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2017年09月14日

第460回:“I want to go on living even after my death!” ―「死んだ後でも生き続けたい!」(アンネ・フランク)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第460回の今日はこの言葉です。
“I want to go on living even after my death!”

「死んだ後でも生き続けたい!」
という意味です。
これはユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランク(Anne Frank, 1929-1945)の言葉です。
ナチス・ドイツのユダヤ人狩りから逃れての潜伏生活を描いた『アンネの日記(The Diary of a Young Girl)』、オランダ語原題“Het Achterhuis(後ろの家)”の作者として知られています。

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アンネ・フランク(1940年撮影)
By Unknown photographer; Collectie Anne Frank Stichting Amsterdam (Website Anne Frank Stichting, Amsterdam) [Public domain], via Wikimedia Commons

1929年、アンネ・フランクはドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれます。アンネとは愛称で、本名は「アンネリース(Annelies)」です。姉のマルゴー(本名マルゴット)と二人姉妹で、父のオットーは銀行家、母のエーディトが資産家の娘という家庭でした。

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2歳の頃のアンネ(右)
アンネの生家の前にある記念プレートより(2009年撮影)
左が姉のマルゴー、中央が友達のグレース
Frank Behnsen at the German language Wikipedia [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

1932年、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)率いるナチ党(Nazi Party)がドイツ国会の選挙で第一党となり、翌1933年に首相に任命されて政治の実権を握ります。街では大規模な反ユダヤ主義のデモが行われ、ユダヤ人商店のボイコットや教育現場でのユダヤ人の隔離などもおこなれます。ユダヤ系ドイツ人たちは次々とドイツ国外に亡命します。アンネは母や姉と共に一時的にアーヘンにある母の実家に身を寄せた後、父が働き始めたオランダのアムステルダムに移り住みます。アンネが3歳の時です。アンネは病弱でしたが陽気な性格で、男の子にも女の子にも先生にも人気があったそうです。

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アドルフ・ヒトラー(1938年撮影)
Bundesarchiv, Bild 183-H1216-0500-002 / CC-BY-SA [CC BY-SA 3.0 de], via Wikimedia Commons

1938年、ドイツ軍が突如ポーランドへ侵攻して第二次世界大戦(World War II)が勃発します。そして1940年、ドイツ軍は突如オランダにも侵攻します。オランダはパニックに陥り、商店には食料を求める人々が殺到します。ユダヤ人の中にはオランダ脱出を試みる人もいましたが、ほとんどが失敗します。3日後にオランダ女王ウィルヘルミナ(Wilhelmina)や政府閣僚はイギリスへ逃亡。その翌日にオランダ軍はドイツ軍に降伏します。1週間もたたずにオランダはドイツの占領地となります。
その2週間後にはベルギーが降伏、さらに翌月にはフランスも降伏し、スイスなど一部を除いたヨーロッパの大部分はドイツ第三帝国に支配されます。

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アムステルダムに進駐するドイツ軍(1940年撮影)
Bundesarchiv, Bild 183-L23001 / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 de], via Wikimedia Commons

オランダに住むユダヤ人も、次第に弾圧されるようになります。
ユダヤ人には登録が義務づけられ、公園やプール、ホテルや映画館などへの入場を禁止されます。子供たちはユダヤ人学校以外に通うことを禁止され、アンネは転校を余儀なくされます。ユダヤ人は黄色いダビデの星の胸章をつけることを義務づけられます。

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ダビデの星の胸章(2006年撮影)
オランダ語の「Jood(ユダヤ人)」の文字がある
By The original uploader was Nagle at English Wikipedia (Transferred from en.wikipedia to Commons.) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

1942年6月、アンネは13歳の誕生日に父のオットーから赤いチェック柄の表紙のサイン帳を贈られます。アンネはこれを日記帳として使うことにして「キティー(Kitty)」と名付け、架空の親友「キティー」に手紙を書くという形で、その日の夜から日記を書き始めます。初日の日記は次の通りです。
“I hope I will be able to confide everything to you, as I have never been able to confide in anyone, and I hope you will be a great source of comfort and support.”

「あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを何もかもお話しできそうです。どうか私のために大きな心の支えと慰めになってくださいね」
(1942年6月12日)

― 訳:深町真理子, 『アンネの日記 研究版』, オランダ国立戦時資料研究所, 文藝春秋, 1994年(平成6年)

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『アンネの日記』(2008年撮影)
ベルリンのアンネ・フランク・ツェントルム蔵
By Rodrigo Galindez (Flickr: Anne Frank Zentrum) [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

この頃からドイツは総力戦の体制が強まり、ユダヤ人狩りも頻繁に行われます。イギリスのBBCなどは、連行されたユダヤ人たちがポーランドの強制収容所で虐殺されていると報道します。ホロコースト(Holocaust)です。
ユダヤ人は夜間の外出を禁じられ、ユダヤ人以外の人を訪問したり訪問を受けたりすることも禁じられます。
アンネの父オットーは会社の関係者で家族ぐるみの付き合いだったヘルマン・ファン・ペルスと協力して、自らが経営する会社の事務所兼倉庫が入っている建物の背後にある別棟を改築して隠れ家を作ります。そしてドイツ軍に見つからないように家具などを少しずつ運び入れます。
1942年7月、ナチス親衛隊からアンネの姉のマルゴーに出頭命令が届きます。15歳から16歳のユダヤ人が召集されてドイツの収容所で強制労働をさせられることになったのです。オットーはマルゴーに出頭させるのは危険だと判断し、一家4人は隠れ家に移って潜伏生活を始めます。

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アンネの父オットー・フランクの会社が入っていた建物(中央左、2009年撮影)
この背後にある別棟を隠れ家に改装した。
現在は「アンネ・フランクの家」として観光名所となっている。
By Massimo Catarinella (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

隠れ家にはまもなくヘルマン・ファン・ペルスの一家3人も住み始め、さらに4ヶ月後には歯科医のフリッツ・プフェファーも合流して8人での潜伏生活が始まります。
事務所には人の出入りがあったため、アンネたちは昼間もカーテンを閉めきって、できるだけ物音をたてないように過ごします。水の流す音が響かないように、トイレの使用も事務所が閉まる夕方から早朝までに制限します。バスルームはなく、たらいのお湯で交代で行水します。食料はオランダ人社員の何人かが闇ルートで買ってこっそり差し入れます。しかし次第に食料確保は難しくなり、一同は空腹に苦しみます。医者にもかかれないので病気になった時は大変です。

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隠れ家への通路を隠す本棚(2008年撮影)
By Bungle (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

狭い部屋での長い潜伏生活は精神的にもつらく、些細なことで口論が絶えません。アンネも母親といがみあったり、歯科医のフリッツと対立したりします。一方で誰かの誕生日やユダヤの祝祭であるハヌカー、ユダヤの祝祭ではないクリスマスなど、一同はきっかけを見つけてはお祝いをして、できるだけ明るく過ごす工夫をします。またアンネはヘルマンの一人息子ペーターに次第に惹かれてゆき、恋に落ちます。

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隠れ家の模型(2013年撮影)
左の建物が会社の事務所や倉庫で、左の側面が通りと運河に面している。
右の建物が隠れ家として使っていた「後ろの家」。
By Alexisrael (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

厳しい生活の中でも、アンネは希望を捨てません。
1944年4月5日の日記に、アンネは次のように書いています。
“I want to go on living even after my death!”

「私の望みは、死んでからもなお生きつづけること!」
(1944年4月5日)

― 訳:深町真理子, 『アンネの日記 増補新訂版』, 文藝春秋, 2003年
そしてアンネは同じ日の日記に、将来の夢はジャーナリストか作家になることだと書き記します。

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アンネ・フランク(1940年撮影)
潜伏生活に入る前に撮影されたもの
By Unknown photographer; Collectie Anne Frank Stichting Amsterdam (Website Anne Frank Stichting, Amsterdam) [Public domain], via Wikimedia Commons

開戦当初は圧倒的に優勢だったドイツ軍も、各地で敗北して次第に劣勢になっていきます。
アンネたちも新聞の差し入れやラジオの放送などで知ることができる戦況を祈る思いで見守ります。
独ソ戦でのスターリングラードの戦い(1942年6月-1943年2月)や、イギリス軍のシチリア島上陸(1943年7月)からイタリア降伏(同9月)など、日記にも断片的に書かれています。
1944年6月6日、連合軍がフランスのノルマンディー海岸に上陸します。いわゆる「Dデー(D-Day)」です。隠れ家の一同は興奮してラジオにかじりつきます。アンネもこの日は上陸作戦の報道について詳しく書いており、解放される日が近いかもしれないという希望を熱く語っています。

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ノルマンディーのオマハ・ビーチに上陸するアメリカ陸軍の兵士(1944年撮影)
By Chief Photographer's Mate (CPHOM) Robert F. Sargent, U.S. Coast Guard [Public domain], via Wikimedia Commons

1944年7月15日の日記では、アンネは次のように書いています。これも有名な言葉です。
“It's a wonder I haven't abandoned all my ideals, they seem so absurd and impractical. Yet I cling to them because I still believe, in spite of everything, that people are truly good at heart.”

「自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと」
(1944年7月15日)

― 訳:深町真理子, 『アンネの日記 研究版』, オランダ国立戦時資料研究所, 文藝春秋, 1994年(平成6年)



日記を書くアンネの人形の展示
ベルリンの「マダム・タッソー館」にて(2012年撮影)
Photo by ODD ANDERSEN/AFP [Rights-managed], via Getty Images

アンネの日記はその後まもなく途絶えます。
ナチス親衛隊情報部の幹部が隠れ家に踏み込んだのです。何者かの密告があったとされています。1944年8月4日の朝のことです。潜伏していた8人と社員の2人は逮捕され、8人はポーランドにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(Auschwitz II–Birkenau concentration camp)に送られます。到着と同時に男女に分けられ、アンネは父オットーたちと別れて女子収容施設に入れられます。
さらにアンネと姉のマルゴーは母エーディトと引き離され、ドイツにあるベルゲン・ベルゼン強制収容所(Bergen-Belsen concentration camp)に送られます。この収容所ではとても不潔で食料もほとんど与えられず、餓死者と病死者が続出します。
体力の衰えた二人は、収容所に蔓延していたチフスにかかります。
先にマルゴーが亡くなり、数日後にアンネも息を引き取ります。
1945年の2月末か3月のはじめ、アンネが15歳、マルゴーが19歳の時のことです。
そのわずか1ヶ月あまり後、この収容所はイギリス軍によって解放されます。


【動画】“Animation of Anne Frank, the graphic biography (アンネ・フランクの伝記アニメ)”, by Anne Frank House, YouTube, 2010/07/07

1945年5月、ドイツ軍が連合軍に無条件降伏してヨーロッパでの大戦は終結します。アンネの父オットーは解放されてアムステルダムに戻りますが、それ以外の7名はみな収容所で亡くなっています。オットーは隠れ家に残された遺品の中にアンネの日記を見つけます。逮捕時に床にぶちまけられたかばんの中身に交じっていて、逮捕をまぬがれた社員たちが保管していたのです。
この日記はオットーによってタイプし直されて少数の親しい知人たちに渡されます。そしてこれが評判となり、1947年に『後ろの家(Het Achterhuis)』というタイトルでオランダ語版が出版され、ベストセラーとなります。その後何ヶ国語にも翻訳され、世界中で出版されます。またブロードウェーで舞台化され、何度もテレビ化・映画化されます。


【動画】“Anne Frank the Whole Story -Trailer (『アンネ・フランク』- 予告編)”, by Annie Filion, YouTube, 2016/01/02

“I want to go on living even after my death!”
死んだ後でも生き続けたい!

死の恐怖におびえる中で、何としても生き続けたいと願ったアンネ。
その矛盾した言葉が、強い願いを雄弁に語っています。
3歳の時に故郷を離れ、異国で暮らした12年間。
16年に満たない短い生涯のうち2年間を過ごした隠れ家での生活はどれだけ過酷だったことでしょう。
そんな過酷な毎日でも常に希望を失わずに書き続けたアンネの日記は多くの人に読まれ、多くの人の心を打ちました。
アムステルダムの運河沿いに残る隠れ家は博物館『アンネ・フランクの家(Anne Frank House)』として公開されており、今でも連日多くの人が列を作って訪れています。
アンネは今でも人々の心の中に生き続けているのです。



マルゴーとアンネの墓碑(2015年撮影)
ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地にて
Photo by Sean Gallup [Rights-managed], via Getty Images

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Anne Frank: Her Life in Colour (アンネ・フランク:カラー化写真で見る生涯)”, by Charlieee23, YouTube, 2010/09/05

【関連記事】第318回:“Do what is right because it is right.” ―「正しいことをしよう。正しいのだから」(杉原千畝), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年05月20日
【関連記事】第395回:“I dream for a living.”―「生きる糧として夢を見るんだ」(スティーブン・スピルバーグ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年01月03日
【関連記事】第427回:“I hope to stay unemployed as a war photographer.” ―「戦争写真家の切なる願いは失業だ」(ロバート・キャパ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年05月05日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“"I WANT TO GO ON LIVING EVEN AFTER MY DEATH" (死んだ後も生き続けたい)”, January 20, 2015
【参考】“June 12, 1942 – Anne Frank (1942年6月12日 - アンネ・フランク)”, Holocaust Memorial Resource & Education Center of Florida

【動画】“Animation of Anne Frank, the graphic biography (アンネ・フランクの伝記アニメ)”, by Anne Frank House, YouTube, 2010/07/07
【動画】“Anne Frank the Whole Story -Trailer (『アンネ・フランク』- 予告編)”, by Annie Filion, YouTube, 2016/01/02
【動画】“Anne Frank: Her Life in Colour (アンネ・フランク:カラー化写真で見る生涯)”, by Charlieee23, YouTube, 2010/09/05



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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争と平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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