スポンサーリンク / Sponsored Link


2016年09月20日

第360回:“Let them eat cake.” ―「お菓子を食べればいいじゃない」 (マリー・アントワネット)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉、日常会話でよく使う表現などをご紹介しています。



第360回の今日はこの言葉です。
“Let them eat cake.”

「ケーキを食べさせなさいよ」
というのが文字通りの意味です。
ここでは、
「お菓子をたべればいいじゃない」
と訳してみました。ここまで訳すともうお気づきですね。これはフランス国王ルイ16世の王妃となったマリー・アントワネット(Marie Antoinette, 1755-1793)の言葉とされています。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
という言葉としても知られています。

0360-marie-antoinette_1775_musee_antoine_lecuyer.jpg
マリー・アントワネット(1775年、20歳の頃の肖像画)
By Unknown painter probably made Jean-Baptiste André Gautier-Dagoty (1740-1786) (Unknown) [Public domain], via Wikimedia Commons

マリー・アントワネットは1755年にオーストリアのウィーンで生まれます。ドイツ語での名前はマリア・アントーニアです。
父親は神聖ローマ皇帝フランツ1世(Franz I)、母親はオーストリア女大公のマリア・テレジア(Maria Theresia)です。母のマリア・テレジアはハプスブルク家の領主でハンガリー女王とボヘミア女王でもあります。
マリア・アントーニアは快活で社交的で、頭のよい子供だったそうです。幼い頃から家族そろって狩りに出かけたり、家族でバレエやオペラを観覧したり自らが出演したりします。ハプスブルク家は伝統的に非常に家庭的で仲が良いのです。

0360-marie_antoinette_young.jpg
マリア・アントーニア
(1762年、7歳の頃の肖像画)
Jean-Étienne Liotard [Public domain], via Wikimedia Commons

当時のオーストリアはプロイセンの脅威に対抗するため、長年の敵対関係にあったフランスと同盟しようと政略結婚を画策します。政略結婚がハプスブルク家の生き残り戦略であることは以前もご紹介しましたね。
最初は姉のマリア・カロリーナ(Maria Carolina)がフランス王室へ嫁ぐ予定でしたが、いろいろあってマリア・カロリーナは両シチリア王のフェルディナンド1世の王妃として嫁ぎ、フランスへはマリア・アントーニアが嫁ぐことになります。
その後もいろいろありますが、1770年にマリア・アントーニアはフランスの王太子となっていたルイ・オーギュスト王子と結婚します。結婚式はヴェルサイユ宮殿でおこなわれ、マリア・アントーニアは王太子妃マリー・アントワネットと呼ばれるようになります。
この時マリー・アントワネットは14歳です。

0360-marie_antoinette_young2.jpg
マリア・アントーニア
(1767-68年、12歳の頃の肖像画)
Attributed to Martin van Meytens [Public domain], via Wikimedia Commons

マリー・アントワネットとルイの夫婦仲はとてもよかったそうです。
1774年にルイが国王に即位しルイ16世となり、マリー・アントワネットは19歳で王妃となります。
子宝にも恵まれ、2男2女をもうけます。
ルイ16世は側室や愛人を生涯で一人も持ちませんでした。それだけマリー・アントワネットを愛していたという証拠です。
しかし1789年にフランス革命が始まります。
1793年にルイ16世とマリー・アントワネットは革命裁判にかけられて相次いで処刑されます。
マリー・アントワネットは37歳でその短い生涯を閉じるのです。


【動画】“Marie-Antoinette 's history. (マリー・アントワネットの歴史)”, by Château de Versailles, YouTube, 2010/08/06

マリー・アントワネットの浪費癖や賭博への熱中はフランスの財政を傾けたと言われます。スウェーデンの貴族フェルセン伯爵との仲も噂になります。
ほかにも悪評やスキャンダルが多く、騒動も尽きませんでした。しかし悪評の多くは根も葉もないものでした。浪費といっても、フランスの国家支出に比べたらたいしたものではありません。また賭博も子供が生まれた時にきっぱりとやめています。
マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿の多くの慣習や儀式を廃止したり簡素化したりしたほどです。しかしこれは逆に既得権者から反感を買います。ルイ16世が側室や愛人を一人も持たなかったことも、これまた逆にマリー・アントワネットが王の寵愛を独占しているとして恨みや妬みの対象となります。

0360-louis16-1775.jpg
ルイ16世(1776年の肖像画)
Joseph Duplessis [Public domain], via Wikimedia Commons

また、マリー・アントワネットは貴族の中の貴族と言われるヨーロッパ随一の名門王家ハプスブルク家の直系の王女です。フランスの貴族などは最初から眼中にありません。マリー・アントワネットにその意識はなくとも、貴族たちは自分たちがないがしろにされていると感じて反発します。既得権者としての危機を感じたのです。そんな貴族たちが集まってはマリー・アントワネットの悪評を流したため、パリの民衆の憎悪をかきたてることにつながります。

0360-marie_antoinette_young4.jpg
乗馬服姿のマリー・アントワネット
(1771年の肖像画)
Joseph Kreutzinger [Public domain], via Wikimedia Commons

“Let them eat cake.”
「お菓子を食べればいいじゃない」
という言葉も根も葉もない噂の一つです。
フランス革命前に人々が貧困と食料難に苦しんだ時に、マリー・アントワネットが
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
と言ったというのです。これはひどい。無知で暗愚な王妃の典型ですね。もしネットがあったら大炎上となる燃料の投下です。
これ、フランス語では
“Qu'ils mangent de la brioche”
(キル・モンジュ・ドゥラ・ブリオーシュ)
「ブリオッシュを食べたらいいじゃない」
となります。
ブリオッシュはバターと卵を使うことから当時はお菓子とされていますが、今ではパンの一種として扱われています。英語で“cake”と訳されたので世界中に「お菓子を食べればいいじゃない」のイメージが広がってしまったのです。

0360-brioche.jpg
ブリオッシュ
Rainer Zenz [GFDL, CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

また、そもそもこれはマリー・アントワネットの言葉ではありません。フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の自伝『告白(Les Confessions)』(1766年)の中に出てきます。ルソーの愛人でパトロンでもあったヴィラン男爵夫人の言葉であるようです。
どうやらマリー・アントワネットをよく思わない貴族たちがこれを読み、マリー・アントワネットの言葉として尾ひれをつけて広めたようです。実際にはマリー・アントワネットは国民を大事に思う心優しい人物で、飢饉の時も宮廷費を削って寄付したり、他の貴族達から寄付金を集めるなどをしたそうです。
しかしあまりにも典型的なバカ王妃のイメージぴったりの言葉だったため、言葉が一人歩きしてマリー・アントワネットの評判を大きく損ねることになってしまったのです。

0360-jean-jacques_rousseau_(painted_portrait).jpg
ジャン=ジャック・ルソー(18世紀の肖像画)
Maurice Quentin de La Tour [Public domain], via Wikimedia Commons

絶対王政に対する民衆の不満が爆発したのがフランス革命です。その矛先は真っ先にルイ16世とマリー・アントワネットに向かいます。
ヴェルサイユ宮殿で拘束された国王一家は、いったんパリのテュイルリー宮殿に軟禁されます。そこでマリー・アントワネットはフェルセンの力を借りて、フランスを脱出してオーストリアの実家へ逃亡しようと計画します。しかし国境近くで発見され、王室は国民の支持を完全に失うことになります。
そしてフランス革命戦争が始まると、マリー・アントワネットがフランス軍の作戦を敵国オーストリアへ漏らしているとの噂がたちます。噂が本当だったかどうかはわかりませんが、これで国民は怒り狂い、死に値する罪だととられてしまいます。
革命裁判の罪状は敢えてここでは書きませんが、本当に根も葉もない無実の罪のように見えます。ひどいです。
大きく燃え上がったフランス革命の炎をおさめるには、旧体制の象徴であるルイ16世とマリー・アントワネットを生け贄にすることがどうしても必要だったのです。

0360-marie_antoinette_being_taken_to_her_execution_1794.jpg
処刑台へ連行されるマリー・アントワネット
(1794年の絵画)
By William Hamilton (1751-1801) (Vizille, musée de la Révolution française) [Public domain], via Wikimedia Commons

“Let them eat cake.”
お菓子を食べればいいじゃない。

名門中の名門であるハプスブルク家の直系として生まれ、数奇な運命をたどってフランス王妃として革命に散ったマリー・アントワネット。
死刑を正当化するために、さまざまな悪い逸話を捏造されたマリー・アントワネット。
決して暗愚な王妃ではなく、国民を思いやる心優しい女性でした。
入浴の習慣やそれに伴う軽い香りの香水、クロワッサンを食べたりコーヒーを飲んだりする習慣は彼女がオーストリアからフランスへもたらしたものです。またマリー・アントワネットの髪型や服装は革新的なもので、当時の貴族たちのファッション・リーダーでもありました。
もし平和な時代に生まれていたら、きっと幸せで充実した生涯を送ったことでしょう。

0360-marie-antoinette_koningin_der_fransen.jpg
王妃となった当時のマリー・アントワネット
(1775年、20歳の頃の肖像画)
By Jean-Baptiste Gautier Dagoty (1740-1786) (Unknown) [Public domain], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第355回:“Arise, children of the Fatherland!” ―「行こう祖国の子らよ!」 (フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年09月04日
【関連記事】第103回:“You, happy Austria, marry.”―「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」(ハプスブルク家), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月05日
【関連記事】第88回:“The word impossible is not French.”―「余の辞書に不可能はない」(ナポレオン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月08日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版

【動画】“Marie-Antoinette 's history. (マリー・アントワネットの歴史)”, by Château de Versailles, YouTube, 2010/08/06

このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by ジム佐伯 at 07:00 | ロンドン | Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室・王室・王家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/441681785

この記事へのトラックバック
スポンサーリンク / Sponsored Link

ブログパーツ