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2017年03月22日

第416回:“I'll only retire when I die.” ―「死ぬまで引退しません」(丹下健三)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第416回の今日はこの言葉です。
“I'll only retire when I die.”

「私は死ぬときにだけ引退する」
というのが文字通りの意味です。
「死ぬまで引退しない」
ということです。
これは日本の建築家、丹下健三(Kenzo Tange, 1913-2005)の言葉です。
代々木第一体育館や東京都庁の設計などで有名です。

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丹下健三
(1981年撮影)
By Dijk, Hans van / Anefo [CC BY-SA 3.0 nl], via Wikimedia Commons

丹下健三は1913年(大正13年)、大阪の堺に生まれます。父親は銀行員で、転勤のため健三の生後まもなく家族とともに中国の漢口ハンコウへ渡り、数年後に上海シャンハイの租界へ移り住みます。7歳の頃に帰国して父の故郷の今治いまばりへ移り住んだ健三は、旧制の今治中学(今の今治西高校)と広島高校(今の広島大学)へ進学します。そして広島高校の図書室の雑誌で見たスイス出身の建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier)の記事に感銘を受けて建築家をこころざします。日本大学の芸術学部に2年ほど在籍したのち、健三は東京帝国大学の建築学科に入学します。

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ル・コルビュジエ(1933年撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

健三は大学を優秀な成績で卒業した後、前川國男の建築事務所で働きます。前川はパリのコルビュジエの事務所で働いたこともあるモダニズム建築の旗手です。前川事務所で3年ほど働いた後、健三は1941年(昭和16年)に東京帝大の大学院に進学し、都市工学を熱心に研究します。進学後まもなく勃発した太平洋戦争(Pacific War)の戦局は、開戦当初こそよかったものの次第に悪化していきます。
1945年(昭和20年)の8月6日の朝、広島に原爆が投下されます。健三はちょうど父の危篤の知らせを受けて今治に向かっており、尾道で汽車から船に乗り換えようとしていた時のことです。また8月5日の深夜から6日未明にかけて今治を約70機のB-29爆撃機が空襲し、市街地の80%が焼失して454人が亡くなります。
健三が今治に帰ると父親は2日前に亡くなっており、母親も空襲で亡くなっていたことを知らされます。健三は両親を一度に失ってしまうのです。被爆した広島も壊滅的な被害を受け、当時35万人いたとされる人口の45%にあたる16万人がその年の暮れまでに亡くなります。


【動画】“Footage: Atomic bomb drop in Hiroshima (記録映像:広島への原爆投下)”, by CGTN, YouTube, 2015/08/05


【動画】“広島原爆投下”(再現映像), by itimannennkure, YouTube, 2008/08/12

終戦翌年の1946年(昭和21年)、健三は東京帝大の大学院を修了し、建築学科の助教授となっていわゆる「丹下研究室」を開きます。
同じ頃、戦災復興院による広島の復興計画が議論されます。広島は健三が多感な高校時代を過ごし、ル・コルビュジエの建築計画に出会って建築をこころざした思い出の地。健三は志願して復興計画の担当を申し出ます。残留放射能の危険性が心配されますが、健三は被爆1年後の夏から東大の研究室のスタッフと共に広島入りして、都市計画業務に従事します。

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被爆直後の広島市街(1945年)
川の中州の部分がかつて中心街だった中島地区(今の平和記念公園がある所)
川の分岐部分にかかるT字形の橋が相生橋
相生橋のすぐ手前に原爆ドームが見える
By U.S. Navy (The image is part of a scrapbook assembled by Commander Francis N. Gilreath during his service as Flag Secretary and Aide to Rear Admiral Alfred E. Montgomery), cropped by Jim Saeki on 11 March 2017 [Public domain], via Wikimedia Commons

1949年(昭和24年)、廃墟となった広島を復興させて世界に向けて人類の平和を願い訴えることを目指す「広島平和記念都市建設法」が制定されます。健三は「広島平和記念公園」の設計と施設デザインを公募する設計コンペに応募し、145件の応募中1位で入選します。健三が36歳の時のことです。
健三のデザインは広島平和記念資料館原爆死没者慰霊碑を結んだ軸線が南は平和大通り(100m道路)と直交し、北は元安川を越えて原爆ドームと一直線上につながるのが特徴です。また資料館はコンクリート打ちっぱなしの端正な建物をル・コルビュジエばりのピロティで高々と持ち上げて本館、東館を空中回廊で結びます。これによって焦土からの復興を人々に力強く印象づけ、資料館の建物群そのものが平和記念公園の正面ゲートとして機能するのです。

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広島平和記念資料館(本館)
遠くに小さく原爆死没者慰霊碑が見える
(2009年撮影)
By Wiiii (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

正面ゲートをくぐって慰霊碑を訪れる人々は、慰霊碑のアーチを通して川越しに原爆ドームを望みます。人々は慰霊碑に祈りを捧げると同時に原爆ドームにも祈りを捧げることができるのです。原爆ドームはそれまでただの一廃墟としか認識されておらず、取り壊しも検討されています。しかしこれによって改めて注目を集め、国際平和都市の新しいシンボルとして広島のランドマークとなります。
健三は実質的なデビュー作となったこの設計計画で、一躍世界的に有名になります。公園そのものも資料館の建物も、戦後の日本建築はここから始まったと言われるほどの記念碑的な作品です。

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原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム
(2005年撮影)
By 大江万里 (Own work) [Public domain], via Wikimedia Commons

また、健三は戦災で焼失した煉瓦造りの東京府庁舎に代わる新しい都庁舎の建築をコンペで勝ち取り、1957年(昭和32年)に有楽町駅近くの今の東京国際フォーラムがある場所に東京都第一庁舎が完成します。開放的なピロティとスチールグリッドのシャープなエッジが特徴の典型的なモダニズム建築です。

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東京都第一庁舎(1960年頃撮影)
By Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

さらに健三は高松の香川県庁舎の設計も担当し、1958年(昭和33年)に完成します。健三はル・コルビュジエの近代建築5原則と言われるピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサード(正面)をすべて取り入れて設計します。また、日本の伝統である梁や木割りをコンクリートで忠実に再現します。
東京都と香川県の二つの庁舎と広島の平和記念公園を合わせて、健三の傑作として「初期三部作」と呼ばれます。

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香川県庁舎(2006年撮影)
現在も香川県庁東館として使われている
By Nakaful (photographed by Nakamura Yu) [CC SA 1.0, GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

1959年(昭和34年)、健三は都市計画に関する研究を論文にまとめて博士号を取得します。
そして1961年(昭和36年)、「丹下健三・都市・建築設計研究所」を設立します。
1964年(昭和39年)、健三の最高傑作とも言われるポストモダン建築の施設が相次いで完成します。代々木にある国立代々木屋内総合競技場と目白の近くの関口にある東京カテドラル聖マリア大聖堂です。

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代々木第一体育館(2010年撮影)
By Rs1421 (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

国立代々木競技場は同年10月に開催された東京オリンピック(1964 Summer Olympics)のために建設された施設です。第一体育館が競泳会場のプールとして、第二体育館がバスケットボール会場として使われます。どちらも吊り橋と同じ原理で屋根を支える「吊り構造(Tensile structure)」を採用しており、内部に柱がないため観客が競技を見やすい構造になっています。外観や内部構造も美しく、吊り構造の完成形として世界に衝撃を与えただけでなく、世界各国のオリンピック選手や観客からも絶賛されます。

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国立代々木第一体育館の内部(2012年撮影)
By User:STB-1 (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

また東京カテドラル聖マリア大聖堂では、健三はHPシェル(双曲放物面シェル)という現代的な構造技術を採用します。銀色に輝くステンレスの外観は異彩を放ち、それでいて上空から見ると十字架の形であるという古くからの教会建築の伝統も受け継いでいます。この聖堂はカトリック教会の東京大司教区の司教座聖堂でもあり、自らがカトリック信徒である健三の渾身の作品です。現代キリスト教建築の中でも屈指の名作と言われています。

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東京カテドラル聖マリア大聖堂(2008年撮影)
By Wiiii (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

1966年(昭和41年)、甲府の山梨文化会館が完成します。円柱と梁で支えられた構造によって、フロアを仕切る壁がなくても構造が安定しているのが特徴です。フロアの間取りを自由に変えることができるため模様替えが容易なだけでなく、円柱と梁を追加することによって増改築も容易で、実際に何度か増築が行われています。今見ても古さをまったく感じさせないデザインで、健三自身も自らの最高傑作として、広島平和記念資料館と共にこの山梨文化会館を挙げています。

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山梨文化会館
By さかおり (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

1970年(昭和45年)、大阪で日本万国博覧会(Japan World Exposition)が開催されます。健三は京大の西山夘三うぞう教授と共に大阪万博の総合プロデューサーを務め、中心施設である「お祭り広場」の設計も手がけます。
お祭り広場では「大屋根」をデザインし、地上で組み立てた大屋根をジャッキアップするという先駆的な工法で建造します。屋根の下にある大阪万博のテーマ館のプロデューサーは岡本太郎でしたが、岡本太郎はテーマ館のシンボルとして高さ70mの塔を建設すると主張して健三と揉めます。二人は結局、大屋根に巨大な開口部をつくるという妥協案で合意します。完成した「太陽の塔」は大屋根を突き破るようにそびえ立ち、結果的にその斬新なデザインは健三と岡本太郎の素晴らしいコラボとして絶賛されます。


太陽の塔と大屋根
日本万国博 《40周年記念》 スペシャルDVD

健三はその後も精力的に活動します。
東京大学本部棟(1979年)や赤坂プリンスホテル新館(1982年)、横浜美術館(1989年)、新宿の東京都庁舎(1991年)、神宮前の国連大学(1992年)、新宿パークタワー(1994年)、フジテレビ本社ビル(1996年)、東京ドームホテル(2000年)など、ほかにも枚挙にいとまがありません。

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グランドプリンスホテル赤坂(2009年撮影)
(かつての赤坂プリンスホテル新館)
2011年に東日本大震災の避難所として被災者を受け入れた後、2012-13年に解体された。
By Wiiii (Own work) [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

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東京都庁第一本庁舎(2003年撮影)
(右に見えているのが第二本庁舎)
By Morio (photo taken by Morio) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

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フジテレビ本社ビル(2008年撮影)
Khafre [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

1996年、原爆ドームはユネスコの世界遺産(World Heritage Site)に指定されます。
また2016年5月、アメリカのバラク・オバマ大統領が現職大統領として初めて広島を訪れます。そして安倍晋三首相とともに原爆死没者慰霊碑前に献花をし、演説では犠牲者に哀悼の意を示した上で平和と核兵器廃絶を訴えます。

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原爆死没者慰霊碑前で握手をする安倍首相とオバマ大統領
(2016年)
Pete Souza, cropped by Jim Saeki on 11 March 2017 [Public domain], via Wikimedia Commons

“I'll only retire when I die.”
死ぬまで引退しません。

1987年、健三は「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)を日本人として初めて受賞します。74歳の頃のことです。この時健三が語ったのが上の言葉です。しかし2003年、健三は89歳の時についに引退します。そして2年後の2005年、健三は心不全のでこの世を去ります。91歳でした。
健三の葬儀は自らが設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。洗礼名はヨセフ。聖母マリアの夫にして大工でもあったヨセフと同じ名前です。
戦後日本の復興と発展を象徴する施設の設計を数多く手がけた丹下健三。
その作品群を見るだけで戦後日本の歩みを振り返ることができるようです。


【動画】“Obama | 1st Sitting President to Visit Hiroshima (オバマが現職の大統領として初めて広島を訪問)”, by ABC News, YouTube, 2016/05/27

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“In This Corner of the World Trailer(『この世界の片隅に』 国際版予告編)”, by Animatsu Entertainment , YouTube, 2016/09/22

【関連記事】第319回:“God is in the detail.” ―「神は細部に宿る」(ミース・ファン・デル・ローエほか), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年05月22日
【関連記事】第350回:“By enduring the unendurable and suffering what is insufferable” ―「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」 (昭和天皇), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年08月15日
【関連記事】第282回:“It is 3 minutes to midnight.” ―「人類滅亡まであと3分」(世界終末時計), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年02月06日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Kenzo Tange(丹下健三)”, The Telegraph, 23 Mar 2005
【参考】“Kenzo Tange - Leading architect of post-war Japan(丹下健三 - 戦後日本をひっぱった建築家)”, by James Kirkup, Independent, 26 March 2005
【参考】“広島平和記念資料館 および平和記念公園 - 復興広島、そして戦後の日本建築はここから始まった。”, by FORES MUNDI, 建築マップ (ARCHITECTURAL MAP)
【参考】“なぜ慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるのか? 世界的巨匠が託した思い - オバマが見た光景を作った男・建築家丹下健三”, by 石戸諭, BuzzFeed News, 2016/05/26

【動画】“Footage: Atomic bomb drop in Hiroshima (記録映像:広島への原爆投下)”, by CGTN, YouTube, 2015/08/05
【動画】“広島原爆投下”, by itimannennkure, YouTube, 2008/08/12
【動画】“Obama | 1st Sitting President to Visit Hiroshima (オバマが現職の大統領として初めて広島を訪問)”, by ABC News, YouTube, 2016/05/27
【動画】“In This Corner of the World Trailer(『この世界の片隅に』 国際版予告編)”, by Animatsu Entertainment , YouTube, 2016/09/22

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(0) | TrackBack(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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