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2013年11月14日

第126回:“Where do we come from?”―「われわれはどこから来たのか?」(ポール・ゴーギャン)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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ゴーギャンの自画像(1889年)オルセー美術館蔵
Paul Gauguin, 1889 [Public domain], via Wikimedia Commons

第126回の今日はこの言葉です。
“Where do we come from?”
「われわれはどこから来たのか?」
という意味です。
これはフランスの画家ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848-1903)の言葉です。
ゴーギャンの晩年の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』のタイトルの一部です。フランス語原題では、
“D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?”
ドゥ・ヴェノ・ヌ? ケ・サム・ヌ? ウ・アロ・ヌ?)
英語では、
“Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?”
となります。
絵のタイトルとしてはとても長く、宗教的で哲学的ですよね。

0126-paul_gauguin_1891.jpg
ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848-1903)
Photo by Unknown, 1891, cropped by Jim Saeki on 14 November 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

僕はなぜかフランスの作家マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871-1922)を思い出しました。
なぜでしょう。よくわかりません。
彼が30代から死の直前まで書き続けた大作『失われた時を求めて(In Search of Lost Time, フランス語原題 À la recherche du temps perdu)』(1913-1927年)のタイトルがやはり哲学的だからかもしれません。


失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ), プルースト (著)

ちなみにこの作品は、村上春樹(Haruki Murakami, 1949-)の大作『1Q84』(2009-2010)にも印象的な形で登場します。
あえてヒロインと書きません、主人公の青豆が作中でずっと『失われた時を求めて』を読み続けるのです。
その時の青豆の境遇も特殊ですが、そんな時に読むのにぴったりの本だと思います。
青豆に敢えてこの作品を渡したタマルもなかなかやるなぁと思いました。


1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫), 村上 春樹 (著)

話がだいぶ逸れました。元に戻します。
ポール・ゴーギャンは1848年にパリで生まれました。
その年にはちょうどフランス二月革命(French Revolution of 1848)があり、ルイ=フィリップ1世(Louis-Philippe I, 1773-1850)が王位を追われて第二共和制(Second Republic)が始まります。
ポールの父は共和系のジャーナリストでしたが、革命後の新政府による恐怖政治や弾圧を怖れて南米ペルーの首都リマ(Lima)へ亡命します。父親はポールが1歳にもならないうちに病死し、ポールと母親はペルーで7年間を過ごし、1855年にフランスへ帰国します。ナポレオン3世(Napoléon III, 1808-1873)による第二帝政が始まった頃です。
後のゴーギャンの南国志向は、幼少期のペルーでの生活経験によるものと言われています。とはいっても、リマは低緯度ながら寒流の影響で意外に気温は低いそうです。

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オラース・ヴェルネが描いた1848年のフランス二月革命
By Horace Vernet, 19th century [Public domain], via Wikimedia Commons

帰国後ゴーギャンは11歳から17歳までオルレアン(Orléans)郊外の神学校に通った後で航海士となり、南米やインドを訪れます。
20歳の頃から3年ほどフランス帝国の海軍に在籍し、フランスがプロイセン王国およびドイツ諸邦の連合軍と戦った普仏戦争(Franco-Prussian War, 1870-1871)に従軍します。
フランスは北ドイツ沿岸の海上封鎖をしましたから、ゴーギャンも参加したかもしれません。ドイツ側の海軍は比較的小規模でしたから、大規模な海戦は行われませんでした。
しかし陸上戦闘ではプロイセンはフランスを圧倒します。1870年9月のセダンの戦い(Battle of Sedan, 1870)で包囲されて降伏したナポレオン3世は捕虜となり、1871年1月にはパリが包囲されて陥落、普仏戦争はプロイセンの圧倒的勝利に終わります。
これによりプロイセンはドイツ統一を果たし、ドイツ帝国が成立します。
一方でフランスは第二帝政が崩壊し、第三共和政が始まります。

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普仏戦争の頃のフランス海軍の艦艇
By John Frederick Maurice (The Franco-German War, 1870-71), 1900 [Public domain], via Wikimedia Commons

今日は話がよく逸れますね。すみません。話を元に戻します。
戦後ゴーギャンは証券会社に就職し、株のディーラーとして働きます。結婚して5人の子宝にも恵まれます。
絵は趣味で描いており、印象派展には1880年の第5回展から出品しますが、まだこの段階では一介の日曜画家に過ぎません。
この頃フランスは普仏戦争で2億ポンドもの賠償金をドイツに支払うことを課せられ、厳しい財政状況にありました。1882年、ユニオン・ジェネラル銀行の破綻をきっかけにパリ証券取引所で株価の大暴落が起こり、フランスは恐慌に突入します。
この出来事をきっかけにゴーギャンは証券会社をやめて、1883年から絵画の制作に専念するようになります。35歳の頃です。

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アマチュア画家時代のゴーギャンの作品(1879年)
Paul Gauguin, 1879 [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

1886年にゴーギャンは家族と別れ、フランス北西部のブルターニュ地方にある小さな町ポン・タヴァン(Pont-Aven)に滞在して制作に励みます。この頃集まった画家グループを「ポン・タヴァン派」と呼ばれます。
その後パナマ運河の建設現場で働いたり、カリブ海のフランス領マルティニック島に移住したりします。会社をやめたこともあり、経済的に困窮していたようです。
1888年に南仏アルル(Arles)でフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)と共同生活を始めます。しかし二人は次第に衝突を繰り返すようになり、共同生活は2ヶ月で破綻します。ゴッホが自分の耳を切り落とす有名な事件が起きたのです。ゴッホはアルルの病院からサン・レミ(Saint-Rémy-de-Provence)の精神病院に収容されます。ゴーギャンはパリへ戻ります。40歳の頃です。

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ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)自画像(1887年)シカゴ美術館蔵
Vincent van Gogh, 1887 [Public domain], via Wikimedia Commons

3年後、西洋文明に絶望したゴーギャンは南太平洋のフランス領ポリネシアのタヒチ島(Tahiti)に渡ります。素朴で単純な生活を楽しめる楽園を求めてタヒチに渡ったゴーギャンですが、タヒチでも貧困や病気に悩まされ、2年でパリへ戻ります。
パリへ戻ったゴーギャンは叔父の遺産でアトリエを構えますが、絵は相変わらず売れません。一度捨てた妻子にも受け入れられず、同棲していた女性にも逃げられたゴーギャンは2年後に絶望と共に再びタヒチへ移ります。1895年、47歳の頃です。

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『タヒチの女(浜辺にて)』(1891年)オルセー美術館 蔵
Paul Gauguin, 1891 [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

さらなる貧困と病苦と絶望の中、ゴーギャンが遺書代わりに描きあげたのが『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』です。彼は1896年の12月に死ぬつもりだったそうで、それまで絶えず念頭にあった大作を死ぬ前に描こうと思って一ヶ月のあいだ昼も夜もこの作品を描き続けます。
4メートル近くの幅がある大作で、タヒチの風景や人物たちを通してゴーギャンの精神世界が描かれています。作品のタイトルとテーマは、少年期のオルレアンの神学校で司教に絶えず問いかけられたカトリックの典礼から来ていると言われます。
画面右側には眠る幼児と三人の女性が『われわれはどこから来たのか』に対応する人生の始まりを表しています。画面中央の人物たちは『われわれは何者か』に対応する成年期を表しています。画面の左側には『われわれはどこへ行くのか』に対応する、死を受け入れている老女が描かれます。
過去のゴーギャンの作品に描かれてきた人物のモチーフが多く使われている、まさにゴーギャンの集大成とも言うべき作品です。ゴーギャン自身、「これ以上の作品は描くことはできまい」と語っています。

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『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』(1897年)ボストン美術館蔵
Paul Gauguin, 1897 [Public domain], via Wikimedia Commons

この作品はゴーギャンのポスト印象派の先駆けとも言えます。南国の風景を描きながら色彩は暗く陰鬱で、印象派の手法からかけ離れています。20世紀のキュビズムやフォービズムの先駆けとも言える作品です。
結局ゴーギャンは自殺にも失敗し、同じフランス領ポリネシアですがタヒチから北東に1500キロも離れたマルキーズ諸島(Marquesas Islands)のヒバオア島(Hiva Oa)へ移住して間もなく亡くなります。54歳でした。

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『二人のタヒチ女』(1899年)メトロポリタン美術館蔵
Paul Gauguin, 1899 [Public domain], via Wikimedia Commons

“Where do we come from?”
われわれはどこから来たのか?

誰でもが持つこの疑問。そしてそれを絵のタイトルに使ったゴーギャン。

『われわれはどこから来たのか? われわれは何者なのか? われわれはどこへ行くのか?』
この不朽の名作は、ボストン美術館で見ることができます。僕も一度見に行きました。
印象派の画家たちにさんざんな批評を受けたゴーギャン。
生前は結局まともな評価を得ることはできませんでした。
しかし没後その作品群は高く評価され、名声と尊敬を集めています。

『われわれはどこから来たのか? われわれは何者なのか? われわれはどこへ行くのか?』
はたしてゴーギャンはこの問いの答えを見つけることができたのでしょうか。

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Image courtesy of foto76, published on 20 October 2013 / FreeDigitalPhotos.net

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“日本初公開!不朽の名作「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」徹底解説”, 名古屋ボストン美術館 開館10周年記念 ゴーギャン展(2009年)

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posted by ジム佐伯 at 12:00 | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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