返し無線で呼びかけますが、反応がありません。13時35分頃にレーダーサイトは奥尻島東方海上にいる同機を一瞬とらえますが、すぐに機影は消滅します。


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F-4EJ「ファントムU」(1994年撮影)

By Rob Schleiffert (F-4EJ) [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons


ベレンコは、一部の機器のスイッチを切っていたため日本側の警告は知らず、レーダーに日本機の機影が映ることもなかったそうです。当初は千歳基地に向かう予定でしたが厚い雲に阻まれたため針路を南に変え、雲の下に出て飛行していたところ飛行場が見えたので機首を向けます。函館空港です。

函館空港の管制官から「函館上空を未確認の戦闘機が飛んでいる」との連絡を受けたF-4EJの2機は函館に向かいます。相手に見つかりにくいように2機の距離を数キロ離す戦闘行動隊形をとり、20ミリ機関砲を撃てる状態にします。


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編隊飛行をするF-4EJ(1978年撮影)

By Mike Daniels, U.S. Air Force [Public domain], via Wikimedia Commons


ベレンコは函館市街の上空を3度旋回した後、管制官に一切連絡をすることなく13時50分に函館空港に強行着陸します。ソ連の基地を離陸してからちょうど1時間後、日本の領空を侵犯してから約27分後、F-4EJが函館に向かった1分後のことです。

ベレンコ機は滑走路の中ほどに着陸したためブレーキが間に合わずオーバーランし、滑走路の先の芝生で停止します。前輪はパンクし、燃料はほとんど底をついています。識別不明機が函館空港に着陸したのを13時57分に確認したF-4EJは、千歳基地に帰投します。



函館空港に着陸したミグ25(1976年撮影)


ベレンコ着陸の直後、空港敷地内で工事をしていた現場監督と近隣の学校にいた航空マニアの学生が機体に近づいたため、ベレンコは拳銃を空に向けて威嚇射撃をします。空港内には緊張が走ります。着陸の20分後に北海道警察が空港に到着し、空港周辺を完全封鎖します。航空自衛隊の隊員も空港に到着しますが、空港に着陸した機体や乗員の対応は警察の管轄として、自衛隊員は北海道警によって捜査から締め出されます。ベレンコに対する取り調べは即日行われ、機体の正体やベレンコの亡命の意思が明らかになると世界中に衝撃が走ります。

東西の対話が始まりつつあったとはいえ、当時は冷戦のまっただ中で、しかもミグ25はソ連軍の最高機密でソ連の軍事的脅威の最大のシンボルとされていた存在だったからです。



ミグ25を調べる北海道警の捜査員(1976年撮影)


ソ連政府は、ベレンコの身柄とミグ25の機体の即時引き渡しを強く要求します。

「ソ連の特殊部隊が機体を奪還もしくは破壊しに来る」

「ソ連の爆撃機が機体を爆撃しに来る」

などの噂が広がり、国内外に緊張が走ります。航空自衛隊の千歳基地は迎撃態勢を整え、函館に駐屯している陸上自衛隊は密かに戦車や高射砲の準備をしてソ連軍の来襲に備えます。

また、ニュースを聞きつけた大勢の市民が見物に押し掛け、100人以上の報道陣が殺到するなど空港周辺は大混乱となります。ミグ25の機体はシートで覆われ、24時間体制で警備されます。また翌日には機体を周囲の目から隠す仮設の格納庫が急造されます。

ベレンコは着陸の当日に北海道警の事情聴取でアメリカ亡命の意思を明確にします。そして翌7日ベレンコは極秘裏に北海道警のヘリコプターで函館から千歳基地へ運ばれ、自衛隊機で埼玉県の入間基地を経由して東京へ移送されます。さらに翌日の9月8日にアメリカは亡命受け入れを表明。9月9日にはソ連大使館員がベレンコに面会して説得しますがベレンコの意思は変わらず、同日に羽田の東京国際空港からベレンコはノースウエスト航空の定期便でアメリカへ向かいます。



シートをかけられたミグ25(1976年撮影)


ソ連政府からの即時返還要求は出ていましたが、日本は機体検査を行った後に返還する方針を決定します。安全確認、事件の背景や事実関係の確認、特にわが国の安全を侵害する事実がなかったかを調査するためです。これは国際法にも外交慣例にも合致する行為です。

防衛庁は米軍に要請して技術要員と器材の協力を受け、ミグ25の主翼と垂直尾翼などを取り外すなど最小限の解体を行った上で、アメリカ空軍の大型輸送機C-5A「ギャラクシー」に積み込みます。翼を取り外されて胴体だけとなったミグ25の機体には、日本語で

「函館の皆さんさようなら 大変ご迷惑をかけました。」

という横断幕が張られています。自衛隊員の発案によるものです。

C-5Aは飛び立って茨城県の百里基地(今の茨城空港)に向かい、自衛隊のF-4EJが万一に備え護衛します。

その後ミグ25はネジの1本まで徹底的に調査された後、11月15日に茨城県の日立港からソ連の貨物船に積み込まれ、ソ連に返還されます。

これが「ベレンコ中尉亡命事件」、あるいは「ミグ25事件」です。


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軍用トラックを搭載したC-5A「ギャラクシー」

(湾岸戦争(1990-91年)時に撮影)

By Unknown author [Public domain], via Wikimedia Commons


この事件で、日本の航空自衛隊の防衛網に致命的な弱点があることが露呈してしまいます。超低空で侵入する航空機をレーダーサイトで捕捉できないどころか、迎撃戦闘機も低空侵入機を捕捉できないことがわかったからです。日本政府は巨大で強力なレーダーを装備する早期警戒機E-2C「ホークアイ(Hawkeye)」の導入を決定します。またレーダーサイトのレーダーの性能強化や、ルックダウン能力の優れた要撃機の導入も検討を強化されます。

またソ連側は最高機密だったミグ25の性能が西側に晒されただけでなく、ベレンコが行った低空侵入飛行が自国に対して行われる場合の対策が必要となります。そもそも当時の領空防衛は高高度・高速度の敵機侵入への対応を前提としたもので、ミグ25の性能もそれに最適化したものでした。しかし超低空の敵機侵入に対するミグ25の対処能力はF-4EJよりもさらに劣るもので、それをベレンコのミグ25自身が明らかにするという皮肉な結果となります。


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E-2C「ホークアイ」(2009年撮影)

By Petty Officer 3rd Class Jonathan Snyder, USN [Public domain], via Wikimedia Commons


アメリカへ亡命したベレンコは、身の安全を確保するためしばらくの間は名前と住所を頻繁に変える暮らしを続けます。

亡命から7年後の1983年(昭和58年)、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港からアンカレッジ経由で韓国ソウル郊外の金浦キンポ空港に向かっていた大韓航空007便が航路を逸脱してソ連の領空を侵犯し、ソ連防空軍の戦闘機に撃墜される事件が発生します。「大韓航空機撃墜事件」です。ベレンコは所用でアメリカ国外にいましたが急遽呼び戻され、大韓航空機を撃墜した戦闘機パイロットの会話の分析や暗号の解読に当たります。


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大韓航空007便の同型機(1981年撮影)

By Ted Quackenbush [GFDL 1.2], via Wikimedia Commons


最高機密だったミグ25は、ソ連に返還される前に日米合同で徹底的に調査されます。

チタン合金製だと思われていた機体にはニッケル鋼が多く使われており、マッハ3を超えると思われていた最高速度はマッハ2.83程度と推定されます。電子回路は真空管が多用されているローテクなものです。しかしこれは逆に核爆発の電磁パルスにも耐える信頼性を重視したものと解釈されます。ミグ25は全面核戦争後にも活動できる唯一の新鋭戦闘機なのです。またレーダーの出力は600ワットと非常に大きく、相手の妨害電波を受けても探知能力を失いません。ちなみにF-4EJのレーダーの出力は200ワットに満たないものです。このように、ミグ25は革新性よりも信頼性に重点を置いた堅実な設計であることが明らかになります。

ソ連軍もミグ25のレーダー能力や電子装置の特徴や弱点を西側に知られてしまったため、レーダーと電子装置を新開発のものにすべて交換して最新式の標的発見システムと追尾装置を装備し、「ミグ25PD」と名づけます。またその一方で、事件で注目されたことがいい宣伝となった上に、もはや最高機密ではなくなったことが逆に幸いし、中東諸国などに機能制限なしのフルスペック版を輸出できるようになります。

その後も世界では数多くの戦闘機が開発されましたが、ミグ25は今でも人類史上最速の戦闘機の座を守り続けています。


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リビア空軍のミグ25(1985年撮影)

By U.S. Navy photo [Public domain], via Wikimedia Commons


ベレンコの亡命事件を受けて、この事件から着想を得たフィクション作品が相次いで発表されます。

イギリスの作家クレイグ・トーマス(Craig Thomas)『ファイアフォックス(Firefox)』(1977年)という冒険小説を一気に書き上げ、事件の翌年に発表します。ソ連に潜入したアメリカ人パイロットが最新鋭戦闘機ミグ31(MiG-31)「ファイヤーフォックス」を盗み出してアメリカへ機体ごと脱出することを目指すというストーリーです。クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)主演で映画『ファイヤーフォックス(Firefox)』(1982年アメリカ)も作られ、ヒットとなります。冷戦時代の重苦しい雰囲気の中に激しいアクションと軽いユーモアがちりばめられたとても面白い映画です。





なお、実在したソ連軍のミグ31という戦闘機は「ファイヤーフォックス」ではなく「フォックスハウンド(Foxhound)」というNATOコードネームで呼ばれていました。これは映画のファイヤーフォックスのようにロシア語の思考を脳波で読み取って操縦したり後方にミサイルを発射できたりはしませんが、ミグ25の弱点だった低空侵入する航空機やミサイルにも対応できる、高度に電子化された優れた迎撃戦闘機です。


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ミグ31「フォックスハウンド」(1988年撮影)

U.S. Air Force [Public domain], via Wikimedia Commons


また、アメリカの作家トム・クランシー(Tom Clancy)のデビュー作『レッド・オクトーバーを追え!(The Hunt for Red October)』(1984年)はソ連の最新鋭の原子力潜水艦「レッド・オクトーバー」の艦長が潜水艦ごとアメリカへの亡命をはかる話です。ベレンコはトム・クランシーが本作を執筆した際に助言を与えています。最新鋭の兵器ごと亡命するというシチュエーションがそっくりだからです。

この作品は小説も抜群に面白いですが、ショーン・コネリー(Sean Connery)がレッド・オクトーバーの艦長を演じた同名映画(1990年アメリカ)も素晴らしいです。公開直前の1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、公開翌年の1991年12月にソ連が崩壊するなど、世の中の動きを考えても絶妙な時期での映画化です。





“You can't keep a free soul in a cage.”

自由な心をかごで飼うことはできない。


東西冷戦が激しかった時代に祖国を捨て、自由を求めて飛び立ったベレンコ。

海面すれすれを超低空で飛行するというそれまで誰も考えなかった方法でレーダー網をかいくぐり、なんと日本へ着陸しました。

ベレンコによって米ソも日本もレーダー防衛や航空迎撃の思想を根本的に見直さなければいけなくなりました。

軍事アクション映画やポリティカル・サスペンス小説などにも大きな影響を与えました。

まさに「事実は小説よりも奇なり」です。

ベレンコは亡命後アメリカ人女性と結婚し子供もできましたが、その後離婚しました。

テストパイロットなどを務めた後、現在は航空イベント会社のコンサルタントをしています。


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Image Copyright by Arno Jenkins, Used under license from Links Co., Ltd.


それでは今日はこのへんで。

またお会いしましょう! ジム佐伯でした。



【動画】“ミグ25函館空港強行着陸”, by 北の大地, YouTube, 2013/12/02








【参考】Wikipedia(日本語版英語版

【参考】“Viktor BELENKO (ヴィクトル・ベレンコ)”, Full Context, Vol. 9, No. 3 (November 1996) (archived)

【参考】“ミグ25事件”, 防衛白書(昭和52年), 1977年

【参考】“BY FOXBAT TO FREEDOM (フォックスバットで自由を求め)”, by HW, FLIGHT STORIES, Historic Wings, 06 SEP 2012


【参考】“ソ連戦闘機ミグ25事件  函館をゆるがした19日間”, 函館市史 デジタル版, 通説編第4巻 第7編 市民生活の諸相, 第3章 転換期をむかえて, コラム53

【参考】“「ミグ25」の6つのおもしろい事実”, by エカチェリーナ・トゥルィシェワ, ロシア・ビヨンド, 2014年3月15日


【参考】“ソ連中尉の日本亡命でMiGに恩恵”, by ラケーシュ・クリシュナン・シンハ, ロシア・ビヨンド, 2016年9月29日

【参考】“1976年 ソ連のミグ25戦闘機強行着陸”, あなたと選ぶ北海道重大ニュース【「あの時」北海道】, 朝日新聞デジタル, 2017年06月28日

【参考】“MiG-25函館へ! 冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは”, by 竹内 修(軍事ジャーナリスト), 乗りものニュース, 2018.09.06




【動画】“ミグ25函館空港強行着陸”, by 北の大地, YouTube, 2013/12/02




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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(3) | 戦争と平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
のざわさん、こんにちは。ジム佐伯です。コメントありがとうございます。冷戦当時のソ連軍人にはまったく自由がなかったようですね。また軍事機密を守るため、西側諸国からビジネスや観光でソ連を訪問する旅行者にも監視がつき、自由に行動できなかったそうですね。今から思えば信じられない話ですが、1990年のベルリンの壁崩壊や1991年のソ連崩壊の前までそうだったのですからそんなに昔でもないですね。コメントとても励みになります。これからもよろしくお願い致します。
Posted by ジム佐伯 at 2018年10月13日 07:26
コメントの訂正です。『Navn ukendt』は1965年でした。ですから、ミグ事件の11年前の本なので、逆にフィン・セーボーの方が先でした。いずれにしても東西冷戦時代戦闘機の開発が東西の一大関心事であったことでしょう。失礼しました。
Posted by のざわ at 2018年10月07日 09:39
ジム佐伯様、今回も大変興味深い記事を読ませていただきありがとうございます。ベレンコは私と同世代であること、東西冷戦の最中の事件であったことなどとても興味を引きました。私の愛するデンマーク人作家フィン・セーボーの長編小説『姓名不詳』(Naun ukendt1966)で東西冷戦時代を描いた小説をわりと最近読みました。
anti-anti rocketの実験場の様子、時速5000キロで跳ぶ最新ジェット機、その飛行機が墜落してただ一人助かった男が監獄で看守と立場を入れ替わり、看守はソビエトのスパイとしてアメリカに渡り…とベレンコ事件も下敷きにしたような作品です。ジムさんのご紹介のようにアメリカ映画も作られたようですね。ベレンコはソビエトの腐敗を目にしてついにはアメリカへの亡命を希望して、危険な行動をとったこと、超低空飛行という度肝を抜く飛行で見事にレーダーを逃れたことなど、スリル満点の実話として読ませていただきました。
Posted by のざわ at 2018年10月07日 09:29
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