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2016年10月14日

第368回:“The ballot or the bullet.” ―「投票か弾丸か」(マルコム・X)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第368回の今日はこの言葉です。
“The ballot or the bullet.”

「投票か弾丸か」
という意味です。
投票で目的を達成するか、弾丸で実力行使してでも目的を達成するかの二通りしかないという意味です。
「バロット(ballot)」と「バレット(bullet)」が綺麗に韻を踏んでいますね。
日本語でも韻を踏ませて、「投票か闘争か」と訳されることもあります。
これはアメリカの黒人公民権運動の活動家、マルコム・X(Malcolm X, 1925-1965)の言葉です。マルコム・Xが弾丸を使ってでも達成しようとした目的とは何だったのでしょうか。

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マルコム・X(1964年撮影)
By Malcolm_X_NYWTS_2.jpg: Ed Ford, World Telegram staff photographer derivative work: BorgQueen at en.wikipedia (Malcolm_X_NYWTS_2.jpg) [Public domain], via Wikimedia Commons

1925年、マルコム・Xはネブラスカ州のオマハに生まれます。本名はマルコム・リトル(Malcolm Little)です。父親はプロテスタントのバプテスト派の牧師でしたが、マルコムが6歳の頃に人種差別主義者によって殺害されます。母親は精神を病んで精神病院に送られ、マルコムら9人の兄弟は別々に里子に出されることになります。
当時のアメリカでは裕福な白人家庭が慈善活動として黒人の孤児を引き取ることが流行しており、マルコムも白人の上流家庭に引き取られます。学校での成績は優秀でしたが、教師に将来の夢をたずねられて医師か弁護士と答えたところ、マルコムは「黒人はどんなに頑張っても偉くなれない。黒人らしい夢を見た方がいい」と言われ、大工になることを勧められます。
アメリカでは南北戦争(Civil War)の北軍勝利とリンカーン大統領(Abraham Lincoln)奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)により黒人奴隷が解放されたとはいえ、その後も人種差別は根強く残っていました。信じられないことですが、20世紀の半ばまでは黒人に公民権はなく、白人と有色人種は交通機関や学校や図書館、ホテルやレストランなども分離され、南部諸州ではこれを正当化するジム・クロウ法(Jim Crow law)という州法を持っていました。職業や結婚も差別され、差別的な発言や暴力も公然と行われていたのです。

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“Colored”と表示された有色人種専用の水飲み場で水を飲む黒人男性
(1950年代撮影)
Russell Lee [Public domain], via Wikimedia Commons

マルコムは中学を卒業したあと姉を頼ってボストンに行き、その後ニューヨークのハーレムへ移ります。靴磨きやテーブル片付けの仕事のほかに、ギャンブルや麻薬取引、売春、ゆすり、強盗などの犯罪にも手を染めます。第二次世界大戦の時には、徴兵を逃れるために精神異常を装ったこともあります。
1946年、20歳の時にマルコムは窃盗の有罪判決を受けて懲役8年から10年を宣告され、刑務所に入ります。


Malcolm X: A Revolutionary Voice (Sterling Biographies)

2年後、マルコムはイライジャ・ムハンマド(Elijah Muhammad)が先導する「ネーション・オブ・イスラム(NOI: Nation of Islam)」の教えに獄中で出会い、夢中になります。これは「ブラック・ムスリム運動(Black Muslim Movement)」とも呼ばれ、礼拝形式はイスラム教によりますが、白人を悪魔とみなし、キリスト教は白人が非白人を奴隷化する道具であるとして攻撃する教えです。白人に対する黒人の道徳的・文化的な優位性を唱えて支配権の奪取を主張する、宗教よりも政治運動の色彩が強い団体です。
マルコムは獄中でイライジャと文通を重ね、刑務所の図書館をすべて書き写したり刑務所の討論会に毎回参加したりして知識を広げ、教養を身に着け、弁舌を磨きます。入所時には2.0あったマルコムの視力は出所時には0.2まで低下します。


Malcolm X: The Great Photographs

1952年、27歳となっていたマルコムは仮出所で釈放されます。
マルコムはNOI(ネーション・オブ・イスラム)から「X」という姓を与えられ、以後「マルコム・X(Malcolm X)」と名乗るようになります。アフリカ系アメリカ人の姓は先祖がアフリカから新大陸に奴隷として連れてこられた時に奴隷主につけられた屈辱的な名前だという考えによるものです。ちなみにNOIではファーストネームがかぶった場合、姓は「X2」「X3」とつけることになっていたそうです。


Malcolm X: A Life of Reinvention

マルコム・Xはイライジャ・ムハンマドの片腕となり、教団のスポークスマンとして各地にNOIのモスクを次々と設立して信奉者を増やしていきます。しいたげられていたアメリカの黒人たちは解放を夢みて次々に参加し、この運動は大きな波となります。マルコムの191センチの長身と鍛えられたスリムな身体、知的で魅力的な容姿と攻撃的ながら教養あふれる爽やかな弁舌も多くの人をひきつけます。
1957年、NOIの信者の一人が警察官に暴行を受けて逮捕されます。マルコムは信者とともに留置場の前で仲間を病院に送るように要求し、これが受け入れられます。また、1959年にテレビのドキュメンタリー番組『憎悪が生んだ憎悪(The Hate That Hate Produced)』でNOIが特集され、マルコム・Xも大きく紹介されます。


【動画】“MALCOLM X INTERVIEWED BY LOUIS LOMAX (ルイス・ロマックスによるマルコム・Xのインタビュー)”, by MALCOLM X NETWORK, YouTube, 2014/06/26
『憎悪が生んだ憎悪(The Hate That Hate Produced)』(1959年)より

1960年、ニューヨークで開催された国連総会(United Nations General Assembly)にマルコムは招待され、アフリカの各国首脳やキューバのカストロ議長(Fidel Castro)らと会談します。
このようにマルコムは急速に有名になっていき、NOIの信者も急増します。
同じ頃、マーティン・ルーサー・キング牧師(Martin Luther King, Jr.)も人種差別を問題視し、1955年にバスのボイコット運動を展開したり、1963年にワシントンDCで人種差別の撤廃を求めて「ワシントン大行進(March on Washington for Jobs and Freedom)」を主催して演説したりします。
キング牧師の運動は徹底した非暴力主義が特徴です。これに対してマルコム・Xの思想は攻撃的で、場合によっては暴力も辞さないのが特徴です。マルコムはキング牧師の公民権運動には「弱腰」であると批判的で、ワシントン大行進を「茶番」だとばっさり切り捨てています。
1964年3月、マルコムは公民権運動の議論を聞くためにアメリカ合衆国議会を訪問した時に、同じ目的で訪れていたキング牧師と偶然出会います。二人は挨拶を交わして1分ほど会話を交わします。これが二人の最初で最後の出会いとなります。

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キング牧師とマルコム・X(1964年撮影)
By Marion S. Trikosko, U.S. News & World Report Magazine [Public domain], via Wikimedia Commons

同じ頃、プロデビューしたばかりの黒人ボクサー、カシアス・クレイ(Cassius Clay)もNOIの信者となり、マルコム・Xにも会ってその思想に心酔します。カシアス・クレイはマルコム・Xと同じように「カシアス・X」を名乗り、後にNOIから授かったムスリム名「モハメド・アリ(Muhammad Ali)」に改名します。

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マルコム・X(左端)とモハメド・アリ(前列右端)
(1964年撮影)
By EPHouston (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

しかし前後して、NOIの指導者イライジャ・ムハンマドとマルコム・Xの関係が急速に悪化します。イライジャが少女をレイプして子供を産ませていたことに怒ったマルコムがイライジャを告発したのです。
1964年3月にマルコムはNOIの脱退を表明します。同時にマルコムはキング牧師らの公民権運動への協力を表明します。
NOIは当初から黒人と白人は別の道を行くべきという方針で、融和を目指す公民権運動とは一線を画していました。このこともNOIがマルコムを敵視する原因となります。
そして同年4月、マルコムはクリーブランドで「投票か弾丸か」の演説を行います。マルコムはこの年が選挙の年であることに触れ、投票が大きな武器になりえると主張します。そして、
“It's going to end up in a situation where we're going to have to cast a bullet. It's either a ballot or a bullet.”
「もし我々が投票しないのならば、弾丸が撃たれなければならないような事態に陥るだろう。投票か弾丸かどちらかだ」
と語ります。

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マルコム・X(1964年撮影)
By Marion S. Trikosko [Public domain], via Wikimedia Commons

同年4月にメッカ巡礼から戻ったマルコム・Xはアフリカ系アメリカ人統一機構(Organization of Afro-American Unity)を設立します。そしてアメリカ国内の黒人たちに「アフリカに帰ろう」と呼びかけます。
NOIの教団内にはマルコム・Xの暗殺命令が下ります。マルコム・Xとその家族は毎日のように殺害をほのめかす脅迫に悩まされます。自動車に爆弾をしかけられるなど何度も危険な目にあい、護衛なしでは出歩けないようになります。

Malcolm X, carrying a rifle, peers out the window
By Source, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=3898865
M1カービン銃(M1 Carbine)を持って窓の外を警戒するマルコム・X
雑誌「エボニー(Ebony)」より
By Source, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=3898865

そして1964年7月、ついに公民権法(Civil Rights Act)が制定されます。これによって、法のもとで行われてきた人種差別がアメリカ建国以来初めて完全に撤廃されます。
この時のリンドン・ジョンソン大統領(Lyndon Johnson)は南部テキサス州の選出でしたが、ケネディ政権下の副大統領だった頃から差別の撤廃に積極的で、キング牧師と協調して公民権法の早期成立に成功します。
この年キングは、「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動」を理由にノーベル平和賞(Nobel Peace Price)を受賞します。
マルコム・Xはキング牧師と協力するために話をしたいと模索を始めます。

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ホワイトハウスで公民権法の施行に署名するジョンソン大統領
(ジョンソンの真後ろに立っているのがキング牧師)
(1964年撮影)
By Cecil Stoughton, White House Press Office (WHPO) [Public domain], via Wikimedia Commons

1965年2月、ニューヨークのマンハッタンにあるオードゥボン舞踊場(Audubon Ballroom)で演説をしようとしていたマルコム・Xは、400人の聴衆の中から飛び出した3人の男に散弾銃と拳銃で撃たれます。マルコムは合わせて15発の弾丸を受けて倒れ、病院に運ばれますが死亡します。39歳の若さでした。犯人はNOIの信者だったそうです。マルコムはかつての同志、しかも黒人に殺されてしまったのです。

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マルコム・Xの殺害現場
後方の壁に銃弾のあとがチョークの線で囲まれている
By Stanley Wolfson, New York World-Telegram & Sun staff photographer. (Library of Congress[1]) [Public domain], via Wikimedia Commons

“The ballot or the bullet.”
投票か弾丸か。

アメリカの根強い人種差別からの黒人たちの解放を目指したマルコム・X。
時には過激に、暴力も辞さない強い姿勢を見せました。
その強い姿勢で育てたかつての仲間に銃で撃たれて殺されてしまったのは皮肉なことです。
しかし彼の強硬主義とキング牧師の非暴力主義の両方が世論を動かし、公民権法の成立につながったのです。
そして彼の死の44年後の2009年、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama II)がアメリカ初の黒人の大統領に就任しました。


【動画】“Malcolm X - Mini Bio (マルコム・X - ミニ伝記)”, by BIO, YouTube, 2012/01/09

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。


【動画】“Malcolm X (1992) Official Trailer - Denzel Washington Movie HD (『マルコム・X』(1992年)公式予告編 - デンゼル・ワシントン主演映画”, by Movieclips Trailer Vault, YouTube, 2014/02/26

【関連記事】第365回:“Float like a butterfly, sting like a bee.” ―「蝶のように舞い、蜂のように刺す」(モハメド・アリ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年10月05日
【関連記事】第46回:“A winner is a dreamer who never gives up.”―「勝者とは決して夢を諦めない人のことだ」(ネルソン・マンデラ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年06月27日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“マルコムX 『投票か闘争か(The Ballot or The Bullet)』 その1”, by id:teoreamachineさん, Re: Writing Machine, 2013-10-19

【動画】“MALCOLM X INTERVIEWED BY LOUIS LOMAX (ルイス・ロマックスによるマルコム・Xのインタビュー)”, by MALCOLM X NETWORK, YouTube, 2014/06/26
【動画】“Malcolm X - Mini Bio (マルコム・X - ミニ伝記)”, by BIO, YouTube, 2012/01/09
【動画】“Malcolm X (1992) Official Trailer - Denzel Washington Movie HD (『マルコム・X』(1992年)公式予告編 - デンゼル・ワシントン主演映画”, by Movieclips Trailer Vault, YouTube, 2014/02/26

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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