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2013年11月05日

第121回:“Planets move in ellipses.”―「惑星は楕円を描く」(ケプラー)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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By NASA (JPL image PIA01482), November 1980 [Public domain], via Wikimedia Commons

第121回の今日はこの言葉です。
“Planets move in ellipses.”
「惑星は楕円を描く。」
という意味です。
この言葉には続きがあります。
“Planets move in ellipses with the Sun at one focus.”
「惑星は楕円を描く。太陽をひとつの焦点とする楕円を。」
これは惑星の運動に関するドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)の言葉です。前回ご紹介したトスカーナのガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642)と同時代の人です。

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ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)
Painted by Unknown, 1610 [Public domain], via Wikimedia Commons

ヨハネス・ケプラーは1571年にドイツ南西部のシュヴァーベン地方にあるヴァイル・デア・シュタット(Weil der Stadt)という小さな町に生まれました。ヨハネスが5歳になった1577年に大彗星が現れ、ヨーロッパでは天文学のブームが起こります。
プロテスタントの牧師の家に生まれたケプラーは神学校で学んだ後に15歳でテュービンゲン大学(University of Tübingen)に入学して数学を学び、22歳の時からオーストリアのグラーツにあるプロテスタントの大学で数学と天文学を教えます。しかし宗教改革から続く対立が原因で、4年後にプロテスタントの聖職者と教師はグラーツから追放され、ケプラーは失職します。

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1577年の大彗星
Woodcut by Jiri Daschitzsky, 1577 [Public domain], via Wikimedia Commons

グラーツの大学にいた頃、ケプラーは初の著作『宇宙の神秘(Cosmographic Mystery, ラテン語原題 Mysterium Cosmographicum)』(1596年)を発刊します。ここでケプラーは「正多面体太陽系モデル(Platonic solid model of the solar system)」という独特の宇宙感を発表します。
当時、惑星は水星、金星、地球、火星、木星、土星の6つしかないと考えられていました。また、正多面体は正四面体、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体の、プラトン立体(Platonic solid)と呼ばれる5つしかありません。ケプラーは、神が定めたこれらの間には関係がある筈だと考えたのです。
その頃の常識では、太陽が地球の周囲を回るという天動説が信じられていました。しかしまずケプラーは、コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)が唱えた地動説を支持します。

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ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)
Painted by Unknown, 1580 [Public domain], via Wikimedia Commons

そしてさらにケプラーは、太陽系が正多面体の入れ子構造になっていると考えます。
太陽を中心に6つの惑星が回っているとして、内側の水星の軌道を含む球に外接する見えない正八面体があり、さらにそれに外接する球が金星の軌道と一致するというのです。さらに外側には同様に、正二十面体、地球、正十二面体、火星、正四面体、木星、立方体、土星というモデルで、惑星が6つしかないこととその軌道半径が説明できるそうです。

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ケプラーの多面体太陽系モデル(全体像)
Drawn by Johannes Kepler, Mysterium Cosmographicum, 1596 [Public domain], via Wikimedia Commons

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ケプラーの多面体太陽系モデル(太陽近傍)
Drawn by Johannes Kepler, Mysterium Cosmographicum, 1596 [Public domain], via Wikimedia Commons

おいおいケプラーどうしちゃったのという感じのトンデモ理論です。まったくのこじつけで、当時の観測数値とも違っています。しかしコペルニクスの地動説を堂々と支持している一点でのみ、真実を突いたものでした。
当然ながら当時の科学会にも無視されます。

たった一人、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642)を除いて。

当時33歳だったガリレオ・ガリレイはケプラーに手紙を送り、自分が地動説を信じていることをはっきりと書き送っています。25歳のケプラーは喜んで返事を書きますが、いわゆる「学者バカ」的な所があるケプラーは、悪気はなかったのですが横柄で失礼な手紙を送ってしまいます。怒ったガリレオはケプラーとの交流をそれっきり絶ってしまいます。

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ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642)
Justus Sustermans, 1636 [Public domain], via Wikimedia Commons

グラーツの大学の職を追われた翌年の1599年、ケプラーはデンマーク出身の著名な天文学者ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe, 1546-1601)に助手として招かれてプラハへ移住します。
ティコ・ブラーエはデンマークの貴族で、ちょうど神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(Rudolf II.,1552-1612)によって皇室付の帝国数学官としてプラハへ招聘されたばかりでした。

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ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe, 1546-1601)
By Eduard Ender († 1883) (http://cache.eb.com/eb/image?id=83677&rendTypeId=4) [Public domain], via Wikimedia Commons

ティコは優れた観測家であり、デンマーク時代に肉眼で観測できる最高の精度による膨大で正確な観測データを蓄積していました。ティコの提唱した修正天動説は、太陽が地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星が公転しているというものです。これ、ほぼ地動説と同じですよね。地球が中心であること以外の相対的な位置関係はほぼ現在の理解と同じなのです。しかし完全な地動説に踏み切れなかったのは、決定的な証拠となる恒星の年周視差が、当時の肉眼の観測精度では確認できなかったためです。

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ティコ・ブラーエの提唱した修正天動説
By User:Fastfission (Own work), 8 November 2009 [Public domain], via Wikimedia Commons

2年後の1601年にティコが亡くなり、ケプラーはティコの後任に就いてティコの遺した膨大なデータをもとに研究を続けます。
そして有名な「ケプラーの法則」“Kepler's laws of planetary motion(惑星の運動に関するケプラーの法則)を発見するのです。
第一法則と第二法則は『新天文学(New Astronomy, ラテン語原題: Astronomia nova)』(1609年)で発表されます。


新天文学, ヨハネス・ケプラー (著), 岸本良彦 (翻訳)

第一の法則は、
“Planets move in ellipses with the Sun at one focus.”
「惑星は太陽を一つの焦点とする楕円を描く」
です。「楕円軌道の法則」とも呼ばれます。
当時の天動説では、すべての天体は円運動をすると思われていました。神は完全であり、神が創った天体も完全な運動をすると信じられていたのです。太陽の近くを離れない内惑星の動きも、逆行をする外惑星の複雑な動きも、周転円の導入によって円運動の組み合わせで説明がつきました。

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周転円による惑星の運動の説明
(×印が円軌道の中心。地球からずれているため外惑星の見た目の大きさも変化する)
By Fastfission [Public domain], via Wikimedia Commons

それに対して当時の常識を覆す地動説を唱えて「コペルニクス的転回」と呼ばれたコペルニクスも、惑星は円運動をすると考えていました。したがって、コペルニクスの地動説でも、計算精度を高めるために一部に周転円が導入されていました。
ケプラーをプラハに招いたティコ・ブラーエも、惑星は円運動をすると考えていました。しかし自身の詳細な観測データによると火星の動きが円運動に合致せず、困ったティコがデータの分析をケプラーに任せたためケプラーが楕円運動の法則を発見したという逸話があります。
当時、地動説も天動説と同じぐらい複雑で誤差の多いものでした。しかしケプラーは当時の常識を覆す楕円軌道を導入することで、はるかに単純な計算ではるかに正確に惑星の位置が計算できるようになったのです。惑星に限らず、衛星や彗星の軌道も同じ楕円軌道で完璧に説明がつきます。これで地動説の優位性が絶対的になるのです。

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ケプラーの第一法則:惑星は太陽を一つの焦点とする楕円を描く
By RJHall, 13 July 2005 [CC BY-SA 2.0 AT], via Wikimedia Commons

第二の法則は、
“A line joining a planet and the Sun sweeps out equal areas during equal intervals of time.”
「惑星と太陽とを結ぶ線分は同じ時間に同じ面積を描く。」
です。「面積速度一定の法則」とも呼ばれます。
太陽に近いところでは惑星は速度を増し、太陽から遠いところでは惑星は速度を落とすことを意味します。

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ケプラーの第二法則:惑星と太陽とを結ぶ線分は同じ時間に同じ面積を描く
By RJHall, 13 July 2005 [CC BY-SA 2.0 AT], via Wikimedia Commons

一方のガリレオ・ガリレイは翌1610年に初めての著作『星界の報告』を発表します。望遠鏡を使って月や木星の衛星などの観測結果をまとめたものです。直接的に地動説を唱えてはいませんが、天動説を否定する証拠も多く含まれていました。文体も美しく、難解なケプラーの著書と違って一般人にも理解しやすい本でした。しかしそれが逆に仇となったのか、評判は散々だったようです。
そこでガリレオは、知人を通して間接的にケプラーに『星界の報告』の論評を依頼します。今やケプラーは神聖ローマ帝国お抱えの数学者でもあり、前年に発表された『新天文学』もガリレオは読んでいました。実に13年ぶりの交流の復活です。
ケプラーは喜び、すぐさまガリレオを擁護する小冊子を書いてプラハで印刷して配り、ガリレオにも手紙を添えて送ります。そして『新天文学』の論評をガリレオにも依頼します。しかしガリレオは返事を送りませんでした。理由ははっきりわかりませんが、ケプラーが唱えた楕円軌道をどうしても信じる気になれなかったという説もあります。
6年後の1616年にガリレオは異端審問にかけられます。そして無罪にはなるものの、しばらくは自説の主張を自粛することになります。


星界の報告 他一編 (岩波文庫), ガリレオ ガリレイ (著), 山田 慶児 (翻訳), 谷 泰 (翻訳)

ケプラーは1619年に『宇宙の調和(The Harmony of the World, ラテン語原題: Harmonices Mundi)』を出版します。そこで発表されたのがケプラーの第三法則です。
第三の法則は、
“The square of the orbital period of a planet is proportional to the cube of the semi-major axis of its orbit.”
「惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。」
というものです。著書のタイトルをとって「調和の法則」とも呼ばれます。


宇宙の調和, ヨハネス・ケプラー (著), 岸本良彦 (翻訳)

ケプラーの三法則を総合すると、惑星が太陽からの距離の2乗に反比例する力によって太陽に引かれているという結論が導かれます。これは磁力と同じような性質を持ちます。ケプラーは、太陽と惑星の間に磁力のような力が存在するところまで解明しましたが、その力の正体まではわかりませんでした。その力は今では万有引力として説明されていますが、その解明にはアイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton, 1642-1727)の登場まで待たなければいけません。

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アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton, 1642-1727)
Painted by Sir Godfrey Kneller, 1689 [Public domain], via Wikimedia Commons

ケプラーはほかにも様々な業績を残します。
1604年、ケプラーが32歳の時に超新星が観測され、ケプラーは詳細な観測データを残しました。これによってこの超新星は「ケプラーの超新星」と呼ばれました。
1607年、ケプラー35歳の時には非常に明るい大彗星が出現しました。ケプラーはこれも詳細な観測データを残しました。この大彗星は1682年にも再び出現し、イギリスの天文学者エドモンド・ハレー(Edmond Halley, 1656-1742)が同じ彗星であると推測しました。有名なハレー彗星です。

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「ケプラーの超新星 (SN 1604)」の残骸(Kepler's supernova remnant)
By NASA/ESA/JHU/R.Sankrit & W.Blair [Public domain], via Wikimedia Commons

晩年のケプラーはやや不遇でした。パトロンだった皇帝ルドルフ2世が亡くなるとプラハを離れ、オーストリアのリンツで暮らします。母親が魔女裁判にかけられたり、30年戦争に伴う動乱でリンツを追われ、ヨーロッパ各地を放浪したります。1630年、ケプラーはドイツのレーゲンスブルクで病死します。58歳でした。
ガリレオも不遇でした。彼は1632年に『天文対話』を発表し、天動説を否定しないように注意しながらも地動説を詳細に解説します。ローマ教皇庁の出版許可も得た発刊でしたが、これによりガリレオは翌年再び異端審問を受け、今度は有罪となり終身刑となります。有罪になった時、ガリレオが「それでも地球は動いている」と言った話は有名です。この時ガリレオは69歳。終身刑は軟禁に減刑されますが、9年後に世を去ります。77歳でした。


天文対話〈上〉 (岩波文庫), ガリレオ ガリレイ (著), 青木 靖三 (翻訳) (1959/8/25)

“Planets move in ellipses.”
惑星は楕円を描く。

常識を破る楕円軌道の導入で惑星の動きを完全に解き明かしたケプラー。
ティコ・ブラーエの詳細で膨大な観測データがあってこその大発見でした。
これによって地動説の優位性が決定的になったのです。
しかし帝国数学者でもあったケプラーは計算にはめっぽう強いのですが、多面体モデルのように時として理論だけが暴走することがありました。
一方でガリレオは、振り子の等時性や落体の実験などでも有名なように、バリバリの物理屋で実験屋でもありました。ガリレオは天体の運動が物理学に従っていることを確信していましたが、当時の数学ではそれを表現することができませんでした。
そして二人とも時代の波に翻弄され、思うように研究を全うすることができませんでした。
もし二人が意気投合して共同研究を進めていたら、そしてガリレオが異端審問にかけられていなかったら、惑星の運動の秘密はニュートンの登場を待たずして解明されていたかもしれませんね。

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2009年に打ち上げられたNASAの宇宙望遠鏡「ケプラー」
By NASA/Ames/JPL-Caltech, 3 January 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第119回:“In the midst of all dwells the Sun.”―「すべての中心に太陽が住まう」(コペルニクス), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月02日
【関連記事】第120回:“And yet it moves.”―「それでも地球は動いている」(ガリレオ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月03日
【関連記事】第71回:“We are made of starstuff.”―「私たちは星の材料でできている」(カール・セーガン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年08月10日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“正多面体と宇宙の神秘2”, by karaokegurui, 宇宙とブラックホールについてのQ&A, 2010/6/28
【参考】“Man of Science, Man of God: Johann Kepler(科学の人、神の人:ヨハネス・ケプラー)”, by Christine Dao, Institute for Creation Research, Acts & Facts. 37 (3): 8., 2008
【参考】“ガリレオ先生 第四夜「真実の行方」”, by TERU, SCRIPT1 WEB PAGES, 科学, 2009.04.17

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posted by ジム佐伯 at 12:00 | 科学者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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