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2013年11月03日

第120回:“And yet it moves.”―「それでも地球は動いている」(ガリレオ)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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アポロ17号に搭乗したハリソン・シュミット(Harrison Schmitt)が撮影した地球(1972年12月7日撮影)
『ザ・ブルー・マーブル(The Blue Marble, 青いビー玉)』と名づけられた
By NASA. Photo taken by either Harrison Schmitt or Ron Evans (of the Apollo 17 crew), 7 December 1972 [Public domain], via Wikimedia Commons

第120回の今日はこの言葉です。
“And yet it moves.”
「それでもそれは動く。」
というのが文字通りの意味です。
「それ」というのは、ここでは「地球」をあらわしています。
これはイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642)の言葉です。日本語では「それでも地球は動いている」という言葉が有名ですね。
もともとはイタリア語で、
“E pur si muove”
(エ・プル・スィ・ムーヴェ)
という言葉です。「地球」という言葉を入れるとしたら
“E pur la terra si muove.”
(エ・プル・ラ・ラ・スィ・ムーヴェ)
です。

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ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642)
Justus Sustermans, 1636 [Public domain], via Wikimedia Commons

ガリレオ・ガリレイは、1564年にメディチ家が支配するフィレンツェ共和国のピサで生まれます。フィレンツェ共和国は1569年にトスカーナ大公国と名前を変えますが、メディチ家の支配であることは変わらず、ルネッサンス期後半の文化が花盛りの時期でした。父親はフィレンツェ生まれの音楽家でした。
ガリレオ・ガリレイという名前は『ドラえもん』の「野比のび太」みたいで面白いですよね。これはトスカーナの習慣で、長男の名前には「姓」を単数形にしてその名前とすることがあるそうです。「ガリレイ」という姓は「ガリレオ」の複数形ですから、「ガリレオ家のガリレオ」という意味になります。
イタリアでは「ミケランジェロ」や「ラファエロ」など、偉大な人物は姓ではなく名で呼ぶ習慣があります。したがって、ガリレオ・ガリレイの場合は「ガリレイ」ではなく「ガリレオ」と呼ばれます。

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ピサの大聖堂(Duomo)にある「ピサの斜塔(Leaning Tower of Pisa)」(1372年完成)
By NotFromUtrecht (Own work), 29 May 2012 [CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

1581年、ガリレオは17歳の時に名門ピサ大学(Università di Pisa / University of Pisa)に入学します。
余談ですが、翌1582年にローマ教皇グレゴリウス13世(Gregorius XIII, 1502-1585)によって改暦が行われます。ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar, 100-44 BC)によって制定され、紀元前45年から1600年以上使われてきた「ユリウス暦(Julian calendar)」にずれが累積していたため、新しい暦の計算方法を採用したのです。新しい暦はローマ教皇の名をとって「グレゴリオ暦(Gregorian calendar)」と呼ばれ、今でも使われています。日本でも明治5年(1872年)の太政官布告第337号『太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス』が発布されて以来、グレゴリオ暦が使用されています。
この時代は天動説が広く信じられていました。グレゴリオ暦も当時最新の天動説の計算方法をもとに定められました。なんと今の暦は天動説で計算されているのです。もちろん、現代の最新の天文学とコンピュータによる計算に基づいて時々うるう秒が挿入されたりして調整されていますので、日付と季節がずれることはありません。

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ローマ教皇グレゴリウス13世(Gregorius XIII, 1502-1585)
Lavinia Fontana [Public domain], via Wikimedia Commons

話を戻します。ガリレオはピサ大学に入学した4年後に退学し、宮廷付きの数学者に数学を学んだ後、25歳の頃にピサ大学の数学教授となります。
この頃にピサの大聖堂(Duomo)で揺れるシャンデリアを見て振り子の等時性を発見したといわれています。しかし後世の創作であるという説もあります。
また、古代ギリシアのアリストテレスの自然哲学体系では、重いものほど早く落ちるとされていました。しかしガリレオは物体が落ちる速さは重さに関係なく等しいと主張します。それを証明するため、ガリレオはピサの斜塔の頂上から大小2種類の球を同時に落として両者が同時に着地するのを見せたという話も有名ですね。しかしこれも後世の創作で、実際は斜面の上に球を転がしたとも言われています。

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ピサの大聖堂(Duomo)のシャンデリア
「ガリレオのランプ(Lamp of Galileo)」と呼ばれている
By JoJan (Own work), 21 October 2005 [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC-BY-SA-2.5], via Wikimedia Commons

ピサ大学の教授の契約は3年間でした。その後ガリレオはパドヴァ大学の教授となります。
パドヴァ大学の教授の地位をガリレオの争った一人に、ナポリ出身の哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548-1600)がいました。ドミニコ会の修道士でもあったブルーノは、28歳の頃に異端の嫌疑をかけられてイタリアを出国します。そしてスイスのジュネーヴ大学やフランスのトゥールーズ大学とパリのソルボンヌ大学、イギリスのケンブリッジ大学などに在籍したり講師をしたりしながら研究を続け、様々な著作を発表します。その後ブルーノはイタリアに戻り、パドヴァ大学の教授の席をガリレオと争って敗れます。そしてヴェネツィアの貴族の家庭教師になりますが、訴えられて逮捕され、ローマの異端審問所に引き渡されます。
7年後の1600年に異端審問が行われ、天動説の支持や聖母マリアの処女性の否定、輪廻説の支持、魔術や占術の信奉などによりブルーノは異端との判決を受けます。ロベルト・ベラルミーノ枢機卿(Roberto Francesco Romolo Bellarmino, 1542-1621)はブルーノに自説の完全な撤回を求めますが、ブルーノは断固として拒否したため、ブルーノはローマのカンポ・デ・フィオーリ広場で火刑に処されます。

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カンポ・デ・フィオーリ広場に立つジョルダーノ・ブルーノの像
By Sputnikcccp , 14 August 2005 [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

このころ広く信じられていた天動説に一石を投じたのはポーランド出身の天文学者ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)です。コペルニクスは死の直前に発表した『天球の回転について』(1543年)という著書で地動説を主張します。
ガリレオもブルーノも、半世紀も前のコペルニクスの主張を当然知っていました。
ガリレオは1597年にドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)に送った手紙で、自分が地動説を信じていると書いています。

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ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)
Painted by Unknown, 1580 [Public domain], via Wikimedia Commons

ガリレオが教授になったパドヴァ大学はイタリアで2番目に古い名門大学です。ここで教授をしていた8年間に、ガリレオは多くの画期的な発見をします。
特に大きかったのは天文学での功績です。1608年にオランダで発明された望遠鏡のことを知ると、ガリレオは翌1609年に10倍の望遠鏡を1日で自作し、まもなく20倍のものに改良します。
そして月の表面を観測し、月面に凹凸や黒っぽい部分があることを発見します。

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ガリレオの作った望遠鏡のレプリカと月面の観察スケッチ
By Michael Dunn (Own work), 3 November 2006 [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC-BY-2.5], via Wikimedia Commons

また、翌1610年には木星に4つの衛星があることを発見します。ガリレオはトスカーナ大公だったメディチ家のコジモ2世(Cosimo II de' Medici, 1590-1621)の名を冠して「コジモの星々(Cosmian Stars)」と名づけます。後にコジモ2世の提案により「メディチ家の星々(Medician Stars)」と改名します。現在これらの衛星は「ガリレオ衛星(Galilean moons)」と呼ばれています。
ガリレオはこれらの観測結果をまとめ、初の著作である『星界の報告(ラテン語原題:Sidereus Nuncius, 英語でSidereal Messenger)』(1610年)を発表します。


星界の報告 他一編 (岩波文庫), ガリレオ ガリレイ (著), 山田 慶児 (翻訳), 谷 泰 (翻訳)

ガリレオはほかにも、金星(Venus)が月のように満ち欠けをすることや、太陽に黒点(Sunspots)があること、天の川(Milky way)が無数の星の集合体であることなどを発見します。そして、当時信じられていた天動説が誤りであることに確信を抱くのです。

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金星の満ち欠け(Phases of Venus)
By Nichalp 09:56, 11 June 2006 (UTC) [Public domain], via Wikimedia Commons

1615年、地動説を唱え始めたガリレオは、ドミニコ会の修道士ロリーニと論争になります。奇しくも地動説を唱えて火刑になったジョルダーノ・ブルーノがかつていたドミニコ会です。ロリーニはガリレオが主張する地動説は異端であるとローマ教皇庁に訴えます。
翌1616年に異端審問が行われます。判事はイエズス会員ロベルト・ベラルミーノ枢機卿です。これまた奇しくもジョルダーノ・ブルーノを異端と判決した判事でした。
審問では、今後地動説を一切主張しないよう判決が下ります。現存する判決文にガリレオの署名は残っていませんが、ガリレオはこの判決を受け入れ、しばらくは自説の主張を自粛します。かつてパドヴァ大学教授の地位を争ったジョルダーノ・ブルーノが異端判決の際に自説の撤回を拒否したため火刑になったのを十分すぎるほど知っていたからです。
また、コペルニクスの『天体の回転について』も、ローマ教皇庁より閲覧一時停止の処分がとられます。

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ロベルト・ベラルミーノ枢機卿(Roberto Francesco Romolo Bellarmino, 1542-1621)
By anonymous, Italian School (istitutoaveta.it), 16th century, cropped by Jim Saeki on 3 November 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

しかし16年後、ガリレオは『二大世界体系に関する対話(Dialogue Concerning the Two Chief World Systems)』(1632年)という著書をフィレンツェで発行します。日本では『天文対話』とも呼ばれます。天動説と地動説をあくまでも二つの仮説として、それぞれを信じる二人と中立的な一人の対話という形式で書いたものです。禁令に触れることがないように、地動説を全面的に支持することがないように細心の注意をはらいました。ローマ教皇庁の出版許可も得た上での発行でした。


天文対話〈上〉 (岩波文庫), ガリレオ ガリレイ (著), 青木 靖三 (翻訳) (1959/8/25)

しかしガリレオはローマ教皇庁の検邪聖省に再び出頭を命じられます。
前回の裁判で判事をしたロベルト・ベラルミーノ枢機卿は既に他界していました。また、前回の裁判にも参加し、ガリレオの親友でもあったバルベリーニ枢機卿(Maffeo Vincenzo Barberini)がローマ教皇ウルバヌス8世(Urban VIII, 1568-1644)になっていましたが、教皇の保護は得られませんでした。

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ローマ教皇ウルバヌス8世(Urban VIII, 1568-1644)
Pietro da Cortona, 1627, cropped by Jim Saeki on 3 November 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

判決は有罪でした。
ガリレオは終身刑となり、すべての役職は判決と同時に剥奪されました。そして『天文対話』は禁書となりました。
終身刑は軟禁へと減刑されましたが、トスカーナ大公国の在ローマ大使館で監視付きの邸宅に住まわされ、散歩のほかは外に出ることを禁じられました。
故郷のトスカーナには一生帰ることはできず、ローマでその生涯を閉じました。78歳でした。

判決のあと、ガリレオは地動説を放棄するという異端誓絶文を読み上げさせられます。
その時につぶやいたとされるのが、今日の言葉です。
“And yet it moves.”
「それでも地球は動いている。」
もちろん英語ではなくイタリア語です。周囲の人にわからないようにギリシア語でつぶやいたという説もあります。また、この発言自体が後世の創作であるという説もあります。

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アポロ8号が撮影した月の地平線から昇る地球の写真“Earthrise”
By Apollo 8 crewmember Bill Anders, 24 December 1968, cropped by Jim Saeki on 25 August 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

1989年、NASAの宇宙探査機「ガリレオ(Galileo)」がスペースシャトル「アトランティス」によって打ち上げられました。金星や地球の重力で加速するスイングバイ(Swing-by)を何度も行った後に木星に接近し、1995年にプローブが切り離されて木星の大気圏に突入します。プローブは木星大気圏内の様々な貴重なデータを観測します。
探査機本体は木星周回軌道に入り、実に7年間にわたってガリレオ衛星などを観測します。
400年前にガリレオが望遠鏡で発見したガリレオ衛星を、探査機ガリレオが間近で観測したのです。
ミッションを終えた探査機ガリレオは、2003年に木星大気圏に突入して燃え尽きます。
ガリレオ衛星には生命が存在している可能性もあるため、探査機に付着している地球の微生物が衛星の環境を汚染しないようにするための措置でした。

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探査機ガリレオ(Galileo)による木星探査
By NASA [Public domain], via Wikimedia Commons

“And yet it moves.”
それでも地球は動いている。

それでもガリレオは確かにこの言葉を言ったのだと、僕は信じたいです。
いいがかりとしか思えない裁判で自由と地位と名声を失ったガリレオ。
ガリレオが正しかったことは、今は小学生でも知っています。
1992年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(John Paul II, 1920-2005)はガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪しました。ガリレオの死から実に350年後のことでした。
2008年12月、前ローマ教皇のベネディクト16世(Benedict XVI, 1927-)は説教でガリレオの功績を讃え、地動説を改めて正式に認めました。
17世紀のガリレオの主張が、21世紀になって初めて認められたのです。

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探査機ガリレオが撮影したガリレオ衛星(Galilean satellites)
左からイオ(Io)、エウロパ(Europa)、ガニメデ(Ganymede)、カリスト(Callisto)
By NASA/JPL/DLR, between 1996 and 1997 [Public domain], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第119回:“In the midst of all dwells the Sun.”―「すべての中心に太陽が住まう」(コペルニクス), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年11月02日
【関連記事】第60回:“You have to start with the truth.”―「まず事実から始めなければならない」(ジュリアン・アサンジ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年07月21日
【関連記事】第71回:“We are made of starstuff.”―「私たちは星の材料でできている」(カール・セーガン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年08月10日
【関連記事】惑星探査機ボイジャー1号、太陽系外へ!, ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月13日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“Two Views of the Universe - Galileo vs. the Pope(宇宙についての二通りの見方―ガリレオとローマ教皇)”, By Hal Hellman, The Washington Post, September 9, 1998
【参考】“1992年の今日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、ガリレオの破門を解く!”, 小野寺 弘, 今日あった昔の歴史, 2010-10-31
【参考】“ローマ法王、地動説初めて認める ベネディクト16世”, 【共同通信】, 47NEWS Japan Press Networks, 2008/12/22
【参考】“教皇ベネディクト十六世の2008年12月21日の「お告げの祈り」のことば”, カトリック中央協議会 司教協議会秘書室研究企画訳, 2008.12.22

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | 科学者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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