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2017年06月14日

第437回:“I am married to England.” ―「私は国家と結婚している」(エリザベス1世)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第437回の今日はこの言葉です。
“I am married to England.”

「私はイングランドと結婚している」
という意味です。
これはイングランドのテューダー朝の女王エリザベス1世(Elizabeth I, 1533-1603)の言葉です。
日本では、
「私は国家と結婚している」
という言葉としても有名です。



エリザベス1世(1570年頃の肖像画)
Photo by Stock Montage [Rights-managed], via Getty Images

エリザベス1世は1533年にイングランド国王ヘンリー8世(Henry VIII)の王女として生まれます。
父のヘンリー8世とキャサリン前王妃との間にはメアリー王女が生まれていますが、男児が得られなかったこともあり、ヘンリー8世はエリザベスの母アン・ブーリン(Anne Boleyn)と再婚しようとします。当時のイングランドはカトリック国家ですが、ローマを中心とするカトリック教会は離婚を認めていません。そこでヘンリー8世は英国国教会(Church of England)をカトリックから分離独立させてキャサリン妃と離婚するというウルトラCの離れ業をやってのけ、1533年にアンと再婚します。こうして生まれたのがエリザベス王女です。



アン・ブーリンとヘンリー8世(1535年の絵画)
Hulton Archive [Rights-managed], via Getty Images

ヘンリー8世は側近トマス・クロムウェル(Thomas Cromwell)の進言により、1533年に上告禁止法(Statute in Restraint of Appeals)を、1534年に国王至上法(Act of Supremacy)を発令します。
これらにより、イングランドは教皇庁の管轄に属さない独立国家であると宣言し、イングランド国王が英国国教会の長となります。これを機にイングランドはローマの支配から離れて王権を強化し、大陸のカトリック諸国とは独自の道を進みます。英国の宗教改革と独自路線はヘンリー8世の離婚騒動から始まったのです。



ヘンリー8世(1520年頃の肖像画)
Painted by Holbein, photo by Popperfoto [Rights-managed], via Getty Images

しかしその後アン王妃にも男児が生まれません。側近たちの派閥争いも起きてアンは逮捕されて処刑され、ヘンリー8世はジェーン・シーモアと再婚します。エリザベスが2歳の時です。エリザベスは王位継承権をいったん剥奪され、ジェーンが生んだ異母弟のエドワード王子が王位継承者となります。



エドワード王子とヘンリー8世(1547年頃の肖像画)
School of Holbein in the collection at Hampton Court Palace, photo by Hulton Archive [Rights-managed], via Getty Images

結局ヘンリー8世は生涯で6度結婚しますが、1547年にこの世を去った時に存命していた男子はエドワード王子だけです。エドワードは9歳で即位してエドワード6世(Edward VI)となります。しかしエドワード6世は病弱で、世継ぎを残さないまま15歳でこの世を去ります。エドワード6世は従兄弟の娘であるジェーン・グレイを後継者に指名しますが、正当な王位継承者だったエリザベスの異母姉メアリーが即位してメアリー1世(Mary I)となります。メアリー1世は母キャサリンの教えで敬虔なカトリックに育っており、イングランドを再びカトリックの国に戻します。



メアリー1世(1553年頃の肖像画)
By Anthonio Mor, photo by Hulton Archive [Rights-managed], via Getty Images

プロテスタントを迫害して女子供を含む300人ほどを処刑したことから、メアリー1世は「血まみれメアリー」という意味の「ブラッディ・メアリー(Bloody Mary)」と呼ばれます。メアリーは一時期スペイン王太子のフェリペ王子(後のスペイン国王フェリペ2世)と結婚しますが子宝には恵まれず、即位の5年後に42歳で亡くなります。
そして1558年にエリザベスが即位してエリザベス1世となります。
エリザベスが25歳の時です。

0437-elizabeth_i_in_coronation_robes.jpg
戴冠式の衣装姿のエリザベス1世(1558年)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

先の女王メアリー1世はプロテスタントを弾圧しただけでなく、夫フェリペ2世の国スペインの要請でフランスとの戦争にまきこまれ、英仏海峡の対岸にあるカレーの領土を失ったりしていたため、民衆はエリザベス1世の即位を歓迎します。
エリザベス1世の政策は穏健で、有能な顧問団の助けで順調に統治を始めます。
エリザベス1世がまず行ったのは、父ヘンリー8世が制定して姉メアリー1世が廃止した国王至上法を復活させて王権を強化することと、礼拝統一法(Act of Uniformity 1558)を制定して英国国教会を再び国家の柱とすることです。

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27歳の頃のエリザベス1世(1560年頃の肖像画)
By Unknown artist, English School (http://www.luminarium.org/renlit/elizaclopton1.jpg) [Public domain], via Wikimedia Commons

即位した翌年の1559年、エリザベス1世はスペイン王のフェリペ2世に求婚されます。先王のメアリー1世と結婚したフェリペ2世です。フェリペ2世のハプスブルク家は結婚によって支配地を広げたことで有名で、
“You happy Austria, marry.”
「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」
という家訓を持っています。この時もイングランドを三たびカトリック国にするという狙いと領土的な野心が見え見えで、エリザベス1世は求婚を断ります。

0437-rei_d_filipe_i_o_prudente.jpg
フェリペ2世
By Antonis Mor [Public domain], via Wikimedia Commons

エリザベス1世は即位当時から国民から結婚を待望され、実際に数多くの求婚がありましたが、彼女はなかなか結婚しません。当時のヨーロッパの王家の結婚は、多分に政治的な、そして戦略的なものでした。下手に強国の王家と結婚すると余計な干渉を招きかねません。彼女が統治のための男性の助けを必要としなかったこともありますし、未婚でいることによって外交を有利に運ぼうという戦略もあったようです。また、母や継母たちが次々に父ヘンリー8世に離婚されたり処刑されたのを見て、彼女自身も結婚に甘い幻想を持っていなかったのかもしれません。



27歳の頃のエリザベス1世(1560年頃の肖像画)
Lithograph by Wilhelm Hermes of Berlin, photo by Kean Collection [Rights-managed], via Getty Images

エリザベス1世は結婚について次のように語ったと言われます。
“I am married to England.”
「私はイングランドと結婚しています」
また、次のような言葉も伝わっています。
“I am already bound unto a husband which is the Kingdom of England.”
「私は既にイングランド王国という夫と結ばれています」
いつ、どこでこう語ったかまでは伝わっていませんが、彼女を題材とした映画などでも使われている有名な言葉です。


【動画】“"I am married to England." (「私はイングランドと結婚しています」)”, by TheBEICNet, YouTube, 2011/05/18

エリザベス1世が即位した当時の強国といえば、何といってもスペインとポルトガルです。
イベリア半島をイスラム勢力から奪還した国土回復運動レコンキスタの勢いを駆って、両国は海外へ進出します。スペインは1492年にクリストファー・コロンブスが新大陸を発見し、中南米に広大な植民地を築きます。ポルトガルは1498年にバスコ・ダ・ガマがアフリカの喜望峰を回ってインドのゴアに到達し、インド洋の制海権を押さえてアフリカ沿岸からインド沿岸、東南アジアから中国・日本へ進出し、貿易立国によるポルトガル海上帝国を築き上げます。1494年に両国はトルデシリャス条約を結び、南米大陸の東部を通る西経46度37分の子午線を定め、その西をスペイン領、東をポルトガル領にすることに合意し、ローマ教皇をそれを追認します。さらに1520年から3年かけてフェルディナンド・マゼランが率いるスペイン艦隊が初の世界一周航海を達成し、スペインはフィリピンも植民地とします。

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最盛期のスペイン(赤)とポルトガル(青)の領土
By en:User:Câmara [Public domain], via Wikimedia Commons

イングランドはフランスとの百年戦争(1337-1453)や内戦である薔薇戦争(1455-87)などの戦乱が続き、大航海時代に乗り遅れます。そしてエリザベス1世の時代に王政がようやく安定して、イングランドは国外への進出を目指します。しかし既に七つの海はポルトガルとスペインに二分され、ローマ教皇も承認しています。イングランドはカトリック教会から独立したとはいえ、公式に貿易拠点や植民地を獲得することは建前上できません。

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42歳の頃のエリザベス1世(1575年頃の肖像画)
Painted by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

そこでなんと、エリザベス1世は海賊たちの船にポルトガルやスペインの船や植民地を襲わせて金品を奪わせます。これらの船は私掠船しりゃくせん(Privateer)と呼ばれ、略奪行為の利益は国王と海軍、船長と出資者と乗組員に分配されます。フランシス・ドレークも私掠船長の一人です。ドレークはカリブ海沿岸を荒らし回った後、1577年から3年かけてマゼラン艦隊に次ぐ世界一周航海をして世界各地で略奪し、当時のイングランドの国家予算を上回る価値の財宝を手に帰還します。この功績でエリザベス1世はドレークをナイトに叙してサーの称号を与えます。
エリザベス1世、これではまるで海賊たちの親玉ですね。まあ実際その通りなのですが。

0437-marcus_gheeraerts_sir_francis_drake.jpg
フランシス・ドレーク
Marcus Gheeraerts the Younger [Public domain], via Wikimedia Commons

しかし、こんなことをされてスペイン王のフェリペ2世が黙っているわけがありません。フェリペ2世は1580年にポルトガル王にもなってポルトガルを併合し、世界中に広大な植民地を持つ「太陽の沈まない帝国」の盟主となっています。私掠船の海賊行為を取り締まるようにエリザベス1世に要請しても、自らが海賊の親玉であるエリザベス1世は聞く耳を持ちません。さらに1581年にネーデルランド(今のオランダ)がフェリペ2世の統治権を否定し、エリザベス1世はオランダ独立を支援してスペインと戦争状態になっています。
かつて求婚を断られた相手にこれだけされて、フェリペ2世はついにキレます。
1588年、無敵艦隊アルマダ(Invincible Armada)と呼ばれたスペインの大艦隊がイングランドに向けて出撃します。イングランドではフランシス・ドレークが王立海軍の指揮をとり、無敵艦隊を迎え撃ちます。「アルマダの海戦」(Battle of Armada)です。ドレークは火のついた船を敵艦隊に送り込んだりするなど、海賊らしい戦法でスペイン艦隊を撃破します。

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『無敵艦隊の敗北』(Defeat of the Spanish Armada)
(フィリップ・ジェイムズによる1797年の絵画)
Philip James de Loutherbourg [Public domain], via Wikimedia Commons

スペイン無敵艦隊は実質的に壊滅状態になってブリテン島の東岸を北上します。しかしイングランド側はその状況を正確にはつかめておらず、敵がテムズ川をさかのぼってロンドンを攻撃することに備えます。
エリザベス1世は4000の兵が守るウェスト・ティルベリーを訪れ、演説をして将兵を激励します。この演説は将兵だけでなく国民すべてを感動させ、エリザベス1世は生きながらにして伝説的な存在となります。
スペイン艦隊はその後ちりぢりになって敗走し、イングランドは国家存亡の危機を逃れます。無敵艦隊を破った英国艦隊は後に世界の7つの海を支配することになります。


【動画】“Queen Elizabeth I (Cate Blanchett), Tilbury Speech (女王エリザベス1世(演:ケイト・ブランシェット)のティルベリー演説)”, by kwokshsee, YouTube, 2011/05/17

1603年、エリザベス1世は69歳で亡くなります。生涯独身を貫いたため子供もなく、テューダー朝は途絶えます。
王位はスコットランド王のジェームズ6世が継ぎ、イングランド王ジェームズ1世として即位します。これによってイングランドとスコットランドの同君連合が成立し、後のグレートブリテン連合王国(イギリス)の成立につながります。
エリザベス1世の治世は長く安定しており、英国国教会を確立し、スペイン艦隊の侵攻を撃退し、イングランドの国際的地位を向上させました。エリザベス1世は死後も多くの国民の敬愛と崇拝の対象となり、国民的なヒロインとなります。国家の勝利の象徴として、またプロテスタントの守護者として、そしてイギリス繁栄の基礎を築いた功労者として。

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無敵艦隊を破った当時のエリザベス1世(1588年頃の肖像画)
地球儀に手をかけている姿が象徴的。
背景にはアルマダの海戦が描かれている。
Formerly attributed to George Gower [Public domain], via Wikimedia Commons

ところでエリザベス1世といえば、よく肖像画に描かれた首まわりのひらひらとした襞襟ひだえり(ruff)が印象的です。
これはもともと服の襟元が肌やヒゲに直接触れて汚れることを防ぐラッフル(ruffle)から来ています。服から取り外して頻繁に洗えるようにという実用上のものでしたが、その後装飾として発展し、16世紀なかばから17世紀前半にかけてヨーロッパ各国の王侯貴族や富裕な市民の間で男女を問わず流行しました。
日本にやってきたポルトガルの宣教師もつけており、一時は日本でも大名や富裕な商人の間で「南蛮装束」として流行しました。あの織田信長もつけているのをNHKの大河ドラマなどで見たことがあります。
猫や犬などのペットが傷口や皮膚病などの患部を噛んだりなめたりしないように首につける保護具も、その形が似ていることから「エリザベス・カラー」(Elizabethan collar)と呼ばれますよね。



エリザベス・カラー(2011年撮影)
By Agency-Animal-Picture [Rights-managed], via Getty Images

“I am married to England.”
私は国家と結婚している。

25歳の若さで王位につき、さまざまな国難を乗りこえたエリザベス1世。
「英国は女王の時代に繁栄する」というジンクスの先鞭をつけたエリザベス1世。
生涯結婚せずにイングランドの発展に尽くしました。44年の長きにわたる統治期間でイングランド国内は安定し、大きく発展しました。
エリザベス1世が亡くなった時、イングランドはヨーロッパで最も富裕な国家となっていました。
後にこの時代は「黄金時代」(The Golden Age)と呼ばれるようになりました。


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【動画】“Elizabeth Trailer (『エリザベス』予告編)”, by Andrew Sayre, YouTube, 2012/08/06

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


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【動画】“Elizabeth: The Golden Age Official Trailer #1 - Cate Blanchett Movie (2007) HD (『エリザベス:ゴールデン・エイジ』公式予告編 #1 - ケイト・ブランシェット主演映画(2007年))”, by Movieclips Trailer Vault, YouTube, 2012/01/09

【関連記事】第412回:“Life at sea is better.”―「海で暮らす方がいい」(フランシス・ドレーク), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年03月06日
【関連記事】第103回:“You, happy Austria, marry.”―「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」(ハプスブルク家), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月05日
【関連記事】第414回:“The people of Japan are good, curteous and valiant.” ―「日本の人々は善良で礼儀正しく、勇敢である」(ウィリアム・アダムス(三浦按針)), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年03月14日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“【実話】ヘンリー8世の餌食になった王妃たち【元祖肉食系男子】”, by smoochie さん, NAVERまとめ, 2015年07月21日
【参考】“炎の女/アン・ブーリン物語”, by 高野聖 さん, 薔薇の王国 〜英国歴史散歩/残酷なる16世紀〜
【参考】“「私は英国と結婚している」と独身を貫いた…エリザベス1世の生涯”, by ASAGI さん, 教育のまぐまぐ!
【参考】“Elizabeth I: An Overview (エリザベス1世:概観)”, By Alexandra Briscoe, BBC, 2011-02-17
【参考】“Why Didn’t Elizabeth I Marry? (エリザベス1世はなぜ結婚しなかったのか)”, By Claire, The Elizabeth Files, November 3, 2010
【参考】“Historical Notes: Why did Elizabeth I never marry? (歴史メモ:なぜエリザベス1世は決して結婚しなかったのか)”, The Independent, 8 June 1998
【参考】“イギリスの絶対王政 〜ヘンリ8世、エリザベス1世、東インド会社と植民地〜”, by エンリケ航海王子 さん, カヨーロッパの拡大と大西洋世界 / 主権国家体制の成立, マナペディア

【動画】“"I am married to England." (「私はイングランドと結婚しています」)”, by TheBEICNet, YouTube, 2011/05/18
【動画】“Queen Elizabeth I (Cate Blanchett), Tilbury Speech (女王エリザベス1世(演:ケイト・ブランシェット)のティルベリー演説)”, by kwokshsee, YouTube, 2011/05/17
【動画】“Elizabeth Trailer (『エリザベス』予告編)”, by Andrew Sayre, YouTube, 2012/08/06
【動画】“Elizabeth: The Golden Age Official Trailer #1 - Cate Blanchett Movie (2007) HD (『エリザベス:ゴールデン・エイジ』公式予告編 #1 - ケイト・ブランシェット主演映画(2007年))”, by Movieclips Trailer Vault, YouTube, 2012/01/09

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室・王室・王家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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