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2013年11月16日

第127回:“I dream my painting and I paint my dream.”―「絵を夢に見て、夢を絵に描く」(ゴッホ)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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ゴッホ『星月夜(The Starry Night)』(1889年)ニューヨーク近代美術館(MoMA)蔵
Vincent van Gogh, 1889 [Public domain], via Wikimedia Commons

第127回の今日はこの言葉です。
“I dream my painting and I paint my dream.”
「私は自分の絵を夢に見る。そして私の夢を絵に描くのだ。」
という意味です。
「絵を夢に見て、夢を絵にく」
といったところでしょうか。
これはオランダ出身の画家フィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)の言葉です。
ゴッホという読み方はオランダ語に由来しています。日本では単にゴッホと呼ばれることが多いですが、“van Gogh”で一つの姓です。
イギリス英語では「ヴァン・ゴッホ」と呼ばれることが多いですが、アメリカでは末尾が英語式に無声化して「ヴァン・ゴウ」と呼ばれることが多いです。
ゴッホが多くの作品を描いたフランスでは「ヴァンサン・ヴァン・ゴーグ」と発音されます。

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フィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)
ジョン・ピーター・ラッセル(John Peter Russell)による肖像画
John Peter Russell, 1886 [Public domain], via Wikimedia Commons

フィンセント・ヴァン・ゴッホは、1853年にオランダ南部の小さな村に生まれました。
父親は当時その村では少数派だったプロテスタントの牧師でした。フィンセントは小さい頃から気難しい性格の持ち主で、無断外出をしてはヒースの広がる低湿地で花や昆虫や鳥を観察して過ごします。またこの頃からよく絵をかいていたようです。
11歳の頃に家から離れた寄宿学校に入り、13歳の頃に国立高等市民学校へ入りますが、15歳の頃にあと1年を残して学校をやめ、家に帰ってしまいます。

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13歳の頃のゴッホ
Photo by Unknown, 1866 [Public domain], via Wikimedia Commons

16歳の時、ゴッホは伯父の紹介でフランスの画商グーピル商会(Goupil & Cie)のハーグ支店の店員になります。近所のマウリッツハイス美術館(Mauritshuis)でレンブラントやフェルメールなどオランダの巨匠の絵画に触れて、美術への興味を高めますが、職場の仲間や親戚との人間関係はあまりうまくいきません。
20歳の時にロンドン支店に、22歳の時にパリ本店に転勤になりますが、翌年グーピル商会を解雇されてしまいます。
しかし、まだ学生だった4歳年下の弟テオとは信頼関係が築くことができ、この頃からテオとの生涯に渡る文通が始まります。

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フィンセントの最大の理解者だった弟のテオ
Photo by Unknown, 1878 (Nationaal Archief Nederland) [Public domain], via Wikimedia Commons

ゴッホは孤独感と失恋から来た絶望感から、宗教への情熱を高めていきます。
寄宿学校の無給教師や書店の店員をしながら聖職者になりたいと思うようになり、牧師の手伝いをしたり神学校の受験勉強をしますが挫折します。
絶望したゴッホは絶食や自傷行為を行ったり、せっかくベルギーで伝道の仮免許を得たのに極端な行動で取り消されたりしています。
心配してゴッホを精神病院へ入れようとした父親とは口論になります。

聖職者の道を断たれたゴッホは、あらためて画家を目指すことを決意します。
27歳の頃です。ゴッホの弟テオはあのグーピル商会に勤めるようになり、ゴッホへの金銭的援助を始めます。これでゴッホは絵に専念することができるようになります。
ゴッホはオランダやベルギー各地を転々としながら制作を続けます。
この頃の作品は貧しい農民を描いた暗い色調のものが多いようです。

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『ジャガイモを食べる人々(The Potato Eaters)』(1885年)アムステルダム/ゴッホ美術館蔵
Vincent van Gogh, April 1885 [Public domain], via Wikimedia Commons

33歳の頃、ゴッホはパリで働く弟テオのもとを訪れます。この頃パリでは、ルノワールやモネといった印象派(Impressionism)の画家とは一線を画する「新印象派(neo-impressionism)」と呼ばれる画家たちが台頭していました。
純色の点を敷き詰めて色を表す「点描(pointillism)」という方法を用いるジョルジュ・スーラやポール・シニャックなどがそうです。
ゴッホも印象派や新印象派の影響をうけ、この時代の絵画は明るい色調に満ちています。また日本の浮世絵にも影響を受け、収集や模写を行っています。
また、さすがのテオも兄との同居はきつかったらしく、討論が絶えなかったと言います。

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『タンギー爺さん(Portrait of Pere Tanguy)』(1887年)パリ/ロダン美術館蔵
背景には浮世絵が描かれている
Vincent van Gogh, Summer 1887 [Public domain], via Wikimedia Commons

この頃、カリブ海のマルティニック島からポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848-1903)が帰国し、ゴッホ兄弟と交流するようになりますが、まもなくゴッホはパリを去り、南仏アルル(Arles)へ移り住みます。陽光あふれるアルルの田園風景はゴッホを魅了し、精力的に制作活動をします。

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『アルルの跳ね橋(The Bridge of Langlois at Arles with laundresses)』(1888年)
オランダ・ヘルダーラント州エーデ/クレラー・ミュラー美術館 (Kröller Müller Museum) 蔵
Vincent van Gogh, March 1888 [Public domain], via Wikimedia Commons

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『夜のカフェテラス(Cafe Terrace at Night)』(1888年)クレラー・ミュラー美術館蔵
Vincent van Gogh, 1888 [Public domain], via Wikimedia Commons

ゴッホはゴーギャンが経済的苦境にあると知り、共同生活を提案します。
そして5ヶ月後にゴーギャンはアルルでゴッホとの共同生活を始めるのです。
しかし個性の強い二人の共同生活はわずか2ヶ月で破綻します。
そしてゴッホは自分の耳を切り落とす有名な事件を起こしてしまいます。

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『包帯をしてパイプをくわえた自画像(Self-Portrait with Bandaged Ear and Pipe)』(1889年)
Vincent van Gogh, 1889 [Public domain], via Wikimedia Commons

ゴッホはアルルの病院に入退院を繰り返し、悪夢や幻覚にも悩まされます。
弟テオが結婚する準備で忙しかったことも、見捨てられるのではという孤独感につながります。
結局ゴッホはサン・レミ(Saint-Rémy-de-Provence)の精神病院に収容されます。36歳の頃です。1年間の療養期間にも、屋内や屋外でゴッホは多くの作品を制作します。制作の最中でも、てんかんの発作に襲われることがあったと言います。

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『星月夜(The Starry Night)』(1889年)ニューヨーク近代美術館(MoMA)蔵
Vincent van Gogh, 1889 [Public domain], via Wikimedia Commons

ゴッホの病状は一進一退でしたが、ゴッホの作品は徐々に評価が高まっていきます。ブリュッセルやパリの展覧会に出品された彼の作品は、評論家や画家たちから高く評価されるようになってきたのです。
そしてとうとう、展覧会に出された『赤い葡萄畑(The Red Vineyard)』が400フランで売れるのです。

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『赤い葡萄畑(The Red Vineyard)』(1888年)モスクワ/プーシキン美術館蔵
Vincent van Gogh, 1888 [Public domain], via Wikimedia Commons

1890年、ゴッホはパリ近郊のオーヴェル・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)に移り、療養と制作を続けます。
しかしわずか2ヶ月後、ゴッホは胸に銃弾を撃ち込まれた状態で病院にかつぎこまれます。
拳銃自殺と考えられていますが、真相は不明です。
治療の甲斐もなく、ゴッホは亡くなります。37歳の若さでした。

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『オーヴェルの教会(The Church at Auvers-sur-Oise)』(1890年)パリ/オルセー美術館蔵
Vincent van Gogh, 1890 [Public domain], via Wikimedia Commons

“I dream my painting and I paint my dream.”
絵を夢に見て、夢を絵に描く。

ゴッホの作品を見ると本当によくわかりますね。
どれもが素晴らしい作品だと思います。
結局、ゴッホが生存中に売れた絵はわずか一つだけでした。
しかし現在は、誰もがみなその素晴らしい価値を認めているのです。

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『ひまわり(Vase with Fifteen Sunflowers)』(1889年)東京/損保ジャパン東郷青児美術館蔵
1987年3月に安田火災海上(現・損保ジャパン)が3992万1750ドル(当時約58億円)で落札
1888年12月の「耳切り事件」直前に描かれたものと考えられている
Vincent van Gogh, 1889 [Public domain], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第295回:“It is good to love many things.” ―「多くのものを愛するのはいいことだ」 (ゴッホ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2016年03月22日
【関連記事】第126回:“Where do we come from?”―「われわれはどこから来たのか?」(ポール・ゴーギャン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月14日
【関連記事】第113回:“Writing a novel is like having a dream.”―「小説を書くことは夢を見るようなものだ」(村上春樹), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月22日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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