スポンサーリンク / Sponsored Link


2017年06月18日

第438回:“I am the state.” ―「朕は国家なり」(ルイ14世)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第438回の今日はこの言葉です。
“I am the state.”

「私は国家である」
という意味です。日本では、
ちんは国家なり」
という言葉として有名です。
これはブルボン朝のフランス国王ルイ14世(Louis XIV, 1638-1715)の言葉です。幼くしてフランス国王に即位し、ブルボン朝(Bourbon dynasty)の最盛期を築いた人物として有名です。
「太陽王」(le Roi Soleil, 英語: Sun King)というあだ名でも知られます。

0438-louis_xiv_of_france_cropped.jpg
ルイ14世(1701年の肖像画)
Hyacinthe Rigaud, cropped by Jim Saeki in 2017 [Public domain], via Wikimedia Commons

1638年、ルイ14世はフランス国王ルイ13世と王妃アンヌの間に生まれます。父親のルイ13世は有能なリシリュー枢機卿を宰相に起用して絶対王政の基礎を築いた人物で、母親のアンヌ王妃はハプスブルク家の王女です。同い年のルイ13世とアンヌが14歳で結婚してから23年間は子供が生まれず、世継ぎの不在が心配されていましたので、待望の男子誕生は奇跡として喜ばれ、「神の賜物」という意味の「ルイ・デュードネ」(Louis-Dieudonné)という洗礼名を与えられます。

0438-louis_xiii_anne_of_austria_and_their_son_louis_xiv.jpg
幼少期のルイ14世(中央)
両側が父親のルイ13世と母親のアンヌ王妃、左端がリシュリュー枢機卿
By unidentified painter from France [Public domain], via Wikimedia Commons

1643年、父のルイ13世が41歳で世を去ります。宰相のリシュリューもその前年に亡くなります。
ルイ14歳はわずか5歳で国王に即位し、母アンヌが摂政の位につきます。そしてリシュリューの腹心の部下だったマザラン枢機卿が摂政会議の座長として実質的な宰相となります。

0438-portrait_of_jules_mazarin_cropped.jpg
マザラン枢機卿(17世紀の肖像画)
Attributed to Mathieu Le Nain [Public domain], via Wikimedia Commons

フランスはルイ13世の時代に三十年戦争に介入してハプスブルク家の神聖ローマ皇帝やスペインと戦っています。ルイ14世の即位後、フランス軍は戦況を有利に展開させ、有能なマザランは巧みな外交手腕で終戦交渉を行ってアルザス地方を獲得します。しかしマザランが戦費調達のために貴族たちに課した重税にパリ高等法院が反発して、1648年に法服貴族たちと民衆が結託して反乱を起こします。フロンドの乱(La Fronde)です。パリは無政府状態となり、ルイ14世と摂政アンヌはパリを脱出します。

0438-episode_of_the_fronde_at_the_faubourg_saint-antoine.jpg
フロンドの乱(1648-1653)
By Anonymous painting [Public domain], via Wikimedia Commons

反乱のさなか、ルイ14世は13歳となって成人を宣言します。最終的には王権側が勝利し、ルイ14世は1653年にパリへ帰還します。マザランは貴族への取り締まりを強めて絶対王政を強化します。
ルイ17世が17歳の時、パリ高等法院の法服貴族たちを恫喝して次のように言い放ったと言われます。
“L'État, c'est moi.”
(レタ・セ・モワ)
英語と日本語にすると、
“I am the state.”
「朕は国家なり」
となります。
この言葉、ルイ14世の絶頂期の言葉かと思ってましたが、意外にも駆け出しの若い頃の言葉なんですね。
フランスの哲学者で歴史家でもあったヴォルテール(Voltaire)の『ルイ14世の時代』(The Age of Louis XIV)に書かれている言葉ですが、最近の研究ではこの逸話は史実ではなく、ヴォルテールの創作なのではと考えられています。

0438-louis14-1.jpg
若き日のルイ14世(1662年頃の肖像画)
Attributed to Charles Le Brun [Public domain], via Wikimedia Commons

フランスは三十年戦争が終わった後もスペインとの戦争を継続していましたが、イングランドの軍事支援を受けて英仏同盟はスペインに勝利し、ピレネー山脈にフランスとスペインの国境が確定します。
そしてルイ14世はスペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレサ(フランス語読みでマリー・テレーズ)と婚約し、1660年に結婚式が行われます。ルイ14世が22歳の頃です。
翌1661年、宰相だったマザランが死去し、ルイ14世は宰相を置かないことを宣言して、国王自らが統治する親政を開始します。

0438-louis_xiv_wedding_cropped.jpg
ルイ14世とマリー・テレーズの婚儀(17世紀のタペストリー)
By Jacques Laumosnier, cropped by Jim Saeki [Public domain], via Wikimedia Commons

1667年、フランスはスペインとの間でネーデルラント継承戦争を起こします。今のベルギーとルクセンブルクに当たる南ネーデルランド(フランドル地方)の継承権をスペインと争ったのです。ルイ14世は自ら軍を率いて戦い、フランス軍は順調にフランドル地方の諸都市を攻略します。しかしオランダがイングランド・スウェーデンと三国同盟を締結してフランスに圧力をかけ、1668年にアーヘンの和約が結ばれて戦争は終結。フランスはこの地域の領有に失敗します。

0438-lebrun_louis_xiv_at_douai_in_the_war_of_devolution_1667.jpg
ネーデルラント継承戦争で前線を視察するルイ14世(1667年の絵画)
By Charles le Brun [Public domain], via Wikimedia Commons

ルイ14世はこれを不快とし、イングランドと秘密同盟を結んで1672年にオランダに侵攻します。オランダ侵略戦争(Franco-Dutch War)です。オランダは堤防を決壊させて泥沼化した洪水地帯を防衛線として徹底抗戦の構えを示し、海軍も英国艦隊を撃破して制海権を確保します。イギリスは早々に和睦して戦線を離脱し、オランダは神聖ローマ皇帝やスペインと同盟を組んでフランスに対抗します。しかしフランス軍は皇帝軍やスペイン軍を破り、オランダ軍をも海陸で破って有利な条件で講和に持ち込みます。
その後もフランスは領土拡張政策を続け、1681年にはストラスブールを占領して併合し、1684年にはスペインとの再統合戦争(War of the Reunions)に勝利してリュクサンブール(ルクセンブルク)を併合します。

0438-louis14-c.jpg
オランダ侵略戦争でライン川渡河を指揮するルイ14世(1672年の絵画)
By Adam Fans van der Meulen [Public domain], via Wikimedia Commons

1682年、ルイ14世はパリ郊外のヴェルサイユに建設していたヴェルサイユ宮殿(Château de Versailles)に王宮を移します。親政を開始した1661年から断続的に約20年かけて建造してきた豪華絢爛な宮殿です。ルイ14世は貴族たちをヴェルサイユ宮殿とその周囲に住まわせ、序列や礼儀作法を厳格に定めて貴族たちに従わせ、贅沢な宴席に参加させたり宮廷内で栄誉や年金獲得を競わせたりします。貴族たちを宮殿に常駐させて長期間国王の監視下に置くのが目的です。これによって貴族たちを領地から切り離し、強く統制することに成功します。
まるで諸大名とその子女を江戸に住まわせて領地との結びつきを弱めると同時に徳川家の監視下に置いた江戸幕府の統治と似ていますね。
この頃がルイ14世の絶頂期と言われています。

0438-palace_of_versailles.jpg
造営初期のヴェルサイユ宮殿(1668年頃の絵画)
Pierre Patel [Public domain], via Wikimedia Commons


【動画】“『ヴェルサイユの宮廷庭師』予告編”, by 映画 KADOKAWA, YouTube, 2015/06/16

ルイ14世はローマ教皇を介さずに王権を神から直接授かったという王権神授説を掲げ、フランス教会をローマ教皇の支配から独立させようとしてローマと対立します。しかし次第に自分のことをカトリックの守護者であると考えるようになり、ローマ教皇との結びつきを強めて国内のプロテスタントを迫害します。
1686年から1697年にかけて、フランスはオランダ、イギリス、スペイン、神聖ローマ帝国、ドイツ諸邦、スウェーデンによる対仏同盟と戦います。アウクスブルク同盟戦争です。

0438-equestrian_portrait_louis_xiv_1692.jpg
アウクスブルク同盟戦争の頃のルイ14世(1692年頃の絵画)
Pierre Mignard [Public domain], via Wikimedia Commons

また、1701年から1713年にかけてフランスはスペインの継承権を争い、イギリス、神聖ローマ帝国、オランダ、ドイツ諸邦による対仏同盟と戦います。スペイン継承戦争です。
両戦争でフランスは苦戦し、何とか和平に持ち込みます。しかも莫大な戦費調達と放漫財政により、フランスは深刻な財政難に陥ります。西ヨーロッパ最強を誇ったフランス軍もかつての勢いはなく、その覇権には陰りが見られるようになります。
1715年、ルイ14世は76歳でこの世を去ります。そして曽孫であるルイ15世がわずか5歳で即位します。
72年もの在位期間は中世以降世界最長であるとして、ギネス世界記録にも登録されています。

0438-loui14-a.jpg
スペイン継承戦争の頃のルイ14世(1704年の絵画)
By Unknown (French art) (Unknown) [Public domain], via Wikimedia Commons

“I am the state.”
朕は国家なり。

わずか4歳で即位し、77歳で没するまでの間に絶対王政の最盛期を築いたルイ14世。
その72年の在位期間は相次ぐ戦争の日々でした。
戦費を調達するために貴族や民衆には重い税が課せられ、それでも国家財政は破綻寸前でした。
壮麗なベルサイユ宮殿の建築と宮殿での華やかな暮らしの陰には、貴族や民衆の苦しみがあったのです。
死の間際、ルイ14世は王位継承者である5歳の曽孫ルイ15世を呼び、
「私は多くの戦争をしたが、私の真似をしてはならない」
と戒めました。
しかしルイ15世も60年に及ぶ長い治世の間に何度も戦争を行い、フランスの財政は破綻状態となります。
そして次代のルイ16世は苦境を乗り切ることができず、フランス革命を迎えることになるのです。


【動画】“Mini Bio: Louis XIV (ミニ伝記:ルイ14世)”, by Biography, YouTube, 2014/02/10

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“LE CHÂTEAU DE VERSAILLES OFFICIEL (ヴェルサイユ宮殿)”, by etersonAlmeidaFilm, YouTube, 2010/06/24


髭男爵 / 山田ルイ53世(右)
笑魂シリーズ 『髭男爵/ルネッサンス~逆に聞こう!!何が面白い!?~』 [DVD]

【関連記事】第103回:“You, happy Austria, marry.”―「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」(ハプスブルク家), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月05日
【関連記事】第360回:“Let them eat cake.” ―「お菓子を食べればいいじゃない」 (マリー・アントワネット), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年09月20日
【関連記事】第98回:“?”―「(本の売れ行きは?)」(ビクトル・ユーゴー), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月26日
【関連記事】第437回:“I am married to England.” ―「私は国家と結婚している」(エリザベス1世), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年06月14日
【関連記事】第167回:“Fly, thought, on golden wings.”―「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」(ヴェルディ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年01月25日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“The Debunker: Did Louis XIV say “L’État, c’est moi”? (すっぱ抜き屋:ルイ14世は本当に「朕は国家なり」と言ったのか?)”, by Ken Jennings, Woot!
【参考】““I AM THE STATE!” − DID LOUIS XIV. EVER SAY SO? (「朕は国家なり」 - ルイ14世は果たしてそう言ったのか?)”, Elfinspell
【参考】“王権神授説”, by チェ・ゲバラ研究室, 世界史用語解説, 世界史の窓, Y-History 教材工房

【動画】“Mini Bio: Louis XIV (ミニ伝記:ルイ14世)”, by Biography, YouTube, 2014/02/10
【動画】“LE CHÂTEAU DE VERSAILLES OFFICIEL (ヴェルサイユ宮殿)”, by etersonAlmeidaFilm, YouTube, 2010/06/24

このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室・王室・王家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
スポンサーリンク / Sponsored Link

ブログパーツ