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2013年11月02日

第119回:“In the midst of all dwells the Sun.”―「すべての中心に太陽が住まう」(コペルニクス)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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Lykaestria at the English language Wikipedia [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

第119回の今日はこの言葉です。
“In the midst of all dwells the Sun.”
「すべての中心に太陽が住まう。」

という意味です。
“dwell”というのは「住む」という意味のちょっと固い言葉です。主語は“the Sun”の太陽で、意味を強めるため倒置されています。
“In the middle of everything is the sun.”
というシンプルな英訳もあります。意味は同じです。
これはルネッサンス期のポーランド出身の天文学者で、カトリック司祭でもあったニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)の言葉です。

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ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)
Painted by Unknown, 1580 [Public domain], via Wikimedia Commons

当時の常識では太陽やほかの天体が地球のまわりを回っているという「天動説」が一般的でした。英語では地球が中心にあるという意味で“Geocentrism”(ジオセントリズム, 地球中心説)と呼ばれます。

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天動説(地球中心説)
By Loon, J. van (Johannes), ca. 1611–1686. (http://nla.gov.au/nla.map-nk10241), 1660, cropped by Jim Saeki [Public domain], via Wikimedia Commons

コペルニクスはそれに対して、地球やほかの惑星が太陽のまわりを回っているという「地動説」を主張しました。英語では太陽が中心にあるという意味で“Heliocentrism”(ヘリオセントリズム, 太陽中心説)と呼ばれます。
後世では、このように物事の見方が180度変わってしまうようなパラダイム転換のことを“Copernican Revolution”「コペルニクス的転回」と呼ぶようになりました。

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地動説(太陽中心説)
By Andreas Cellarius, 1660 [Public domain], via Wikimedia Commons

実は地動説はコペルニクスの独創ではありません。古代ギリシアでは、古くから地動説の考え方がありました。
古代ギリシアの哲学者で数学者でもあったピロラオス(Philolaos, 470-385 BC)は、宇宙の中心には「中心火(Central Fire)」という見えない炎があり、その周りを地球や太陽や星が回っていると考えました。
古代ギリシアの哲学者プラトン(Plato, 427-347 BC)は、最高の概念である「善のイデア(The idea of the good)」を象徴する太陽が宇宙の中心にあると考えていました。
古代ギリシアの天文学者だったアリスタルコス(Aristarchus, 310-230 BC)は、さらに詳細な地動説を唱えました。宇宙の中心には地球ではなく太陽があり、地球を含む5つの惑星がそのまわりを公転するというもので、まさにコペルニクスと同じ発想です。

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アリスタルコス(Aristarchus, 310-230 BC)
Photo by Dr. Manuel (Own work), 9 March 2005 [Public domain], via Wikimedia Commons

一方で、プラトンの弟子でもある古代ギリシアの哲学者アリストテレス(Aristotle, 384-322 BC)は天動説(地球中心説)をとりました。宇宙の中心には地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星が回っていると考えました。
古代ギリシアの天文学者アポロニウス(Apollonius, 262-190 BC)やヒッパルコス(Hipparchus, 190-120年 BC)は、火星など外惑星が大きな円に乗った小さな円の上を回ると考えました。この「周転円(epicycle)」の概念を導入することによって、逆行などの外惑星の複雑な動きが説明できるようになりました。

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周転円の導入により惑星の複雑な動きにも説明がついた
(×印が円軌道の中心。地球からずれているため外惑星の見た目の大きさも変化する)
By Fastfission [Public domain], via Wikimedia Commons

古代ローマの天文学者プトレマイオス(Ptolemaeus, 83-168, 英語でトレミー, Ptolemy)は、それまでの古代ギリシアの天文学を数学的に体系づける著書『アルマゲスト(Almagest)』を発表しました。後のキリスト教はアリストテレスの哲学にもとづいていましたので、中世のキリスト教社会にも受け入れられやすく、プトレマイオスの本書はその後何世紀にもわたり天文学の教科書として使われました。

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プトレマイオス(Ptolemaeus, 83-168)
Drawn by Unknown, medival ideal portrait of Ptolemy [Public domain], via Wikimedia Commons

古代ギリシア以降、ヨーロッパでは科学が停滞します。特にローマ帝国が滅亡した後は暗黒時代と言われるほどです。ヨーロッパで科学が再び発展するのはルネッサンス期以降です。
アリスタルコスの地動説は、イスラム世界や中国へ伝わって独自の発達をとげました。
しかし肝心のヨーロッパではルネッサンス期のコペルニクスの登場まで実に1800年のあいだ天動説が信じられ、地動説は日の目を見ることはありませんでした。

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コペルニクスの生家
By Stephen McCluskey (Own work), 2005/04/01 [CC-BY-SA-2.5], via Wikimedia Commons

ニコラウス・コペルニクスはポーランドのトルン(Toruń)という町で生まれました。ポーランドは当時ポーランド・リトアニア共和国という多民族国家の一部で、オスマン帝国に次ぐヨーロッパ第二の大国でした。
父親は銅を扱う裕福な商人でしたが、ニコラウスが10歳の時になくなり、ニコラウスは教会の司祭であった叔父に育てられます。そして最古の大学でもあるクラクフ大学(Krakow University)で教育を受けます。
コペルニクスに天文学を教えたアルベルト・ブルゼフスキ教授(Albert Brudzewski, 1445-1497)は、月の精密な軌道計算を世界で初めて行った人物で、天動説には懐疑的な立場をとっていました。
コペルニクスはイタリア最古の大学であるボローニャ大学(University of Bologna)や2番目に古い大学であるパドヴァ大学(University of Padua)へ留学し、ローマ法の博士号をとって司祭になります。
しかしその後もコペルニクスはボローニャ大学のフェラーラ教授(Domenico Maria Novara da Ferrara, 1454-1504)の弟子になり、住み込みで天体観測や天文学の研究を続けます。
コペルニクスはアリスタルコスの地動説も知っており、その研究をさらに進めます。コペルニクスは一年の長さや各惑星の公転半径などの計算方法を詳しく定め、誰でも同じ方法で測定しなおせるようにします。
それまで惑星の位置を予測するにはプトレマイオスの天動説が最も精度よいものでしたが、コペルニクスの地動説ではそれを凌ぐ精度で予測できました。またプトレマイオスの天動説では惑星間の距離は計算できませんでしたが、コペルニクスの方法では惑星間の距離も計算できるようになりました。

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ヤン・マテイコ(Jan Matejko, 1838-1893)が描いたコペルニクス
『天文学者コペルニクス、神との対話(Astronomer Copernicus, conversation with God.)』(1872)
By Jan Matejko, 1872 [Public domain], via Wikimedia Commons

しかしコペルニクスは、説の完成後も30年にわたってそれを公表しませんでした。
カトリックの司祭でもあったコペルニクスが、キリスト教の権威の崩壊や迫害を恐れたからだとも言われています。
コペルニクスは、彼の理論をまとめた著書『天球の回転について(De revolutionibus orbium coelestium, 英題:On the Revolutions of the Heavenly Spheres)』(1543年)の発表を、死の直前まで許しませんでした。

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ガリレオ・ガリレイが天動説で説明した外惑星の「逆行」
(地球が外惑星を追い越すため逆行しているように見える)
By Galileo Galilei (Dialogue concerning two chief world systems), 1632 [Public domain], via Wikimedia Commons

ただ、コペルニクス自身が書いた序文には、わりと挑戦的な言葉が並んでいます。
「好学なる読者よ、新たに生まれ、刊行されたばかりの本書において、古今の観測によって改良され、
斬新かつ驚嘆すべき諸仮説によって用意された恒星運動ならびに惑星運動が手に入る。
加えて、きわめて便利な天文表も手に入り、それによって、
いかなる時における運動も全く容易に計算できるようになる。
だから、買って、読んで、お楽しみあれ。」
この著作の発表が、後の研究における地動説の完成につながる大きな一歩となったのは言うまでもありません。
1543年5月、コペルニクス自身は自分の著書の完成を見ることなく亡くなりました。70歳でした。

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By Alvesgaspar (Own work), October 2007 [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

“In the midst of all dwells the Sun.”
すべての中心に太陽が住まう。

『天球の回転について』の中でコペルニクスが書いた言葉です。
まさに「コペルニクス的転回」でそれまでの常識をくつがえしたコペルニクス。
完全な新説ではなく、古代ギリシアの天文学の「再発見」と言われます。
しかしカトリックの司祭としての立場と科学者としての立場に悩み、長いあいだ自説の発表ができませんでした。
それでも死の直前に自説を発表した勇気は賞賛に値すると思います。

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Image courtesy of tiverylucky, published on 29 April 2013 / FreeDigitalPhotos.net

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第71回:“We are made of starstuff.”―「私たちは星の材料でできている」(カール・セーガン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年08月10日
【関連記事】惑星探査機ボイジャー1号、太陽系外へ!, ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月13日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“ニコラウス・コペルニクス”, 宇宙情報センター, 宇宙研究開発機構(JAXA : Japan Aerospace eXploration Agency)
【参考】“コペルニクスの宇宙”, 知の快楽 哲学の森に遊ぶ
【参考】“コペルニクスはなぜ地動説を唱えたのか”, 永井俊哉, システム論ブログ 専門の壁を超えた縦横無尽の知的冒険, 2012年9月11日

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | 科学者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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