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2016年11月28日

第383回:“World War IV will be fought with sticks and stones.” ―「第4次世界大戦は石とこん棒で戦われるだろう」(アインシュタイン)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第383回の今日はこの言葉です。
“World War IV will be fought with sticks and stones.”

「第4次世界大戦は石とこん棒で戦われるだろう」
という意味です。いったいどういうことなのでしょうか。
これはドイツ出身の物理学者、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879-1955)の言葉です。
日本ではドイツ語読みで呼ばれますが、英語読みでは「アルバート・アインスタイン」と呼ばれます。

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アルベルト・アインシュタイン
ノーベル物理学賞受賞時の写真
(1921年撮影)
Official 1921 Nobel Prize in Physics photograph [Public domain], via Wikimedia Commons

1879年、アルベルト・アインシュタインはドイツ南西部のヴュルテンベルク王国(Kingdom of Württemberg)、今のバーデン=ヴュルテンベルク州(Land Baden-Württemberg)のウルム(Ulm)という街に生まれます。ヴュルテンベルク王国は当時のドイツ帝国(German Empire)の一部です。父親は電気技師で、アルベルトが生まれてすぐにバイエルン王国(Kingdom of Bavaria)の首都ミュンヘン(Munich)に引っ越して電気機器を製造する会社を設立します。
アルベルトは5歳の頃まで言葉を話さなかったそうです。子供時代は目立たず、考え事ばかりしていたそうです。5歳の時に父親からもらった方位磁針が、自然科学への興味をもつきっかけとなったそうです。9歳の時にピタゴラスの定理(三平方の定理)の存在を知り、寝る間も惜しんでそのことを考え、自力で定理の証明をしたそうです。また12歳の時には叔父からユークリッド幾何学の本を与えられて独習し、ほかにも微分や積分もこの頃に独学で習得したそうです。
13歳の頃に父親が事業で失敗して家族はイタリアのミラノへ引っ越しますが、アルベルトはギムナジウムを卒業するためにミュンヘンに残ります。しかし軍国主義的な校風になじめなかったアルベルトは15歳の時に学校をやめ、結局イタリアへ移ることになります。
自分が光の速さで進んだ時にまわりがどう見えるかという、後の特殊相対性理論にも登場するアイディアはこの頃から考えていたのだそうです。

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少年時代のアインシュタイン
(1894年、14歳の頃の撮影)
Photo by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons

1895年、アインシュタインはETHエーテーハーと呼ばれるチューリッヒ連邦工科大学(Swiss Federal Institute of Technology in Zurich)を受験します。アインシュタインは数学と物理の点数が最高点だったにもかかわらず総合点で不合格となりますが、スイス北部のアーラウ(Aarau)という町のギムナジウムに通うことを条件に翌年度の入学資格を与えられます。
翌1896年にアインシュタインはETHに入学します。ETHは自由な校風でしたので、アインシュタインは大学の講義にはあまり出席せず、自分の興味ある分野にのみ集中します。4年後の1900年、アインシュタインはETHを卒業します。しかし大学の物理学部の部長とは折り合いが合わず、助手の職につけません。しかたなくアインシュタインはアルバイトをしながら研究論文の執筆を続けます。
1902年、アインシュタインは友人の父親の仲介でスイスの首都ベルンにあるスイス特許庁(Federal Office for Intellectual Property)に特許審査官として就職します。ここでアインシュタインは仕事のかたわらで研究に存分に打ち込めるようになります。

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24歳の頃のアインシュタイン(右)
(1903年撮影)
By Emil Vollenweider und Sohn (Bern) [Public domain], via Wikimedia Commons

1905年に26歳になったアインシュタインはたて続けに4本の重要な論文を発表します。
・光量子効果(photoelectric effect)
・ブラウン運動(Brownian motion)
・特殊相対性理論(special theory of relativity)
・質量とエネルギーの等価性(equivalence of mass and energy)
に関する論文です。
光量子効果とは、波であると考えられていた光が「光子(Photon)」という粒子としてふるまう現象のことで、アインシュタインは光とは波と粒子の性質をあわせ持つものであると理論的に説明します。
ブラウン運動とは、気体や液体の中の微粒子がまったく不規則に動き回る現象のことで、アインシュタインはこれが分子の熱運動によるものであると解明します。
特殊相対性理論は難しいです。光が最も速く動くものであることを前提として、光の速度は観測者の速度によらず一定であること、光の速さに近い速さで動くものは縮んで見えたり時間が遅く流れたりすることを理論的に説明します。
質量とエネルギーの等価性は、特殊相対性理論の帰結として発表されたもので、物質の質量とエネルギーは同じものであり、相互に変換可能であることを説明します。そして、有名な
E=mc2
という式でエネルギー(E)は質量(m)に光速度(c)の2乗をかけたものであることを示します。
これらの論文によりアインシュタインは博士号を取得し、1908年にはベルン大学(University of Bern)で主席研究員と講師になります。

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25歳の頃のアインシュタイン
(1904年か1905年撮影)
By Lucien Chavan [1] (1868 - 1942), a friend of Einstein's when he was living in Berne. [Public domain], via Wikimedia Commons

1909年、アインシュタインは特許庁を辞職してチューリッヒ大学(University of Zurich)の助教授となり、翌1910年にはプラハ大学(Charles-Ferdinand University in Prague)の教授となります。
1911年にアインシュタインは第1回のソルベー会議(The Solvay Conferences)に招待されて出席します。ソルベー会議とは物理や化学に関する十数人から二十人前後の学術会議で、その後3年に1回の頻度で開催され、小規模の会議の割に物理学や化学の発展に多大な貢献をしている会議です。第1回のテーマは「放射理論と量子(The theory of radiation and quanta)」です。
そして1912年には母校ETH(チューリッヒ連邦工科大学)の教授に就任、さらに翌1913年にプロイセン科学アカデミー(Prussian Academy of Sciences)の会員となったアインシュタインは今のドイツの首都ベルリンに移り住みます。

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第1回ソルベー会議出席者(1911年撮影)
向かって右から2番目がアインシュタイン
Benjamin Couprie [Public domain], via Wikimedia Commons

1916年、アインシュタインは一般相対性理論(General theory of relativity)を発表します。特殊相対性理論では扱っていなかった「重力(gravity)」を盛り込んだ理論です。
アイザック・ニュートンが万有引力(universal gravitation)として説明した重力を、アインシュタインはニュートン力学的な「力(force)」ではなく、時空間のゆがみ(curvature of spacetime)として説明します。質量の大きなものの周囲では時空間が歪むことが重力として認識されるというのです。そして光ですら時空間に歪みによって曲げられるという重力レンズ(gravitational lens)という現象や、時空間の歪みが波として伝わる重力波(gravitational wave)の存在も予測します。

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時空間の歪みを2次元から3次元への歪みで説明した図
上下方向の歪みの大きさが重力の大きさを示す
By Mysid (Own work. Self -made in Blender & Inkscape.), cropped by Jim Saeki on 25 October 2016 [CC BY-SA 3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons

時は第一次世界大戦(World War I, 1914-1918)のさなかです。アインシュタインは平和主義を掲げ、戦争を公然と批判します。
第一次大戦後の1919年、皆既日食の時に太陽の近傍に見える恒星の位置がずれて見えることが観測され、アインシュタインの提唱した重力レンズの効果が確認されます。これによってアインシュタインは世界的にも有名となります。そして1922年の皆既日食では複数の科学者が観測を行い、一般相対性理論が正しいことが実証されます。

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1919年に撮影された皆既日食
2本線は位置を計測された恒星たち
By F. W. Dyson, A. S. Eddington, and C. Davidson, cropped by Jim Saeki on 25 October 2016 [Public domain], via Wikimedia Commons

1922年、アインシュタインは1921年度のノーベル物理学賞(Nobel Prize in Physics)を受賞します。受賞理由は相対性理論ではなく、光電効果の発見でした。受賞のニュースが伝わった時、アインシュタインは日本を訪問すべく客船「北野丸」で日本へ向かっている最中でした。
アインシュタインは日本を訪問して50日ほど滞在し、各地で講演などを行って大正天皇にも謁見します。そしてその後、当時イギリス領パレスチナだったエルサレムなどを訪問してドイツに戻ります。

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日本訪問時のアインシュタイン夫妻
(1922年撮影)
By Unknown, Courtesy of Meiji Seihanjo [Public domain], via Wikimedia Commons

1923年、ドイツのミュンヘンでアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)らナチス党員がクーデーターを画策して武装蜂起します。ミュンヘン一揆(Munich Putsch)です。この時ヒトラーは逮捕されて裁判にかけられますが、裁判で逆に国民の人気を得ます。ドイツは第一次大戦後の巨額な賠償金とその後の不況やインフレに苦しんでおり、1929年の世界恐慌で失業者が急増して社会情勢はさらに不安定になります。そんな中で出所したヒトラーはナチス党を再建し、選挙で急激に勢力を伸ばして1931年に政権をとり、1933年についに首相に就任します。独裁体制を作ったヒトラーは反ユダヤ主義を掲げてユダヤ人たちへの迫害を強めます。
ユダヤ人のアインシュタインはユダヤ人国家建設運動であるシオニズム(Zionism)を支援します。そのため迫害の対象となったアインシュタインは、イギリスやスイスを経てアメリカに渡り、プリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study)の教授となります。アインシュタインは1935年にアメリカの永住権を取得し、その後アメリカ国籍も申請します。

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アメリカ移住直後のアインシュタイン
(1935年撮影)
By Sophie Delar, photographer; published in 1955 by "unknown press organization" per source (RR Auction and Einstein's World) [Public domain], via Wikimedia Commons

1939年、ドイツがポーランドへ侵攻して第二次世界大戦(World War II, 1939-1945)が勃発します。ナチス・ドイツはユダヤ人への迫害をますます強化し、自国や占領地でユダヤ人を組織的に大量虐殺します。ホロコースト(The Holocaust)です。
この年にアインシュタインはアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)に宛てた連名の手紙に署名します。この手紙は原子力とその軍事利用の可能性に触れたもので、ウランの連鎖核反応を利用したきわめて強力な爆弾が可能性があると指摘し、ドイツがこの研究に着手した恐れがあることにも言及します。
この手紙がきっかけとなり、アメリカで国家的な原子力の研究が始められ、後に原子爆弾を開発するマンハッタン計画につながります。しかしアインシュタイン自身は平和主義者だった上に、それゆえに機密を守れない可能性があるとして、マンハッタン計画には最後まで参加せずに終わります。
1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本が敗戦します。日本を訪問したこともある大の親日家だったアインシュタインは大きな衝撃を受けます。

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広島への原子爆弾投下
(1945年8月6日)
By Enola Gay Tail Gunner S/Sgt. George R. (Bob) Caron [Public domain], via Wikimedia Commons

アインシュタインはルーズベルトに宛てた手紙が原子爆弾開発のきっかけになったことを悔やみ、このことを「人生最大の過ち(one great mistake in my life)」だったと語ります。彼は原爆投下時のアメリカ大統領だったハリー・トルーマン(Harry Truman)に宛てた手紙で次のように語っています。
“I know not with what weapons World War III will be fought, but World War IV will be fought with sticks and stones.”
「第三次世界大戦でどんな武器で戦われるかわかりませんが、第四次世界大戦は石とこん棒で戦われることになるでしょう」
このままでは次の第三次世界大戦は核戦争となって人類は滅亡し、科学文明は滅び去るだろうとアインシュタインは警告しているのです。
核戦争の恐ろしさを正確に認識しているアインシュタインならではの言葉だと思います。
第二次世界大戦が終結した翌年の1946年、アインシュタインは国連総会に世界政府を樹立する提唱する手紙を送ります。

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長崎への原爆投下
(1945年8月9日)
By Charles Levy from one of the B-29 Superfortresses used in the attack. [Public domain], via Wikimedia Commons

1948年、ユダヤ人たちの悲願だったユダヤ人国家イスラエルが建国されます。しかしアインシュタインはイスラエル独立運動でのテロ活動には否定的でした。1952年にイスラエルの初代大統領ハイム・ヴァイツマン(Chaim Weizmann)が死去した時、イスラエル政府はアインシュタインに第2代大統領へ就任してほしいと要請しますが、アインシュタインは辞退しています。
1954年、アインシュタインは次のように語ります。
“If I had foreseen Hiroshima and Nagasaki, I would have torn up my formula in 1905.”
「もし私があのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年の公式を破棄していただろう」
「1905年の公式」とはあのE=mc2という、核反応により莫大なエネルギーが得られることを予言した公式です。
1955年、アインシュタインはイギリスの哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)とともにラッセル=アインシュタイン宣言(Russell-Einstein Manifesto)に署名します。核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴えたものです。
そしてその1週間後、アインシュタインは急病で倒れて病院に運ばれ、数日後に亡くなります。76歳の時のことです。看護師がドイツ語を理解できなかったため、最後の言葉が何だったかは知られていません。

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晩年のアインシュタイン
(1947年撮影)
By Photograph by Orren Jack Turner, Princeton, N.J. Modified with Photoshop by PM_Poon and later by Dantadd. [Public domain], via Wikimedia Commons

アインシュタインはほかにもさまざまな名言を残しています。
“I have no special talent. I am only passionately curious.”
「私に特別な才能はない。とても好奇心が強いだけだ」
“I never think of the future. It comes soon enough.”
「私は未来のことなど考えたことがない。すぐにやって来るのだから」
“All religions, arts and sciences are branches of the same tree.”
「すべての宗教や芸術や科学は同じ木の枝である」
“Never do anything against conscience even if the state demands it.”
「たとえ国家が要求しても、良心に反することをしてはいけない」
“Falling in love is not at all the most stupid thing that people do − but gravitation cannot be held responsible for it.”
「恋に落ちる事は人間が行う中で最も馬鹿げたことというわけではない。しかしそれを万有引力のせいにすることはできない」
“When a man sits with a pretty girl for an hour, it seems like a minute. But let him sit on a hot stove for a minute – and it’s longer than any hour. That’s relativity.”
「美人の女の子の隣に1時間座った時、それは1分間に感じられる。でも熱いストーブの上に1分間座った時、それは1時間よりも長く感じる。それが相対性理論だ」




“World War IV will be fought with sticks and stones.”
第4次世界大戦は石とこん棒で戦われるだろう。

若くして科学史を書き換える理論を確立したアインシュタイン。
世界で、そして歴代で最も頭のよい科学者の一人と言われています。
ボサボサの白髪にヒゲというアインシュタインの風貌は、今でも典型的な「はかせ」「マッド・サイエンティスト」のイメージとして漫画や映画などにも多く登場します。(アインシュタインは決して「マッド」ではなかったのですが。)
E=mc2という莫大な核エネルギーの存在を示す公式を発見したアインシュタイン。
核兵器の可能性を示唆しながらもその開発には一切関わらず、核廃絶と戦争反対を訴え続けました。
そして今年(2016年)の2月、アメリカのカリフォルニア工科大学(Caltech: California Institute of Technology)マサチューセッツ工科大学(MIT: Massachusetts Institute of Technology)の共同研究チームが重力波の直接検出に初めて成功しました。アインシュタインが一般相対性理論を発表して重力波の存在を予言してからちょうど100年後のことでした。



それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Albert Einstein: Mini Biography (アルベルト・アインシュタイン:ミニ伝記)”, by BIO, YouTube, 2016/01/05

【関連記事】第282回:“It is 3 minutes to midnight.” ―「人類滅亡まであと3分」(世界終末時計), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年02月06日
【関連記事】第350回:“By enduring the unendurable and suffering what is insufferable” ―「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」 (昭和天皇), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年08月15日
【関連記事】第122回:“It is by standing on the shoulders of Giants.”―「巨人の肩に乗っていたから」(ニュートン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月07日
【関連記事】第8回:“Simple is best.”―「シンプルが一番」(ことわざ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年04月30日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“The culture of Einstein (アインシュタインの文化)”, by M. Alex Johnson, msnbc.com, 4/18/2005
【参考】“The Nobel Prize in Physics 1921 - Albert Einstein (1921年ノーベル物理学賞 - アルベルト・アインシュタイン)”, Nobelprize.org - The Official Web Site of the Nobel Prize
【参考】“子どもに「相対性理論って何?」と聞かれたときのために概要を分かりやすく簡単に解説してみた”, by ゆきひーさん, Yukihy Life, 2015.01.20
【参考】“文系でも"深く"分かった! 相対性理論の解説【アインシュタイン】”, by id:Esper1029さん, アイデア共有ブログ, 2016-02-12
【参考】“アインシュタインが天才すぎてワロタwwwwwwwww”, 哲学ニュース nwk, 2015年06月13日
【参考】“英語の名言・格言【アインシュタイン】”, by 癒しのガイド(見習い)さん, 癒しツアー
【参考】“恋に落ちるのは重力のせいじゃない”, by Shinさん, ニューヨーク駐在英語, October 05, 2012
【参考】“有名なアインシュタインの「あっかんべー」写真は奇跡の一枚だった”, by donotさん, NAVERまとめ, 2016年05月06日

【動画】“Albert Einstein: Mini Biography (アルベルト・アインシュタイン:ミニ伝記)”, by BIO, YouTube, 2016/01/05

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(0) | TrackBack(0) | 科学者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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