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2017年05月17日

第430回:“The future is mine.” ―「未来は私のものだ」(ニコラ・テスラ)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第430回の今日はこの言葉です。
“The future is mine.”

「未来は私のものだ」
という意味です。
これはオーストリア帝国出身の電気技師で発明家でもあったニコラ・テスラ(Nikola Tesla, 1856-1943)の言葉です。アメリカの発明王トーマス・エジソン(Thomas Edison)のライバル的な存在で、電磁気に関連した数々の画期的な発明をしたことで知られています。
“The present is theirs.... the future is mine.”
「現在は彼らのものだが、未来は私のものだ」
というのが、もともとの言葉です。

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ニコラ・テスラ(1893年撮影)
Napoleon Sarony [Public domain], via Wikimedia Commons

1856年、ニコラ・テスラは当時のオーストリア帝国、今の現在のクロアチアの西部にあるゴスピッチ(Gospić)の近郊の村で生まれます。両親ともセルビア人で、父親はセルビア正教会の司祭をしています。
幼い頃から勉学に励み、特に数学で図抜けた才能を発揮します。ゴスピッチにあるギムナジウム(高校)に通っていた頃、テスラは物理の教師が生徒に見せる科学実験に強い興味を示します。テスラは通常4年かかる過程を3年で終え、17歳でギムナジウムを卒業します。

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ゴスピッチの町並み(2004年撮影)
By INekic (Own work) [GFDL or CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons

テスラは19歳の頃にグラーツ工科大学(Graz University of Technology)に入学し、抜群の学業成績を残します。そして22歳の頃にグラーツを離れて今のスロヴェニアにあるマリボル(Maribor)という町で製図工として働きます。この時期テスラは神経衰弱に悩んでいたとも言われています。
その後テスラは故郷のゴスピッチで母校のギムナジウムで教鞭をとったり、プラハの大学で聴講生となったり、ブダペストの電信電話公社で主任電気技師として働いたりします。

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23歳の頃のテスラ(1879年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikipedia

1882年、テスラはパリにあるエジソン電灯会社(Edison Electric Light Company)の欧州法人に採用されます。そして発電機やモーターを改良したり発電設備のトラブル対応などを担当して電気工学の経験を積みます。
1884年、テスラはトーマス・エジソンの右腕と呼ばれた上司のチャールズ・バチェラー(Charles Batchelor)が帰国する際に連れられてアメリカへ移住し、ニューヨークにあるエジソン社の機械製造部門「エジソン・マシン・ワークス社(Edison Machine Works)」で働き始めます。テスラが28歳の頃です。
テスラは月給100ドルの電気技師として、パリと同様に設備のトラブル対応や発電機の改良などの仕事を続けます。客船の発電設備のトラブルを徹夜で修理しているテスラをトーマス・エジソンがたまたま見かけ、
“This is a damned good man.”
「べらぼうに有能な男だ」
とバチェラーに語ったと言われています。

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エジソン・マシン・ワークス社(1881年撮影)
By Charles L. Clarke (Gilder Lehrman Collection) [Public domain], via Wikimedia Commons

エジソン・マシン・ワークス社でテスラはアーク灯の開発プロジェクトを与えられます。エジソン社は当時フィラメントに電流を流して発光させる白熱灯を電灯として使っています。豆電球と同じ原理のもので、エジソンが改良に改良を重ねて世界で初めて商用化したものです。この白熱灯に対して、アーク灯は放電を利用したものです。低電力でも強い光を放ち、球切れもないのが特徴です。しかしアーク灯には高い電圧が必要で、低電圧を使っていたエジソン社の発電・送電システムを根本から作り直す必要があるため結局採用されません。

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キセノンランプ(アーク灯の一種)
IMAXの上映用光源として使われているもの(2005年撮影)
Atlant [CC BY 2.5], via Wikimedia Commons

また、当時エジソン社は直流(DC: Direct Count)の送電システムを使っています。乾電池を使った電気回路と基本的には同じです。しかしこれは送電時の電力ロスがとても大きいという欠点があります。それに対してプラスとマイナスが高速に切り替わる交流(AC: Alternating Current)の送電は、高圧で送ると送電ロスが少ないという利点があります。テスラは交流送電こそが今後は主力になると主張します。交流送電の難しさを知り尽くしているエジソンは、直流用に設計されたエジソン社の送電システムを交流電源でも動かせたら5万ドル(今の13億円以上)の褒賞を出そうと提案します。そしてテスラはこれを見事に成功させます。しかし交流電源を認めたくないエジソンは、褒賞の件を冗談で済ませます。
“Tesla, you don't understand our American humor.”
「テスラ君、アメリカのユーモアを理解できないのかね」
と言ったという説もあります。
これはひどい。
エジソン、わりとブラックな経営者ですね。

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トーマス・エジソン(1877年撮影)
By L.C. Handy [Public domain], via Wikimedia Commons

結局テスラはエジソン・マシン・ワークス社を6ヶ月で去ります。そして同じ年の1884年に「テスラ電灯会社(Tesla Electric Light & Manufacturing)」を、さらに1887年に「テスラ・エレクトリック(Tesla Electric Company)」を設立します。
この年テスラは交流電流で動作する誘導モーター(induction motor)と、交流電流を生み出す誘導発電機(induction electric generator)を開発し、特許を取得します。
電力大手のウェスティンハウス・エレクトリック(Westinghouse Electric & Manufacturing Company)はこれに注目し、莫大な金額で権利を獲得します。東芝問題で騒がれているあのウェスティンハウスです。当時ウェスティンハウスは交流による電力事業を推進しており、直流を推進するエジソン陣営と対立していますが、テスラの特許と助言によって交流システムの性能を飛躍的に向上させます。
ウェスティンハウスは1893年のシカゴ万博で50万個の電球を光らせてライトアップし、その電力をまかなう発電機と送電システムを展示します。また1895年にはナイアガラの滝に水力の交流発電所を建設し、ニューヨーク州バッファローに電力を供給します。
結果的に、エジソンが設立したゼネラルエレクトリック社(GE: General Electric)も交流を採用し、「電流戦争(War of Currents)」と言われたこの論争はテスラが主張した交流電源側の勝利となります。

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1893年シカゴ万博のウェスティンハウスの展示
後方にゼネラルエレクトリックの展示が見える
By Not given [Public domain], via Wikimedia Commons

1889年、ウェスティンハウスとの契約で大金を手にしたテスラはニューヨークに研究拠点をいくつか設立し、もの凄い勢いで発明の量産を始めます。
1891年、テスラはテスラコイル(Tesla Coil)の特許を取得します。高周波と高電圧を発生させる変圧器で、派手に飛び散る放電のビジュアルが印象的です。これを小型化したプラズマボール(Plasma globe)はガラスの中でゆらゆらと光がゆらめき、今でもインテリアとして人気ですよね。

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放電実験をするテスラ(1900年頃撮影)
コロラド・スプリングスにあるテスラの実験室の一つにて
By Dickenson V. Alley, photographer, Century Magazine [Public domain], via Wikimedia Commons

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プラズマボール
By Diliff (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY 2.5], via Wikimedia Commons

1898年、テスラは放電を利用した点火プラグ(spark plug)の特許を取得します。今でもガスコンロや100円ライターだけでなく、自動車のエンジンにも同じ原理のものが使われています。
同じ1898年、テスラは無線操縦(radio remote control)の特許を取得します。そしてニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで船舶模型の無線操縦を実演します。世界初のラジコン模型で、ドローンの先祖にもあたります。

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テスラが無線操縦を実演した船舶模型(1898年撮影)
By Nikola Tesla 1898 (Nikola Tesla Museum, Belgrad) [Public domain], via Wikimedia Commons

また、先を越されたり実用化まで至らなかったりした発明や発見も数多くあります。
1894年、テスラは電気実験の後で写真のフィルムが感光しているのを見て原因を探ります。しかし1895年にドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲン(Wilhelm Röntgen)が先にX線(X-rays)を発見します。翌1896年にはテスラも自分の手のX線撮影に成功します。

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ヴィルヘルム・レントゲン(1900年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

1890年代から1906年ごろまで、テスラは電力の無線伝送の研究に注力します。
1905年には世界最大の銀行家でモルガン財閥の創始者でもあるJ・P・モルガン(John Pierpont Morgan)の援助で、ニューヨーク州ロングアイランドに高さ57メートルの「ウォーデンクリフ・タワー (Wardenclyffe Tower) 」が完成します。無線による通信と送電の実験をするためです。
しかし当時の技術では十分高い周波数を作り出すことができず、テスラは送電の実験に失敗します。また、J・P・モルガンは銅の取引でも大きな利益を上げていたため、無線送電が実現すると銅が売れなくなってしまうことからテスラへの援助を打ち切ります。テスラは無線送電の研究が続けられなくなってしまいます。

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ウォーデンクリフ・タワー(1904年撮影)
By Unknown (Life time: Unattributed) [Public domain], via Wikimedia Commons

このように、テスラはその発明が斬新なだけに、敵も多い人物でした。送電方法で対立したエジソンもそうですし、無線通信の特許を争ったイタリアの発明家グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)とも対立します。テスラ自身が風変りでエクセントリックだったこともあり、実に多くの人からいろいろな妨害や嫌がらせを受けます。
そのことについてたずねられたテスラが語ったのがこの言葉です。
“The present is theirs.... the future is mine.”
「現在は彼らのものだが…、未来は私のものだ」

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ニコラ・テスラ(1900年頃撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

ほかにもテスラはさまざまなアイディアを実現しようとします。
一種の永久機関を目指した「フリーエネルギー(free energy)」、SF作品ではおなじみの「殺人光線(death ray)」、人工地震を発生させる「テスラ発振器(Tesla Oscillator)」、考えていることを映し出す「思考カメラ(thought camera)」なんてものもあります。「思考カメラ」なんて名前も中身もドラえもんのひみつ道具みたいです。
中にはそうとう怪しげな発明もあり、オカルトな人々の食いつきがいいのもご愛敬です。しかしこの中の一つでも実現したら世界が根本から大きく変わるものばかりです。

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テスラの「思考カメラ」のスケッチ(1933年)
By Unknown [Public domain], via Wikipedia

1943年、テスラはボストンのホテルで息を引き取ります。生涯独身で、86歳でした。
テスラの死の直後、FBI(連邦捜査局, Federal Bureau of Investigation)がホテルの部屋に踏み込んで、資料やデータはすべて没収されてアメリカの政府と軍が入手したと言われます。それだけ重要な研究がされていたということです。


【動画】“Top 10 Greatest Inventions by Nikola Tesla − TopTenzNet (ニコラ・テスラの10の偉大な発明 - TopTenzNet)”, by TopTenz, YouTube, 2015/07/21

“The future is mine.”
未来は私のものだ。

送電方法について、直流にすべきか交流にすべきかをあのエジソンと争ったテスラ。
今、世の中では使われているのは交流による送電がほとんどです。
ほかにも放電照明や無線通信、無線操縦は僕たちの暮らしを大きく変えました。
さらにテスラは無線送電も研究しました。もしJ・P・モルガンが援助を中止しなければ、今ごろは無線送電の技術が確立されていたかもしれません。
あと、イーロン・マスク(Elon Musk)が設立した電気自動車の会社「テスラ・モータース(Tesla Motors)」は、このテスラにちなんだものです。

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テスラ・モデルSとイーロン・マスク(2011年撮影)
By Maurizio Pesce from Milan, Italia (Elon Musk, Tesla Factory, Fremont (CA, USA)) [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Nikola Tesla vs Thomas Edison. Epic Rap Battles of History Season 2. (ニコラ・テスラ対トーマス・エジソン - 歴史的ラップバトル・シーズン2)”, by ERB, YouTube, 2013/03/11

【関連記事】第294回:“Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration.” ―「天才とは1%のひらめきと99%の努力からなる」 (エジソン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年03月20日
【関連記事】第299回:“I would like to die on Mars. Just not on impact.” ―「僕は火星で死にたい。衝突じゃなくてね」(イーロン・マスク), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年04月08日
【関連記事】第258回:“SOS”―「われ遭難せり」(遭難信号、タイタニック号など)), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2015年11月16日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Nikola Tesla - The Future is Mine (ニコラ・テスラ - 未来は私のものだ)”, by Keiko Sei, Revista Umělec 2000/1, divus, 01.01.2000
【参考】“Nikola Tesla Museum (ニコラ・テスラ博物館)”
【参考】“発明超人ニコラ・テスラ”, by 新戸雅章, テスラ研究所
【参考】“エジソンを超える天才発明王『ニコラ・テスラ』〜歴史から消されたマッドサイエンティストの正体〜”, by 関 凛太朗, RSELeaks, 2016/09/25

【動画】“Top 10 Greatest Inventions by Nikola Tesla − TopTenzNet (ニコラ・テスラの10の偉大な発明 - TopTenzNet)”, by TopTenz, YouTube, 2015/07/21
【動画】“Nikola Tesla vs Thomas Edison. Epic Rap Battles of History Season 2. (二コラ・テスラ対トーマス・エジソン - 歴史的ラップバトル・シーズン2)”, by ERB, YouTube, 2013/03/11

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 発明家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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