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2017年11月05日

第473回:“From the sky will come a great King of Terror.” ―「空から恐怖の大王がやってくる」(ノストラダムス)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第473回の今日はこの言葉です。
“From the sky will come a great King of Terror.”

「空から恐怖の大王がやってくる」
という意味です。もともと詩の一節で、典型的な倒置法の英文です。
これはフランスの医師で詩人で占星術師でもあったノストラダムス(Nostradamus, 1503-1566)の言葉です。日本では『ノストラダムスの大予言』で有名な人物で、今日の言葉も予言として有名になった一節です。
「え?」と意外に思われた方もいらっしゃるかと思いますが、ノストラダムスって医師だったんですね。僕も知りませんでした。

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ノストラダムス(17世紀の肖像画)
César de Notre-Dame [Public domain], via Wikimedia Commons

ノストラダムスは1503年に、フランス王領になったばかりの南仏プロヴァンスのサン=レミ=ド=プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence)という町に生まれます。本名はミシェル・ド・ノートルダム(Michel de Nostredame)
ノートルダムは15歳の頃アヴィニョン大学(University of Avignon)に入学します。しかし2年後に南仏でペスト(plague)が流行して大学が長期休講となり、大学での勉学を中断せざるを得なくなります。彼は8年ほど各地を遍歴して薬草とその効能を研究します。判断占星術(judicial astrology)の研究を始めたのもこの時期です。判断占星術とは天体の運行と地球から見た関係を算定することによって、未来を予言するとされた技術で、当時は科学技術の一分類とされていました。

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ノストラダムスの生地とされるサン=レミの一角
By The original uploader was PL at English Wikipedia [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

1529年、薬剤師となっていた25歳のノートルダムはモンペリエ大学(University of Montpellier)に入学し、医学を学びます。その後アジャン(Agen)という町に住むイタリア出身の高名な学者ジュール・セザール・スカリジェ(Jules César Scaliger)に招かれて教えを受けます。ノートルダムはアジャンのアンリエットという女性と結婚して子供も生まれますが、妻子ともペストで失ったと伝えられています。
1530年代後半、ノートルダムは再び長い遍歴の旅に出ます。医師としてフランスやイタリアの各地でペストの治療や予防に尽力したという記録が残っています。かつてペストは「黒死病(Black Death)」とも呼ばれ、死亡率の高い伝染病として恐れられていました。時代はさかのぼりますが14世紀の大流行では人口の3分の1から3分の2がペストで失われたと言われます。ペスト治療にあたる医師は自らが感染しないように、頭部を覆う感染予防の防護マスクを被りました。今のものと違って口の部分が長くとがっていて、マスク姿自体がおどろおどろしいですね。記録には残っていませんが、ノートルダムもこの格好で治療にあたった可能性があります。

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ペスト用の防護マスク(1656年頃のイラスト)
By I. Columbina (draughtsman), Paul Fürst (copper engraver) (Imagery From the History of Medicine) [Public domain], via Wikimedia Commons

1547年、ノートルダムはペスト対策にたずさわった町の一つであるサロン=ド=プロヴァンス(Salon-de-Provence)に住居を構え、そこでアンヌという未亡人と再婚します。43歳の頃のことです。1550年台には、ノートルダムは町の名士となっています。運河の開削事業に出資したり、公共の泉の石碑に刻む文章を起草したりした記録が残っています。

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サロン=ド=プロヴァンスの街並(2008年撮影)
By Jjpetite (Own work) [GFDL or CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons

この頃から、ノートルダムは翌年の一年間を占った暦書れきしょAlmanachアルマナックと呼ばれる暦の刊行を始めます。初めて発行したのは1550年。初期のものは占筮せんぜいPrognosticationプロノスティカシオンと呼ばれ、月ごとや季節ごとの星位や気候など予測が散文体で記されます。1557年頃からカレンダー形式のものが並行して発行され、後に統合されたものが暦書として発行されるようになります。月の冒頭にその月の天候や運勢を予測する「予兆詩(presage)」という四行詩が示され、各日には祝日や守護聖人の名前と共に数語程度の簡潔な予測が添えられたものです。
著者名はミシェル・ド・ノートルダムの姓をラテン語風に綴った「ミシェル・ノストラダムス」。僕たちに馴染みの深い「ノストラダムス」という名前はなんとペンネームだったのです。当時はラテン語に占い師や予言者のイメージがあったのでしょう。現代日本でも占い師がインド風の衣装を着ていたりしますが、同じようなものかもしれません。

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1555年向けの占筮
Scanned by sumaru from Daniel Ruzo [Public domain], via Wikimedia Commons

もともと暦(カレンダー)というものは、年中行事のためだけではなく、農業にたずさわる人にとってとても重要な指針でした。いつから日が長くなって、いつから暖かくなって、いつ雨の季節が始まるのか。いつから田畑を耕し、いつ種を撒き、いつどんな手入れをしたらよいのか。そしていつごろ収穫できるのか。そんな季節の移り変わりを知るために人々はカレンダーを使い、カレンダーにもそんな情報が書き込まれていました。

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Image courtesy of Keerati, published on 01 July 2013 / FreeDigitalPhotos.net

余談ですが、当時のヨーロッパでは遥か古代ローマの昔に定められたユリウスれき(Julian calendar)が使われていました。紀元前45年にローマの独裁官ディクタトールだったガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)が定めたもので、地球が太陽の周りを一周して季節が一巡する期間を1年間とする太陽暦(solar calendar)の一種です。
ユリウス暦は4年に1度のうるう年(leap year)を設けて1年を365.25日(実際の1年はおよそ365.2422日)とした優れた暦でしたが、誤差が次第に蓄積していき、16世紀には実際よりも日付が10日間ほど進んでしまっていました。

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ガイウス・ユリウス・カエサル
Photo by Gautier Poupeau from Paris, France [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

そこで1582年にローマ教皇のグレゴリウス13世(Gregorius XIII)が400年に3回ほど閏年を省いて1年を365.2425日にする暦を採用します。グレゴリオれき(Gregorian calendar)です。グレゴリオ暦でも実際よりも1年間に26.821秒ほど長いのですが、その誤差は1582年から今年の2017年まで通算してもわずか3時間ほどでしかありません。これは1日の時間が3時間ずれるという意味ではなく、暦の上での季節と地球の公転による季節が3時間ずれるという意味ですので、無視してもよいほどの僅かな誤差です。

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グレゴリウス13世
I, Sailko [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY 2.5], via Wikimedia Commons

このように誤差が少ない正確な暦であるグレゴリオ暦は、今でも世界の多くの国で使われています。ちなみにこの暦では西暦年数が4で割り切れる年が閏年になるという基本ルールに加えて、100で割り切れる年は閏年にはならず、その中でも400で割り切れる年はそれでも閏年になるという特別ルールを設けています。これで400年に3回閏年を省くことができます。シドニーオリンピックがあった西暦2000年は、そんな特別ルールが適用された特別な閏年だったのです。



しかしグレゴリオ暦が制定された当時は、天動説(Geocentrism, 地球中心説)が一般に広く信じられていました。今でも使われているグレゴリオ暦は、実は天動説に基づいた観測によって計算された暦だったのです。
ポーランド出身のニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus)地動説(Heliocentrism, 地球中心説)を提唱したのは1543年です。またドイツのヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)が惑星の楕円軌道の法則や面積速度一定の法則などを提唱したのは1609年です。

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ニコラウス・コペルニクス
University of Texas Library [Public domain], via Wikimedia Commons

さらにイタリアのガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が地動説を解説したのは1630年です。ガリレオはこれによって異端審問で有罪となります。そしてイングランドのアイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton)が万有引力の法則を提唱したのが1687年です。これによって地動説に基づく天体運動のすべてに説明がつくようになり、一般にも地動説が受け入れられていくようになります。
ただ、ローマのカトリック教会はかたくなに天動説が正しいと主張し続け、地動説を公式に認めてガリレオに謝罪したのは何と1992年になってからのことでした。

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ガリレオ・ガリレイ
Domenico Passignano [Public domain], via Wikimedia Commons

また、現代の暦では1年から数年に1回、1月1日か7月1日の午前9時の直前に1秒を挿入する閏秒(leap second)が設定されています。時々ニュースで紹介されますからご存じの方も多いことでしょう。しかしこれは季節と暦をあわせるためではなく、原子時計をもとにする「協定世界時(UTC : Coordinated Universal Time)」と、地球の自転をもとにする「世界時(UT1 : Universal Time)」とのずれを修正するために行われるものです。UTCが制定された1972年から今年の2017年までの45年間で、37回(37秒)の閏秒が挿入されています。しかしこれは地球の自転が徐々に遅くなっているわけではなく、数年や数十年単位の変動によるものだそうです。場合によっては1秒進ませる閏秒も今後あるかもしれないのだそうです。

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東京都小金井市にある情報通信研究機構(NICT)の
本部建物に設置されている大時計(2015年7月1日撮影)
(閏秒として、通常は存在しない8時59分60秒が表示されている)
Copyright by 京浜にけ, allowed to use it for any purpose, via Wikipedia

さらに余談ですが、中国では古くから月の満ち欠けが一巡する期間を1ヶ月とする太陰暦(lunar calendar)が使われていました。新月の頃が1日、三日月の頃が3日、満月の十五夜は15日などとなるため、月さえ出ていたらその日が何日なのかがわかりました。しかし月の公転周期は29.53日(2015年の観測値)ですので、30日ある大の月と29日ある小の月をほぼ交互に繰り返し、時々その並びを微調整して月の満ち欠けと日付を一致させていました。また、このやり方だと一年が354日となり、年に11〜12日ほど暦と季節がずれていってしまいます。そこでそのずれを調整するために3年に一度ぐらいの頻度で閏月(leap month)を挿入して1年に13ヶ月ある年を設けます。これが閏年です。今と昔では、「閏年」の意味が違っていたのです。閏月が挿入されるタイミングは異なり、例えば1月の後に挿入された閏月は「閏一月」というふうに呼ばれます。
このように月の満ち欠けをベースにしながら季節の一巡と暦の誤差も調整する暦は太陰太陽暦(luni-solar calendar)と呼ばれます。

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I, Luc Viatour [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY-SA 2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons

日本でも飛鳥時代の昔から、中国の太陰太陽暦をそのまま導入して使っていました。そして江戸時代の5代将軍徳川綱吉の時代に、中国の暦をベースとしながらも日本での観測と計算による日本独自の暦が作られ、当時の元号をとって貞享じょうきょう暦」と名付けられます。貞享2年(1685年)の改暦です。江戸期にはその後も3度ほど改暦が行われ、12代将軍徳川家慶の世の天保てんぽう15年(1844年)に改暦された「天保暦」が明治5年まで使われます。そして明治6年(1873年)から日本でも欧米と同様にグレゴリオ暦が使われ始めます。
しかし長い間使われて季節の行事や農作業にも深く結びついてきた旧暦はその後も使われ、天保暦を用いた旧暦を記載したカレンダーは今でも売られています。

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1729(享保14)年版の貞享暦
By Momotarou2012 (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

旧暦では大の月や小の月の並びや閏月が現れる規則性が簡単にわからないため、人々はそれを知るためにも暦を毎年入手する必要がありました。江戸時代から伊勢神宮(Ise Grand Shrine)の門前の暦師たちにより売られていた「伊勢暦」は全国に知られています。伊勢神宮が発行する「神宮暦」はこの流れを汲むものです。暦に加えて二十四節気や七十二候などの季節の情報、大安や仏滅などの六曜、十干じっかん十二支による干支えと(年ごとの干支だけでなく日々の干支もあります)、日時や方位などの吉凶などが記載されます。

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伊勢神宮内宮・神楽殿(2015年撮影)
神宮暦の授与もここで行われている
z tanuki [CC BY 3.0], via Wikimedia Commons

また神宮暦とは別に、「神宮館高島暦」などと呼ばれる暦が書店でも売られていて有名です。これは上記の情報に加えて古代中国が発生の地とされる九星占術を基本とする運勢や相性なども記載されており、季節の説明やその年の運勢、気候の予想や政治、経済の予想なども載っています。家相学や姓名学、命名辞典などが収録されたものもあります。失礼ながら正直「誰が買うんだろう」と不思議に思うことの多い書物ですが、毎年あれだけ書店に並ぶのですから、暦や運勢をチェックして生活の指針としている方もかなりいらっしゃるということです。



おっと、めちゃめちゃ話が逸れてしまいましたね。すみません。
何が言いたかったかというと、暦を出版するには天体の運行に関する正確な知識が必要だということと、暦を生活必需品として必要とする人がとても多いということ、そして気象庁の長期予報や日経の経済予測のような情報も付加価値として記載されるものがあるということ。科学が十分発達していなかったノストラダムスの時代では余計にそういった情報の価値が高かったのです。医師で博学だったノストラダムスだからこそ書けたことなのかもしれません。

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星を見るノストラダムス
User:Flo89 [Public domain], via Wikimedia Commons

彼の暦書はたちまち評判となり、ノストラダムスは暦書を毎年刊行するようになります。そしてより未来の予言も含めた予言集の執筆を始め、1555年に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集(フランス語原題 : Les Prophéties de M. Michel Nostradamus, 英題 : The Prophecies of M. Michel Nostradamus)』の初版を発表します。四行詩の形式の予兆詩を集めたもので、初版は未完で4巻の途中までしかなく、353篇の四行詩が収められています。通称『百詩篇集(レ・サンチュリ, Les Centuries)』とも呼ばれます。“centuries”を「世紀」の複数形と解釈した『諸世紀』という誤訳が一般的にも広まっていますが、正しくは『百詩篇集』というのが正しい意味に基づいた日本語通称です。

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『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)
Scanned by sumaru from Daniel Ruzo [Public domain], via Wikimedia Commons

この予言集は大きな反響を巻き起こし、暦書との相乗効果でどちらも売れに売れます。剽窃や偽書まで出回るほどです。
暦書と予言集の評判が王宮に伝わったのか、ノストラダムスは予言集を発行した2ヶ月後に時のフランス国王アンリ2世(Henri II de France)カトリーヌ王妃(Catherine de Médicis)に招かれて、謁見を果たします。王妃カトリーヌはノストラダムスに心酔し、個別に呼んで占いをさせるようになります。
ほかにもノストラダムスは王侯貴族などの有力者を相手に占星術師として相談に乗ることが多くなります。医師でもあったノストラダムスはきっと健康相談にも応じていたと思われます。

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アンリ2世とカトリーヌ王妃
By Vasari [Public domain], via Wikimedia Commons

1559年、アンリ2世が崩御します。馬上槍試合での事故によるものです。また王位を継いだ長男のフランソワ2世(François II de France)は病弱だったため即位1年あまりで世を去り、その弟が即位してシャルル9世(Charles IX de France)となります。これらの悲劇もノストラダムスの予言にあったと評判はさらに高まります。一方で、ノストラダムスを嘘つき呼ばわりして批判する人も多くなります。
1564年、シャルル9世はフランス各地をまわる大巡幸の一環としてノストラダムスが住むサロン=ド=プロヴァンスの町を訪れ、お城にノストラダムスを呼んで謁見します。ノストラダムスに心服している母后カトリーヌは、ノストラダムスをシャルル9世の顧問兼常任侍医(Counselor and Physician-in-Ordinary)に任命します。あくまでも形式的な称号ですが、ノストラダムスは時の国王の側に仕えるまでに栄達したのです。
しかしこの頃のノストラダムスは世間の批判による心労や持病に苦しみ、1566年に亡くなります。62歳の時のことです。

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シャルル9世
after François Clouet [Public domain], via Wikimedia Commons

ノストラダムスの死後の1568年、300編の予兆詩を加えた『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の完全版が発行されます。この版で追加された予兆詩の中に、ノストラダムスの最も有名な言葉があります。
“L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi deffraieur
Resusciter le grand Roi d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.”
英語と日本語にすると、
“The year 1999, seventh month,
From the sky will come a great King of Terror:
Resuscitate the great king of "Angolmois"
Before, after, Mars to reign merrily.”


1999年、7の月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモワの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。
となります。
「恐怖の大王がやってくる」とは穏やかではありません。

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現存最古の『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』完全版(1568年発行)
By Carlo Patrian [Public domain], via Wikimedia Commons

ノストラダムスの予言集は18世紀末までに130種類以上の版を重ねます。2010年現在では世界中の言語で累計220種以上の版が確認されています。驚異的な大ベストセラーです。
また、解釈本も数多く出版されます。時代時代の出来事や発明品が「ノストラダムスが予言していた」と話題になります。もともとノストラダムスの予兆詩は難解でさまざまな解釈が可能なため、後世の人々の想像力を大いに刺激したのです。


The Prophecies of Nostradamus (英語) ペーパーバック – 2016/5/20
Michel Nostradamus (著)

特に20世紀に入ってからは二度の世界大戦があったこともあり、ノストラダムス関連の書籍が多く発行されます。「1999年7の月に恐怖の大王がやってくる」という記述も大いに注目を集めます。日本でも五島ごとうべんによる『ノストラダムスの大予言』(1973年)が発行されます。同書は1999年7月に人類が滅亡するのではというセンセーショナルな記述で話題となり、大ベストセラーとなってノストラダムスブームが巻き起こります。当時は公害などの環境問題が深刻化し、米ソの冷戦による全面核戦争の恐怖もありましたので、人類滅亡の危機は絵空事ではなかったのです。二十世紀末にはこの終末思想を信じていた人も多く、1980年台から1995年までの一連のオウム真理教事件にも影響を与えたともいわれています。


ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日 (ノン・ブック)
五島勉 (著)

“From the sky will come a great King of Terror.”
空から恐怖の大王がやってくる。

その予言により多くの人を驚かせ、そして恐怖させたノストラダムス。
その正体は、ペストの発生した町々に果敢に乗り込んで人々の治療と伝染の鎮静化に尽力した医師ノートルダムでした。彼はその博学を活かして人々の暮らしの指針となる暦を発行しました。
そして運命の1999年、幸いにして人類は滅亡しませんでした。
しかしノストラダムスは単なる嘘つきではありません。当時知りうる最新の知識をもとに将来を予測し、文学的にも価値の高い予兆詩を生み出したのは彼にしかできなかった偉業です。
結果的に人類滅亡の予言ははずれたかもしれません。
そもそも人類滅亡という解釈自体が間違っていたのかもしれません。
しかし世界中の人々に人類滅亡の可能性を知らしめ、恐ろしい結末を回避しなければと思わせるきっかけとなっただけでも、ノストラダムスは人類に対して偉大な貢献をしたと言ってよいでしょう。


【動画】“Nostradamus's Life before Prophecies | Nostradamus Decoded”, by Science Channel, YouTube, 2013/10/16

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第471回:“AI could spell the end of the human race.” ―「AIは人類を滅ぼすかもしれない」(スティーヴン・ホーキング), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年10月28日
【関連記事】第282回:“It is 3 minutes to midnight.” ―「人類滅亡まであと3分」(世界終末時計), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年02月06日
【関連記事】第383回:“World War IV will be fought with sticks and stones.” ―「第4次世界大戦は石とこん棒で戦われるだろう」(アインシュタイン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年11月28日
【関連記事】第91回:“I don't know, but I can guess.”―「わからないが、想像はできる」(アシモフ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月14日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“THE KING OF TERROR PROPHECY”, Extraterrestrial Intervention: The Nostradamus Connection
【参考】“暦書一覧”, ノストラダムスwiki: ノストラダムスの大事典

【動画】“Nostradamus's Life before Prophecies | Nostradamus Decoded”, by Science Channel, YouTube, 2013/10/16



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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(2) | 言葉の一人歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
のざわさん、こんにちは。ジム佐伯です。 コメントありがとうございます。そしていつもブログをご覧になって頂きありがとうございます。ノストラダムスの言葉は文中にお示ししたフランス語の四行詩が原文で、1・3行目と2・4行目が綺麗に韻を踏んでいますね。残念ながら英訳の方では韻が失われています。韻も含めたうまい英訳が(そして日本語訳も)あったらよいのですが。またパリの大聖堂などの名前にもあるNotre Domeは英語にするとour ladyで、聖母マリアに通じる名前ですが、姓のノートルダムはNostredameなので起源は別かもしれません。ノストラダムスの場合はド(de)がついていますので、Nostredameという名前の土地を治めていた貴族の出なのかもですね。コメントとても励みになります。これからもよろしくお願いします!!
Posted by ジム佐伯 at 2017年11月08日 05:59
ジム佐伯様、こんばんは。ノストラダムスの記事を興味深く拝読させていただきました。冒頭の英文は倒置法とありますが、デンマーク語は文頭に副詞(句)がくると必ず倒置します。倒置はゲルマン語の特徴なのでしょうね。ノストラダムスの言ったこの名言は倒置することによって、どういう意味を持たせているのでしょうか?デンマーク語で女性をdameと言います。ノートルダムという言葉は「私たちの婦人」という意味と読んだことがありますが、ノストラダムスの場合もこういう意味合いの言葉でしょうか?ジムさんが最後にまとめておられることに私も同感です。1999年に人類の滅亡はなかった。けれどホーキング氏もそうですが、英知で未来を予測して、警鐘を鳴らすことは偉大な貢献だと思います。
Posted by のざわ at 2017年11月07日 20:48
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