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2013年06月16日

第40回:“Make haste slowly.”―「ゆっくり急げ」(オクタヴィアヌス)

(本文4079文字、読み終わるまでの目安:10分12秒)


こんにちは! ジム佐伯です。
英語の名言・格言やちょっといい言葉をご紹介しています。

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By Grant Cochrane, published on 07 May 2013, FreeDigitalPhotos.net

第40回の今日はこの言葉です。
“Make haste slowly.”
「ゆっくり急げ。」
というのが文字通りの意味です。一見矛盾しているような面白い表現ですね。

日本にも似た意味で
「急がば回れ」
ということわざがありますが、少し違いますね。
“Make haste slowly.”
は、「ゆっくり」と「急げ」が両立する必要があるのです。

これは帝政ローマの初代皇帝オクタヴィアヌス(オクタウィアヌス、Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus, 63-14 BC)の言葉です。昨日はユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar, 100-44 BC)の言葉でしたが、今日はオクタヴィアヌスの言葉をご紹介します。

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オクタヴィアヌス(Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus, 63-14 BC)
So called “Augustus Bevilacqua”, by Unknown. Photo by Bibi Saint-Pol, 17 March 2007 [Public domain], via Wikimedia Commons

ルビコン川(Rubicon)を渡って元老院に反旗を翻したユリウス・カエサルは、ギリシアに逃れたポンペイウス(Gnaeus Pompeius Magnus, 英語ではPompey)との戦いにも勝利します。ポンペイウスはプトレマイオス朝(Ptolemaic dynasty)のエジプトへ逃亡しましたが、エジプト側の手により暗殺されます。ポンペイウスを追ってエジプトに上陸したカエサルは、エジプトの内紛に介入してこれを解決し、親密になったクレオパトラ7世(Cleopatra VII, 70-30 BC)がファラオ(Pharaoh)として治めるエジプトとの同盟を強化します。
その後、今のトルコの黒海(Black Sea)沿岸にあったポントス王国(Pontus)と戦って勝利。北アフリカや今のスペインに当たるヒスパニア(Hispania)でも元老院派の残党と戦いこちらも勝利します。こうして自らのルビコン渡河から始まったローマの内戦は終息します。

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ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar, 100-44 BC)
Bust of Gaius Julius Caesar by Andreas Wahra, in the National Archaeological Museum of Naples. Taken by Andreas Wahra in March 1997 [Public domain], via Wikimedia Commons

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クレオパトラ7世(Cleopatra VII, 70-30 BC)
Marlbebust of Cleopatra VII of Egypt form 30-40 BC, Altes Museum Berlin. Photopraph by Louis le Grand [Public domain], via Wikimedia Commons

オクタヴィアヌスは騎士階級の家に生まれました。当時はガイウス・オクタヴィウス・トゥリヌス(Gaius Octavius Thurinus)と名乗っていました。カエサルの姪の息子だったオクタヴィウスにとって、カエサルは大伯父でもあり、養父でもありました。
オクタヴィウスはカエサルのヒスパニア遠征に従軍しましたが、途中で船が難破して、敵勢力の真ん中に漂流してしまいます。しかし生き残った少数の兵を掌握して敵陣を突破し、無事帰還を果たしました。オクタヴィウスのこの行動はカエサルに強い印象を与え、カエサルの後継者として彼を選ぶことにしたと言われています。

その後カエサルは終身独裁官に就任し、権力を一身に集中させて様々な改革に着手しました。この権力の集中は後の帝政ローマにも引き継がれることになります。
これを見てマルクス・ブルートゥス(Marcus Junius Brutus, 英語読みでブルータス, 85-42 BC)やカッシウス(Gaius Cassius Longinus, 86頃-42 BC)らは共和政崩壊の危機感を抱きました。

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マルクス・ブルートゥス(Marcus Junius Brutus, 85-42 BC)
Male portrait, so-called “Brutus”. Marble, Roman artwork, 30–15 BC. National Museum of Rome. Photo by Marie-Lan Nguyen (2006), [Public domain], via Wikimedia Commons

そしてついに、元老院会議へ向かうカエサルはブルートゥスやカッシウスらによって暗殺されます。
“Et tu, Brute?” (エットゥー、ブルーテ?)
「ブルータス、お前もか?」
と言ったカエサルの言葉は、超有名ですね。
有名すぎて、シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)の『ジュリアス・シーザー(The Tragedy of Julius Caesar)』(1599年)では、ここだけラテン語のまま使われています。
敢えて英語にするとしたら、
“Even you, Brutus?”
“You, too, Brutus?”
といったところですが、せっかく有名な言葉ですから、ラテン語のまま覚えてしまいましょう。

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ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)
By louis leonard, National Portrait Gallery London. Photo by Unknown, [Public domain], via Wikimedia Commons

カエサルと共に執政官(Consul, コンスル)を務めていた腹心の部下マルクス・アントニウス(Marcus Antonius, 英語ではMark Antony, 83-30 BC)は難を逃れました。後継者はこのアントニウスが最有力とされました。しかしカエサルは遺言状で、当時18歳だったまったく無名のオクタヴィウスを指名していました。

当時ギリシアに留学中だったオクタヴィウスはカエサルの訃報に接し、急遽帰国の途につきました。イタリア半島南端に近く今もギリシャ航路の拠点となっているブルンディシウム(Brundisium, 今のブリンディシ, Brindisi)に上陸し、自分がカエサルの後継者に指名されていることを知りました。彼のもとにはカエサルの下で戦った退役兵たちが続々と集まります。軍団兵やカエサルの元側近たちの後ろ盾と共に、オクタヴィウスはローマに帰還しました。この頃から彼はガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス(Gaius Julius Caesar Octavianus)を名乗るようになります。

オクタヴィアヌスの最大のライバルはアントニウスでしたが、二人はレピドゥス(Marcus Aemilius Lepidus, 90-13 BC)と手を組み、第2回三頭政治を行います。その間カエサルを暗殺した元老院派を粛清したり、今のギリシャ・ブルガリア・マケドニア共和国にまたがるマケドニア(Macedonia)への遠征を行ったり、あのポンペイウスの次男であるセクストゥス・ポンペイウス(Sextus Pompeius, ?-35 BC)と戦ってこれを破ったりしました。しかし三頭政治はなかなか安定しませんでした。その後レピドゥスは失脚し、共和制ローマの西半分をオクタヴィアヌスが、東半分をアントニウスが支配することになります。

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マルクス・アントニウス(Marcus Antonius, 83-30 BC)
By M_Antonius.jpg: Amadscientist derivative work: DanieleDF1995 (M_Antonius.jpg) [Public domain], via Wikimedia Commons

オクタヴィアヌスは、三頭政治の安定のために姉のオクタヴィアをアントニウスと結婚させていました。しかしアントニウスは支配地域と隣接する同盟国エジプトのファラオであるクレオパトラ7世と親密になり、オクタヴィアを一方的に離縁します。ここでまたクレオパトラがローマ史に登場するのです。しかしこれがオクタヴィアヌスにアントニウス追討の絶好の口実を与えることになりました。

執政官(consul, コンスル)となったオクタヴィアヌスは、元老院を説得しアントニウスとクレオパトラに宣戦布告します。オクタヴィアヌスの海軍はギリシア西海岸のアクティウム沖にアントニウスとクレオパトラの連合軍の艦隊を誘い出し、アクティウムの海戦(Battle of Actium, September 31 BC)が行われます。奇しくもカエサルの暗殺時にオクタヴィアヌスはギリシア西岸に留学していたため、彼はこのあたりの地理に精通していました。

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アクティウムの海戦(Battle of Actium, 2 September 31 BC)
By Lorenzo A. Castro, 1672 (Downloaded from Royal Museums Greenwich) [Public domain], via Wikimedia Commons

実はオクタヴィアヌスには軍才がありませんでしたが、少年期にカエサルに引き合わされた盟友アグリッパ(Marcus Vipsanius Agrippa, 63-12 BC)が歴戦の司令官に育っていました。この人の胸像は美術の授業の石膏デッサンでよく使われますね。顔はカエサルやオクタヴィアヌスよりも有名かもしれません。
オクタヴィアヌスとアグリッパは苦戦しながらも戦いを有利に進めました。クレオパトラとアントニウスは戦場を離脱し、指揮官を失ったアントニウス軍は総崩れとなりました。エジプトに逃げた二人は相次いで自殺しました。コブラに身を咬ませたと言われています。

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アグリッパ(Marcus Vipsanius Agrippa, 63-12 BC)
Marcus Vipsanius Agrippa. Plaster cast in Pushkin Museum after the head Ma 1208 in the Louvre.
By shakko (Own work), November 2007 [GFDL or CC-BY-3.0], via Wikimedia Commons


こうしてオクタヴィアヌスは、敵対勢力をすべて排除し、エジプトまでも支配下におくことに成功しました。ローマの版図はイタリア半島からガリア(今のフランス)、ヒスパニア(今のスペイン)、北アフリカ、エジプトや今のトルコを含む中東の地中海沿岸、ギリシア、バルカン半島に及ぶ広大なものとなりました。地中海は文字通りローマの内海となったのです。
オクタヴィアヌスはローマ全軍を掌握するインペラトル(Imperator)の地位に付き、共和制への復帰を宣言して「尊厳ある者」という意味のアウグストゥス(Augustus)の称号を与えられました。しかし元老院が気付かないような巧妙な手で、共和制を徐々に有名無実化して共和制ローマを終焉させました。帝政ローマと初代皇帝アウグストゥスの誕生です。
かれがもたらしたローマ世界の平和は五賢帝の時代まで180年続き、後にパクス・ロマーナ(Pax Romana, ローマの平和)と呼ばれました。

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帝政ローマの支配地域(黄色:紀元前31年の共和制ローマの版図、緑:アウグストゥス治世下に徐々に征服された地域、ピンク:従属国)
By Cristiano64 (Lavoro proprio, self-made) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

“Make haste slowly.”
ゆっくり急げ。
まさにオクタヴィアヌスの人生そのものですね。
そして彼を後継者に選んだカエサルの目の確かさにも驚かされます。

この言葉、当時使われていたラテン語では、
“Festina lente.” (フェスティーナ・レンテ)
と言います。しかしスエトニウスの『ローマ皇帝伝』によると、オクタヴィアヌスはギリシャ語の
“Speude Bradeos” (スペウデ・ブラデオース)
を好んで口にしたそうです。
当時の貴族や知識人はギリシャ語の教育を受けており、ギリシャ語は国際語としても通用していました。偉大なる古代ギリシア文明の威光ですね。

日本人が英語(昔は漢文)を使って格好をつけ、欧米人がラテン語を使って格好をつけるように、ローマ人はギリシャ語を使って格好をつけていたのですね。
人間はいつになっても変わらないものですね。

同じような言葉を使ったことわざに、
“Haste makes waste.”
があります。
アメリカ建国の父の一人、政治家で科学者でもあったベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, 1706-1790)の言葉とも伝えられています。
3つの単語が三拍子でリズミカルに並び、綺麗に韻を踏んでいますね。
「急ぐことは浪費を招く」
というのが直訳です。日本にも同じ意味の、
「急いては事を仕損ずる」
ということわざがあります。

“Make haste slowly.”
は、「急いては事を仕損ずる」ことを防ぐ解決法なのかもしれません。

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ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, 1706-1790)
Portrait by Joseph-Siffrein Duplessis (circa 1785) [Public domain], via Wikimedia Commons

“Make haste slowly.”
ゆっくり急げ。

とても深い言葉ですね。
なかなかできることではありませんが、心に刻んでおきたいものです。

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By M - Pics, published on 22 July 2011, FreeDigitalPhotos.net

それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう! ジム佐伯でした。

【関連記事】第4回:“Slow and steady wins the race.”―「ゆっくり着実にやれば競争に勝つ」, ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年04月26日
【関連記事】第39回:“The die is cast.”―「賽は投げられた」, ジム佐伯のEnglish Maxims, 2013年06月15日

【参考】Wikipedia(日本語版英語版
【参考】ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫), 塩野七生



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posted by ジム佐伯 at 07:00 | Comment(0) | ギリシア・ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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