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2013年10月24日

第114回:“Just great.”―「やれやれ」(村上春樹)

こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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Image courtesy of imagerymajestic, published on 28 June 2012 / FreeDigitalPhotos.net

第114回の今日はこの言葉です。
“Just great.”
「実にすばらしいよ」
というのが文字通りの意味です。
しかし、純粋に褒める時にはあまりこんな言い方をしません。
“Wonderful!”
とか
“Terrific!”
とか、褒めようがたくさんあるからです。
“Just great.”
を敢えて使う時には、話し手がうんざりしている時に反語的に使うことが多いです。
「ご立派だよ。」
という日本語が、文字通りの意味としても反語的な用法としても近いですね。

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Image courtesy of stockimages, published on 25 August 2012 / FreeDigitalPhotos.net

実はこれ、村上春樹(Haruki Murakami, 1949-)の小説によく出てくる
「やれやれ」
という言葉の英訳の一つです。
ほかにもいろいろな英訳のしかたがありますが、今回は代表して
“Just great.”
を記事タイトルとしました。

「やれやれ」という言葉。
村上春樹の作品には本当によく出てきます。
主人公のセリフとして出てくることが多いですが、主人公以外のキャラクターが使うこともたまにあります。
基本的に読者の感情移入の対象となるキャラクターが使うことが多く、主人公に敵対する人物やどうでもいい端役の人物が使うことはありません。
物語が一人称で語られる場合は、鉤括弧つきのセリフではなく、地の文として登場することも多いです。

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村上春樹(1949-)
By wakarimasita of Flickr, 6 October 2005, cropped by Jim Saeki on 19 October 2013 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

意外ですが、村上春樹のデビュー作『風の歌を聞け』(1979年)ではこの名セリフは登場しません。主人公も若く、書いた村上春樹自身も30歳とまだ若いので、あまりうんざりした気持ちにはならなかったのでしょうか。
次作の『1973年のピンボール』(1980年)で、初めて「やれやれ」が登場します。記念すべき第一回です。しかしここでは地の文で本当にさりげなく使われていて、読者の印象にもほとんど残りません。意識的に使ったのではないかもしれませんね。


風の歌を聴け (講談社文庫), 村上 春樹 (著)

「やれやれ」というセリフの本格デビューは、村上春樹の第3作である初の本格長編小説『羊をめぐる冒険』(1982年)です。この作品では何と9箇所に登場します。しかも主人公のセリフとして何度も使われます。
「やれやれという言葉はだんだん僕の口ぐせのようになりつつある。」
とまで書かれています。きっと村上春樹自身の口ぐせのようになりつつあったのでしょう。
その後、「やれやれ」という言葉が村上作品で多用されてきたのはご存じの通りです。
主人公が理解不能な事態や理不尽な仕打ちに直面した時、主人公に「やれやれ。」とうんざりさせることで、同じようにうんざりしている読者の心は鷲づかみにされ、主人公に共感して感情移入するのです。


羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫), 村上 春樹 (著)

村上春樹の作品は海外でも多く翻訳されていて、とても人気があります。
現在少なくとも46ヶ国語に翻訳されており、特に東アジアで人気が高いそうです。
初期の作品を英訳し、村上春樹が欧米に広く知られるきっかけを作ったのがアメリカ人の翻訳家アルフレッド・バーンボーム(Alfred Birnbaum, 1955-)です。

・『風の歌を聴け』(1979年)
  → “Hear The Wind Sing” (1987)
・『1973年のピンボール』(1980年)
  → “Pinball, 1973” (1985)
・『羊をめぐる冒険』(1982年)
  → “A Wild Sheep Chase” (1989)
・『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)
  → “Hard-Boiled Wonderland and the End of the World” (1987)
・『ノルウェイの森』(1987年)
  → “Norwegian Wood” (1989)
・『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)
  → “Dance Dance Dance” (1994)

などがバーンボームの翻訳です。
ただし、バーンボームの翻訳による『ノルウェイの森』は現在絶版になっています。
また、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』の英語版は、バーンボームによる講談社英語文庫版の英訳があるのですが、海外では一切刊行されていません。この2作は村上春樹自身が「自身が未熟な時代の作品」と評価しているためだそうです。『羊をめぐる冒険』からが一人前と考えているのです。
偶然にも「やれやれ」のデビュー時期と重なるのが面白いですね。


A Wild Sheep Chase: A Novel (Vintage International) [Kindle Edition], Haruki Murakami (Author), Alfred Birnbaum (Translator)

現在流通している英語版の“Norwegian Wood”は、アメリカの日本文学研究者でハーバード大学の元教授でもあるジェイ・ルービン(Jay Rubin, 1941-)が翻訳したものです。

・『ノルウェイの森』(1987年)
  → “Norwegian Wood” (2000)
・『ねじまき鳥クロニクル』(1992〜1995年)
  → “The wind-up bird chronicle” (1999)
・『アフターダーク』(2004年)
  → “After Dark” (2007)
・『1Q84』(BOOK1 / BOOK2)(2009年)
  → “1Q84”(Volume 1) (2011)

などがジェイ・ルービンの翻訳です。


Norwegian Wood (Vintage International Original) [Kindle Edition], Haruki Murakami (Author), Jay Rubin (Translator)

最近の作品を比較的多く訳しているのが、アメリカのアリゾナ大学教授で現代日本文学の研究者、翻訳家でもあるフィリップ・ゲーブリエル(J. Philip Gabriel)です。

・『スプートニクの恋人』(1999年)
  → “Sputnik Sweetheart” (2001)
・『海辺のカフカ』(2002年)
  → “Kafka on the Shore” (2005)
・『1Q84』(BOOK 3)(2010年)
  → “1Q84”(Volume 2) (2011)

などを翻訳しています。
最新作の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)もフィリップ・ゲーブリエルで英訳が進んでおり、2014年に英語版:
“Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage”
が発売される予定です。


1Q84 [Kindle Edition], Haruki Murakami (Author), Jay Rubin (Translator), Philip Gabriel (Translator)

せっかくですので、いくつかの作品の名シーンがどのように英訳されているかご紹介しましょう。

“There's no such thing as perfect writing. Just like there's no such thing as perfect despair.”
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
 ―『風の歌を聴け(Hear the wind sing)』、アルフレッド・バーンボーム訳

“I often have bad dreams. Generally, trauma about vending machines eating my change.”
「よく嫌な夢を見るよ。大抵は自動販売機の釣り銭が出てこない夢だけどね。」
 ―『羊をめぐる冒険(A Wild Sheep Chase)』、アルフレッド・バーンボーム訳

“The elevator continued its impossibly slow ascent.”
「エレベーターはきわめて緩慢な速度で上昇をつづけていた。」
 ―『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(Hard-Boiled Wonderland and the End of the World)』、アルフレッド・バーンボーム訳

“And worse, I was in love. Love with complications. Scenery was the last thing on my mind.”
「おまけに僕は恋をしていて、その恋はひどくややこしい場所に僕を運び込んでいた。」
 ―『ノルウェイの森(Norwegian Wood)』、ジェイ・ルービン訳

“Ten minutes, please. That's all we need to understand each other.”
「十分だけでいいから時間を欲しいの。そうすればお互いよくわかりあうことができるわ。」
 ―『ねじまき鳥クロニクル(The Wind-Up Bird Chronicle)』、ジェイ・ルービン訳

“From now on - no matter what - you've got to be the world's toughest 15-years-old.”
「君はこれから世界で一番タフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。」
 ―『海辺のカフカ(Kafka on the Shore)』、フィリップ・ゲーブリエル訳

“I can't get flustered now. I can't lose my composure. I have to stay the same calm, cool Aomame as always.”
「あわててはいけない。冷静さを失ってはならない。いつものクールな青豆さんでいなくてはならない。」
 ―『1Q84(1Q84)』、ジェイ・ルービン、フィリップ・ゲーブリエル訳

【参考】“英訳で読む村上春樹”, @haruki_eng

ほんの一行か二行を読むだけで作品世界が頭の中に広がりますね。
村上春樹はもともと英米文学の翻訳調の文体ですから、英訳もしやすいのかもしれません。

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Image courtesy of tokyoboy, published on 11 June 2012 / FreeDigitalPhotos.net

さて、ここで今日の本題である「やれやれ」です。
「やれやれ」が村上作品で非常に重要なキーワードであることは、翻訳者も承知しているはずです。
それをどう訳すか、ずいぶんと頭を悩ませたことでしょう。

僕が今日の記事タイトルとして採用したのは、「やれやれ」のデビュー作ともいえる『羊をめぐる冒険(A Wild Sheep Chase)』の、アルフレッド・バーンボームの訳です。
バーンボームは本作に登場した8箇所の「やれやれ」のうち、7箇所にこの
“Just great.”
を使っています。

たとえば、

“‘Just great,’ said I. This ‘just great’ business was becoming a habit.”
「「やれやれ」と僕は言った。やれやれという言葉はだんだん僕の口ぐせのようになりつつある。」

といった感じです。

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Image courtesy of artur84, published on 28 March 2013 / FreeDigitalPhotos.net

最初の「やれやれ」だけは
“Give me a break.”「かんべんしてよ」
が使われていますが、これは主人公のセリフではありません。
二番目の「やれやれ」はガール・フレンドのセリフです。
“Just great.”
が使われています。その後は主人公である一人称の「僕」のセリフです。すべて
“Just great.”
で統一されています。訳者としてもこれを決め台詞として意識している証拠です。

ちなみにジェイ・ルービンが訳した『ノルウェイの森(Norwegian Wood)』では、「やれやれ」は
“Oh, brother.”
と訳されています。
“brother”は驚きや嫌悪、落胆や失望をあらわす間投詞として使われています。
「おいおい」「おやまあ」「いまいましい」「やだなあ」
といったところです。

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Image courtesy of David Castillo Dominici, published on 03 August 2012 / FreeDigitalPhotos.net

最近の作品ではどうでしょう。
『1Q84』には少なくとも8ヶ所に「やれやれ」が登場します。
いったいどのように訳されているのでしょうか。いくつか例を紹介します。

“Damn. What was the point of locking the place so securely?”
「やれやれ、どうしてここまで戸締まりを厳しくしなくちゃならないんだ。」

“Oh, great. Things really are not going to go smoothly. I knew it.”
「やれやれ、ものごとはそんなにすんなりとは進まない。思った通りだ。」

“After the Queen video ended, ABBA came on. Oh, no.
「ようやくクイーンが終わると、今度はアバの映像になった。やれやれ、と青豆は思った。」

‘Oh, man,’ Aomame sighed, pressing her temples.”
「「やれやれ」、青豆はこめかみを指で押さえ、ため息をついた。」


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By Meinolf Wewel (Own work), 29 July 2013 [CC0], via Wikimedia Commons

このように、この作品では、“Damn.”“Oh, great.”“Oh, no.”“Oh, man.”などが「やれやれ」として使われています。
翻訳は『ノルウェイの森(Norwegian Wood)』と同じジェイ・ルービンですが、
“Oh, brother.”
は使われていません。『1Q84』では「ビッグ・ブラザー(Big Brother)」という言葉が象徴的に使われていますし、ドストエフスキー(Fyodor Dostoyevsky, 1821-1881)の長編小説『カラマーゾフの兄弟(The Brothers Karamazov』(1880)などにも言及したりしていますので、“brother”の重複を避けたのかもしれません。
このあたり、翻訳者の腕の見せどころでもありますね。

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Image courtesy of David Castillo Dominici, published on 24 March 2012 / FreeDigitalPhotos.net

“Just great.”
やれやれ。

三回に渡って村上春樹に関連した言葉をお伝えしました。
最終回の今日はやはり「やれやれ」をご紹介させて頂きました。
上記以外でも、
“Oh, brother.”
“Give me a break.”
“Damn.”
“Oh, great.”
“Oh, no.”
“Oh, man.”
など、いろいろな訳があてられていますね。
僕たちも普段の生活でいろいろ理不尽な思いややりきれない思いをすることがありますが、
「やれやれ」
と思うことで軽く受け流すことができるようになりますね。
今回は『村上春樹の「やれやれ」は英語ではこうだ!』とご紹介したかったのですが、なんだか締まりのない話になってしまいました。
やれやれ。

追記:
ちなみに、村上春樹の全作品の中で僕が最も好きな作品はこれです。→『村上朝日堂』(1984年)
これは英訳されそうにないなあ。

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Image courtesy of David Castillo Dominici, published on 28 December 2011 / FreeDigitalPhotos.net

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第115回:“Good grief!”―「*タメイキ*」(チャーリー・ブラウン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月26日
【関連記事】第112回:“I will always stand on the side of the egg.”―「僕はいつだって卵の側に立つ」(村上春樹), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月20日
【関連記事】第113回:“Writing a novel is like having a dream.”―「小説を書くことは夢を見るようなものだ」(村上春樹), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月22日
【関連記事】第35回:“Go ahead, make my day.”―「さあやれよ、俺を喜ばせてくれ」(クリント・イーストウッド), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年06月08日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】“「やれやれ」の起源”, 若草書房CE, 村上春樹スタディーズ, 2011年8月25日
【参考】“村上春樹的「やれやれ」の源流を探る―庄司薫,夏目漱石,横光利一,新美南吉”, NONAJUN, BUNGAKU@モダン日本, 2008/6/9(月)
【参考】“英語で「やれやれ」は?”, mog*m*13, 趣味の玉手箱にようこそ, 2006/3/4(土)
【参考】“英訳で読む村上春樹”, @haruki_eng
【参考】“村上春樹と海外の評価”, 吉見富美子, 吉見吉昭のホームページ / 家族の部屋, '07/7/27

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posted by ジム佐伯 at 12:00 | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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