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2017年11月29日

第479回:“Kurosawa is the Beethoven of movie directors.” ―「黒澤はまるで映画監督のベートーヴェンだ」(シドニー・ルメット)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第479回の今日はこの言葉です。
“Kurosawa is the Beethoven of movie directors.”

「黒澤はまるで映画監督のベートーヴェンだ」
という意味です。“a Beethoven”と言った場合は数ある中の一人ということになりますが、“the Beethoven”と言っていますので、唯一無二のベートーヴェン的存在だということを示しています。
これはアメリカの映画監督シドニー・ルメット(Sidney Lumet, 1924-2011)の言葉です。ここでは挙げ切れませんが、『十二人の怒れる男(12 Angry Men)』(1954年アメリカ)や『セルピコ(Serpico)』(1973年アメリカ・イタリア)、『狼たちの午後(Dog Day Afternoon)』(1975年アメリカ)、『評決(The Verdict)』(1982年アメリカ)などの硬派な社会派作品の傑作を数多く手がけた監督です。

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シドニー・ルメット(2008年撮影)
gdcgraphics [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

この言葉には続きがあります。
“Kurosawa is the Beethoven of movie directors.
It's that recognizable full sound, that Beethoven had that is so unmistakable.”

「クロサワはまるで映画監督のベートーヴェンだ。
ベートーヴェンの音は誰だってすぐわかる。間違えっこない。それと同じさ」

これは映画監督の黒澤明(Akira Kurosawa, 1910-1998)を評した言葉です。同じ日本人だからかえってあまり意識しませんが、黒澤明はこのように世界中の映画関係者から尊敬される映画界の巨人なのです。

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黒澤明(1992年撮影)
Image by Kurita KAKU / Contributor [Rights-managed], via Getty Images

黒澤明の生涯とその作品については前回ご紹介しました。ダイナミックな映像表現とヒューマニズムに徹した作風で、『羅生門(Rashomon)』(1950年)、『生きる(Ikiru)』(1952年)、『七人の侍(Seven Samurai)』(1954年)など30本の映画を監督し、日本だけでなく海外でも高く評価されている映画作家です。
前回はずいぶん長くなってしまいましたが、無理もありません。黒澤の作品はその一本一本が語っても語り切れないほどの素晴らしい作品だからです。

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黒澤明(1992年撮影)
Image by Kurita KAKU / Contributor [Rights-managed], via Getty Images

しかし、僕は黒澤明の生涯の中で「こうあって欲しかった!」と強く思うことが3つあります。
歴史に「イフ(if)」はありませんが、もしこうなっていたらどれほど素晴らしかったかという「イフ」を書いてみたいと思います。
第一の「イフ」は「もし黒澤が『暴走機関車』を撮っていたら」です。
『暴走機関車(Runaway Train)』(1985年アメリカ)はソビエト連邦の監督アンドレイ・コンチャロフスキー(Andrei Konchalovsky)が監督したアメリカ映画です。凶悪犯が脱獄して乗り込んだ貨物列車の機関士が心臓発作で急死し、暴走する機関車を描いたパニック・サスペンスです。主演は『真夜中のカーボーイ(Midnight Cowboy)』(1969年アメリカ)でデビューして『帰郷(Coming Home)』(1978年アメリカ)でアカデミー主演男優賞を受賞した名優ジョン・ヴォイト(Jon Voight)。女優アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)のお父さんです。
この映画、黒澤明が書いた脚本を大幅に書き換えた脚本をもとに作られています。
実は、もともとこの映画は黒澤が監督してハリウッド映画として制作する予定だった作品なのです。


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1959年(昭和34年)、黒澤プロダクション(黒澤プロ)が設立されます。1950年台と言えば『羅生門』(1950年)、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)などが国内外で高く評価され、黒澤が乗りに乗っていた時代です。日本映画の黄金時代でもあります。しかし細部に徹底的にこだわる黒澤のこだわりのために製作期間が長期化して予定をオーバーすることが多くなり、その結果として製作費も膨大なものになっていきます。



1958年に公開された『隠し砦の三悪人(The Hidden Fortress)』はジョージ・ルーカス(George Lucas)が監督した『スター・ウォーズ(Star Wars)』(1977年アメリカ)の話の元になったほどの痛快な娯楽大作です。しかし予定を大幅に超過した撮影期間の影響で製作費も予算をオーバーし、キレた東宝が黒澤にも黒澤プロを設立させてリスクを負わせ、歯止めをかけようとします。



黒澤プロ設立後、黒澤は『用心棒(Yojimbo)』(1961年)、『椿三十郎(Sanjuro)』(1962年)、『天国と地獄(High and Low)』(1963年)を相次いで発表します。どれも映画史に残る大傑作で、僕はこの時期が映画監督としての黒澤の最盛期ではないかと思います。
1965年(昭和40年)、黒澤は『赤ひげ(Red Beard)』を発表します。江戸時代に幕府が作った小石川養生所の老医師「赤ひげ」を三船敏郎が演じたヒューマニズムに溢れる傑作です。斜陽になりつつあった日本映画を救うためにも黒澤が自らとスタッフの力をギリギリまで振り絞ろうという熱意を込めた渾身の一作で、興行的にも大成功し、国内外でも多くの賞を受賞します。
しかし脚本に2年、撮影に1年半をかけた製作期間は予定を大幅にオーバーして予算も超過。東宝との関係は悪化して専属契約を解除されます。黒澤が描く映画のスケールが日本の映画界の手に負えなくなってきたのです。黒澤は本格的にハリウッド進出を考えるようになります。黒澤が55歳の頃のことです。



実は黒澤は『赤ひげ』の制作中、1964年(昭和39年)の1月に雑誌「文芸春秋」に掲載されたアメリカ発のある記事に興味を持ちます。ニューヨーク・セントラル鉄道で4台連結のディーゼル機関車が機関士不在のまま時速145キロの猛スピードで1時間40分にわたって暴走を続けたという事件の記事です。子供の頃から機関車が大好きだった黒澤はこれを見て、次の題材はこれだと決意します。
黒澤は文芸春秋に記事を提供した雑誌「ライフ(LIFE)」を発行しているタイム・ライフ社(Time Life)の会長を通してハリウッドに独立系の映画会社を持つプロデューサー、ジョゼフ・レヴィン(Joseph Levine)と映画化の交渉をします。レヴィンもこの企画を気に入って20億円で製作することになり、人気俳優ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)ピーター・フォーク(Peter Falk)の出演も決まります。黒澤は2人の脚本家と共に脚本を書き上げますが、ハリウッド側と脚本や製作方針の食い違いで揉め、計画は撮影開始寸前で頓挫してしまいます。

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ジョゼフ・レヴィン(1975年撮影)
By Rob Mieremet / Anefo (Nationaal Archief), cropped by Jim Saeki in 2017 [CC BY-SA 3.0 nl], via Wikimedia Commons

結局『暴走機関車』はアンドレイ・コンチャロフスキーの監督で1985年に公開されます。決して駄作ではないのですが、正直あまり面白くありません。脚本は黒澤のものから大幅に変えられており、もはや別物と言ってよいでしょう。
もし予定通りにこれを黒澤が好きなように撮っていたらと思うと、残念でなりません。


【動画】“Runaway Train (Andrei Konchalovsky, 1985) - Theatrical Trailer (『暴走機関車』(アンドレイ・コンチャロフスキー、1985年) - 劇場版予告編)”, by ColdBishop, YouTube, 2009/01/19

『暴走機関車』の製作で揉めに揉めていた頃、黒澤のもとにさらに大きなオファーが舞い込みます。20世紀フォックス社(20th Century Fox)から日米合作映画『トラ・トラ・トラ!(Tora! Tora! Tora!)』の日本側パートの監督を依頼されたのです。
これが第二の「イフ」、「もし黒澤が『トラ・トラ・トラ!』を撮っていたら」です。
日本海軍の空母艦載機による真珠湾攻撃を描く超大作の企画に、黒澤が飛びつかないわけがありません。黒澤はたちまちこの企画に夢中になります。黒澤は膨大な資料を収集して脚本を完成させ、福岡県の海岸には空母「赤城(Akagi)」と戦艦「長門(Nagato)」の実物大模型が作られます。
1968年(昭和43年)の12月2日、いよいよ京都にある東映の撮影所で日本側シーケンスの撮影が開始されます。しかしわずか3週間後の12月24日にフォックスは病気を理由に黒澤の降板を突然発表します。
この3週間にいったい何があったのでしょうか。

長門オープンセット

「トラ・トラ・トラ!」のオープンセットに建設中の戦艦長門の実物大模型
By librarian voyager, Flickr, December 7, 2011

どうやらこの3週間、撮影はほとんど進まなかったそうなのです。
黒澤の異常なこだわりや完璧主義、精神不安定による奇行、黒澤のやり方になじまない東映の撮影スタッフとの対立などがあったと伝えられています。
例えば黒澤は、臨場感を出すために大企業の重役たちを連合艦隊司令長官・山本五十六(Isoroku Yamamoto)役などの主要キャストに据えます。そして役になりきってもらうために主演俳優が楽屋から出てくる時は海軍式のファンファーレを鳴らさせてスタッフ全員に敬礼で迎えさせたりします。しかし撮影を始めてみると当然ながら素人俳優の演技はまったくダメで、キレた黒澤が「貴様それでも海兵か!」と怒鳴りつけたこともあったそうです。もうメチャクチャです。フォックス側はせめて主要キャストだけでもプロの俳優を起用するよう要請しますが、黒澤はまったく聞く耳を持ちません。

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『トラ・トラ・トラ!』の真珠湾攻撃の出撃シーン(1968年撮影)
米海軍の空母ヨークタウン(USS Yorktown)を赤城に模し、訓練機T-6 テキサン(T-6 Texan)を改造してゼロ戦に模した
By USN [Public domain], via Wikimedia Commons

また、撮影スタジオが黒澤のやり方を知り尽くしている東宝ではなく、東映の京都撮影所だったことも不幸の一つです。東映側は「東宝の黒澤が乗り込んで来る」という複雑な気持ちがあったと言います。そんな中、撮影所で黒澤のすぐ近くに照明器具が落下します。「いい気になるなよ」という手荒い洗礼の意図もあったようで、新参のスター俳優なども同じ目にあったりしていたそうです。たいていは俳優側が気を引き締めて撮影所に礼を尽くすことで丸く納まるのですが、黒澤は本気で命を狙われていると受け取ります。黒澤はスタッフ全員にヘルメット着用を義務づけたり、警備員の増員をフォックス側に要請したりします。当時の東映はヤクザ映画の全盛期で、ヤクザ姿の役者たちだけでなく演技指導のため本物のヤクザが出入りしていたことも、大のヤクザ嫌いの黒澤を苛立たせます。



黒澤は孤立し、心身ともに疲弊します。眠れないため朝まで酒を飲み、酔った状態でスタジオ入りすることもしばしばです。しまいには京都の街に警察官が少なくて治安が悪いと時の総理大臣・佐藤栄作(Eisaku Sato)に電話して訴えたり、フォックスが警備員を増員したか確かめようと深夜に撮影所に侵入して窓ガラスを割り、警察に自首したり、ヤクザ映画と完全に隔離した環境で撮影するために撮影所の半分を買い取るようにフォックス側に要請したりします。黒澤は撮影中の3週間に2度倒れて病院に運ばれ、神経衰弱と診断されます。

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佐藤栄作(1961年撮影)
By Nijs, Jac. de / Anefo [CC BY-SA 3.0 nl], via Wikimedia Commons

3週間たっても撮影がほとんど進まなかったため、プロデューサーのエルモ・ウィリアムズ(Elmo Williams)も黒澤を守り切れなくなります。ウィリアムズは黒澤に直接会って降板を伝えます。事実上の解任です。
結局『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督は日活で活躍していたベテラン監督の舛田利雄(Toshio Masuda)が引き受けます。フォックスの意向で黒澤の台本は20%ほどカットされ、改めてプロの俳優たちが起用されます。舛田は東映のアクション映画の若手、深作欣二(Kinji Fukasaku)にも依頼して、共同で日本パートの撮影を完成させます。この辺りはまさに舛田の職人技です。
こうして超大作『トラ・トラ・トラ!』は紆余曲折を経てようやく完成し、1970年(昭和45年)に日米で公開されます。



この作品での俳優たちの演技は素晴らしく、空母や戦艦の実物大セットだけでなく実際の軍艦や航空機を使った映像も迫力満点です。特に真珠湾攻撃シーンは素晴らしい出来ですし、攻撃隊と戦闘機隊が夜明けに空母を発艦するシーンはため息が出るほど美しく感動的です。
ハリウッド映画としては異例なほど歴史的に正確で、中立的な立場で描かれています。それが仇となってアメリカではヒットせず、評判もよくありませんでしたが、日本では大ヒットを記録します。
僕もこの映画がとても好きです。しかし好きは好きなのですが、何というか、今いち面白くないのです。まるでドキュメンタリー映画か歴史の教科書を見ているような気分になってしまいます。
もし黒澤明が監督していたら、どれほど血沸き肉躍るような痛快な活劇になっていたかと思うと、本当に降板が残念でなりません。


【動画】“Tora! Tora! Tora! - Trailer (『トラ・トラ・トラ!』 - 予告編)”, by YouTube ムービー, YouTube, 2007/07/23

『トラ・トラ・トラ!』の監督を降板した3年後の1971年(昭和46年)、黒澤は自殺を図ります。自宅を抵当に入れて資金を確保し自主製作的に撮った『どですかでん(Dodeskaden)』(1970年)が興行的に大失敗したのです。しかし『トラ・トラ・トラ!』の監督降板騒動の精神的な喪失感も相当あったのでしょう。後に黒澤は「3年も熱中していた企画を突然打ち切られたら、監督は殺されるのと同じことだ」と語っています。
1975年(昭和50年)にはソビエト連邦から招かれて少人数スタッフで撮った『デルス・ウザーラ(Dersu Uzala)』を発表します。しかしこれも思ったような製作ができたわけではありません。
黒澤は『赤ひげ』以降15年間にわたって、思うように作品を発表できない不遇の日々を過ごします。



1979年(昭和54年)、黒澤は『影武者(Kagemusha)』の製作を開始します。アメリカの映画監督フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)ジョージ・ルーカス(George Lucas)の呼びかけで、東宝と20世紀フォックスの共同出資による製作が実現したのです。武田信玄とその影武者を演じる主演俳優は勝新太郎(Shintaro Katsu)に決まります。しかし勝新太郎は撮影開始後1ヶ月もしないうちに主演を降板します。黒澤による実質的な解任です。
そう。第三の「イフ」は「もし『影武者』を勝新太郎が主演していたら」です。


勝新太郎

勝新太郎は大映で活躍した俳優で、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄でファンに愛された人物です。
仕込み杖を使う凄腕の剣客である盲目のやくざを描いた『座頭市(Zatoichi)』シリーズは勝の代表作で、映画だけでなくテレビシリーズも1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)にかけて合計4シーズン・全100話が製作されます。勝は多くの回で主演に加えて脚本や演出も担当します。
そんな勝が黒澤の演出にも素直に従う筈がありません。自己主張の強い勝は次第に黒澤と衝突するようになります。そしてある日、勝が役作りの参考にしようと自分の演技を撮るために持ち込んだビデオカメラを黒澤が見とがめ、持ち込みを禁止します。勝は怒り心頭で撮影現場から去り、主演を降板します。



勝の代役には急遽仲代達也(Tatsuya Nakadai)が起用されます。『用心棒(Yojimbo)』(1961年)、『椿三十郎(Sanjuro)』(1962年)、『天国と地獄(High and Low)』(1963年)に出演し、黒澤の黄金時代の作品を一緒に作り上げた仲代です。
仲代は急な依頼に戸惑いながらも、独自の武田信玄像を作り上げます。作品は完成し、1980年(昭和55年)に公開されます。興行的にも久しぶりに成功し、当時の日本映画の歴代配給収入の1位を記録します。



僕は仲代の演技も素晴らしいと思います。しかし、しかしです。細身の仲代が武田信玄に見えないのが、仲代には酷ですがこの作品の最大の欠点です。『影武者』という作品の根幹に関わる問題です。
誰が見ても「あ、信玄だ」と納得する勝新太郎が演じていたとしたら、作品の説得力がどれだけ増したことでしょう。
また、勝は公開された『影武者』を観て、「面白くなかった」「おれが出ていれば面白かったはずだ」と語ったと言われます。僕もこれについては同意したいです。


【動画】“Criterion Trailer 267: Kagemusha (クライテリオン版予告篇『影武者』)”, by CriterionTrailers, YouTube, 2007/07/23

“Kurosawa is the Beethoven of movie directors.”
黒澤はまるで映画監督のベートーヴェンだ。

その作品で日本だけでなく世界の観客を魅了し、国内外の映画人に尊敬される黒澤明。
その天才性と個性の強さ、気難しい性格はまさに映画界のベートーヴェンと言ってよいでしょう。
もし黒澤が『暴走機関車』を監督していたら、息もつけないほどのパニック・サスペンス映画となっていたかもしれません。
また、もし黒澤が『トラ・トラ・トラ!』を監督していたら、史上まれに見るスケールとエンタメが同居した神映画となっていたかもしれません。
そして、この2作の成功によって、黒澤はハリウッドで傑作を量産していたかもしれません。
さらに、もし勝新太郎が『影武者』に主演していたら、勝の役者人生最大のはまり役となっていたかもしれません。作品もより素晴らしく、面白いものになっていたかもしれません。
しかしそれは残念ながらすべて実現しなかったこと。せめて想像の世界で楽しむことと致しましょう。


【動画】“Behind the Scenes of Kurosawa's Pearl Harbor, Tora! Tora! Tora! (Book Trailer) (黒澤明のパール・ハーバー『トラ・トラ・トラ!』の舞台裏(書籍紹介))”, by Hal Leonard Performing Arts Publishing Group, YouTube, 2012/10/16

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第479回:“Kurosawa is the Beethoven of movie directors.” ―「黒澤はまるで映画監督のベートーヴェンだ」(シドニー・ルメット), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年11月25日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Let’s Talk About the Master – An Ode to Akira Kurosawa”, BY DOUG GARRY, The Student | Newspaper, NOVEMBER 10, 2015
【参考】“黒澤明いざハリウッドへ 暴走機関車でハリウッドビジネスに惨敗”, by 椿コルレオーネさん, ALL WORK OF AKIRA KUROSAWA - 映画は語るものではないけれど
【参考】“なぜ『暴走機関車』は頓挫したのか? 黒澤明とハリウッドの距離”, by 椿コルレオーネさん, ALL WORK OF AKIRA KUROSAWA - 映画は語るものではないけれど
【参考】“『アンストッパブル』 45年前の日本人は正しかった!”, by ナドレックさん, 映画のブログ, 2011-01-11
【参考】“黒澤明と『暴走機関車』”, by 中島透さん, 本を小脇に出かけようby中島透, 2012年08月19日
【参考】“黒澤明とトラ・トラ・トラ!「一流の監督が必要だ、クロサワを獲れ!」20世紀フォックス社長が指令!”, by 椿コルレオーネさん, ALL WORK OF AKIRA KUROSAWA - 映画は語るものではないけれど
【参考】“黒澤明とトラ・トラ・トラ! 精神崩壊していく黒澤と呆れる現場スタッフ!”, by 椿コルレオーネさん, ALL WORK OF AKIRA KUROSAWA - 映画は語るものではないけれど
【参考】“黒澤明とハリウッド -「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて”, By 清義明さん, Football is the weapon of the future - 清義明のブログ, 2014/01/10
【参考】“『ヒストリー・スルー・ザ・レンズ トラ・トラ・トラ!』 四面楚歌だった黒澤明監督 ネタバレあり”, 良い映画を褒める会。, 2005/11/15
【参考】“黒澤明監督『影武者』 勝新?黒澤?どっちが悪い?主役交代劇の真相はこれだ!”, by 椿コルレオーネさん, ALL WORK OF AKIRA KUROSAWA - 映画は語るものではないけれど
【参考】“『影武者』から勝新が降板した理由”, by 服部弘一郎, 新佃島・映画ジャーナル, 2015年10月25日
【参考】“第18回 勝新太郎(その三) 喧嘩、借金、逮捕。あらゆる「波乱」と「破綻」に、晩年を費やした”, by 福田和也, 『週刊現代』2013年1月26日号より, 現代ビジネス, 2013.01.25

【動画】“Runaway Train (Andrei Konchalovsky, 1985) - Theatrical Trailer (『暴走機関車』(アンドレイ・コンチャロフスキー、1985年) - 劇場版予告編)”, by ColdBishop, YouTube, 2009/01/19
【動画】“Tora! Tora! Tora! - Trailer (『トラ・トラ・トラ!』 - 予告編)”, by YouTube ムービー, YouTube, 2007/07/23
【動画】“Criterion Trailer 267: Kagemusha (クライテリオン版予告篇『影武者』)”, by CriterionTrailers, YouTube, 2007/07/23
【動画】“Behind the Scenes of Kurosawa's Pearl Harbor, Tora! Tora! Tora! (Book Trailer) (黒澤明のパール・ハーバー『トラ・トラ・トラ!』の舞台裏(書籍紹介))”, by Hal Leonard Performing Arts Publishing Group, YouTube, 2012/10/16



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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
のざわさん、こんにちは。ジム佐伯です。 コメントありがとうございます。そしていつもブログをご覧になって頂きありがとうございます。天才の才能を理解して活かすプロデューサーや、金銭的にも精神的にも気長にサポートするパトロンの存在は大切ですね。ちょっと違うかもしれませんが、前者は宮崎駿に対する鈴木敏夫、後者はガウディに対するグエルなどでしょうか。メディチ家はダ・ヴィンチやミケランジェロのパトロンとして理想でした。その点モーツァルトはパトロンに恵まれなかったというか、パトロンとのよい関係を築けなかった(築こうとしなかった)のが残念なところです。天才がそういう努力をせずともよいのがよいパトロンなのでしょうけどね。コメントとても励みになります。これからもよろしくお願いします!!
Posted by ジム佐伯 at 2017年12月02日 04:58
ジム佐伯様、黒沢明監督がどれほど偉大な人であったかを知ることができました。
3つの「もしも」という仮定、なるほどと興味を持ちました。映画はほとんど詳しくない私ですが、
ジムさまの寄稿文を楽しめるくらいの映画の知識はあります。黒沢氏は「個性」の塊だったのですね。最近こんなことがありました。私の教会でパイプオルガンのオーバーホールをしたのです。ビルダーさんは修理の期限を大幅に遅れ最近やっと終えました。職人さんとはそんなタイプがおおいのかな?と黒沢明氏が映画製作に長大な時間を費やした記事を読んで思いました。天才が存在しても、その天才を気長にサポートできる環境がないと良い作品を残すことはできないのでしょう。
Posted by のざわ at 2017年11月29日 22:27
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