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2017年05月09日

第428回:“Art is an explosion!” ―「芸術は爆発だ!」(岡本太郎)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第428回の今日はこの言葉です。
“Art is an explosion!”

「芸術は爆発だ!」
という意味です。
これは日本の芸術家、岡本太郎(Taro Okamoto, 1911-1996)の言葉です。絵画だけでなく立体作品も数多く手がけ、芸術論や文化論を展開し、テレビにも積極的に出演した人物です。

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岡本太郎(1953年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

岡本太郎は1911年(明治44年)に神奈川県の高津村(今の川崎市高津区)に生まれます。父親は漫画家の岡本一平、母親は小説家で歌人でもある岡本かの子です。
太郎は小学校になじめずに転校を繰り返した後、慶應義塾幼稚舎にようやくなじんで落ち着います。太郎はクラスの人気者になりますが成績は52人中52番でした。ちなみに最下位から2番目の51番だったのは後の国民栄誉賞を受賞する歌手となる藤山一郎だったそうです。

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藤山一郎(1930年代前半撮影)
By カニサボテン (毎日新聞社が撮影した写真をスキャナでスキャン) [Public domain], via Wikimedia Commons

太郎は幼い頃から絵が好きでさかんに描いていましたが、中学に入った頃から「何のために描くのか」と悩みます。そして慶應義塾普通部を卒業後、画家になることに悩みながらも東京美術学校(今の東京芸術大学)に進学します。
まもなく朝日新聞の人気漫画家だった父の一平が特派員としてヨーロッパに派遣されることになり、太郎は東京美術学校を休学して家族と共に海を渡り、パリでの生活を始めます。1930年(昭和5年)、太郎が18歳の時です。太郎はパリの美しい街並みを見て感動し、ボロボロと涙を流したそうです。両親は2年後に帰国しますが太郎はパリに留まり、名門パリ大学ソルボンヌ校(La Sorbonne, Université de Paris)で美学や民俗学などを学びます。
パリでも芸術に対する迷いは続いていましたが、ある日たまたま立ち寄った画廊でパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の作品『水差しと果物鉢(Pichet et coupe de fruits)』(1931年)を見て衝撃を受けます。太郎は以来「ピカソを超える」ことを目指して芸術に打ち込むようになります。


ピカソ作『水差しと果物鉢』(1931年)
グッゲンハイム美術館蔵

太郎はパリでさまざまな芸術家たちと交流します。
写真家のロバート・キャパ(Robert Capa)もその一人です。キャパはユダヤ系のハンガリー人で、ナチスの迫害を逃れてパリへ移り住んでいます。本名はアンドレ・フリードマン(Endre Friedmann)ですが仕事をしやすいようにアメリカ人風の名前を名乗っています。キャパの恋人だったゲルダ・タロー(Gerda Taro)もドイツ生まれのユダヤ系ポーランド人で、やはりナチスの迫害から逃れてパリへ来てキャパと知り合います。彼女の本名はゲルタ・ポホリレ(Gerta Pohorylle)。ゲルダが「タロー」と名乗ったのは、キャパを通して知り合った岡本太郎の名前の東洋的な響きに魅せられたからなのだそうです。これはなかなかのびっくりエピソードだと思います。
ゲルダはキャパと共にスペイン内戦の取材のためにスペインを訪れますが、戦車に轢かれて1938年に帰らぬ人となります。



ゲルダ・タローとロバート・キャパ(1936年撮影)
By Fred Stein Archive/Archive Photos [Rights-managed], via Getty Images

1939年、ドイツ軍が突如ポーランドに侵攻します。第二次世界大戦(World War II)の勃発です。1940年、ドイツ軍がフランスにも侵攻したため、太郎はパリを離れ、後ろ髪をひかれる思いで日本へ帰国します。29歳の時のことです。帰国した太郎は二科展へ入選したり個展を開いたりと、精力的に活動します。
1942年(昭和17年)、太郎は帝国陸軍に召集されて中国戦線に出征します。30歳となっていた太郎は戦地でもいろいろ苦労しますが、それでも上官の肖像画を描いたりして、芸術への情熱は失いません。
そして1945年(昭和20年)、日本が降伏して第二次世界大戦は終結します。太郎は長安で2年ほど俘虜生活を送った後に帰国しますが、青山にあった自宅と作品は空襲によって焼失してしまっています。太郎は世田谷の上野毛にアトリエを構え、個展を開いたりパリの展覧会に出品したりと、再び精力的な活動を始めます。そして1954年(昭和29年)には港区の青山に自宅兼アトリエを建てて制作活動に励みます。

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ビーフステーキを作る岡本太郎(1954年撮影)
当時はフランス語の“biftek”(ビフテック)から「ビフテキ」とも呼ばれていた
By 朝日新聞社 (『アサヒグラフ』 1954年9月29日号) [Public domain], via Wikimedia Commons

1970年(昭和45年)、大阪で万国博覧会が開催されます。太郎はテーマ展示のプロデューサーを任されます。太郎は「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、中心施設である「お祭り広場」に高さ70メートルの塔を建設することを考えます。
博覧会の総合プロデューサーだった建築家の丹下健三は、お祭り広場に鉄骨構造の「大屋根」をかけることを計画していたため、一時は太郎と揉めますが、大屋根に巨大な開口部をつくるという案で合意します。
そして太郎は巨大で異様な「太陽の塔(Tower of the Sun)」を制作します。また、テーマ館の一部として内部空間もパビリオンの一つとしてデザインされます。
完成した「太陽の塔」は大屋根を突き破るようにそびえ立ち、結果的にその斬新なデザインは健三と岡本太郎の素晴らしいコラボとして絶賛されます。
万博が閉幕して大屋根を含む施設が撤去された後も太陽の塔は残され、今でも会場跡地の万博記念公園で見ることができます。


太陽の塔と大屋根
日本万国博 《40周年記念》 スペシャルDVD

1970年代以降、太郎はテレビのバラエティ番組、テレビCMやテレビドラマにも積極的に出演します。
特に日本テレビのバラエティ『鶴太郎のテレもんじゃ』では、ドライアイスの煙の中から荘厳な音楽と共に登場し、「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」などと叫びます。この演出は人気となり、太郎の言葉は流行語にもなります。
太郎はその後も精力的に制作活動を続けますが、1996年に亡くなります。84歳でした。
太郎は自分が所蔵するほとんどの作品を生前に故郷の川崎市へ寄付していました。
1999年、川崎市多摩区の生田緑地にそれらの作品を収蔵する「川崎市岡本太郎美術館」がオープンします。

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川崎市岡本太郎美術館(2016年撮影)
By 江戸村のとくぞう (Edomura no Tokuzo) (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

2003年、メキシコで行方不明になっていた巨大壁画『明日の神話』が発見されます。1967年に太郎がメキシコ人実業家から依頼を受けて、ホテルに飾るために2年がかりで制作したものです。制作意図をたずねられた太郎は、
「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く―といった気持ちを表現した」
と答えたそうです。その後ホテルは経営が悪化して管理もずさんになり、いつしか行方がわからなくなっていましたが、メキシコの倉庫で偶然発見されます。そして岡本太郎記念現代芸術振興財団などが再生プロジェクトを立ち上げ、分割して日本へ運んで修復作業が行われます。
修復された『明日の神話』は今では渋谷マークシティの連絡通路に展示され、広く一般に公開されたパブリックアートととして新たな名所となっています。


【動画】“岡本太郎作の巨大壁画 「明日の神話」渋谷にお目見え”, by TOKYO MX, YouTube, 2008/11/18

“Art is an explosion!”
芸術は爆発だ!

若い頃から芸術とは何かを悩みに悩んだ岡本太郎。
その答えがこの言葉、「芸術は爆発だ!」でした。
太郎は戦後日本の力強い復興を象徴するような、大胆で迫力のある絵画や立体芸術を数多く生み出しました。
ピアノやゴルフ、料理やスキーにも親しんだ岡本太郎。
それらの趣味やテレビ出演も、彼にとっては芸術の一環だったのかもしれません。


【動画】“1981年CM マクセル ビデオテープ 「芸術は爆発だ」 岡本太郎”, by 懐かしいTVCMアーカイブス, YouTube, 2014/03/29

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Art is an Explosion! - Taro Okamoto Museum 岡本太郎記念館”, by CHIBBY CHANNEL, YouTube, 2016/05/01

【関連記事】第427回:“I hope to stay unemployed as a war photographer.” ―「戦争写真家の切なる願いは失業だ」(ロバート・キャパ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年05月05日
【関連記事】第416回:“I'll only retire when I die.” ―「死ぬまで引退しません」(丹下健三), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年03月22日
【関連記事】第423回:“The aim of art is to glorify beauty.” ―「芸術の目的は美を輝かせること」(アルフォンス・ミュシャ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2017年04月19日
【関連記事】第292回:“Everything you can imagine is real.” ―「想像できることはすべて現実なのだ」 (パブロ・ピカソ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年03月14日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Taro Okamoto(岡本太郎)”, Guggenheim Museum

【動画】“岡本太郎作の巨大壁画 「明日の神話」渋谷にお目見え”, by TOKYO MX, YouTube, 2008/11/18
【動画】“1981年CM マクセル ビデオテープ 「芸術は爆発だ」 岡本太郎”, by 懐かしいTVCMアーカイブス, YouTube, 2014/03/29
【動画】“Art is an Explosion! - Taro Okamoto Museum 岡本太郎記念館”, by CHIBBY CHANNEL, YouTube, 2016/05/01

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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