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2017年12月31日

第487回:“Nothing. I did nothing.” ―「私は何もしなかったのさ」(スタニスラフ・ペトロフ)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第487回の今日はこの言葉です。
“Nothing. I did nothing.”

「私は何もしなかったのさ」
という意味です。これは旧ソ連の軍人だったスタニスラフ・ペトロフ(Stanislav Petrov, 1939-2017)の言葉です。
あまり有名ではありませんが、「世界を救った男(The man who saved the world)」と呼ばれている人物です。この優しそうな男性がいったいどうやって世界を救ったのでしょうか。
実はスタニスラフ・ペトロフは、「何もしなかった」ことによって世界を救ったのです。

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スタニスラフ・ペトロフ(2016年撮影)
By Queery-54 (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

1939年、スタニスラフ・ペトロフはソ連極東のウラジオストク(Vladivostok)に生まれます。ちょうど第二次世界大戦(World War II, 1939-1945)が始まった直後です。父親は戦闘機パイロット、母親は看護婦をしています。ウクライナの中心都市キエフ(Kiev)にあったソ連空軍の高等無線技術工科大学に学んだペトロフは卒業後ソ連空軍に入隊します。そして最新の早期警戒システムを統括する組織に配属されます。冷戦当時のソ連の仮想敵であるアメリカを中心とする西側諸国の軍事同盟、NATOネイトー(北大西洋条約機構, North Atlantic Treaty Organization, 日本では「ナトー」と発音される)の弾道ミサイル攻撃をレーダーで察知するのが任務です。


若き日のスタニスラフ・ペトロフ

ペトロフが軍に入った頃にはベトナム戦争(Vietnam War)はまだ続いていましたが、米ソの対話による緊張緩和デタント(Détente)が始まり、核兵器の削減交渉も行われます。しかし1979年にソ連軍が突如アフガニスタンに侵攻し、東西対立は再び激化します。アメリカや日本を含む西側50ヶ国は抗議のため、1980年に開催されたモスクワオリンピックをボイコットします。
そして1981年にアメリカ大統領に就任したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)は対ソ強硬路線をとり、ソ連を「悪の帝国(Evil Empire)」と名指しして非難し、国防予算を大幅に増額します。

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ロナルド・レーガン大統領(1981年撮影)
U.S. federal government [Public domain], via Wikimedia Commons

1983年の1月、訪米中だった日本の中曽根康弘首相(Yasuhiro Nakasone)は防衛のコンセプトを訊ねられ、「ソ連軍のバックファイヤー爆撃機を侵入させないことが基本だ」と語ります。そして万一有事の際には日本列島を「浮沈空母(unsinkable aircraft carrier)」のように強力に防衛すると発言します。
そして1983年3月、レーガンは「戦略防衛構想(SDI: Strategic Defense Initiative)」を発表します。「スターウォーズ計画(Star Wars)」とも呼ばれ、核ミサイルを宇宙空間で迎撃するという構想です。ソ連はこれに反発し、アメリカを強く非難します。東西対立は激化し、緊張が高まります。

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訪米中の中曽根康弘首相(1983年撮影)
By Photo by Aic W. Firaneck [Public domain], via Wikimedia Commons

東西対立は単に言葉で非難し合っていただけではありません。
当時のヨーロッパには、核弾頭を搭載したソ連の中距離弾道ミサイル「SS-20」(NATO側の呼称)が何百と配備されています。SS-20の精度と威力を脅威に感じたNATO側は、1979年12月に「NATO二重決定(NATO Double-Track Decision)」と呼ばれる決定を下します。ソ連側に軍縮を呼びかける一方で、SS-20に対抗できる中距離弾道ミサイル「パーシングII(Pershing II)」を西ドイツなどに多数配備して圧力をかけるというものです。このミサイルは移動型台車から発射でき、東西冷戦の最前線である西ドイツから発射すれば4〜6分でソ連内陸部の目標に到達でき、ミサイルの地下サイロや指揮管制を行うシェルターを破壊できる核兵器を搭載しています。
ソ連側はこれにも強硬に反対しますが、パーシングIIの配備に向けた準備は着々と進められます。

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パーシングIIミサイル(1987年撮影)
By Frank Trevino; Department of Defense. American Forces Information Service. Defense Visual Information Center. [Public domain], via Wikimedia Commons

また1981年から1983年まで、NATO諸国の艦艇がノルウェー海やバルト海、黒海などでソ連領海に接近し、爆撃機や戦闘機や対潜哨戒機がソ連領空を掠めてぎりぎりのところで引き返すことを繰り返します。ソ連のレーダー能力や防衛出動態勢を探ると共に心理的なプレッシャーを与えるためです。
また1983年4月、アメリカ海軍は北太平洋でフリーテックス83(FLEETEX 83)という軍事演習を行います。航空母艦3隻を含む艦艇40隻と航空機300機を投入した史上最大規模の演習です。この時も米軍はソ連軍の反応を見るべくぎりぎりの挑発を繰り返します。空母艦載機が北方領土の択捉えとろふ島に仮想攻撃をしかけ、歯舞はぼまい群島の上空に侵入して対地攻撃訓練を行います。そして報復措置としてソ連軍機がアリューシャン列島の上空を通過します。米ソはまさに一触即発の状態となります。

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軍事演習フリーテックス83に参加するアメリカ空母(1983年)
左からコーラル・シー(USS Coral Sea)、ミッドウェー(USS Midway)、エンタープライズ(USS Enterprise)
By PH2 David B. Loveall, USN (U.S. DefenseImagery photo VIRIN: DN-ST-84-05318) [Public domain], via Wikimedia Commons

そんな中で、悲劇が起きます。
1983年9月1日、ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空007便(KAL007)のボーイング747が航路を逸脱してソ連領空を侵犯し、サハリン南部を通過した直後にソ連空軍の戦闘機に撃墜されたのです。この事件で乗員・乗客269人全員が死亡します。アメリカ国籍の乗客は62人、下院議員のラリー・マクドナルド(Larry McDonald)も含まれています。日本人も3歳の子供を含む28人が犠牲となります。

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大韓航空007便の同型機(1981年撮影)
By Ted Quackenbush [GFDL 1.2], via Wikimedia Commons

当初ソ連は関与を否定しますがアメリカ政府はソ連軍機が撃墜したと発表、日本の自衛隊が傍受したソ連軍機の交信音声を公表します。
翌日ソ連軍の参謀総長ニコライ・オガルコフ(Nikolai Ogarkov)が会見を行い、「領空侵犯機は航法灯を点灯していなかった」「正式な手順の警告に応答しなかった」「日本海方面に飛び去った」と発表します。しかし実際は007便の航法灯は点灯しており、十分な警告は行われなかったことが後に明らかになります。アメリカのレーガン大統領はソ連側を「うそつき(lier)」と批判。韓国大統領のチョン・ドゥファン(全斗煥, Chun Doo-hwan)や日本や西ドイツなど多くの西側諸国もソ連を非難します。

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会見を行うオガルコフ参謀総長
Central Intelligence Agency [Public domain], via Wikimedia Commons

その後ソ連は正式に撃墜を認めますが、「007便は民間機を装ったスパイ機であった」と発表し、西側諸国は強く反発します。後の詳細な調査とデータ分析でもスパイ行為の証拠はなく、航路逸脱の原因は航法ミスと管制ミスによるものだとされています。
国際連合の緊急安全保障理事会ではソ連への非難決議が上程されますが、常任理事国であるソ連が拒否権を行使したため否決されます。
アメリカはソ連の国営航空会社アエロフロートのアメリカ乗り入れを無期限停止し、パンアメリカン航空のソ連乗り入れも停止します。日本も日本航空とアエロフロートの相互乗り入れを2週間停止します。


【動画】“Korean Air Lines Flight 007 - Crash Animation (大韓航空007便 - 墜落アニメーション)”, by Aviation World, YouTube, 2017/10/17

ソ連の最高指導者は共産党書記長ユーリ・アンドロポフ(Yuri Andropov)でしたが、当時アンドロポフは持病の糖尿病が悪化し、撃墜事件が起きたまさに当日の政治局会議で司会をしたのを最後に公の場に出られない状態となります。
そんな中、ヨーロッパではNATO軍の動きが活発化します。11月に予定されていた軍事演習「エイブルアーチャー83(Able Archer 83)」の準備が進んでいたのです。この演習ではソ連への核攻撃のシミュレーションも予定されています。情報をつかんだソ連の情報機関KGBは、NATO側が演習を偽装して全面核攻撃を仕掛けてくるのではないかと警戒を強めます。

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ユーリ・アンドロポフ書記長(1983年撮影)
Published by the Embassy of the Union of Soviet Socialist Republics to the United States of America [Public domain], via Wikimedia Commons

そんな緊張した状況で、スタニスラフ・ペトロフも最前線での防衛任務を続けています。この時ペトロフは44歳。ソ連防空軍の中佐となっており、モスクワの南西に100キロほど離れたセルプコフ-15(Serpukhov-15)と呼ばれる1年前に完成したばかりの新しい基地に勤務して、人工衛星でNATO軍の弾道ミサイルを察知する早期警戒網を監視しています。

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アメリカ軍のICBM(大陸間弾道ミサイル)「タイタン2(Titan II)」(1960年代撮影)
By USAF [Public domain], via Wikimedia Commons

9月26日未明の0時46分、基地のコンピュータがアメリカからソ連に向けて飛来する1発のミサイルを検知します。ほぼ真夜中の基地に警報が鳴り響き、当直の士官たちに衝撃と緊張が走ります。もしアメリカからのミサイルによる核攻撃を察知した場合、ソ連はミサイルが着弾して被害を受ける前に大量の核ミサイルを発射して反撃することになっています。確実に反撃して相手に壊滅的な被害を与えることができる核戦力を持つことによって核攻撃を防ぐ「相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction)」という戦略です。その略称の通り「狂った(mad)」戦略ですが、これによって平和が保たれてきたことは確かです。

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アメリカ軍による核実験での核爆発(2005年撮影)
核兵器の破滅的な威力が相互確証破壊戦略を産んだ
By Federal Government of the United States [Public domain], via Wikimedia Commons

ペトロフの目の前のコンピュータはアメリカの核攻撃を示しています。とうとうアメリカが反撃を覚悟の上で先制攻撃をしかけてきたのでしょうか。ここでペトロフがミサイル攻撃を受けたと判断して上に報告したら、規定通りに何百という核ミサイルがアメリカに向けて発射されます。アメリカからはさらに報復として大量の核ミサイルがソ連に向けて発射されるでしょう。全面核戦争による第三次世界大戦が勃発し、放射能や核の冬による人類滅亡につながるかもしれません。
しかしここでペトロフは直観的に誤報ではないかと疑います。
その後コンピュータはさらに4発の発射を検知します。僕だったらここでアメリカが本当に攻撃してきたと判断してしまうかもしれません。
しかしペトロフは誤報である可能性が高いと判断して上官へは報告せず、ソ連の核ミサイルによる大規模報復攻撃は実行されずに終わります。

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ソ連軍の中距離弾道ミサイルSS-20(2011年撮影)
左が移動式発射台、右の円錐形の物体は弾頭を格納した再突入体(re-entry vehicles)
(SS-20一発に3個の再突入体が搭載される)
By Leonidl (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

結果的に、ペトロフの判断は間違っていませんでした。後の調査で明らかになったのですが、ノースダコタ州上空の高高度にあった雲に太陽光がかかって光り、人工衛星に検出されたのをコンピュータがミサイルだと誤認したのが原因でした。
ペトロフはなぜアメリカが攻撃してきたと思わなかったのでしょうか。アメリカのことを信じていたのでしょうか。それとも博愛主義者だったのでしょうか。いえいえ、そんなことではないようです。
後にペトロフは次のように語っています。
第一に、アメリカが反撃を覚悟で先制攻撃をしてくるのなら、わずか1発や5発ではなく、数百発や千発以上の飽和的な総攻撃となる筈です。
第二に、この早期警戒システムはまだ新しく、ペトロフはその探知能力を十分信頼するには至っていません。
第三に、本当にミサイル攻撃があったら1つの人工衛星だけでなく、ほかの衛星やレーダーにも追加の証拠が検知されるはずですが、それ以外の警報は一切ありません。
ペトロフはその3点から、極めて冷静かつ論理的に誤報だと判断したのです。

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アメリカ軍のICBM「ピースキーパー(Peacekeeper)」の発射実験で落下する再突入体の軌跡
(ピースキーパーは1発に10個の再突入体を搭載している)
By David James Paquin (attributed) The original uploader was Solipsist at English Wikipedia [Public domain], via Wikimedia Commons

しかしペトロフの行動は、ソ連軍の正式な手続きからは逸脱したものでした。もしこれが明らかになればソ連の早期警戒システムの致命的な欠陥が世界に知られ、ソ連は外交的にも面目を失います。そこでこの事件は軍事機密として極秘にされ、ペトロフは軍規違反と命令違反で告発されます。そしてペトロフは厳しい尋問を受けた後に、この事件の報告書の記載が不十分だったとして懲戒処分を受け、左遷されます。順調に出世してきたペトロフですが、ストレスで神経衰弱となって入院した後に早期退役し、がんを患った妻の看病にあたります。

Embed from Getty Images

スタニスラフ・ペトロフ(2004年撮影)
Photo by Scott Peterson / Contributor [Rights-managed], via Getty Images

この事件が明らかになったのはソ連が崩壊して冷戦が終結し、混乱がややおさまった1998年のことです。
この時ペトロフはモスクワの北東35キロのフリヤジノ(Fryazino)という町でわずかな年金を受けながらつつましい退役生活を送っていました。
全面核戦争をその判断で阻止した事実がメディアによって紹介され、ペトロフは有名人となります。
ペトロフは世界中の様々な団体から表彰され、テレビでもインタビューを受けます。

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ドイツのドレスデン賞を受賞するペトロフ(2013年撮影)
By Z thomas (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

しかしペトロフは特別なことは話しません。
“I am not a hero.”
「私は英雄などではありません」
“I was simply doing my job”
「私は自分の仕事をしただけです」
亡き妻がかつてペトロフに「あなたはいったい何をしたの?」と訊ねた時、ペトロフはこう答えたそうです。
“Nothing. I did nothing.”
「私は何もしなかったのさ」
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スタニスラフ・ペトロフ(2017年撮影)
By Queery-54 (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

“Nothing. I did nothing.”
私は何もしなかったのさ。

アメリカからのミサイル攻撃の警告を受けた極限の状況で、誤報の可能性が高いと判断して軍務規定に違反してまでも何もしなかったスタニスラフ・ペトロフ。
米ソの緊張が高まり一触即発の状態にあった東西冷戦のさなか、ここまで冷静な判断ができたのはすごいことだと思います。もしペトロフが軍規違反や上官の叱責を恐れて何も考えずに警告を上層部に報告していたら、全面核戦争で1983年に世界が滅亡していたかもしれません。
ペトロフは非常に冷静で論理的な判断をして、結果としてその判断は間違っていませんでした。
彼が冷静に「何もしなかった」ことが世界を救ったのです。
2017年5月、ペトロフは肺炎で亡くなりました。77歳でした。


【動画】“"The Man Who Saved The World"- Promo Trailer - Kevin Costner, Robert De Niro, Matt Damon (『世界を救った男』プロモーション予告編 - ケヴィン・コスナー、ロバート・デニーロ、マット・デイモン)”, by ichiban2592007, YouTube, 2012/09/11

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Soviet officer saves world from Armageddon - Cold War unknown facts (ソ連の将校がアルマゲドンから世界を救う - 冷戦の知られざる事実)”, by RT, YouTube, 2010/05/20

【関連記事】第131回:“Ask what you can do for your country.”―「君たちが国のために何ができるのかを問うて欲しい」(ケネディ大統領), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月24日
【関連記事】第282回:“It is 3 minutes to midnight.” ―「人類滅亡まであと3分」(世界終末時計), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年02月06日
【関連記事】第378回:“Bald-hairy” ―「つるふさの法則」(ロシアのジョーク), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年11月13日
【関連記事】第383回:“World War IV will be fought with sticks and stones.” ―「第4次世界大戦は石とこん棒で戦われるだろう」(アインシュタイン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年11月28日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Ex-Soviet officer honored for prudence (旧ソ連の士官が慎重な行動を顕彰される)”, USA Today, 5/21/2004
【参考】“The reluctant hero: How a Soviet officer single-handedly prevented WWIII (しぶしぶながらのヒーロー:いかにしてソ連の将校は単独で第三次世界大戦を防いだのか)”, Oleg Yegorov, SEP 19, 2017
【参考】“ソ連軍将校 ペトロフ氏 核戦争の危機を救ったとしてドレスデン賞”, ロシアの声, 2013.02.19
【参考】“「米国が核5発だけなんてありえない」“世界を救った男”、人知れず世を去る”, by 山川真智子, NewSphere, Sep 21 2017
【参考】“核戦争から世界を救った男 9月22日”, 【産経抄】, 2017.9.22
【参考】“第三次世界大戦を防いだ寡黙なヒーロー”, イミシン
【参考】“実は冷戦の時に世界が滅んでいた可能性があったというお話”, by イラストレーター 若松篤志, 飛行船世界 ブログ, 2017年10月01日
【参考】“1980年代の「戦争の恐怖(War Scare)」と米ソ関係の文書公開”, by Ys-Kさん, Intelligence News and Reports, May 18, 2013
【参考】“32年前の8月31日から9月1日にかけて大韓航空機がソ連の領空を侵犯、その直後に米ソ開戦の危機”, by Condor3333さん, 《櫻井ジャーナル》, 2015.08.29

【動画】“Korean Air Lines Flight 007 - Crash Animation (大韓航空007便 - 墜落アニメーション)”, by Aviation World, YouTube, 2017/10/17
【動画】“"The Man Who Saved The World"- Promo Trailer - Kevin Costner, Robert De Niro, Matt Damon (『世界を救った男』プロモーション予告編 - ケヴィン・コスナー、ロバート・デニーロ、マット・デイモン)”, by ichiban2592007, YouTube, 2012/09/11
【動画】“Soviet officer saves world from Armageddon - Cold War unknown facts (ソ連の将校がアルマゲドンから世界を救う - 冷戦の知られざる事実)”, by RT, YouTube, 2010/05/20

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン 🌁 | Comment(2) | 戦争と平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
のざわさん、こんにちは。ジム佐伯です。コメントありがとうございます。そしていつもブログをご覧になって頂きありがとうございます。僕も記事を書いていて今の北朝鮮情勢と似ていると思いました。一触即発の状態では何が起きるかわかりません。スタニスラフ・ペトロフのように冷静な判断ができる人が今も強く求められているのだと思います。コメントとても励みになります。今年もよろしくお願い致します。
Posted by ジム佐伯 at 2018年01月06日 03:40
ジム佐伯様、おはようございます。2017年最後の投稿を興味深く読ませていただきました。スタニスラフ・ペトロフは初耳でした。スタニスラフという名の音楽家がおられますね!ロシア人とすぐ気づきました。スタニスラフの判断が世界を救ったとの記事にとても衝撃を受けました。今年は北朝鮮の数度のミサイル発射を受け、アメリカ、日本、韓国、世界の制裁決議などなどが話題となりました。
状況はスタニスラフの1980年代ととても似ていると思います。余談ですが、私の好きなデンマーク人作家フィン・セーボーの長編小説「姓名不詳」(Finn Søeborg "Navn ukendt"1965)をデンマーク語で読んでいます。これは東西冷戦時代の様子を描いています。今読んでいる箇所はデンマークでの対対ミサイルの実験場面です。ミサイル打ち上げは失敗し、農家の牛小屋あたりに墜落して、牛が逃げ出して・・・と漫画のようなタッチで当時の政治を痛烈に皮肉る作品のようです。キューバ危機もありましたね。人類が生み出した核が地球を破滅させないように、平和がずっと続くように祈ります。
スタニスラフ「何もしなかった」いえいえ。すごいことをしてくださったのです。組織に負けない判断、直感、行動。私もそんな生き方を見習いたいと思いました。
素晴らしい情報をありがとうございました。
Posted by のざわ at 2017年12月31日 11:01
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