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2017年09月26日

第463回:“Homeland or death!” ―「祖国か死か!」(チェ・ゲバラ)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第463回の今日はこの言葉です。
“Homeland or death!”

「祖国か死か!」
という意味です。
もともとはスペイン語の
“Patria o muerte!”
(パトリア・オ・ムエルテ)
という言葉から来ています。
これはアルゼンチン出身の活動家・革命家で、政治家にもなったことがあるチェ・ゲバラ(Che Guevara, 1928-1967)の言葉です。キューバ革命でのゲリラ指導者として有名です。

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チェ・ゲバラ(1960年撮影)
By Alberto Korda (Museo Che Guevara, Havana Cuba) [Public domain], via Wikimedia Commons

1928年、チェ・ゲバラはアルゼンチン第2の都市であるロサリオ(Rosario)で裕福な家庭に生まれます。本名はエルネスト・ゲバラ(Ernesto Guevara)といいます。2歳の時から重い喘息となったため、一家はコルドバ(Córdoba)近郊の避暑地に転居します。コルドバのハイスクールに入ったエルネストは喘息の克服のためにかサッカーやラグビーなどの激しいスポーツを愛好します。プレー中によく発作を起こし、酸素吸入器を使っては試合に復帰していたそうです。

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ハイスクール時代のエルネスト・ゲバラ(1945年頃撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

ゲバラは20歳の時にブエノスアイレス大学(University of Buenos Aires)に入学し、医学への道を志します。
22歳の頃にゲバラはモペッド(Moped)という原動機付自転車の一種で北部アルゼンチンを一人で放浪します。
当時のアルゼンチンは南米の中では比較的豊かでしたが、フアン・ペロン(Juan Perón)大統領の独裁政権下にあります。

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医学生時代のゲバラ(1951年頃撮影)
By His Father (Museo Che Guevara) [Public domain], via Wikimedia Commons

翌年の1951年の年末、ゲバラは医学部の先輩でもある友人アルベルト・グラナード(Alberto Granado)と二人で500ccのオートバイ「ポデローサ号(La Poderosa)」に乗り、南米を放浪する旅に出ます。「ポデローサ」とはスペイン語で「怪力」という意味です。

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ポデローサ号とゲバラ(1952年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

この旅でゲバラは悲惨な暮らしをしている南米の先住民族(インディオ)やチリの最下層の鉱山労働者、ペルーのハンセン病患者などに触れます。旅の中でゲバラは貧しい人々への共感を強め、マルクス主義(Marxism)にも興味を示します。やがてゲバラは貧しい人々のために革命的な政治活動を目指すことを決意します。1952年7月、ベネズエラのカラカスでゲバラはアルベルトと別れ、空路マイアミに立ち寄った後にブエノスアイレスへ戻り、医学の勉強を再開します。一方のアルベルトは医学の研究で人々の役に立とうと決意し、カラカスに留まってハンセン病療養所で働きます。

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ゲバラとアルベルトの旅の経路(1951-52年)
空色が主にバイクを使った陸路で、赤色が空路
アルベルトはカラカスまで同行して同地に留まった。
By Pepe Robles, captions added by Jim Saeki [Public domain], via Wikimedia Commons

その翌年、ゲバラは医師免許を取得します。通常6年はかかる過程をわずか3年で修了したそうですから、いかにゲバラが優秀だったかがわかります。
なお、後にこの旅のゲバラの日記は『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記(The Motorcycle Diaries)』(1995年)として書籍化されて話題となり、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004年アルゼンチン・アメリカほか)として映画化もされます。


【動画】“'' the motorcycle diaries '' - official film trailer - 2004. (『モーターサイクル・ダイアリー』 - 公式予告編 - 2004年)”, by neondreams 25, YouTube, 2015/06/14

1953年、ゲバラは大学を卒業した25日後に再び南米放浪の旅に出ます。同行者は友人カルロス・フェレルです。ゲバラはボリビアで進行するボリビア革命の中で、虐げられてきたインディオたちが解放されて自由を謳歌しているのを見て衝撃を受けます。ゲバラはペルーやエクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルなどを訪れた後、グアテマラを訪れます。
ゲバラはグアテマラで医師をして働きはじめ、女性活動家のイルダ・ガデア(Hilda Gadea)と出会います。イルダはペルー出身で、ペルーの軍事政権に追放されてグアテマラに亡命しています。ゲバラはイルダに共鳴して社会主義に目覚めて熱中し、イルダと結婚します。

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イルダとゲバラ(1955年撮影)
By anonimous (Museo Che Guevara) [Public domain], via Wikimedia Commons

当時のグアテマラではアルベンス大統領が社会主義的な大胆な政治改革を進めており、「グアテマラ革命」とまで呼ばれています。しかしグアテマラの共産化を阻止したいアメリカ政府とCIAは反アルベンス派のカルロス・アルマス(Carlos Armas)に大量の兵器と資金を援助して傭兵を雇い、1954年に隣国エルサルバドルからグアテマラに侵攻させます。このクーデターは成功して親米の軍事独裁政権が復活し、アルベンスは大統領を辞任して国外に亡命します。
この状況に失望しつつ怒りを抱いていたゲバラは、武力を用いたラテン・アメリカの統一革命を目指すようになります。グアテマラの独裁政権はゲバラを危険分子とみなして暗殺命令を下します。ゲバラは妻イルダと共にメキシコに逃れ、そこでメキシコに亡命中のキューバ反政府軍のリーダーであるフィデル・カストロ(Fidel Castro)に出会います。ゲバラはカストロに共鳴し、キューバの武力ゲリラ闘争に参加することを決意します。

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フィデル・カストロ(1959年撮影)
By Fidel_Castro_-_MATS_Terminal_Washington_1959.png: Warren K. Leffler derivative work: Damiens.rf (Fidel_Castro_-_MATS_Terminal_Washington_1959.png) [Public domain], via Wikimedia Commons

軍事訓練を受けたゲバラは、1956年11月にカストロらと共にキューバへ渡ります。当時のキューバはグアテマラと同様、アメリカの傀儡ともいえるバティスタ大統領による親米の軍事独裁政権が支配しています。
反乱軍82名は上陸直後にキューバ政府軍の襲撃を受けて、わずか12名を残して壊滅してしまいます。しかし反乱軍は山中を転々としてゲリラ活動をしながら体制を立て直し、キューバ国内の反政府勢力と合流して勢力を増強します。ゲバラは当初軍医として参加していましたが、その人望と行動力や統率力で徐々に頭角をあらわし、カストロに次ぐ反乱軍のナンバー2となります。
1958年、国内の反政府勢力の共同戦線が結成され、戦闘が始まります。その年の年末に反乱軍は各地で政府軍に勝利して首都ハバナを制圧、1959年の元旦にバティスタ大統領は辞任してドミニカ共和国へ亡命します。キューバ革命(Cuban Revolution)です。

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ゲバラ(左)とカストロ(1961年撮影)
By Alberto Korda (Museo Che Guevara, Havana Cuba) [Public domain], via Wikimedia Commons

ゲバラは「やあ」とか「おい」とかという意味がある「チェ(Che)」という言葉でよく挨拶をしています。主にアルゼンチンなどで使われているスペイン語の方言で、英語でいう“Hi”みたいなものです。
“Che, Ernest Guevara.”
「やあ、エルネスト・ゲバラだ。」
と名乗っていたため、キューバ人達が「チェ」の発音を面白がり、いつの間にか「チェ」があだ名になってしまいます。キューバ革命以降、「チェ(Che)」「エル・チェ(El Che)」といえばゲバラのことを指すようになります。

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革命直後のチェ・ゲバラ(1959年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

ゲバラは革命の功績でキューバ市民権を与えられます。また、キューバ新政府の産業大臣と財務大臣、国立銀行の総裁などに就任します。妻のイルダはキューバを訪れますがゲバラと離婚し、ゲバラは反乱軍の同志だったアレイダ・マーチ(Aleida March)と再婚します。
1959年6月からゲバラは3ヶ月かけてアジア・アフリカ会議の加盟主要国を歴訪し、日本にも12日間滞在します。ゲバラはトヨタや三菱重工、ソニーや鐘紡などの企業を訪問したり池田通産大臣と会談したりする合間を縫って、予定を変更して広島の原爆死没者慰霊碑や原爆資料館を訪問します。

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ゲバラとアレイダ(右)(1960年撮影)
By Alberto Korda [Public domain], via Wikimedia Commons

カストロは1959年4月にアメリカの首都ワシントンDCを訪問して革命政府の承認を求めますが、アメリカのアイゼンハワー大統領ニクソン副大統領はこれを冷遇します。これによりカストロはソ連に接近し、キューバ国内のアメリカ資産を凍結して国有化し、アメリカとの対決姿勢を強めます。
同年9月、カストロはニューヨークの国連総会に出席し、4時間半に渡る演説を行ってキューバ革命の意義を主張してアメリカを非難します。
アメリカはキューバ最大の産業である砂糖の輸入を禁じ、1961年1月に国交断絶を通告します。

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革命直後にワシントンDCを訪問するカストロ(中央右、1959年撮影)
By U.S. Department of State [Public domain], via Wikimedia Commons

1961年4月、アメリカの爆撃機がキューバの空軍基地を空爆し、亡命キューバ人たちによる反カストロ軍の部隊がキューバへの上陸をはかります。しかし上陸を予想したキューバ軍の攻撃にあって上陸作戦は失敗します。「ピッグス湾事件(Bay of Pigs Invasion)」です。アメリカ政府とCIAがグアテマラと同様にカストロ政権の転覆を狙ったのです。事件後、空爆にアメリカが関わっていることが明らかになってアメリカは世界中から非難され、アメリカは逆ギレのような形でキューバへの経済制裁を強化します。
これを受けてカストロは同年5月に社会主義宣言を発し、ソ連を首班とする東側陣営への参加を表明します。
アメリカはフロリダ半島の目と鼻の先のカリブ海の隣国に社会主義国を誕生させてしまったのです。
1962年、ソ連のフルシチョフ書記長はキューバへの核ミサイル配備を決めます。そしてそれを阻止しようとするアメリカのケネディ大統領との緊張が高まります。米ソは第三次世界大戦となる全面核戦争の一歩手前まで対立を強めますが、核ミサイルを搭載したソ連の貨物船はぎりぎりのところで引き返し、なんとか戦争は回避されます。「キューバ危機(Cuban Missile Crisis)」です。

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キューバに向かうソ連の貨物船とアメリカ軍の哨戒機(1964年撮影)
By USN [Public domain], via Wikimedia Commons

1964年12月、ゲバラはニューヨークの国連総会にキューバ主席として出席します。
ゲバラはカンボジアやラオスやベトナム、キプロス、コンゴなど世界各地でのアメリカの介入や謀略を非難します。またキューバ危機当時やその後のアメリカの内政干渉や経済制裁の違法性を訴えます。
そして世界中の人々にキューバへの支持を訴え、特にソ連が率いる社会主義陣営の支持を訴えます。ゲバラはカストロによる「第二次ハバナ宣言(The Second Declaration of Havana)」を引用して以下のように演説を結び、喝采を浴びます。
“It is a cry that has the understanding and support of all the peoples of the world and especially of the socialist camp, headed by the Soviet Union.
That cry is: Homeland or death!”


「これは全世界の人々に理解と支持を呼びかける叫びです。特にソ連が率いる社会主義陣営の支持を。
『祖国か死か!』という叫びなのです。」


【動画】“Che Guevara speech at UN 1964 (English subtitles!!) (チェ・ゲバラの1964年の国連での演説(英語字幕))”, by Johan Nilsson, YouTube, 2011/05/25

翌1965年、ゲバラはアフリカのコンゴ民主共和国に渡って革命を指導しようとして、コンゴの兵士の士気の低さに失望します。一時期チェコスロバキアのプラハ近郊に潜伏した後、モスクワ経由でキューバに戻ります。
さらに翌年の1966年、ゲバラはボリビアに渡ります。ボリビアではかつてボリビア革命が起きたものの、再びアメリカ政府とCIAが支援する軍事独裁政権が実権を握っています。
ゲバラは期待していたボリビア共産党の協力が得られず、ソ連やキューバの十分な支援も得られない状態でゲリラ戦を続けます。しかし政府軍の襲撃を受けて捕えられ、銃殺されます。39歳の時のことです。

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ボリビアでの最後の戦いにて(1967年撮影)
By Anonymous [Public domain], via Wikimedia Commons

ゲバラの死後、その存在は英雄として神格化されます。ゲバラはラテンアメリカ諸国の独立や軍事独裁政権打倒の革命運動の象徴となり、欧米でも反米、反体制的な思想を持つ若者の間でもてはやされます。その写真はさまざまにデザインされて今でもTシャツやポスターに使われます。サッカーのサポーターや、ロック・ミュージシャンなどにもゲバラの肖像が勝利や反抗の象徴として使われたりします。ポップ・アートの旗手であるアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)もゲバラの肖像を用いた作品を何作か描いています。



アンディ・ウォーホル作『チェ・ゲバラ(Che Guevara)』(1968年)

“Homeland or death!”
祖国か死か!

キューバ革命の成功に大きな役割を果たし、ラテンアメリカ全体の解放を目指したチェ・ゲバラ。
「祖国か死か!」という言葉はキューバ革命の時の合言葉でもあり、カストロの『第二次ハバナ宣言(The Second Declaration of Havana)』(1962年)の結びにも使われました。
ゲバラは死後にも多くの革命運動に影響を与えます。
キューバでは今でも“CHE VIVE”(チェは生きている)という言葉があちこちに書かれています。
彼の激動の人生は映画にもなりました。
チェ・ゲバラは今でも人々の心の中に生きているのです。


【動画】“Mini Bio: Che Guevara (ミニ伝記:チェ・ゲバラ)”, by Biography, YouTube, 2014/01/21

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Official Che Trailer HD (『チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙』公式予告編)”, by Year of the Movies, YouTube, 2008/12/08

【関連記事】第131回:“Ask what you can do for your country.”―「君たちが国のために何ができるのかを問うて欲しい」(ケネディ大統領), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月24日
【関連記事】第282回:“It is 3 minutes to midnight.” ―「人類滅亡まであと3分」(世界終末時計), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年02月06日
【関連記事】第378回:“Bald-hairy” ―「つるふさの法則」(ロシアのジョーク), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年11月13日
【関連記事】第171回:“Think rich, look poor.”―「考えは豊かに、見た目は質素に」(アンディ・ウォーホル), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年02月01日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“The Second Declaration of Havana (第二次ハバナ宣言)”, http://www.walterlippmann.com
【参考】“Che Guevara - At the United Nations (チェ・ゲバラ - 国連にて)”, Guevara Archive, Copyright: c 2005 Aleida March, Che Guevara Studies Center and Ocean Press
【参考】“チェ・ゲバラ 国連での帝国主義に対する非難”, by チェ・ゲバラ研究室, カストロとゲバラに憧れて Hasta la victoria Siempre, 2010.08.23

【動画】“'' the motorcycle diaries '' - official film trailer - 2004. (『モーターサイクル・ダイアリー』 - 公式予告編 - 2004年)”, by neondreams 25, YouTube, 2015/06/14
【動画】“Che Guevara speech at UN 1964 (English subtitles!!) (チェ・ゲバラの1964年の国連での演説(英語字幕))”, by Johan Nilsson, YouTube, 2011/05/25
【動画】“Mini Bio: Che Guevara (ミニ伝記:チェ・ゲバラ)”, by Biography, YouTube, 2014/01/21
【動画】“Official Che Trailer HD (『チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙』公式予告編)”, by Year of the Movies, YouTube, 2008/12/08



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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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