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2013年10月05日

第103回:“You, happy Austria, marry.”―「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」(ハプスブルク家)

(本文5604文字、読み終わるまでの目安:14分01秒)


こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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ホーフブルク宮殿(Hofburg Imperial Palace)の新宮殿
Image courtesy of Marc Aert, published on 07 November 2008 / FreeDigitalPhotos.net

第103回の今日はこの言葉です。
“You, happy Austria, marry.”
「幸せなオーストリアよ、あなたは結婚しなさい。」
という意味です。昔風に言うと、
「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ。」
といったところでしょうか。
オーストリア(Austria)という国に対して話しかけていますね。
カンガルーのいるオーストラリア(Australia)ではなく、ヨーロッパのオーストリアの方です。
いったいどういう意味なのでしょうか。

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オーストリア中部のハルシュタット(Hallstatt)の町
Image courtesy of cescassawin, published on 19 July 2012 / FreeDigitalPhotos.net

これはヨーロッパ随一の名門王家であるハプスブルク家(House of Habsburg)に関することわざで、ハプスブルク家の家訓とも言われています。
ハプスブルク家は中世から近世にかけて、広大な領土を支配しました。

・オーストリア大公国(Archduchy of Austria / ドイツ語でErzherzogtum Österreich)
・スペイン王国(Kingdom of Spain / スペイン語でReino de España)
・ナポリ王国(Kingdom of Naples / イタリア語でRegno di Napoli)
・トスカーナ大公国(Grand Duchy of Tuscany / イタリア語でGranducato di Toscana)
・ボヘミア王国(Kingdom of Bohemia / チェコ語でČeské království)
・ハンガリー王国(Kingdom of Hungary / ハンガリー語でMagyar Királyság)
 
後の
・オーストリア帝国(Emperors of Austria / 独:Kaisertum Österreich)
・オーストリア=ハンガリー帝国(Austro-Hungarian Monarchy / 独:Österreichisch-Ungarische Monarchie)

などの大公(Archduke)や国王(King)や皇帝(Emperor)の家系を押さえ、神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)の皇帝を何世紀にも渡って独占しました。
スペインは新大陸(中南米)に広大な植民地を持っていましたから、まさに「太陽の沈まない帝国(Empire on which the sun never sets)」を支配していたことになります。

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1547年のハプスブルク家の支配地域(これにスペイン所有の新大陸を加えたもの)
By edited by Sir Adolphus William Ward, G.W. Prothero, Sir Stanley Mordaunt Leathes, 1912, annotated by Jim Saeki on 5 October 2013 [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

なぜこのような言葉が有名になったのでしょうか。
それは、ハプスブルク家が戦争や謀略ではなく、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得していったからです。
江村洋(Hiroshi Emura, 1941-2005)は『ハプスブルク家』でこう書いています。
“ふつう国家が近隣国の領地をかすめ取るときには、武力が用いられる。相手が弱いとみれば、強引に侵略する。世界史上の戦争のほとんどが、この部類である。ところがハプスブルクはそのような野暮な、無骨者の用いる手段はとらない。もっと雅びな方法で、もっと穏和に、もっと効果的に、他人が苦心惨憺して作り上げた国家を、まるでつまみ食いでもするように頂戴する。すなわち愛の力によって、結婚によって。”
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ウィーン国立歌劇場(Wiener Staatsoper)
By infraredhorsebite (Flickr.com - image description page) [CC-BY-2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons

そしてハプスブルク家の家訓といわれているのがこの言葉です。
“You, happy Austria, marry.”
この言葉には前後があります。

“Leave the waging of wars to others!
 But you, happy Austria, marry;
 for the realms which Mars awards to others,
 Venus transfers to you.”

「戦争は他国にさせておけ!
 しかし幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ。
 他国の領土は軍神マルスが与えるが、
 汝の領土は愛と美の女神ヴィーナスが譲って下さるのだから。」

なんと優雅な家訓でしょうか。なんと平和な家訓でしょうか。

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オーストリア・アルプスの山々
By Dhm03 (Own work), 27 July 2012 [CC0], via Wikimedia Commons

今のスイス北東部のバーゼル(Basel)やチューリッヒ(Zürich)の近くにある領地の主だったハプスブルク伯爵家は、1273年に当主のルドルフが神聖ローマ帝国を統治するローマ王(King of the Romans)に選出され、ルドルフ1世(Rudolf I, 1218-1291)を名乗ります。ローマ王がローマ教皇から戴冠を受けると神聖ローマ皇帝になるのですが、皇帝の力が強くなりすぎないように、わざと弱小領主が選出されたのです。
当時のドイツ地方は各地の領主の力が強く、弱小領主がローマ王(実質上はドイツ王)に選ばれて傀儡にされるという時代が続きました。これは神聖ローマ帝国の大空位時代(Interregnum)と呼ばれました。

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ルドルフ1世(Rudolf I, 1218-1291)
By Michail (File:Rudolf Speyerer Dom.JPG), 8 May 2005, cropped by Jim Saeki on 5 October 2013 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

しかしルドルフ1世は単なる弱小領主ではありませんでした。彼は反旗をひるがえした東方のボヘミア王国(今のチェコ中西部)の王でオーストリア公も兼ねていたオタカル2世(Otakar II, 1230?-1278)をマルヒフェルトの戦い(Battle on the Marchfeld, 1278)で破り、広大なオーストリア公国を息子のアルブレヒト1世(Albrecht I, 1255年-1308)に与えます。
ルドルフ1世の死後、ローマ王にはまた別の弱小領主が選出されますが、急死したためアルブレヒト1世が王位につきます。しかしハプスブルク家の世襲とすることは成功せず、王位はしばらくハプスブルク家を離れることになります。

その後スイスで独立の気運が高まったことでハプスブルク家はスイスで徐々に領地を失い、次第に本拠地をオーストリアに移します。スイスではウィリアム・テル(William Tell / 独:Wilhelm Tell)が活躍したのがちょうどこの頃です。ハプスブルク家は今後オーストリアで力を蓄え、勢力を広げることになります。今ではハプスブルクといえばオーストリアの代名詞のようにもなっています。

1438年にアルブレヒト2世(Albrecht II, 1397-1439)がローマ王になり、1440年にフリードリヒ3世(Friedrich III, 1415-1493)がローマ王になります。フリードリッヒ3世はローマを訪れてローマ教皇から戴冠を受け、ハプスブルク家としては初めて正式に神聖ローマ皇帝となります。

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フリードリヒ3世(Friedrich III, 1415-1493)
Painted by Hans Burgkmair, cropped by Jim Saeki on 5 October 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

息子のマクシミリアン1世(Maximilian I, 1459-1519)は、神聖ローマ帝国とフランス王国の間にあるブルゴーニュ公国(Duchy of Burgundy / 仏:État bourguignon)の王女と結婚し、今のベルギー、オランダ、ルクセンブルクとフランス北部、ドイツ西部に渡るネーデルランドの王になります。ハプスブルク家が結婚によって支配領域を広げた最初の事例です。
父フリードリッヒ3世の死後、マクシミリアンはローマ王になり、ローマ教皇から戴冠を受けずに神聖ローマ皇帝を名乗ります。ベネツィア共和国の妨害によりローマへいけなかったためでもありますが、これがきっかけで皇帝の権威はローマ教皇から独立したものとなります。また、ハプスブルク家の悲願だった皇帝位の実質上の世襲化にも成功します。

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ルーベンスが描いたマクシミリアン1世(Maximilian I, 1459-1519)
Painted by Peter Paul Rubens, 1618, cropped by Jim Saeki on 5 October 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

マクシミリアン帝の息子のフィリップ(Philippe, 1478-1506)はスペイン王女フアナ(Juana)と結婚し、後にカスティーリャ(Castilla)の王フェリペ1世(Felipe I)を名乗ります。
フィリップの息子カール5世(Karl V, 1500-1558)はとんとん拍子にスペイン王になります。スペイン王としての名前はスペイン風のカルロス1世です。当時のスペイン王は、発見されたばかりの新大陸の君主でもあり、イタリアのナポリ王でもありました。
また、カール5世の弟フェルディナンド1世(Ferdinand I, 1503-1564)も婚姻政策の結果ハンガリー王、ボヘミア王になっていました。
カール5世が神聖ローマ皇帝になった頃、ハプスブルク家はオーストリアとネーデルランド、スペイン、ミラノ、ナポリ、ハンガリー、ボヘミアそして中南米という広大な版図を支配し、「太陽の沈まない帝国(Empire on which the sun never sets)」と呼ばれるのです。

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ティツィアーノが描いたカール5世(Karl V, 1500-1558)
Painted by Titian, 16th century [Public domain], via Wikimedia Commons

さてさて、このペースで書いていったらハプスブルク家の歴史は終わりません。
後には、フランス国王ルイ16世と結婚しフランス革命に散った悲劇の王妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette, 1755-1793)など、歴史上の大スターも出しています。
しかしその後、神聖ローマ帝国は19世紀にフランス皇帝ナポレオン1世(Napoléon Bonaparte / Napoléon Ier, 1769-1821)の攻勢で完全に解体し、最後の皇帝フランツ2世(Franz II, 1768-1835)は1806年に退位します。

神聖ローマ帝国が解体した後もハプスブルク家はオーストリア帝国の支配者として存続し、ナポレオン1世追放後のウィーン体制でも存在感を示します。
その後、オーストリアはオーストリア=ハンガリー帝国として再編されます。
1914年、当時オーストリア=ハンガリー帝国の領土だったボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォ(Sarajevo)で皇位継承者だったフランツ・フェルディナンド大公(Franz Ferdinand, 1863-1914)夫妻がセルビア人の民族主義者に暗殺されます。有名なサラエヴォ事件です。
皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I, 1830-1916)はセルビア王国に宣戦布告します。

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フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I, 1830-1916)
By Carl Pietzner (1853-1927), 1885 [Public domain], via Wikimedia Commons

当時のヨーロッパ各国は「こうなった時にはこうする」という戦争計画をたてていましたので、それが自動的かつ連鎖的に発動してしまい、ヨーロッパを主戦場とする激しい大戦争が起こります。第一次世界大戦(World War I, 1914-18)の勃発です。
大戦中にフランツ・ヨーゼフ1世が死亡してカール1世(Karl I, 1887-1922)が皇帝となりますが、戦況は思わしくなく、オーストリアとドイツなどの同盟国側は無条件降伏します。
カール1世はポルトガル領の離島に亡命し、650年にもおよぶハプスブルク家の支配は終わります。

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カール1世(Karl I, 1887-1922)
By Bain News Service, publisher [Public domain], via Wikimedia Commons

結婚によって支配地を拡大したハプスブルク家。
その権力に終止符を打ったのは、皮肉にも自国がしかけた戦争で始まった第一次世界大戦でした。
「戦争は他国にさせておけ!」という家訓は正しかったのです。
また、結婚によって支配地が縮小するのを避けるために同属結婚を繰り返したがために、病弱だったり障害があったりする人物が続出したりしたそうです。
さらに、スペインのハプスブルク家は同属結婚が行き過ぎて家系が収束してしまい、病弱で子供もいなかったカルロス2世(Carlos II, 1661-1700)が亡くなったため家系が絶えてしまいました。

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フェリペ1世からカルロス2世に至るまで、スペインのハプスブルク家の系図
By Lec CRP1 at en.wikipedia Later version(s) were uploaded by Charles, Xiong Chiamiov at en.wikipedia. (Transferred from en.wikipedia) annotated by Jim Saeki on 5 October 2013 [CC-BY-SA-2.5 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5) or Public domain], from Wikimedia Commons

しかし政略結婚が多かったとはいえ、ハプスブルク家にあまり冷たいイメージはありません。
夫婦仲は基本的に円満で、多くの子宝に恵まれました。
例外はありますが、歴代の君主たちはおおむね温和で、人を処刑したり弾圧したりすることは好みませんでした。
スイスの発祥でオーストリアに本拠地がありましたが、ブルゴーニュでもスペインでもイタリアでも、現地になじんで現地語を話し、現地風の名前を名乗るなど、非常に国際的な一族でした。
そして馬鹿正直なほど約束や規則、条約を守ることが伝統的でした。
一族の仲もよく、家訓や家督相続の定めも守ることから、当主争いによる内輪もめはほとんどありませんでした。
何よりも、他国への侵略戦争をあまりせずに勢力を広げたことが素晴らしいですね。

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ホーフブルク宮殿(Hofburg Imperial Palace)の中庭
By C1815 (Own work) [Public domain], via Wikimedia Commons

“You, happy Austria, marry.”
幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ。

愛の力で栄えたハプスブルク家。
今でも子孫は婚姻によりスペイン、ベルギー、ルクセンブルクの王や大公の継承権を持っているそうです。
将来またハプスブルク家の一族が君主の座に返り咲く可能性がある可能性があるということです。
この一族の長い激動の歴史を、しかも愛と平和の歴史を考えると、なんだか楽しくなりますね。

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クリスマスのシェーンブルン宮殿(Schönbrunn Palace)
By MTSWien (Own work), 6 December 2010 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第88回:“The word impossible is not French.”―「余の辞書に不可能はない」(ナポレオン), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月08日
【関連記事】第102回:“Will you marry me?”―「結婚してください」(プロポーズの言葉),
ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年10月03日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】『ハプスブルク家』, 江村洋, 講談社現代新書

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posted by ジム佐伯 at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室・王室・王家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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