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2018年01月08日

第489回:“You need all three of us.” ―「我々3人の同意が必要です」(ヴァシリ・アルキポフ)

こんにちは! ジム佐伯です。

英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。




第489回の今日はこの言葉です。

“You need all three of us.”

「我々3人の同意が必要です」

という意味です。これはかつてのソ連海軍の軍人だったヴァシリ・アルキポフ(Vasili Arkhipov, 1926-1998)の言葉です。

アルキポフはかつて世界がもっとも核戦争に近づいたとされる1962年のキューバ危機(Cuban Missile Crisis)で核戦争を阻止した人物と言われています。「世界を救った男(The man who saved the world)」とも呼ばれています。


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ヴァシリ・アルキポフ(1960年撮影)

By National Geographic [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons


旧ソ連の「世界を救った男」として、前々回の記事でスタニスラフ・ペトロフ(Stanislav Petrov)をご紹介しました。1983年、ペトロフはアメリカからソ連へ発射された核ミサイルを検出したという警報を受けた時、直観的に誤報であると判断します。もし規定通りに核攻撃を検知したと上部に報告していたら、報復としてソ連からアメリカへ多数の核ミサイルが発射され、さらにアメリカからも核ミサイルで反撃があり、全面核戦争となって世界は滅びていたことでしょう。しかしペトロフは冷静かつ論理的に誤報であると判断して、人類を滅亡から救ったのです。



ヴァシリ・アルキポフが「世界を救った」とされているのはそれからさらに20年以上前のことです。アルキポフはいったいどのようにして世界を救ったのでしょうか。


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スタニスラフ・ペトロフ(2016年撮影)

By Queery-54 (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons


1926年、ヴァシリ・アルキポフはモスクワの東の郊外のスタラヤ・クパヴナ(Staraya Kupavna)という町の農家に生まれます。太平洋高等海軍学校で教育を受け、ソ連海軍へ入隊します。1945年8月にソ連が対日参戦した時、アルキポフは掃海艇に乗艦して従軍します。その後カスピ高等海軍学校に転籍し、1947年に卒業します。

卒業後、アルキポフは潜水艦搭乗員として黒海艦隊(Black Sea Fleet)北方艦隊(Northern Fleet)バルチック艦隊(Baltic Fleet)などに配属されます。

1961年、アルキポフは北方艦隊のK-19という最新鋭の原子力潜水艦の副艦長に就任します。35歳の時のことです。K-19はNATO(北大西洋条約機構、North America treaty Organization)のコードネームで「ホテルI級(Hotel-I type)」と呼ばれる原潜です。ソ連の原潜としては初めて「SLBM」と略される潜水艦発射弾道ミサイル(Submarine-Launched Ballistic Missile)を搭載しています。


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K-19(1972年撮影)

By US Navy employee on duty (Norman Polamar Cold War Submarines.) [Public domain], via Wikimedia Commons


1961年7月、K-19の新しい乗組員は艦長のニコライ・ザテエフ(Nikolai Zateyev)大佐の指揮のもとグリーンランド南東海岸沖で訓練を行います。この時、K-19の原子炉冷却システムに異常が発生し、深刻な冷却水漏れ事故が起こります。そしてさらにいくつかの故障が重なり、K-19はモスクワへの連絡手段を失い、救援の要請もできなくなります。

アルキポフはザテエフ艦長と共に懸命に指揮をとってパニックを防ぎ、炉心溶融メルトダウンを食い止めようと9名の修理班が決死の修理を続けます。その結果、修理班は代替の冷却手段を作り上げてメルトダウンの阻止に成功します。そしてK-19は友軍のディーゼル潜水艦によって伝動装置の音を捕捉されてランデヴーします。乗員たちは収容されてK-19は母港へ曳航されます。


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ニコライ・ザテエフ



しかしアルキポフを含む乗員全員がこの事故で被曝してしまいます。特に修理班9名のうち8名は致死量の10倍以上の放射線を浴びたこともあり、一週間以内に亡くなります。

事故後、ザテエフ艦長とアルキポフを含むK-19の乗組員は事故についての一切を話さないことをソ連政府から誓わされます。この事実が明らかになったのはソ連崩壊の後のことです。

この事件の様子は映画『K-19』(2002年アメリカ・イギリス・ドイツ・カナダ)にも描かれています。映画では、役名は違いますがK-19の艦長をハリソン・フォード(Harrison Ford)が、副艦長をリーアム・ニーソン(Liam Neeson)がそれぞれ演じています。



【動画】“K-19: The Widowmaker - Trailer (『K-19』- 予告編)”, by YouTube ムービー, YouTube, 2012/05/16


このK-19の事故から生還しただけでもアルキポフは英雄です。しかしその翌年、アルキポフはさらなる試練に見舞われます。キューバ危機(Cuba Missile Crisis)です。

時に1962年10月、アメリカ空軍のU-2偵察機がキューバのミサイル基地を発見します。アメリカ本土を射程とする核ミサイルをソ連が秘密裏に配備していたのです。アメリカはキューバの海上封鎖を宣言し、海軍の艦艇180隻をカリブ海に動員します。ソ連側は「封鎖を無視する」と宣言し、緊張が高まります。結局ソ連の貨物船はすべて海上封鎖線ぎりぎりのところで引き返しますが、アメリカ軍は防衛レベルの「デフコン(Defcon : Defense Readiness Condition)」(平時はデフコン5)を「デフコン3」から準戦時体制の「デフコン2」に引き上げ、アメリカ国内の核ミサイルを発射体制に置き、核武装したB-52戦略爆撃機を空中で待機させます。


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ソ連の貨物船とアメリカ軍の哨戒機(1962年撮影)

By USN [Public domain], via Wikimedia Commons


この時、アルキポフはフォクストロット級(Foxtrot-class)の通常動力型潜水艦「B-59」に搭乗し、カリブ海をキューバへ向かっています。任務は僚艦3隻(「B-4」「B-36」「B-130」)と共にキューバへ向かう貨物船を護衛することです。中佐となっていたアルキポフは36歳。B-59の副艦長でもあり、僚艦を含む4隻からなる潜水艦小艦隊の司令でもあります。

しかしB-59は海上封鎖をしていたアメリカ海軍の空母ランドルフ(USS Randolph)と駆逐艦11隻からなる艦隊に捕捉されます。アメリカ軍はB-59を撃沈する意図はありませんでしたが、封鎖線を突破させずに強制浮上させようと演習用の信号爆雷を投下します。手榴弾ほどの威力の爆雷です。


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B-59の同型艦(1986年撮影)

By U.S. Navy [Public domain], via Wikimedia Commons


B-59の艦長バレンティン・サビツキー(Valentin Savitsky)はこれを本気の攻撃と受け取りパニックを起こします。攻撃を避けようと深く潜航したためモスクワと連絡が取れず、ラジオ放送も受信できないので状況をつかめません。サビツキーは米ソ間で戦争が起きたために爆雷攻撃を受けているのだと判断します。

この時のアメリカ軍も知らなかったのですが、この作戦でB-59とその僚艦は核魚雷を装備しており、攻撃を受けた場合には発射するようにとの口頭命令を受けています。小型ながら広島型原爆と同程度の威力を持つ魚雷です。

空調が故障してB-59の狭い艦内は35℃を超える暑さとなります。艦内酸素もバッテリーの残量もほとんどありません。米ソが開戦したのならば、このまま黙って撃沈される前に核魚雷で敵に少しでも多くの損害を与えるべきだとサビツキー艦長は判断します。


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広島に投下された原子爆弾によるキノコ雲(1945年撮影)

TNT火薬15キロトン換算の威力がある。

By Enola Gay Tail Gunner S/Sgt. George R. (Bob) Caron [Public domain], via Wikimedia Commons


ただ、ソ連軍の指揮系統は複雑で、艦長の独断では核兵器は使用できません。政治将校(political officer)であるイワン・マスレニコフ(Ivan Maslennikov)の同意が必要です。
艦長と政治将校との対立による緊迫したドラマは、戦争映画ではおなじみですよね。
ただこの時は政治将校のマスレニコフも艦長と同じ意見で、攻撃に賛成します。通常はこれで攻撃が決定します。しかし、この時のB-59は副艦長であるヴァシリ・アルキポフの同意も必要とされています。アルキポフは潜水艦小艦隊の司令でもあり艦長と同格だったからです。

そして、アルキポフは攻撃に反対します。米ソが開戦したと判断するには時期尚早だと考えたからです。これによって、核魚雷は発射されずに終わります。攻撃するには三人での多数決ではなく、三人すべての同意が必要だからです。

B-59はアメリカ艦隊の中央に浮上して攻撃の意思がないことを示します。これはとても勇気ある行動です。一方アメリカ側も駆逐艦のデッキ上でジャズバンドが演奏をして、敵対意図がないことを示します。B-59の乗員はどれだけほっとしたことでしょう。
潜水艦隊はモスクワからの作戦中止命令を受けて海上封鎖線から退去し、ソ連へ帰投します。


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浮上したB-59(1962年撮影)

By U.S. Navy photographer (http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB75/#IV) [Public domain], via Wikimedia Commons


この瞬間が、過去に世界が核戦争に最も近づいた日とされており、「暗黒の土曜日(Black Saturday)」と呼ばれます。

しかし当時のアメリカ大統領のジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)とソ連書記長のニキータ・フルシチョフ(Nikita Khrushchev)はその後も粘り強く交渉を重ね、戦争は直前で回避されます。


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フルシチョフ書記長(左)とケネディ大統領(右)(キューバ危機前年の1961年撮影)

By work of the United States Federal Government (NARA's website) [Public domain], via Wikimedia Commons


ヴァシリ・アルキポフはその後も潜水艦勤務を続け、潜水艦戦隊司令となります。1975年には少将に昇進し、キーロフ海軍大学の学長となります。そして1980年に中将に昇進します。

退役後はスタラヤ・クパヴナで家族と共に暮らし、1998年に亡くなります。72歳でした。

37年前のK-19の放射能漏れ事故で被曝した影響だと言われています。

また、奇しくも事故当時のK-19の艦長ニコライ・ザテエフもアルキポフが死亡した9日後に亡くなります。彼も同じ72歳でした。

2006年、生き残っていたK-19のクルーは共同でノーベル平和賞に推薦されました。


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ヴァシリ・アルキポフ

By Source, Fair use, Link


“You need all three of us.”

我々3人の同意が必要です。


状況が見えない中で暗い海底に追い詰められ、空調が故障して電力も尽きかけた極限の状況で、艦長と政治将校の2人とも賛成している核攻撃に毅然と反対したヴァシリ・アルキポフ。

この事実は、2002年10月にキューバの首都ハバナで開催されたミサイル危機40周年の記念イベントまで広く知られることはありませんでした。

もしアルキポフが核攻撃に同意していたら、米軍の空母ランドルフや駆逐艦の数隻が蒸発し、甚大な被害を受けていたことでしょう。そして報復が報復を呼んで全面核戦争の第三次世界大戦が勃発していたことでしょう。

アルキポフは冷静な判断で世界を核戦争から救ったのです。





それでは今日はこのへんで。

またお会いしましょう! ジム佐伯でした。





【関連記事】第378回:“Bald-hairy” ―「つるふさの法則」(ロシアのジョーク), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年11月13日




【参考】Wikipedia(日本語版英語版

【参考】“The Man Who Saved the World (世界を救った男)”, by Robert Krulwich, National Geographic, October 23, 2012



【参考】“ArkhipovとB-59潜水艦”, 忘却からの帰還, 2015年05月04日


【動画】“K-19: The Widowmaker - Trailer (『K-19』- 予告編)”, by YouTube ムービー, YouTube, 2012/05/16



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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン ☔ | Comment(2) | 戦争と平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
のざわさん、こんにちは。ジム佐伯です。コメントありがとうございます。そしていつもブログをご覧になって頂きありがとうございます。ヴァシリ・アルキポフはK-19の放射能漏れ事故をよくぞ生き延びてくれたものです。ただあの事故がなければアルキポフはK-19に乗り続けていたことでしょう。B-59による核攻撃を防ぐために天が彼を導いたのかもしれませんね。コメントとても励みになります。これからもよろしくお願い致します。
Posted by ジム佐伯 at 2018年01月12日 07:21
ジム佐伯様、興味深い内容を読ませていただきありがとうございます。
ヴァシリ・アルキポフ、この人の名前を知り、これからは心にとどめておきたいと
思いました。You need all three of us.3人の同意が必要との言葉で、戦争が食い止められたという事実の重さに身震いするほどです。
1962年14歳の私は何も分からずにいましたし、70歳になろうとする今まで知りませんでした。
ジム様、これからも教えてください。
Posted by のざわ at 2018年01月08日 22:32
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