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2013年09月08日

第88回:“The word impossible is not French.”―「余の辞書に不可能はない」(ナポレオン)

(本文5265文字、読み終わるまでの目安:13分10秒)


こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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Jacques-Louis David, 1801 [Public domain], via Wikimedia Commons

第88回の今日はこの言葉です。
“The word impossible is not French.”
直訳すると、
「不可能という言葉はフランス語ではない」
「不可能という言葉はフランス的ではない」
という意味です。
もともとはフランス語で、
“Le mot impossible n'est pas français.”
(ル・モ・アンポスィブル・二・パ・フランセ)
となります。

これはあのナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte, 1769-1821)の言葉です。
革命時のフランスの軍人と政治家として活躍し、フランス第一帝政の皇帝になった人物です。
「余の辞書には不可能という文字はない」
という言葉が有名ですね。

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ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte, 1769-1821)
Jacques-Louis David, 1812 [Public domain], via Wikimedia Commons

しかし英語では、最初にご紹介したとおり、
“The word impossible is not French.”
「不可能という言葉はフランス語ではない」
という言葉として有名なのです。
“Impossible is a word to be found only in the dictionary of fools.”
「不可能という言葉があるのは愚か者の辞書だけだ」
という言葉だったという説もあります。

実際にはナポレオンが本当に語った言葉なのかどうか、はっきりわかっていません。
後世の創作だという説もあります。

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By Eric Pouhier (Own work), 1858 [CC-BY-SA-2.5 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], via Wikimedia Commons

フランスの片田舎であるコルシカ島で貧乏貴族の家に生まれたナポレオンは、ブリエンヌの陸軍幼年学校を卒業してパリの陸軍士官学校に入ります。
士官学校の過程は通常4年かかるところ、ナポレオンはわずか11ヶ月で修了します。
開校以来の最短記録だったそうです。
ナポレオンは砲兵士官として1875年に任官します。

その4年後の1789年、フランス革命(French Revolution)が始まります。
絶対王政が倒され、王のルイ16世(Louis XVI, 1754-1793)や王妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autriche, 1755-1793)は処刑されます。
貴族の特権が廃止され、第一共和制が始まります。
そして「自由、平等、博愛」の精神がかかげられます。
フランス語では、
“Liberté, Égalité, Fraternité”
(リベルテ、エガリテ、フラタニーテ)
英語では、
“Liberty, equality, fraternity”
です。

革命の混乱で、恐怖政治がしかれたりクーデターが繰り返されたりします。
フランス革命政府と反革命派である王党派との戦いも何度も起こります。
旧体制(アンシャン・レジーム, Ancien régime)では軍の士官は貴族ですので、多くが追放されたり逃亡したりします。
しかしナポレオンは王党派蜂起の鎮圧で数々の戦功をあげて英雄となります。
革命派の内部抗争にまきこまれて一時期逮捕・収監されたり、実家である貴族のブオナパルテ家が追放にあったりもしますが、1793年に24歳の若さで准将に昇進、1795年に将軍となり、フランス国内軍の司令官になります。

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23歳の頃のナポレオン
By Chevalier de Comparte at de.wikipedia [Public domain], from Wikimedia Commons

当時フランス革命政府は、国内では王党派との戦いにあけくれる一方で、国外は革命の波及を恐れるヨーロッパ各国との戦いを余儀なくされます。
フランス革命戦争(French Revolutionary Wars, 1792-1802)です。
フランスと戦った第一次対仏大同盟(First Coalition)は、オーストリアとプロイセン(今の北部ドイツ)を中心に、今のイギリス、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペインなどが含まれます。
周りのほとんどすべての国と戦ったと言っていいでしょう。
フランス革命政府は崩壊寸前まで追い込まれながら、国民軍を組織して、国家総動員の体制を作って抵抗します。

1796年、ナポレオンはイタリア方面軍の総司令官に任命されます。
フランスはドイツ側から2つの方面軍を、イタリア側から1つの方面軍を侵攻させ、オーストリアの包囲攻略を狙ったのです。
ドイツ側の2方面からの侵攻は、オーストリア軍の抵抗で失敗します。
しかしナポレオン率いるイタリア方面軍は連戦連勝、1797年7月に一気に首都ウィーンに迫ります。
これによりフランスは講和を結んでオーストリアに勝利。第一次対仏大同盟は崩壊します。
パリへ凱旋したナポレオンは市民から熱狂的な歓呼で迎えられます。
ナポレオンが29歳の時です。

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第一次イタリア遠征時のナポレオン
Antoine-Jean Gros, circa 1801 [Public domain], via Wikimedia Commons

オーストリアの脱落で、イギリスだけが戦争を続けている状況となります。
しかしイギリスは強力な海軍で制海権を持ち、フランスは苦戦していました。
そこでナポレオンは、当時オスマン帝国(今のトルコ)の支配下にあったエジプトに遠征します。
イギリスと植民地インドとの連携を断つことを狙ったのです。
ナポレオンはエジプトに上陸し、ピラミッドの戦い(Battle of the Pyramids)で勝利します。

この戦いの前にナポレオンは、ピラミッドの前でこう演説します。
“Soldiers, from the summit of yonder pyramids,
 forty centuries look down upon you!”

「兵士諸君、あのピラミッドの頂きから、
 四千年の歴史が諸君を見つめているぞ!」
フランス語だとこうなります。
“Soldats, songez que du haut de ces pyramides,
 quarante siècles vous contemplent.”

(ソルダー、ソンジェ・ケ・デュ・オ・ドゥ・セ・ピラミード、
 クャロン・スィエクル・ヴ・コントンプル)
 何ともドラマチックな演説です。

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『ピラミッドの戦い』を描いた絵画
François-Louis-Joseph Watteau, 1798-1799 [Public domain], via Wikimedia Commons

しかしフランス艦隊がホレーショ・ネルソン提督(Horatio Nelson, 1758-1805)率いるイギリス海軍に大敗し、ナポレオンはエジプトに孤立してしまいます。
さらにイギリスの呼びかけで、ロシア帝国やオスマン帝国も含む第二次対仏大同盟(Second Colalition)が結成されます。
しかも同盟に再度加わったオーストリアが、北イタリアを奪還します。
フランスは再び、国家存亡の危機におちいるのです。

ナポレオンは少数の部下と共にエジプトを脱出してフランスに戻ります。
普通ならば敵前逃亡罪で銃殺刑となる行為です。
しかしフランスの民衆はナポレオンの到着を、救世主の来訪のように歓喜をもって迎えます。
ナポレオンは革命派のエマニュエル=ジョゼフ・シエイエス(Emmanuel-Joseph Sieyès, 1748-1836)らとクーデターを起こし、軍事力で時の総裁政府(Le Directoire)を倒します。
シエイエスはナポレオンを道具として利用したつもりでしたが、軍事力と民衆の圧倒的な人気をもつナポレオンが新たな執政政府(Le Consulat)の実質的な独裁権を握ります。
執政官(コンスル)といえば、古代ローマを思い出します。ナポレオンもそれを狙ったようです。
1799年のことです。

ナポレオンはすぐさまアルプス越えで北イタリアに侵攻し、激戦の末にオーストリア軍を破ります。
ドイツ方面でもフランス軍が勝利し、オーストリアは講和を結んで第二次対仏大同盟は崩壊します。
戦い続けているのは再びイギリスだけになりますが、イギリスとも講和が成立します。
1802年のことです。

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第二次イタリア遠征でアルプス越えを指揮するナポレオン
Jacques-Louis David, 1801 [Public domain], via Wikimedia Commons

ナポレオンは1804年にナポレオン法典(Napoleonic Code)を公布します。
これは近代国家の民法として画期的なものでした。
そして同年、ナポレオンはついに皇帝(Empereur)の地位につき、ナポレオン1世(Napoléon Ier)を名乗ります。
議会の議決と国民投票を経ての就任でした。
フランス革命の精神を尊重したのかもしれませんし、古代ローマの共和政下でオクタヴィアヌス(オクタウィアヌス、Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus, 63-14 BC)が「民主的な」手続きで皇帝になったことを踏襲したのかもしれません。
おそらくその両方でしょうね。

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皇帝となる戴冠式で自ら王冠をかぶるナポレオン
(1802年、パリのノートルダム大聖堂にて)
Jacques-Louis David, between 1805 and 1807, cropped by Jim Saeki on 7 September 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

その後のナポレオンは、トラファルガーの海戦(The Battle of Trafalgar)でこそイギリス艦隊のネルソン提督に敗れるものの、陸戦では無敗の快進撃を重ねます。
ナポレオン戦争(Napoleonic Wars)の始まりです。
特にアウステルリッツの戦い(Battle of Austerlitz)では、オーストリア皇帝フランツ1世(Franz I)率いるオーストリア軍と、ロシア皇帝アレクサンドル1世(Aleksandr I)率いるロシア軍と戦って勝利します。
この勝利を祝って造られたのがパリのエトワール凱旋門(Arc de triomphe de l'Étoile)です。

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パリのエトワール凱旋門(Arc de triomphe de l'Étoile)
By CherryX (Own work) [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

その後ナポレオンはイギリスとスウェーデンを除くヨーロッパ全土をほぼ制圧します。
イタリアとドイツとポーランドはフランス帝国の属国に、オーストリアとプロイセンは従属的な同盟国になります。
長い歴史を誇ってきた神聖ローマ帝国は名実ともに消滅します。
この頃がナポレオンの絶頂期と言われています。

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フランス第一帝政時代の最大勢力圏
濃い青:領土、薄い青:衛星国、薄い緑:同盟国(プロイセン、オーストリア)
By Blank_map_of_Europe.svg: maix¿? derivative work: Alphathon /'æɫfə.θɒn/, modified by Jim Saeki on 8 September 2013 [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

1808年、スペイン独立戦争でフランス軍が敗北します。
陸戦では常勝だったナポレオンの初めての敗北です。
また、ナポレオンはイギリスへの経済制裁として、イギリスとの貿易を禁止する大陸封鎖令(Continental Blockade)を出していました。
イギリスも苦しみますが、産業革命によるイギリスの安価で高品質の製品を輸入していた大陸側も困窮します。

そして大陸封鎖令を破ってロシアがイギリスとの貿易を再開します。
対抗してナポレオンはロシア遠征を強行します。
ナポレオンは何とか首都モスクワを制圧しますが、ロシアの焦土戦術(Scorched earth tactics)と冬将軍(General Winter)に苦しめられ、60万だったフランス軍は撤退時には10万まで減り、無事に本国まで戻れたのはわずか5千人だったそうです。
完膚なきまでの大敗北です。

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モスクワから退却するナポレオンとフランス軍
By Adolph Northen (1828–1876), cropped by Jim Saeki on 7 September 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

各国はこれを見てさっそく第六次(!)対仏大同盟(Sixth Coalition)が結成されます。
プロイセン、イギリス、ロシア、オーストリア、スウェーデン、ライン同盟(ドイツ)です。
フランス軍にかつての勢いはありません。
1814年、フランスは四方から連合軍に攻め込まれて、パリは陥落。
ナポレオンはついに退位し、故郷コルシカ島の近くにあるエルバ島に幽閉されます。
そしてナポレオンに変わってルイ16世の弟ルイ18世(Louis XVIII)が王位につきます。
王政復古(Restoration)です。

しかし既に時代遅れとなってしまったルイ18世の政治は民衆の不満を買います。
1815年、ナポレオンは追放先のエルバ島を脱出し、パリに戻って復位に成功します。


エルバ島の位置 大きな地図で見る

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エルバ島からパリに戻ったナポレオン
By Charles Auguste Guillaume Steuben, 1818, cropped by Jim Saeki on 7 September 2013 [Public domain], via Wikimedia Commons

ナポレオンは各国との同盟を目指しますが、結局また各国と戦争になります。
各国はあわてて、まさかの第七次対仏大同盟(Seventh Coalition)を結成します。
ナポレオンは緒戦には勝利しますが、ワーテルローの戦い(The Battle of Waterloo)でイギリスとプロイセンの連合軍に完敗し、再び退位に追い込まれます。
百日天下(Hundred Days)の終了です。
ナポレオンは南大西洋の絶海の孤島であるセントヘレナ島に幽閉されます。


セント・ヘレナ島の位置 大きな地図で見る

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セントヘレナ島のナポレオン
By Francois-Joseph Sandmann [Public domain], via Wikimedia Commons
Source: http://www.axl.cefan.ulaval.ca/afrique/Sainte-Helene.htm

“The word impossible is not French.”
余の辞書には不可能という文字はない。

確かに全盛期のナポレオンはすごかったです。
しかし、さすがにセント・ヘレナ島からの復活はできませんでした。
10年もたたずして、ナポレオンはその地で生涯を終えます。
1921年、52歳でした。
不可能という文字はあったのです。

フランス革命のあと、ヨーロッパ中から何度も何度も袋だたきにあったフランス。
ナポレオンがいなかったら、あっという間に革命がつぶされていたかもしれません。
民主主義が根付くのが百年遅れたかもしれません。
彼がいたからこそ、自由・平等・博愛の精神はフランスからヨーロッパ各国に輸出され、強く根を張ったのです。
僕はそれがナポレオンの最大の功績だと思ってます。

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By fdecomite (French Flag Uploaded by tm), 17 October 2010, modified by Jim Saeki on 7 September 2013 [CC-BY-2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

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【関連記事】第49回:“See Naples and die.”―「ナポリを見て死ね」(ことわざ), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年07月02日
【関連記事】第96回:“I will either find a way, or make one.”―「道は見つける。なければ作る」(将軍ハンニバル), ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年09月22日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版



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