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2016年11月07日

第376回:“Give me back my pen.” ―「ペンを返せ」(プーチン大統領)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第376回の今日はこの言葉です。
“Give me back my pen.”

「私のペンを返せ」
という意味です。
これはロシアの大統領、ウラジーミル・プーチン(Владимир Путин, Vladimir Putin, 1952-)の言葉です。

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ウラジーミル・プーチン(2006年頃撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

プーチンは1952年にソビエト連邦のレニングラード(今のサンクトペテルブルク)に生まれます。
父親はソ連海軍の元軍人で第二次大戦の独ソ戦で負傷し、戦後は鉄道車両工場の機械技師として働いています。祖父は料理人で、かつてのレーニンやスターリンに仕えたこともあるそうです。
家庭環境はあまり裕福でなく、ウラジーミルは少年時代に共同アパートで暮らします。小さい頃から記憶力が抜群で頭の回転も速かった一方で、相当な問題児で悪ふざけを繰り返していたそうです。しかし6年生になると成績も上がり、ソ連共産党の少年団であるピオネール(Pioneer)への入団も許可されます。この頃にサンボというソ連の格闘技と柔道を始めます。後にプーチンは大学生の頃にサンボの全国大会で優勝し、24歳の頃にはレニングラードでの柔道の市大会で優勝します。

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少年時代のプーチン(撮影年不詳)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

その頃ウラジーミルは映画や小説のスパイに憧れて、KGB(КГБカーゲーベーの略称で知られるソ連国家保安委員会(Committee for State Security)の支部を訪問します。どうしたらKGBで働けるのかと訊ねたウラジーミルに、対応した職員はとても誠実で現実的なアドバイスをします。いわく、KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しないため自分からはKGBにコンタクトしないこと、大学は法学部が有利であること、言動や思想的な問題点があってはならないこと、スポーツの実績は選考で有利であることなどです。ウラジーミルはこのアドバイスに従って柔道の鍛錬を続け、レニングラード大学の法学部に進学し、自らKGBに接触することはしなかったそうです。そしてプーチンは大学4年の時にKGBからのリクルートを受けて、卒業後に共産党員となりKGBに入局します。1975年、23歳の頃です。

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KGB時代のプーチン(1980年頃撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

KGBではレニングラード支部に配属され、訓練を経て対諜報活動(counter-intelligence)という他国のスパイを防止する第2総局(Second Chief Directorate)に配属となり、さらに訓練を受けて対外諜報という他国のスパイ活動を行う第1総局(First Chief Directorate)へ異動します。
この頃プーチンはアエロフロート(Aeroflot)の元客室乗務員でレニングラード大学の学生をしていたリュドミラ・シュクレブネワ(Lyudmila Shkrebneva)と知り合い、1983年に結婚します。31歳の頃です。
さらに情報将校を要請する「KGB赤旗大学」という士官学校で教育を受けたプーチンは、1985年に東ドイツのドレスデンに赴任して諜報活動を行います。1989年にベルリンの壁が崩壊した時、プーチンは西側に機密が漏れないようにKGBの書類を焼いたそうです。1990年に東西ドイツが統一されて東ドイツが消滅した後、1991年にプーチンはレニングラードに戻ります。

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結婚式で妻リュドミラと(1983年頃撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

同じ1991年にプーチンはKGBを辞職して、大学の恩師でレニングラード市ソビエト議長になっていたアナトリー・サプチャーク(Anatolii Sobchak)の国際関係担当顧問になります。同年サプチャークはレニングラード市長に当選し、プーチンは対外関係委員会議長となります。この年の暮れにソ連が崩壊し、ロシア連邦が成立します。レニングラードも元の名前であるサンクトペテルブルクに戻ります。プーチンは翌1992年にサンクトペテルブルクの副市長、1994年に第一副市長となり、市長の片腕として活躍します。
しかし1996年にサプチャークが市長選挙に落選して退陣すると、プーチンも第一副市長を辞職してモスクワへ移り、ロシア大統領府に勤務します。そして1998年に古巣KGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任します。この時にプーチンは大統領ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)の政権を安定させることに大きく貢献してエリツィンの信頼を得ます。
プーチンは1999年にロシアの首相となります。エリツィンの指名によるもので、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明します。この年の12月31日にエリツィンは健康上の理由で辞任し、翌2000年にプーチンは大統領代行を経てロシア連邦の第2代大統領に就任します。

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大統領就任式典にて(2000年撮影)
向かって右側は前大統領のボリス・エリツィン
By Presidential Press and Information Office [CC BY 3.0], via Wikimedia Commons

当時のロシアはソ連崩壊後の国債乱発と急激な資本主義化でハイパーインフレが起き、金融危機と民衆の生活苦、格差拡大などで大混乱の状態にありました。財政危機により中央政府が地方への補助をできず、中央集権が弱まって地方の共和国は独立傾向を強め、ロシアはソ連崩壊に続く第二の国家崩壊の寸前でした。
そんな中で大統領となったプーチンは「強いロシア」の再建を目指し、中央政府の権限を拡大して中央集権化を推進します。国有財産を私物化して台頭した「オリガルヒ(oligarch)」と呼ばれる新興財閥の腐敗をプーチンは徹底的に取り締まり、納税を厳格化すると共に事業の多くを国家の管理に戻します。これによりプーチンは崩壊寸前だった国家財政を再建し、弱体化していたロシア軍を復活させます。また「シロヴィキ(Siloviki)」と呼ばれる警察や軍の関係者を登用し、強権的・独裁的と批判されるほどの指導力を発揮します。
勇壮でいて哀愁を帯びた旧ソ連の国歌のメロディーを復活させて新しいロシア国歌を制定したのもプーチンです。大国にふさわしい荘厳なメロディーを持つ国歌の復活は、多くの国民に歓迎されます。

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オリガルヒの代表格だったミハイル・ホドルコフスキーと
(2001年撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

2004年、4年間の大統領任期を務めたプーチンは大統領選挙に70%を超える得票率を得て再選します。
この時期は原油価格が高騰したこともあり、ロシア経済は実質GDPで年6〜8%台の成長を続けます。ロシアは金融危機の時に作った国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund)への債務を2005年に完済し、ロシア経済は安定して国際的な信用を取り戻します。
新興財閥オリガルヒへの徹底的な取り締まりと事業の国有化も続きます。強権的・独裁的であるとの内外からの批判も相変わらず続きますが、国民はプーチンを強く支持します。

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戦略爆撃機Tu-160のコックピットにて
(2005年撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

しかし新生ロシア憲法では大統領は連続2期までしか務められないと定められています。そこでプーチンは世界をあっと驚かすウルトラCの技を見せます。第一副首相だった腹心のドミートリー・メドヴェージェフ(Dmitrii Medvedev)を後継者に指名し、メドベージェフが大統領選挙に勝って2008年に大統領に就任すると、プーチンはメドベージェフの指名により首相に就任したのです。

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メドベージェフ大統領とプーチン首相(2008年撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

首相となったプーチンはメドベージェフ大統領と二頭体制でロシアの舵取りを続けます。相変わらず国民からの人気は絶大で、プーチンは事実上の最高権力者として君臨を続けます。
同じ年にメドベージェフは大統領の任期を4年から6年に延長することを提案し、憲法改正により採用されます。これによりプーチンの大統領復帰説が流れ始めます。
翌2009年、ロシア北部の工業都市ピカリョボ(Pikalevo)で新興財閥オリガルヒが所有する三つの工場が経済危機の中で操業停止に追い込まれます。労働者は職を失って社会不安が巻き起こり、解雇された労働者は高速道路を封鎖して抗議します。プーチン首相は事態打開のためにヘリコプターで現地入りします。
工場の責任者は社長のオレグ・デリパスカ(Oleg Deripaska)。ロシアで最も裕福だと言われた新興財閥系の億万長者です。プーチンは事態を収拾できないデリパスカに厳しい言葉を投げかけます。もちろんロシア語ですが英文メディアでも詳しく紹介されています。
“You have made thousands of people hostage to your ambitions, your lack of professionalism - or maybe simply your trivial greed.”
「君は、自らの野心、プロ意識の無さ、そしてもしかしたら単純に強欲から、大勢の人びとを人質にとったのだろう。」
“Where is the social responsibility of business?”
「ビジネスの社会的責任はどこへ行った?」
“Why was everyone running around like cockroaches before my arrival? Why was no one capable of taking decisions?”
「わたしがここに到着する直前になって、君ら全員がゴキブリのように集まってきた理由は何だ? どうして判断を下せる者がここにいなかったのだ?」
そしてプーチンは工場再開に合意する書類を出して自分のペンをテーブルに放り出し、
“Has Oleg Vladimirovich (Deripaska) signed? I do not see your signature. Come here and sign it.”
「オレグ君、この合意文書に署名をしたかね? 君のサインが見あたらないのだが。今すぐここに来てサインしたまえ。」
と命じます。デリパスカは書類を読んでサインします。ボールペンを持ったまま席に戻ろうとしたところプーチンが冷静に口にしたのが今日の言葉です。
“Give me back my pen.”
「ペンを返せ」
プーチン怖えぇぇぇぇぇ!
デリパスカは生きた心地がしなかったことでしょう。
工場から出て労働者をねぎらうプーチンに、労働者たちは涙を流してプーチンに感謝します。
これを見た国民はプーチンの行動を絶賛します。


【動画】“【おそロシア】プーチン首相、ペン放り出して財閥社長を震え上がらせる【激おこプーチン丸】”, by 顔君主, 2013/07/06

プーチンはほかにもいろいろな名言を残しています。今回一気にご紹介するのがもったいないほどです。
“Russia doesn't negotiate with terrorists. It destroys them.”
「ロシアはテロリストとは交渉しない。抹殺する。」
“If we capture terrorists in the toilet, then we will waste them in the outhouse.”
「テロリストをトイレで捕まえたらトイレで殺す」
“There is no such thing as a former KGB man.”
「元KGB職員というものはない」
“Those who do not regret the collapse of the Soviet Union have no heart, and those that do regret it have no brain.”
「ソ連の崩壊を惜しまない者には心がない。ソ連の復活を欲する者には頭がない」
“Judo is not just a sport, it's a philosophy.”
「柔道は単なるスポーツではない。哲学だ」
ほかにも、

“To forgive the terrorists is up to God, but to send them to him is up to me.”
「テロリストを許すかどうかは神様しだいだが、奴らが神様のもとに行くかどうかは私しだいだ」

という素晴らしい名言が伝えられたこともあるのですが、これは残念ながら誤報であることがわかっています。

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柔道着姿のプーチン(2005年撮影)
Kremlin.ru, cropped by Jim Saeki on 16th October 2016 [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

2012年、プーチンは大統領選に当選して再び大統領に返り咲きます。首相には入れ替わりにメドベージェフを指名し、二頭体制は継続します。
大統領任期は6年に延長されていますので、2018年までこの体制が続くことになります。もし次の大統領選にも当選すると2024年までの長期政権となります。
ロシア国内でのプーチンの人気と支持率の高さを見ると、その可能性は十分ありそうです。


【動画】“Russian National Anthem played at president Vladimir Putin's Inauguration (ウラジーミル・プーチン大統領就任式で演奏されるロシア国歌)”(2012年), by Rafael Yebra, YouTube, 2013/03/04

同じ年、日ロ友好のために秋田県からメスの秋田犬の子犬1頭がプーチンに贈られます。東日本大震災後のロシアの支援に対する東北地方からの感謝もこめて、秋田県が日本の外務省を通じてロシアへ打診していたものです。愛犬家のプーチンはとても喜んで、自ら「ゆめ(Юмэ)」と名づけ、猫好きの秋田県の佐竹敬久のりひさ知事(Norihisa Satake)にお返しとしてシベリア猫の「ミール(Мир)」を送ります。
冷徹なイメージが強いプーチン大統領も、犬たちとたわむれる写真では満面の笑顔を見せています。


【動画】“秋田犬「ゆめ」、保存会が県に寄贈”, by akitasakigake, 2012/07/23

2014年、ソチオリンピックの開催中にロシアを訪問した日本の安倍晋三首相(Shinzo Abe)がソチの大統領公邸でプーチンと会談したとき、ゆめも安倍首相を出迎えます。安倍首相がロシア語で、
“Хорошая собака.”
(ハローシャヤ・サバーカ)
「いい犬ですね」
と言ってゆめをなでると、プーチン大統領は、
“Да, но она может укусить иногда.”
(ダー、ノオナ・モージェト・グシーシャ・ナグダ)
「はい。でも時々かむんですよ」
と答えます。なかなか微笑ましいエピソードだと思います。
英語圏でのメディアでは、このやりとりを
“Good dog.”
“Yes, but it can bite sometimes.”
と紹介しています。
今年になって、ゆめの花婿としてプーチン大統領にオスの秋田犬「きぼう」を贈ろうという動きもあるそうです。


【動画】“Владимир Путин и собачка Юмэ встречают лидеров стран. Сочи 2014 (ウラジーミル・プーチンが愛犬ゆめの祖国のリーダーと会談 - ソチ五輪)”, by Monitor Rus, 2014/02/09

“Give me back my pen.”
ペンを返せ。

急激な民主化で再崩壊の寸前だったロシアを見事に立ち直らせたプーチン。
プーチンの改革は新興財閥との戦いの連続でした。そんな新興財閥のトップだった億万長者デリパスカに対して「ペンを返せ」と冷静に指摘した首相時代のプーチンの言葉は何とも痛快です。
サンボと柔道のチャンピオンという身体能力の高さや元KGBの諜報員という出自、新興財閥やテロリストへの断固たる姿勢や数々の名言で、ロシア国民だけでなくネットでもプーチンは高い人気を誇っています。
しかしマッチョでキレッキレなイメージとは裏腹に、ロシア国内ではとても紳士的な人物として知られています。
大統領に返り咲いた第三次政権でもクリミア侵攻やシリア内戦など激動の日々が続くプーチン。
愛犬「ゆめ」や相棒犬「きぼう」と無邪気にたわむれる時間をとって、少しでもリラックスしてもらいたいものです。

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エニセイ川上流で釣りをするプーチン
(2007年撮影)
Kremlin.ru [CC BY 3.0 or CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“プーチン名言ベスト5 CV:若本規夫”, by yu y, 2016/10/06

【関連記事】第356回:“Russia - our sacred homeland” ―「ロシア、聖なる我らの国よ」 (『ロシア連邦国歌』), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年09月08日
【関連記事】第282回:“It is 3 minutes to midnight.” ―「人類滅亡まであと3分」(世界終末時計), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年02月06日
【関連記事】第177回:“Hot. Cool. Yours.” ―「熱く。クールに。みんなの大会。」(ソチオリンピック), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2014年02月10日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“プーチン大統領に寄贈される秋田犬「ゆめ」いよいよロシアへ”, カラパイア, 2012年07月26日
【参考】“The dog even Putin couldn't bring to heel: Stubborn 'devil dog' defies Vlad as he shows her off to Japanese prime minister... days after mass cull of strays in Sochi”, by Dan Bloom, MailOnline, 8 February 2014
【参考】“プーチン大統領の秋田犬ゆめ、安倍首相を出迎え 「時々かむんです」”, 産経ニュース, 2014.2.9
【参考】“Putin unleashes on tycoon 'cockroaches' (プーチンがビジネス界の大物を「ゴキブリ」と一蹴)”, by Reuters, ABC News, 4 Jun 2009
【参考】“プーチン首相、ペン放り出して財閥社長を震え上がらせる”, by Stuart Williams, AFP BB NEWS, 2009年06月08日
【参考】“【いよいよ写真公開!】プーチンが秋田犬のお返しにくれるシベリア猫が可愛すぎる!”, by SweetFuchanさん, NAVERまとめ, 2013年06月13日
【参考】“Fifteen years of Vladimir Putin: in quotes (名言で見るウラジーミル・プーチンの15年間)”, by Roland Oliphant, The Teleggraph, 07 May 2015
【参考】“日ロで秋田犬外交再び 首脳会談控え友好演出”, by モスクワ共同, 西日本新聞, 2016年08月23日
【参考】“KGB復活計画。プーチン大統領が実質的なKGBを復活させる計画を発表(ロシア)”, by parumoさん, カラパイア, 2016年09月21日
【参考】“若本規夫さんが読む『プーチン名言集』 破壊力がスゴ過ぎて話題に「これはズルい」「名言だけで映画できる」”, by harukomasouさん, NAVERまとめ, 2016-10-04

【動画】“【おそロシア】プーチン首相、ペン放り出して財閥社長を震え上がらせる【激おこプーチン丸】”, by 顔君主, 2013/07/06
【動画】“Russian National Anthem played at president Vladimir Putin's Inauguration (ウラジーミル・プーチン大統領就任式で演奏されるロシア国歌)”(2012年), by Rafael Yebra, YouTube, 2013/03/04
【動画】“秋田犬「ゆめ」、保存会が県に寄贈”, by akitasakigake, 2012/07/23
【動画】“Владимир Путин и собачка Юмэ встречают лидеров стран. Сочи 2014 (ウラジーミル・プーチンが愛犬ゆめの祖国のリーダーと会談 - ソチ五輪)”, by Monitor Rus, 2014/02/09
【動画】“プーチン名言ベスト5 CV:若本規夫”, by yu y, 2016/10/06

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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